山とか酒とか

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【2011年12月】東日本大震災……その爪痕を確認する為の東北旅行

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2021年3月11日、東北地方沿岸部とその周辺地域を襲った東日本大震災から10年が経過しました。震災関連死を含めて2万人以上が犠牲となり、沿岸に連なる幾つもの都市が一日にして瓦礫と化した未曾有の大災害。当時の日本列島に大きく影を落とした事は10年経過した今となっても記憶に新しいです。

まだその爪痕が生々しく残るその9ヶ月後の2011年12月、私はその足で東北の被災地を訪れていました。その時の記憶を今回、10年が経過した一つの区切りとしてか、或いは自身の薄れゆく記憶に次第に焦りを覚えてか、ハードディスクの中で肥やしと化していた写真を活用して記事として書き起こしてみようと思いました。

他の記事を書く場合はそちらを優先する事になり完成には時間が掛かると思うので、気長にお待ち頂けると幸いです。一応、年内を目処に完成させるつもりはあります。

目次

経緯

初っ端から自分語りとなって恐縮ですが、この頃の私は青春18きっぷを利用して地方を旅行するのが趣味でした。北海道から九州と日本全国。勿論東北地方も例外ではなく、むしろ首都圏からアクセスしやすかったという事もあり、足繁く……という程ではありませんが、そこそこの頻度で通っていまいた。

故に、被災して跡形もなく一変してしまった街も以前から訪れていた箇所も多く、そうした街が津波に飲まれて今や殆ど更地になってしまったという事実は、当時の自分としては衝撃を覚えました……そうした一方、テレビやネットの記事越しで見る悲惨さは、自分の記憶にある場所とはどうにも重ならない。どこか別の、全く違う世界の出来事なのではないかという程に現実味が無かったという事もありました。

当時のテレビでは基本的に決まり決まった場所での取材が多く、石巻陸前高田南三陸町志津川の付近に偏重しており、同じく甚大な被害をこうむった岩手県沿岸部の気仙沼釜石、宮古といった街は扱われない。その中でも大槌山田、田老といった小さな町であれば尚の事情報が入ってきませんでした。

無理もない。あまりにも被害を受けた範囲が広大過ぎるのだから……と自分に言い聞かせつつも、昨年野宿した大槌駅やその近辺はどうなっているだろうとか、過去何度か宿泊した大船渡のホテルは大丈夫だろうかとか、そうした不安は月日が経過しても一向に解消されず、色々悩んだ結果、震災から9ヶ月後の2011年12月に被災地を訪れました。

9ヶ月経ったこの頃、2011年の前半期に全国を覆っていた強烈な自粛ムードは既に解けつつありましたが、被災地は未だ旅行なんて空気では到底無く、復旧工事に携わる要員やボランティアの受け入れの為に宿にはろくに泊まれない。というか宿も被災した所が多く数を減らしているので殆ど予約は取れず、テント持参で野宿前提という若干サバイバルめいた旅行になった記憶があります。

旅行記

1日目 常磐線沿線その1(東京→いわき→広野→久ノ浜→四ツ倉→福島→飯坂温泉)※作成中

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初日は青春18きっぷを利用し、当時の常磐線上野口の暫定的な終着駅となっていた広野駅までの区間を乗り降りしました。広野以北は原発関連で立ち入りが制限されていたため、広野~相馬間は福島県中通りを迂回。広野、久ノ浜、四ツ倉と歩いた後は福島近郊の飯坂温泉にて宿泊しました。

2日目 常磐線沿線その2(飯坂温泉→相馬→新地→坂本・山下→仙台)※作成中

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二日目は飯坂温泉から福島に戻りバスで相馬方面、再び浜通りへ移動し、常磐線の北部区間を乗り降りしました。常磐線区間でも特に津波被害が大きかった地域で、新地町・山元町の駅周辺に関しては荒地同然の状態でした。

3日目 仙石線石巻線沿線(仙台→塩竈→松島→石巻→女川→小牛田)※作成中

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仙台から仙石線の沿線。塩釜、松島などで観光を混じえつつ、津波によって被災した奥松島の玄関口、東名・野蒜地区を訪問。その後石巻の市街地を回り、石巻線代行バスに乗ってこの付近でも特に被害の大きかった女川へと向かいました。

4日目 気仙沼線沿線(小牛田→志津川気仙沼陸前高田)※作成中

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この日は気仙沼線の沿線、南三陸町志津川歌津、そして気仙沼の市街地等を重点的に回りましたが、柳津以降の鉄道路線は軒並み不通なので路線バスを乗り降りして巡りました。最終訪問地の陸前高田では宿を取れそうになく野宿する事に。

5日目 陸前高田・大船渡・釜石(陸前高田→大船渡→盛→釜石)※作成中

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陸前高田、大船渡、釜石三陸沿岸の主要都市とも言える規模の大きな街を三つ程回りました。いずれも津波の被害の特に大きかった地域でもあり、市街地は被災前の姿とは想像つかない程に一変していました。

6日目 三陸北部(釜石→大槌→陸中山田宮古→田老→久慈)※作成中

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被災箇所の訪問関しては最終日となるこの日。釜石から久慈までの岩手県沿岸中北部を通過しました。特に甚大な被害を受けた大槌、宮古などはつい一年前に訪れていた地域という事もあり、一変した町並みは当時とても衝撃を受けた記憶があります。