山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

【2021年3~4月】四国中国登山旅行

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2021年、3月から4月にかけて西日本方面へ登山旅行に出掛けてました。期間は2週間と長いものになりましたが、主目的である剣山系の縦走登山は少々過酷だったものの歩きごたえは抜群、その後の旅行でも重伝建地区等の以前から行きたかった場所を回ったり、鮮魚を中心にグルメを堪能したり、最後の最後で天気が好転してくれたおかげで当初予定していなかった伯耆大山に登る事が叶ったりと終始飽きない旅でした。

目次

経緯

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今回利用した青春18きっぷ

以前から……というかここ数年の間ほぼ毎年、3月から4月の春シーズンの青春18きっぷが使える頃に遠征し、ちょっと長めの縦走登山を楽しもうという考えを漠然と持っていました。ただ、この時期は季節の変わり目という事もあって体調的なコンディションもいまいち優れない事が多かったりと、いざ実行という段階に中々移せず数年程お流れになっていました。

ただ今年に関してはそこそこ安定していて冬場もコンスタントに体力維持の日帰り登山を継続できていたのでコンディションは頗る良く、ちょっとハード目な所にも行けそうかなという状態。

行けそうだ、となれば問題は行き先ですが……地図をざっと眺めてみると西日本、取り分け関西より西である中国四国九州方面には久しく足を踏み入れてないなーという事に気付き、ではその方面にしようと。

その中でも、中国地方は数日間の縦走に向きそうな山は無さそうという事で一旦は除外。九州に関しては登りたい山は祖母山を除けば概ね登ってしまった感じがあり、屋久にはもう一度行ってもいいかなーって程度。その点、四国の山は全く登った事がなかったので、じゃあ今回は新鮮な気持ちで楽しめそうな四国行きに決定

四国であれば石槌山剣山のどちらか二つが候補に絞られるでしょうが、どちらも山頂に登るだけであれば日帰りも可能な山なので、行程次第では一度の遠征で両方に登る事は十分に可能……ただ、山頂をタッチして降りてくるだけでは何日も移動に費やして登りに行く意味は無いなと思い(個人的な考えです)、どちらか一方に絞って4~5日程度の行程で歩くコースとして計画を練る事に。

ではどちらに登るか。石鎚山と剣山、どちらも東西に長く伸びる山脈です。石槌山であれば赤星山から尾根伝いに東赤石山笹ヶ峰、伊予富士、瓶ヶ森と歩きごたえのあるコース取りも可能そうでしたが、この時期は山頂直下の残雪が少し心配だったという事もあり、ほぼ積雪の心配が要らなそうな剣山の縦走に決めました。

下山後は気持ちを観光モードにスイッチして、四国を時計回りに半周して今治から船とかバスを利用して瀬戸内海を渡って本州入り。その後はまあ適当に、18きっぷの消化を兼ねつつ行きたい所を適当に巡りながら帰宅するという計画でした。

旅行記 ※作成中

1日目 往路、明石に寄り道(東京都内→岐阜→明石→児島)

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初日はほぼ移動に徹しており電車に乗りっぱなし。まともに駅の改札を抜けたのは岐阜明石くらいなもので、岐阜では駅前に立地する日本泉酒造にて日本酒の調達。明石では明石市の台所と呼ばれる魚の棚商店街に出向き、後日の剣山登山の景気付けに玉子焼き(明石焼き)を食したり、真鯛の柵蛸の炊き込みご飯を買い込んだりと初日から瀬戸内グルメを堪能しました。

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2日目 塩飽本島経由で四国上陸(児島→本島→丸亀→多度津→阿波池田)

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今回の四国へのアクセスは瀬戸大橋ではなく児島港からフェリーを利用。かつて戦国時代から江戸時代にかけて、この海域をを支配していた塩飽水軍の本拠地である本島を経由しました。島内では重伝建地区である笠島の集落を散策したり、豊臣秀吉徳川家康の朱印状が保管されている塩飽勤番所等を見物。その後は再びフェリーに乗り込み四国の丸亀に上陸。現存天守である丸亀城を見に行ったり、隣町の多度津に移動して散策したりしつつ、登山前泊地である阿波池田まで移動しました。

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3~7日目 剣山系縦走登山(阿波池田→剣山登山→貞光→脇町→阿波池田)

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今回の旅行においての根幹である剣山系の縦走登山。スタートの土佐岩原から三方山、土佐矢筈山、綱附森、天狗塚、三嶺次郎笈、剣山、丸笹山と5日間(最終日は午前中に下山し、午後は卯建の街で有名な脇町を観光)かけて歩きました。前半、京柱峠までの区間は一部を除いて道が無く藪漕ぎ灌木漕ぎが続く過酷な道程で、綱附森前後は足を取られるような深い笹薮。土佐矢筈山前後や天狗塚以降の縦走路は一転して整備状態も良くなり快適に歩けましたが、歩きやすい分長くストレートに体力勝負求められたり等、様々な面で手応えを感じさせられた登山でした。

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8日目 高知城と酒造町佐川(阿波池田→高知→佐川→須崎→宇和島)

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下山翌日は高知県に移動。手始めに高知市現存天守である高知城を観光し、その後は更に西進。県内に幾つかある酒造地の一つとして知られる佐川司牡丹酒造にて試飲やお酒の調達、加えて町内の観桜の名所である牧野公園にて花見を楽しみました……お酒を手に入れたら肴が必要だろうという事で、お次は少し先の県内有数の水産都市である須崎の魚屋にてカツオとグレ(メジナ)の柵を調達。佐川で手に入れた司牡丹と一緒に楽しみましたが、特にカツオは関東では中々お目に掛かれない美味しさでした。

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9日目 肱川水系の古い街(宇和島→卯之町→大洲→内子→松山→今治)

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前日の内に愛媛県に越境し、この日は宇和島からのスタート。最初は卯之町を観光、明治時代に建築された擬洋風の校舎である開明学校を見学したり、重伝建地区である古い町並みを歩いたりしました。その後はバスで大洲の中心部まで移動し、現存ではないものの正確な復元天守として知られる大洲城や周辺に広がる城下町を散策。大洲観光を終えたら若干東に移動し内子の町へ。ここは江戸時代に木蝋造りで財を成した街で、統一感のある黄漆喰となまこ壁が並ぶ八日市護国の町並みを観光。最後は松山に立ち寄り、これまた現存天守松山城を見物。その後は翌日の島巡りに備えて今治まで移動しました。

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10日目 芸予諸島巡り、大崎上島と大崎下島(今治→大崎上島→大崎下島→広島)

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この日は瀬戸内海の島巡りに終始した一日。まずは今治からフェリーに乗り込み芸予諸島大崎上島へ。上陸後は島内においての最高峰であり、条件が良ければ瀬戸内海の100以上の島々を見渡せるという神峰山に登山。残念ながらこの日は黄砂の到来で四国すら見えない始末でしたが、周囲に大小の島々が浮かぶ瀬戸内らしい風景が見渡せたのでひとまず満足。その後は大崎下島に船で渡り小長、大長を経て御手洗を観光。江戸時代には瀬戸内海の海上交通において有数の寄港地として大いに発展し、そうした当時の繁栄が面影として残る重伝建指定の町並み……前々から一度は訪れてみたい所でした。

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11日目 白壁の街柳井と秋吉台散策(広島→田布施→柳井→厚狭→秋吉台

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前泊した広島から電車に揺られ、山口県に入った所で桜の名所とされる田布施と、白壁の町並み残る重伝建地区である柳井の観光。特に柳井は個人的にはお気に入りの場所で、既に三度目となる訪問。その後は更に電車で西に進み、本日の主目的である秋芳洞方面に移動。途中乗り換え待ちで降りた厚狭の旧山陽道沿いにて日本酒や肴を買い込み、その後は美祢まで移動してそこからバスに乗り継ぎ秋芳洞へ。日本最大規模の鍾乳洞と呼ばれる秋芳洞、そして地上に上がり日本を代表するカルスト台地である秋吉台を散策しました。

12日目 石見の史跡巡り(秋吉台→益田→石見銀山→米子)

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先ずは秋芳洞からまで移動。萩も国内では指折りの観光地ですが、前回来た時に丸一日掛けてじっくり回ったので今回はスルーして山陰をひたすら東進。益田での乗り換え待ちを利用してレンタサイクルを借りて重文指定の建造物のある染羽天石勝神社萬福寺を慌ただしいながらも見物。再び列車に乗り、仁万からバスで石見銀山に初訪問。重伝建指定されている大森の町並みを見物したり、銀山防衛の為に築城された山吹城に登ったりしつつ世界遺産巡りを満喫しました。

13日目 伯耆大山ハイキング(米子→大山寺から大山往復→米子→新見)

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予定ではこの日の内に帰宅するつもりで全13日間の行程でした。ですが予想外に天気が好転し登山も楽しめそうだなという事で、前日は米子宿泊に調整。そして中国地方きっての名峰である伯耆大山の登山を堪能しました。テント背負っての縦走好きの自分としては、ただ登って降りてくるだけのコース取りしかできない大山登山にあまり期待していませんでしたが、流石は日本海側という事で積雪があり、前半で登った剣山とはまた違った雰囲気。加えて麓の方には古い神社仏閣が多く重文クラスの建造物が立ち並んでいたりと見所は多く、思ったよりも楽しめました。米子に戻ったら余った時間で米子城へ。大規模に石垣が残り古城という雰囲気で、市内や先程登った大山を見渡せる展望台でもありました。

14日目 帰路、龍野に寄り道(新見→龍野→東京都内)

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米子からでは1日で帰れないので前日の内に岡山県新見まで移動しており、そこからのスタート。天気予報は豪雨との事で、ろくに観光はできずまっすぐ帰る事になるだろうなと思いきや、本格的に崩れるのが正午頃まで遅れてくれたので、午前中は淡口醤油発祥の地として有名な龍野に立ち寄って観光を楽しむ事ができました。その後はひたすら電車を乗り継いでの帰宅。