移動日である初日はひたすら電車を乗り継いでの西進。まともに立ち寄った所と言えば、岐阜の駅前一等地にある日本泉酒造の訪問と明石での食事&買い出しに限ります。とはいえ酒造では試飲も楽しめましたし、明石で購入した真鯛の柵は絶品で(少々量は多く後半は苦戦しましたが)、スタートからそれなりに楽しめた一日でした。
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目次
- 【移動】電車を乗り継ぎ山越え西へ
- 岐阜その1 日本泉酒造は駅前一等地で酒を醸す
- 岐阜その2 北口回顧
- 【移動】京阪神跨いで明石へ
- 明石その1 魚の棚グルメ紀行
- 明石その2 夕暮れ時の明石城
- 【移動】明石鯛実食、そして岡山へ
【移動】電車を乗り継ぎ山越え西へ
今回の旅のお供の青春18きっぷです。ここ暫くは日帰りでスキー行ったり登山の行き帰りの移動手段に使うくらいなもので、丸々一枚を大々的に使うというのは結構久しぶり……ちなみに今回は14日間という行程ですが、登山の最中を始めあまり移動しなくて元が取れなそうな日は使用しなかったので、結局この一枚だけで間に合ってしまう。
この時点ではまだまだスタンプの数も少なく綺麗そのもの。使い終わる頃には日付印やら下車印やらで券面が埋まり百戦錬磨っぽい雰囲気が漂っていました。手の方も帰った頃には日焼け虫刺され擦り傷かさぶた肌荒れって感じでしたが、まだまだ白くて生っちょろい感じ。
中央線を乗り継いで西へ向かう。途中、甲府盆地に下る辺りで富士山が見えました。登山の時は大抵見える富士山ですが、今回は流石に無縁ですので早くもここで見納め。
長坂辺りから見えた南アルプス。手前に鳳凰三山と甲斐駒ケ岳(雲に埋もれて見えない)が聳えています。鳳凰三山は突起のような形の地蔵岳のオベリスクも見えますね。
間に見えた白い山は恐らく北岳。流石は日本第二の高峰という事で、四月手前のこの時期でもまだ厚化粧気味に雪化粧していました。
小淵沢のホーム越しに見えるのは八ヶ岳。編笠山と権現岳手前の三ッ頭のピークより置くは雲で見えない。南アルプスもそうですけど、こっちの方も久しく登ってないな。
塩尻で中津川行きに乗り換えます……ここから先はJR東海の区間。二両しか無く結構混雑していますが、乗客の大半は少し先の贄川で降りちゃうのでそれまでは先頭車両で待つのが良しです。
塩尻から先は旧中山道の木曽路に沿って進む。車窓からは木曽漆器で有名な木曽平沢の街並みがよく見える。奈良井の方には何度か行ってますが、一昨年の御嶽山登山の帰りに寄り道したのが最後かな。
木曽の中心地である木曽福島。ここは古くから関所が設けられ木曽路の中心として栄えた町で、今でもその地位は揺るぎないもので特急も全て止まる。御嶽山とか開田高原に行く際は専らこの駅からバスに乗り換える。
ひとつ先の上松で特急の追い抜き待ちで結構長く止まるので、その間駅の周辺をうろうろ。すぐ近くには木曽川の水流によって花崗岩が侵食されて形成された寝覚めの床と呼ばれる景勝地があるのですが、電車の車窓から見下ろした事があるのみで未だ行った事は無かったり。
うろうろしていたら反対からも特急がやってきました。普通電車は本数が少ないですが、特急は毎時1本くらい走ってるので割とよく見かける。構内をうろうろしていると、駅の裏手の方にかつて森林鉄道として使用されていた保存車両が見えた。
上松は今でこそ特急の殆どが通過する小駅に過ぎませんが、かつて原木輸送で大いに栄えた駅でもあり、最盛時は総延長400kmを越えたとされる木曽森林鉄道の起点駅の一つでした。
そこそこのスピードを維持したまま追い抜いていく特急しなの。見送り次第電車に乗り込みました。
少し先の大桑にて再び交換待ち。単線区間が多いのでちょくちょく待たされる。
大桑村の玄関口という位置付けなんでしょう。駅の入口にはちょっと手作り感溢れる観光案内板がありました。こういうの良いよね。
南木曽でも少し停車しました。ここは木曽路を代表する観光地である宿場町、妻籠宿や馬籠宿のアクセス駅で観光客の利用が取り分け多い駅です。先程通過した奈良井もそうですが、ちょっと前までは外国人観光客の姿が多く見られたものの、このコロナ禍では乗り降りも疎らで。
狭隘な山間を抜けて終点の中津川まで出ると途端に名古屋圏っぽい雰囲気。ここで暫く振りの乗り換え。
時間があったので駅の外にも出てみる。鈍行での旅の場合、この駅で乗り換えを必ず強いられるので何かと歩く機会が多い街。南西方向に少し歩くと旧中山道中津川宿の宿場町の街並みが残っており、酒蔵やこの地域名産の栗きんとんを造る和菓子屋とか何やら色々あったりして暇潰しには困らない駅です。
そこまで時間がなければ駅前に建つにぎわい特産館に寄るのもおすすめです。よくある土産物センターみたいな施設ですが、市内の幾つかの店の栗きんとんをバラで買えたりするので食べ比べも楽しめます。
後は恵那山登山で降りた事があるくらいでしょうか。駅前通りを見通した先には本来であれば大きな恵那山の山体が聳えているのですが、この日は生憎雲に埋もれていました。
猛暑で有名な多治見まで移動しました……東の雄である熊谷や館林とは毎年不毛な勝負を繰り広げています。そのまま名古屋まで乗り通しても良かったのですが、今回は時間に余裕があったので太多線経由で岐阜に向かいます。
この駅は貨物を取り扱っているのか側線にはコンテナの山があり、積み下ろし待ちの貨物列車が側で待機していました。EF64とか相当年季が入った機関車だと思いますが、今でも現役で走ってるんですね。
途中の姫で列車交換。雅な響きの駅名ですね。由来は諸説あるらしいですが、この辺りの鎮守である三宮神社の祭神である比売之命の比売(ヒメ)から取られたという話。地名に関しては元来は姫路村という名だったものの、兵庫の姫路との混同を避けて姫という駅名となり、後年になって地名もそれに追従した。
対向列車がやってきました。単線非電化のローカル線ですが、ここも名古屋の通勤通学圏に含まれるのか本数は30分に1本とそこそこ多め。
列車前面の窓から見えた山々。おお伊吹山が見えるじゃん、と思ったら方角が全然違った。
岐阜その1 日本泉酒造は駅前一等地で酒を醸す
数日後の登山で担ぐ日本酒の調達の為、岐阜で一旦下車します。立派な高架駅舎で、大動脈である東海道線の電車が頻繁に入ってくるので駅構内は人通りが絶えない。なんか久しぶりに都市って感じの所に来た気がする。
観光案内所の壁面ガラスには戦国時代、守護の土岐氏に代わりこの美濃の地を治めていた戦国大名である斎藤道三、岐阜城を居城とし後に天下人となった織田信長、そして美濃出身で本能寺の変を起こして信長を討った明智光秀の絵が。流石は戦国武将、三人共眼力が凄いな。
南口に出ます。岐阜の中心市街は北側なのでこちらは実質的には裏口に当たり、なんとなくだだっ広い雰囲気。
駅を出て横断歩道を渡った先に日本泉酒造があります。ビルは酒造会社の持ちビルで、テナントとしてアニメイトが入ってるという無関係さが面白い。無論そっちの方が賑わってます。
ビルの中に入ってみます。更に階段を降りた先の地階、ガラス越しに仕込みタンクが幾つか並んでいるのが見えました。予約すれば酒造見学ができるらしいのですが、現在はコロナの問題もあって受け入れを中止しており小売のみの対応との事……残念。
見学はNGですが試飲はOKとの事でしたので軽く飲み比べてみました。ビルの地下という品質管理において有利な条件を活かして四季醸造(一年中日本酒を醸造しているという意味。逆に酒造りにとって気候条件の良い冬場のみ醸造するものは寒造りと呼ばれ、小規模な酒造では専らこちらが主流)しているので新酒という概念がなく、常に出来たての生酒が頂けるというのが強み……ただスペースに限りがある為か生産量はそこまで多くはなく、東京等の大都市圏の酒販店ではあまり見かけない銘柄だったりする。
今回三種類程試しましたが、どれも生酒特有のフレッシュさを感じさせる味わいで美味しく頂けました。全体的な味のバランスは中庸からほんの少し辛め程度ですが、辛口という訳ではなく単体でも全然飲めるなという印象。
個人的には左の吟醸にごり原酒が濃厚な割に後味さっぱりで起承転結みたいなのを感じて気に入ったのですが、長い旅の最初の一本目がイレギュラーな濁り酒というのは少しどうかと思ったので、今回はスタンダードな純米吟醸を購入。勿論生酒となります。
取扱店少なそうだし通販でも無いだろうなーと思いつつ探してみると、amazonで全く同じものを発見。吟醸の方についても味見しましたが、純米吟醸と比べると若干ドライで飲み終える段階でキレを感じ、より食中に向いている印象のお酒でした。
岐阜その2 北口回顧
乗車予定の電車まで少し時間があったので、今度は表口となる北口を散策。やけに毒気が抜けた感じの織田信長のイラストのラッピングバスが走ってました……こんな目が綺麗な信長だったら本能寺の変も起こらなそう。
駅前広場で一際目を引くゴールデン織田信長像。名古屋城の金鯱といい名古屋圏っぽいセンス。というか信長自身も尾張の出身でしたね。
バスロータリーの北側に路面電車の車両が保存されていました。かつてはこの岐阜にも名鉄岐阜市内線と呼ばれる路面電車が走っており、郊外部の支線も合わせると広大な路線網を持っていたのですが、2005年に全廃しています。
実は廃止前に乗りに行った事があります。当時はまだまだお子様だったので大した写真は残ってないですが、こんな雰囲気でアーケード街の真ん中を路面電車がゆっくり走っていました。
岐阜駅とその駅前から伸びるアーケード街。一つ前の写真左の路面電車が止まってるのが右の写真の奥の辺りで、当時は新岐阜駅前という電停がありました。線路と電停が剥がされすっきりした分、少なからずの寂しさを覚える。
こちらは通りに面している名鉄岐阜駅。路面電車が走ってた頃は電停の名前通り新岐阜という駅名でしたが、大して新しくない事に気付いたのか、当時の新名古屋とか新一宮と一緒に会社名を冠する駅名に変更されました……こっちの方まで覗きに来るのは久々だったので、こんな小奇麗な駅だったっけという印象。
名鉄岐阜駅の周辺の様子。アーケードが張り巡らされています。人通りはそこそこありますけど県庁所在地の駅前と考えると開いている店は少なく若干寂しい。岐阜は郊外化のスピードが速く、中心街である柳ヶ瀬も恐ろしい程に衰退していると聞く。中京圏は車社会だから仕方ないのかな。
ちょっと脇道を通ってショートカットして駅前に向かいます。飲み屋街っぽい雰囲気で、早くも営業しているのかおでんとかの幟が出てて唆られますね。こういう所で真っ昼間から引っ掛けていくのは絶対楽しいでしょうけど、まあ自重。
こちらはその側にある静かな全蓋式アーケード街。駅前の道路一本挟んだ先という立地上この一角は今でこそ飲み屋街化が進行しつつありますが、かつて岐阜はアパレル産業が盛んで、この一帯には大規模な繊維問屋街が広がっていました。
現在ではユニクロを始めとした大資本のアパレルメーカーや海外の安い衣料に押されて大変なのかあまり元気がない様子でしたが、今でも数百店の衣料品店があるらしいです。
【移動】京阪神跨いで明石へ
駅のホームに戻ってきました。平仮名のぎふ、の文字になんだか脱力させられる。
ホームに滑り込んできた大垣行きに乗って更に西に向かいます。
大垣にて米原行きに乗り換えます。岐阜県下第二の人口を持つ西濃地方の中心都市で、市街には湧き水が豊富で揖斐川や長良川といった一級河川もすぐ付近を流れている事から水都とも呼ばれた街(その分水害も多く、それを防ぐ為に集落の周囲を堤で囲う輪中が整備された)……ですが、鈍行で旅する事が多い人にとっては乗換駅という印象が強いでしょう。
かつてはこの駅止まりの下りのムーンライトながらから、短編成の米原方面行き普通列車に向けて大勢の乗客が駆け足で乗り換える大垣ダッシュなんて言葉もありましたが、それも今年始めのムーンライトながら廃止の発表をもってすっかり過去帳入りしてしまいましたね。以前は駅構内には「走らないで下さい」とか「構内10km/h以下」みたいなシャレた掲示もありましたけど、いつしか必要なくなったのか剥がされてしまったようで見かけませんでした。
大垣ダッシュと言えば、岐阜を出た直後くらいに先頭車両のドアに移動してると目の前に階段が現れて特に苦労もなく乗り換えられるという攻略法があったのですが……そんなものはもう必要のない知識でしょう。しみじみ。
今度こそ伊吹山が見えました。カメラの設定をミスってろくに写真が撮れなかった上、帰り道ちょっと藪に覆われ気味のマイナーコースを通った際にうっかりウルシを触ってしまい、両腕が恐ろしい程の痒み痛みに苛まれた後、半年ぐらい跡に残ったりと散々な目に遭った山でもある……リベンジしたい。
米原で新快速に乗り換えです。此処から先は完全に関西圏という雰囲気。行き先の網干も京阪神をすっ飛ばした先の姫路のその更に先。
ぼけーっと窓の外を眺めてるだけで京都大阪神戸と流れていきます。いつ乗っても新快速は速い。
途中見えた、明石海峡大橋と淡路島。岐阜の辺りまでは晴れていたんですが、ここに来て一転して雲が重々しく怪しい天候に。
明石その1 魚の棚グルメ紀行
明石に到着。本日はここで食事休憩のつもりなんですが雨が降り出していました。まあ目的地は大半アーケードの中なので良いんですが。
目当ての魚の棚商店街。来るのは4~5度目くらいで、ここ数年は関西に来る度に寄っている。ただ、この時は夕刻近いという事もあって既に店じまいしている所も多い。
商店街の様子。くぎ煮(いかなごの佃煮)とか蛸の旨煮とか、世の酒飲みが涙を流して喜びそうなものが沢山売ってる。というか酒も売ってて中で飲んだりもできる店もある。所謂角打ちって奴です。
色々買い込む前にとりあえず食事。行きつけって程じゃないですが、明石に立ち寄る度に食べる玉子焼き(明石焼き)のお店、たこ磯。ここでテイクアウトして明石城のベンチで良い感じに冷めたものを頂くというのが個人的なセオリーなんですが、生憎の雨なので今回は店内で激熱なものを頬張る。
プールに漬け込んで頂く。見た目こそ上品な感じですが、出汁の旨味は脳髄に響き渡る程に強烈。勿論完飲。
遅めの昼食を終えたらお次は夕食の調達。刺身は通常であれば色んな所で売っているんですが、この日は時間帯が時間帯という事で一箇所しか見かけませんでした。焼穴子と真鯛が地物との事でしたが……どっちもめっちゃ美味そうなんだけど、どっちも恐ろしく量多い。一目見て明らかに一人前じゃないと思うけど、一目見て明らかに一人旅だろうって人間にも平然と勧めてくるのだから関西のおばちゃんは強いな。
どちらか買うならば鯛の柵ですが、流石に量も多い(相応に価格も高い)ので別を当たるべく立ち去ろうとした(半分フリ)んですが、そしたらこっちが申し訳ないくらいに負けて貰っちゃいました。駆け引きに押し引きは必要。まあ早く店じまいしたかったんでしょうね。
ちなみに柵のままだとアレなので奥で捌いて刺身にして貰う。うっかり言い忘れる所で、危うく柵のままワイルドに齧る羽目になる所でした。
鯛の刺身が恐ろしい量なのでそれだけでお腹いっぱいになりそうな感じですが、ご飯ものはやはり必要だろうという事で、途中見かけた良い感じの蛸の炊き込みご飯も購入。ひとまずこれで晩飯は確保。
誘惑が多いですが……キリがないので足早に脱出。
明石その2 夕暮れ時の明石城
通り雨だったのかアーケードの外に出る頃には雨が完全に上がってました。まだ少し時間はあるなという事で当初の予定通り明石城方面へ。
明石城の入口。市街地からのアクセスは頗る良く、城跡というよりは公園という雰囲気。市民の憩いの場という感じ。
石垣の上には二つの櫓が残っています。右はかつて市内にあった船上城からの移築とされる巽櫓。左は京都の伏見城からの移築とされる坤櫓でどちらも国の重要文化財指定。
天守はありませんが元々建築されず、左の坤櫓がその代用とされたらしい。
巽櫓を見上げる。石垣にはやはり白い漆喰が映える。
少し登った所から巽櫓と明石市街。左側には明石駅のホームが程近い所に見える。
城内には武蔵の庭園と呼ばれる所があります。剣豪であった宮本武蔵が当時の城主であった小笠原家に仕え作庭を任されていたという話に因んで近年整備されたものらしい。園内には雰囲気良さげな茶室もあります。
【移動】明石鯛実食、そして岡山へ
一通り見物を終え明石駅に戻ってきました。
ホームに上がると明石城がすぐ近くに見えますが……ホームは何やらで電車が遅れててやけに混雑してました。これでは車内で食事どころか座る事すら難しそう。
遅れている電車を待っていると突然、子供連れにトワイライトですか?と尋ねられる。電車飲みの事しか頭に無かったので咄嗟には何の事か理解できず、違いますと返してしまいましたが……改めて辺りを見渡すと、反対側のホームにもカメラを構えた人をちらほら見かける。自分も一眼を首からぶら下げているので同じように見えたのでしょう。
暫くすると、昔のトワイライトエクスプレス塗装の機関車が通り過ぎていきました。なるほど、皆これが来るのを待ち構えていたのかと納得。
新快速は案の定大混雑で結局姫路ぐらいまで座れず、以降もそこそこ混んでいてとても食事なんて雰囲気ではありませんでした。ですが、終点の播州赤穂から乗り継いだ岡山方面行きの電車は一両に一人か二人という超絶ガラガラ状態。これなら大丈夫だろうと、ここぞとばかりに明石で買い込んだ食料を御開帳。
こちらが明石で買った真鯛の刺身。圧巻とも言うべき重量感。写真だと中々伝わらないですが厚みが相当あってずっしりしている。
刺身と締めのたこ飯。これを岐阜で買った日本泉と一緒に頂きました。至福のひととき。
いざ実食という事で頂きます。まず明石の鯛ですが、都内でよく見かける愛媛辺りの養殖のものと比べると食感がだいぶ違いますね。あちらの方は柔らかくもちもちしてますけど、こちらはゴリゴリというかコシがあって歯ごたえを感じます。勿論、ただ硬い訳ではなく密度が高く引き締まっているという印象。
これは普通の養殖物の鯛に比べ、明石海峡で育った鯛は急流に揉まれて筋肉質になるからと言われています。穏やかなイメージのある瀬戸内海ですが、鳴門海峡や来島海峡を始め海峡の狭まっているエリアは江戸時代には海上交通の難所とされる程に潮流が激しく、そこに育つ海の魚も一際違ったものとなるという訳です。
明石の鯛と同じくブランド化されている関サバ関アジなんかも豊後水道の急流に揉まれて育ったもので、普通のものとは食感が別物されています。なるほど同じ魚でも生育環境によってこうも違うものになるのかと、盃を片手に一人唸っていました。傍から見たら変な奴に違いない。
あと、たこ飯の方も味が染みてて普通に美味しかったです。蛸の身も多くて満足でした。熱々の出汁を掛けてだし茶漬けにしたらめちゃ美味そうだなとか考えていた。
途中の長船で列車交換。対向列車のライトが構内のレールを鋭く照らす。
岡山に到着。播州赤穂から一時間程度でしたが無事完食。
時間的にここ岡山で本日は終了としても良かったのですが、もう少し進んでおきます……なんか昼間のように空いてますね。夜の岡山駅っていつも混んでるイメージがあったのですが、時差出勤とかで色々なものが変わってきているのでしょう。
乗り換え待ちの間に外に出てみる。ここは流石に賑わってますね。午前中に歩いた、同じ県庁所在地の岐阜とはまた違った感じ。まあ拠点性も都市規模も違いますが。
岡山と言えば桃太郎とかきびだんご。駅前にも3匹のお供を連れた銅像があります。なんで敬礼しているんだろうって思ったけど、鬼ヶ島を見据えているんでしょうか。
駅に戻り、四国方面行きの快速マリンライナーに乗車。マリンライナーというと四六時中混雑しててラッシュ時なんかは相当前に列に並ばないと座れないみたいな印象でしたけど、今回は流石にそうでもなかったですね。
四国に入る一つ手前の児島で下車。電車が瀬戸大橋に向かっていく様を見送り本日を終えました。
次回記事『2日目 塩飽本島経由で四国上陸』に続く。