山とか酒とか

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山とか酒とか

四国中国登山旅行10日目 芸予諸島巡り、大崎上島と大崎下島

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この日は芸予諸島大崎上島大崎下島の散策がメインとなります。まずは今治港で朝一のフェリーに乗り込み大崎上島木江港へ移動し、付近に残るかつて潮待ちの港町として栄えた時代の遺構を見物。その後は大崎上島最高峰の神峰山に登り展望を満喫、南部の明石港からフェリーで大崎下島小長港に移動しました。小長からは徒歩で大長、御手洗と進んでいき、木江と同様に潮待ちの港町として栄え、重伝建にも指定されている御手洗の街並みを散策。その後はバスで本州入りし呉線仁方駅、電車に乗り継ぎ広島まで移動となりました。

9日目 肱川水系の古い街」の続きの記事となります。

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他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。

【2021年3~4月】四国中国登山旅行 - 山とか酒とか

目次

【移動】来島海峡を越えて大崎上島

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朝方、まだ日が登る前の静かな今治港。この日は凪いでいて、内海である瀬戸内海は波一つ立っていない。

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防波堤に立つ灯台。つい数分前まで薄暗かったので明かりが灯っています。

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徐々に明るくなりつつも、まだ月がはっきりとみえる時間帯。辺りでは鳶の群れが飛び交っていました。

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港内に停泊している船越しにじわじわ高度を上げていく太陽の姿がありました。

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乗船する船の出港時間は6時半、近付いてきたのでフェリーターミナルである『みなと交流センターはーばりー』に乗船券を買い求めに移動。船を模したようなフォルムの建物で、その片隅が旅客船向けの案内所や待合室が設けられています。

早朝時間帯という事もあって人の姿は皆無でしたが、自動券売機が稼働していたのでチケットは無事購入……しかし案内所にも人が居ないので、どこの桟橋から発着するのか分からず。悩んでいると通りすがりのおじさんに話し掛けてきて教えて頂きました。係員の方だったのかな。

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朝日を横目にしつつ第3桟橋へ移動すると、既に目当てのフェリーが入港していました。大三島を拠点に運行されている船なので船名はみしま。運行会社も大三島ブルーラインという名称。

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クレーン越しの朝日。

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木江港行きのフェリーに乗船します……案内要員の姿は無いのでそのまま乗り込んでいく。

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こちらが乗船チケット。乗船券と上陸券に分かれていますが、乗船時にどちらも回収されました。

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出港を待つフェリー。今治港から出港後に北上した船は来島海峡大橋を潜り、大三島宗方港を経由して大崎上島木江港に向かいます。

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ぶるぶるとエンジン音がうなり始め、徐々に離岸していく。

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若干冷えますが、景色を眺めるべくデッキの席を陣取る。出港時の乗客は数人で、大半は暖房が効いている船室の方に移っていました。

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芸予諸島伊予大島四国の間に位置する来島海峡を繋ぐ来島海峡大橋が薄く見える……距離は近いのですが、この日も前日同様に黄砂が濃い為か霞んでしまっている。

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今治港来島海峡大橋を臨む。最初の寄港地である大三島宗方港は橋の遙か先。うっすらと山の形が見えている辺りが大三島です。

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今治港を出港した所。下船する木江港まで約1時間と船旅としてはそう長くはない。

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徐々に遠ざかっていく今治の街並み。建物の合間から今治城天守が見えています……夜遅くに到着し朝早くの出発と、殆ど寝るだけとなってしまった今回の今治の訪問ですが、古くから海上交通の要衝として栄え、江戸期には今治藩の居城である今治城の城下町として発展した歴史ある街。機会があれば一度じっくりと回ってみたいです。

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一週間以上滞在した四国に別れを告げます。次に上陸するのはいつになるかな。

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朝靄なのか黄砂なのか、太陽は霞んでおり輪郭線は朧げ。

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芸予諸島の島々が見てきました。来島海峡は特に中小の島が密集しており、船はその間を縫うように進んでいく。

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屋外席の様子。屋内席のソファで寛ぐのも良いですが、風を感じつつ海を眺めながら船旅の醍醐味。

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遠ざかっていく今治の街の中に一際大きく見えるビルは今治国際ホテル。高さは101.7mで、愛媛県では最も高い建造物とされている。

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客室内の様子。

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瀬戸内海の海面と航行する船舶。

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来島海峡大橋と海峡上にある馬島来島海峡今治と伊予大島を結ぶ4.1kmの海峡で、瀬戸内海でも特に狭まった海域である事から潮流が速く、海域の島々によって流れも不規則であり、瀬戸内海の航路上においては屈指の難所として知られています。

海難事故も絶えず、この翌月に日本の貨物船と外国船籍の船が衝突する事故が発生しました。

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来島海峡大橋を潜る。手前に馬島、奥に伊予大島と見えています。穏やかそうに見えるんですけどね。

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来島海峡を後方に。大三島を目指して更に北上していきます。

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来島と小島の間を抜ける頃、沢山の小舟が屯している箇所がありました。船の一隻一隻はかなり小さいですが何が捕れるんでしょうか。

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こちらは四国側、波止浜方面を眺めると造船のクレーンが林立しています。今治市内に所在する造船所はこの付近に固まっているらしい。

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途中見かけた小さな無人島。三ツ子島という名前で、その名の通り大きな島が2つの小島を携えるように並んでいた。

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大三島宗方港に寄港します。大三島は以前、広島県側の忠海から島の北部の盛港に渡り島内の大山祗神を観光した事があります……今回経由する宗方港は西の外れにあり、中心地や神社からはかなり離れた所にある。

このままガラガラの状態で木江港まで行くものと思われましたが、途中の宗方港から大勢の方が乗船してきました。木江港近くにある造船所への通勤客のようで、殆ど貸切状態だった屋外席も粗方埋まる。

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大三島を横目に更に北上を続ける。

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大崎上島が見えてきました。かなり山がちな島のようで、海岸近くの狭い平地に家並みや造船所が続いている。中央に大きく聳えている大きな山は後々登る神峰山

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神峰山とその麓の望遠。すぐ下の方に見える中国風の塔から高台にある寺の境内に入り、そこから登山道が続いています。

大崎上島その1 潮待ちの歓楽街、木江に残る街並みの痕跡

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木江港に到着。先程宗方港で乗り込んできた造船所への通勤客の姿が多く、着岸前から我先にと出口に押し寄せていた。

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岸壁から乗ってきたフェリーを見上げる。上陸した大崎上島は近辺の大崎下島大三島とは違い本州四国とは道路が接続していない完全な離島なので、車を何台も積めるカーフェリーが就航していました。

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桟橋近くにはバス停が置かれています。付近には観光案内所が併設された待合室があり、島の玄関口の体裁は一応整っている。

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到着した船はすぐさま折返し、宗方港に向けて出港していく。朝日の方へ徐々に小さくなっていくその姿を暫し眺めていました。

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島の外周部、海沿いすれすれの所に道が続いている、内海である瀬戸内海ならではの景色。外海である太平洋や日本海に面した町では堤防があったりして中々見られない。

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大崎上島町木江の街並み。平成の大合併前は木江町という独立した自治体であり、この付近はその中心市街地でした。

木江の町は江戸期には瀬戸内海の海上交通における潮待ちの港町として栄えましたが、明治大正の頃から多くの造船所が設立され、造船の町として発展。現在でも町域には幾つかの造船所が所在しており、柑橘の栽培に並ぶ町の主産業でもあります。

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木江港から西側に街並みが伸びていますが、まだ朝の7時台という事で人通りも少なく静まり返っていました。

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木江には廻船の寄港地として栄えていた当時の、江戸から明治にかけての頃の街並みが残っているとの事だったので見物しに行きました。海沿いの広い道路から一本入った細い道沿いで、かつては木江のメインストリートでした。

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細い道沿いには木造の2~3階建ての建物が多く残っています。この周辺はかつて天満遊郭という名の歓楽街があった場所で、こうした建物は元々遊郭や旅館として使用されていました……しかし現在は殆どが空き家で朽ちているものも多い。

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木江町天満の古い街並み。狭い道に対して高い建物が覆うように立ち並んでいるので辺りは薄暗い。

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通りに面した立派な三階建て木造建築。ここもかつては妓楼として使用された建物。

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古い街並みとは言えるものの、構成している建物の大半は荒廃しています。街並みを残しているというよりは残っている、そして現在進行系で姿を消しつつあるといった方が正しい様子。

この日の午後に歩く御手洗も似たような遊郭街なんですが、あちらは重伝建に指定されて補助金の交付を受ける等して保存活動も盛んに行われているのに対し、こちらは殆ど野ざらしといった雰囲気。

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すぐ先の商店の向かいは現在は駐車場のようですが、数年前までは古い高層の木造建築物が残されていました。付近の建物の取り壊しは近年急速に進んでおり、この街並みが見られるのもそう長くはない気がします。

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道を挟んだ両側に三階建ての木造建築が聳え立つ一角。中々見られない風景の場所ではありますが。

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天満の古い街並み。かつては瀬戸内海随一の遊郭街として大いに賑わったのでしょうが、今は昔。

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その街中にある金比羅神社。人の姿は見当たらないはずなのに何やら視線を感じる……と思ったら猫の姿が。

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かつては木造の高層建築が連続していたのでしょうが、ぽつぽつと櫛の歯が欠けるように取り壊されている。古い町並みが見られたのも今は昔……となってしまいそうではあります。

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天満遊郭跡を抜け海岸沿いに南下します。先に進むと古びた住宅群が見えてくる……公営住宅もしくは近辺の造船所の社宅か。

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海沿いから北側、先程下船した木江港方面を振り返った所。大三島大久野島と続く方面。奥の方には薄いですが本州も見えています。

大崎上島その2 神峰山登山

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先程フェリーから眺めた神峰山の麓に到着しました。先日の剣山系登山以来初めての登山らしい登山です……とは言え片道1時間程度の手軽なハイキングですが。

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神峰山の登山口です。すぐ上の開けた所には金剛寺という寺院が建っており、道はその参道を兼ねています……今回はこちらの参道は経由せず、先程フェリーから見た際に気になった建物の方に先に寄る事に。

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こちらがその中華風の少し不思議な建物。一昔前の地方の遊戯施設とかにありそうな雰囲気で、竜宮城を模したものらしいです。その由来としては、先程寄った歓楽街である木江天満)では大衆娯楽として演芸が盛んに行われており、その際に浦島太郎伝説がよく上演されたからという。

施設としては専ら地域の公民館として使用されているようですが、観光案内所的な役割もあるようで、館内では観光マップ等の掲示もありました。管理人と思しきおじさんの姿もあったので、荷物も置かせてもらえるかなーと交渉してみた所、快くOKが貰えました。大荷物を担いで登るのは流石に憚られたので感謝です。

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先程の塔の内部には浦島太郎伝説の絵が描かれていました。

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ある程度進んだ所から螺旋階段となります。

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塔の最上部から渡り廊下を進む。公民館の建物としては非常に立派な作りです。

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渡り廊下はそのまま金剛寺の境内に接続しています。本堂の背後にはこれから登る神峰山が控えていますが、結構距離があるように見える……本当に片道1時間で登れるのか。

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先程辿ってきた渡り廊下と瀬戸内海。正面に見えるのは大三島です。

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登山道は本堂の脇から伸びています。登山道上には写真にあるような標識がこまめに設置されている。

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金剛寺から少し登った所から見下ろす木江の港。

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登山口から少し進んだ所の道沿いには桜が咲いていました。四国でも概ね満開でしたが、この瀬戸内海の桜も見頃。

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桜を眺めながらの山登り。登り始めて暫くはコンクリートで舗装された道が続く。

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小枝に咲く桜の花。

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更に先に進むと一転して山道らしい山道に……これから登る神峰山は山頂近くまで林道が通じているので、麓から登る人はそこまで多くないのかもしれません。

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桜が見られなくなったその先にはツツジがいい感じに咲いていました。ミツバツツジヤマツツジと色鮮やかな花々が山道を彩る。

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この頃になると神峰山の山頂も見えてきましたが、まだ少し距離がある。

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木江港を見下ろす。大横島、大三島大久野島、本州方面は依然としてよく見えますが、やはり霞んでいます。

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山桜でしょうか。麓で見かけたものとは種類が違う。

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中々近付かない神峰山の山頂。標高は452mと大した事は無いですが、ほぼ海抜ゼロメートルからの登山だったので意外に苦労しました。

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こちらは南側の島々。眼下には造船所が見え、その奥の岬の上の辺りには島内随一の観光ホテルである清風館の建物があります。

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山頂に近付くと傾斜は一段落。尾根道っぽい雰囲気に。

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道端を覆うシダ植物とその新芽。種類は恐らくウラジロ

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同じくウラジロの新芽。春は芽吹きの季節。

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展望台まで780mの看板……2/3くらいの進行度という所でしょうか。そこまでの登りは残ってないような雰囲気。

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神峰山の山頂と瀬戸内海。本日の出発地である四国は逆光の上に霞んでしまって殆ど見えない。

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展望台まで650mの看板。平坦な道程が続く。

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草むらの中に見えた色鮮やかな実。

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ここに来てようやく島の北側方面の展望が開けました。左の方に見える街並みが大崎上島中心市街地である大崎地区で、奥には火力発電所の煙突が見える。その奥の左右に大きく延びている陸地が本州で、煙突の左奥の辺りは安芸津の市街地付近。

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ここまで登ると流石に高度感が出てくる。正面に見えているのが大三島で、中央やや右側の岬の辺りには先程フェリーが寄港した宗方港があります。

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瀬戸内海の島々を眺めながらの登り。

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開けた所から大三島方面。その背後には伯方島伊予大島も薄いながら見えています。

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殆ど平坦な道が続くものの、偶に思い出したかのように上り坂が出現する。

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ツツジ越しの瀬戸内海本州方面の陸地。北側の方が順光となるので眺めは良いです。

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展望台手前の階段状の急登。ハイキングコースという扱いの道なのでもっと手軽に登れるものと思っていましたが、コースタイム通り1時間きっちり掛かってしまいました。

大崎上島その3 神峰山、山上からの展望

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石鎚神社手前の展望台に到着しました。ここは厳密には山頂ではなく、更に進んだ先の薬師堂の近くに三角点が置かれています。

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展望デッキから石鎚神社を見下ろす。境内は桜の木が植えられ、いい感じのお花見スポットでした。

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展望デッキから北側、木江港、大三島大久野島方面。

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海を一つ挟んだ先に見える大三島芸予諸島においては最大の島というだけあって一際大きく見える。

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大三島をやや広い範囲で撮ったもの。左の方の窪んだ所には生口島も見えています。

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眼下に見える木江港。湾に面した造船所を取り囲むように街並みが形成されている。

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遠く、本州の方に見える火力発電所を望遠で。安芸長浜駅近くにある竹原火力発電所かと思われます。

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桜の花と石鎚神社。この付近の神社といえば大三島大山祗神社が有名ですが、瀬戸内海の離島や山陽地方では石槌信仰(現在の石鎚本教)が盛んで、各地に分社や遥拝所が置かれている。こちらもその内の一つで、昭和初期に神社として整備され現在のような形となった。

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屋根に象られた丸に石の文字は石鎚神社の神紋とされています。

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山頂方面へと向かいます。道中には石仏が多く立ち並んでいる。汚れの少ない赤い帽子と前掛けを見るに、こまめに手入れされている印象を受ける。

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石仏の内の一体。石仏の大半は明治から昭和にかけて制作されたもので、水子供養の為に奉納されたもの。

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本体がどこかに行ってしまったのか、頭だけになってしまった石仏。

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瀬戸内海の離島に来てまで、東京スカイツリーという単語を見かけるとは思わなかった。

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神峰山の山頂に到着。山頂にはちょっと新し目の薬師堂が建っています。

神峰山は名前の通り元来神域もしくは霊山として見られていた山で、厳島神社主祭神である市杵島姫命がこの地を暫し安住の地としてしていたという民話が残っている……そうした伝説に基づいてか、麓には厳島神社を名乗る神社が幾つか存在します。

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三角点付近は鬱蒼としていて展望がいまいちですが、薬師堂の奥に展望デッキが整備されているので移動します。

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展望デッキからの眺め。北西方面の展望で、右側には大崎の市街地。左側には大下島、小大下島、岡村島、そしてこれから向かう大崎下島といった並びが見えます。

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何度か見えていますが、大崎上島中心市街地である大崎地区を望遠で。朝方より霞が取れてきた気がします。

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大崎の市街地と、その奥に見える火力発電所を望遠したもの。

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大下島から大崎下島までの島々。本州から島伝いに架けられた橋は岡村島まで続いているものの、大下島、小大下島は架橋されていない純然たる離島となっている。

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これから向かう大崎下島と、その手前に岡村島。二つの島を結んでいる岡村大橋も見えます。

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一通り展望を楽しんだという事で下山します。乗車予定のバスの時間に余裕がないので若干駆け足気味で。

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石鎚神社と山頂の間にある展望台。見える方向は大三島方面のみですが、ウッドデッキが整備されていて休憩スポットとしては居心地良さそう。

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もう何度と見ている大三島と周辺の島々。

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石鎚神社の境内の桜の木。

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下山直前のお花見タイム。

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バスの時間に間に合わせる為、小走り気味に駆け下ります……ゴールであり、荷物にお待ち頂いているかもめ館の建物は遥か下方に見える。

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金剛寺とかもめ館を望遠で。見上げるような高さであった塔もまだまだ米粒のように小さい。

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瀬戸内海を眺めながらの下山。

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正面に大三島を見据えながら下っていく。

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南側に位置している造船所を眺める。建物の左側に浮かんでいるのは建造中の石油タンカーでしょうか、今まさに組み立てている最中のようでした。

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かもめ館に到着。預かって頂いていた荷物を回収しバス停に向かいます。

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海岸すれすれに立てられたバスポール……これまた素晴らしいロケーション。

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先程見えた建造中の船舶がバス停付近からよく見えました。

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近付いてきたさんようバスの車両。これで島の南部の明石港まで移動となりますが、運賃は行政の補助を受けているのか1乗車100円均一と格安。その為か、こうした地方の路線バスにしては乗客が多い。

【移動】明石港から小長港、大崎下島までの短い船旅

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暫しバスに揺られて明石港に到着。土休日運行の公営のコミュニティバスだと桟橋近くまで行くのですが、この日は平日なので何の変哲もない町中で降ろされます。

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明石港がある明石の町は現在では大崎下島との間に定期船が運行されている程度の鄙びた漁村という佇まいですが、かつては造船に使用するマキハダ(槙肌、檜の皮で作った縄で、甲板の板の繋ぎ目を補填して漏水防止にする為のもの)の生産で栄えた地域でした。

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集落内を流れる水路には海水が流れ込んでいるのか、フグが優雅に泳いでいた。

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明石の街並み。寺院らしき建物に隣接して小さな鐘撞堂が建っている。

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入江の様子。向かい側に見えるのはこれから渡る大崎下島……ではなく、その手前にある岡村島です。

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乗船券を買いに明石港に移動します。

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こちらが明石港の待合所と桟橋。正面には先程と同じように岡村島が見えますが、フェリーはそれを避けて大崎下島へと向かっていく。

大崎上島大崎下島は同じ広島県内でフェリー同士で繋がれているのに対し、岡村島愛媛県に属しているという事もあり朝方出発した今治港の方と繋がれています。一方、大崎下島岡村島は距離も近いという事もあって、本州の方から延びているとびしま海道のルートとして橋も架けられており、本州方面と自動車での往来が可能です。

しかしバスは広島県内の大崎下島までしか運行されていないので、フェリーで今治港から岡村島に渡ったとしても、そこから先の公共交通機関が無くその先が繋がらないのが問題。その点、今回辿った今治港→木江港→明石港→小長港……という一見するとえらく遠回りしているようなコース取りですが、公共交通利用で今治港から大崎下島に移動する場合では実は最短ルートだったりします。

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購入した大崎下島小長港行きの乗船券。

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出港まで少し時間があったので明石港付近をうろうろと散策。マキハダの生産で裕福だったのでしょうか、立派な家屋が多い印象……先程も見かけましたが、ここにも鐘撞堂が。

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古民家と簡易郵便局前の丸ポスト。

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明石の集落内の商店で購入したお菓子……というか乾き物。大崎上島の島内で加工されたもので、他にもイワシサヨリ等のラインナップがありました。瀬戸内海と言えばアナゴのイメージなのでこちらを選択。

味としては駄菓子の蒲焼を上品に、そして身を若干柔らかくしたような感じ。お菓子としてもつまみとしても、どちらでも行けそうな感じでした。

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出港時間が迫ってきたので桟橋の手前で待機。ゆらゆらと揺れる海面をぼんやりと眺める。

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フェリーが入ってきました。小型ながらも車両が積載できるタイプ。

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程なくして出港。徐々に離れゆく大崎下島と先程登った神峰山を見送る。

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正面には行く手に立ち塞がるかのように岡村島が見えています。左に小大下島、大下島。右に見えているのがこれから向かう大崎下島で、航路は岡村島大崎下島を繋ぐ橋の下を潜るコース取り。

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僅か片道15分の短い船旅です。例によって屋外席で海風を浴びつつ景色を眺めていました。

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島々の中を分け入るように進んでいきます……橋の先には大長の選果場が見える。

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橋を潜ろうという直前に左側、中ノ島に木々に埋もれているかのような不思議な家屋が見えた……廃屋にしては瓦屋根が綺麗ですが。

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そして近付いてきた大崎下島小長港明石港より若干大掛かりな構造です。

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乗ってきたフェリーと小長港の桟橋。降りた所にはゆたか海の駅という道の駅の港バージョンみたいな施設が建っていて、一帯は少なからず島内観光の拠点となっている様子でした。

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明石港小長港を結ぶフェリー……船旅の多かった今回の旅行でしたが、これが最後の乗船となりました。以降はバスや鉄道等といった陸路オンリーとなります。

大崎下島その1 大長散策、みかん栽培盛んな港町

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大長、御手洗方面に徒歩で向かいます。小長港を出発するとみかんの倉庫として使用されていたものでしょうか、古びた木造の建物が道路に面して幾つか立ち並んでいました。

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道端に植えられたみかん。大崎下島はみかんやレモンといった柑橘の栽培で有名な島で、広島県内のみかん出荷の大半を占めている地域でもあります。特に大長地区で収穫されるみかんは大長みかんの名前でブランド化されている。

広島のみかんというと、現在では愛媛や和歌山に押されてそこまでの存在感はありませんが、戦前の一時期は全国の出荷量の6割を占めていた事もあったとされています。

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その大長方面に歩いていく途中、先程船で通り抜けた岡村島に繋がる橋を眺める。その奥に見えるのが先程まで居た大崎上島です。

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暫く進んでいくと大長の集落、そして本日の観光においてのメインである御手洗の家並みが奥の方に見えてきました。

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まるで海の上に浮かんでいるかのような御手洗の家並み。

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御手洗付近の遠望。神社が建っていたり小さな桟橋が設けられていたり……といった海岸線沿いは後程歩きます。

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大長港から小長、岡村大橋大崎上島方面を臨む。波も無く車通りも少ない。静かで、時間がゆっくりと流れているように感じる。

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小長港より少々コンパクトな大長港……本州竹原から大崎上島の各港経由で運行されるフェリーが乗り入れています。やはりみかんの町らしく、電話ボックスの上には巨大なみかんが乗っている。

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大長の街並みは北堀、南堀と南北に2つの入江が並ぶW字状の湾沿いに広がっており、道路はその2つの入江を大きく跨ぐように通されています。橋を渡った先の北堀と南堀に挟まれた場所には、先程船から見えた選果場の建物がある。

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そのまま御手洗方面に歩いても良かったのですが、なんだか雰囲気良さそうな街なので少し散策。北堀から入江の奥の方まで進んでみます。

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湾内には小さな船が幾つか停泊しています。漁船も勿論あるでしょうが、この大長では近隣の島々で栽培しているみかんの集荷の為のみかん農船が多い。

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北堀の最奥部の様子。古くからの波止場のようで、年季の入った石段が岸辺に設けられている。

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湾に面した所にある昔の公共施設っぽい建物。古い版の地形図を見ると付近に郵便局があったらしいので、その建物でしょうか。

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如何にも老猫って感じの猫が道端で日向ぼっこしていました。近付いても緩慢な動作でこちらを見上げるのみで、ただただ大人しい。

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大長の集落の南側に、南堀に面した所に宇津神社というそこそこ規模が大きい神社があります。孝霊天皇の時代の創建と伝えられている古い神社で、瀬戸内海の安全を祈願して建てられたとされている。

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島の神社としては参道が長く立派です。元々は先程の入口の鳥居は海岸に面しており、それが江戸頃の埋め立てによって海が遠のいたとの事。

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参道に咲く赤いマンサクの花が色鮮やかでした。

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宇津神社の境内と狛犬。拝殿は江戸後期の再建で、そこまで規模は大きくないながらも立派な作りで絢爛な鬼瓦が印象的。狛犬は玉乗りしており、岡山県広島県でよく見られるタイプらしいです。

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神社の裏手の道を進んだ所に長屋門を持った民家がありました。明治以降にみかんの栽培で発展した大長の町ですが、集落内には当時の繁栄振りを物語るかのようなニシン御殿ならぬミカン御殿が幾つか残存しています。

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古くからの建物が並ぶ通りとレトロな雰囲気の小径。ホーロー看板にみかんの木箱といった昭和のアイテムが並ぶ。

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みかん栽培で裕福な家が多かったのでしょうか、集落内には立派な家が多いです。

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周囲を一周し、先程の宇津神社に戻ってきました。

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宇津神社のご神木であるホルトの木の巨木。樹齢1,200年以上にもなるとか。

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どことなく懐かしい雰囲気が残る大長の街並みでした。

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南堀から東進、御手洗方面を目指します。

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南堀の様子。中央に建つのが先程北堀の方からも見えたみかんの選果場の施設。

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隣町である御手洗まで若干距離はありますが殆ど家続きとなっています。

大崎下島その2 広島風お好み焼きと恵比寿神社住吉神社

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御手洗の町が近付いてきました……大崎下島の東端の岬のような場所に位置する集落で、前日歩いた卯之町や内子と同様に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている町でもあります。

この町が形成されたのは江戸前期、航海技術の発達によって地乗り(沿岸航法)から沖乗りが主流となり、その際に風待ち及び潮待ちを行う港町として整備された事が始まります。その後、隣接する大長の住人が移り住んできて商売を始めますが、西廻海運のコースに組み込まれた事で北前船を始めとした廻船や参勤交代においても寄港されるようになり更に発展。町内にはそうした廻船業を営んでいた商家や旅館、そして午前中に散策した木江と同様に大規模な歓楽街が存在しました。

家並みは写真のように海に伸びたような形で続いていますが、元々は海と山に挟まれた立地で平地は乏しく、町の拡大に伴いその都度埋め立てられてこのような形になったとの事。

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海沿いの道から一本入った通りの様子。古地図を見た限りではその海沿いの道はかつて存在しなかったようなので、元来はこちらがメインストリートだったと思われます。

当初は大長の枝村という扱いで、大長から移住してきた人が多いという事もあり現在でも繋がりは深いのか、こちらでも大長みかんが入ったみかん箱をよく見かける。

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飲まず食わずで歩き回っていたので空腹感もそこそこ。御手洗には飲食店が少ない上に土日営業の店ばかりとの情報だったので、適当にパンでも買って齧ろうかと思っていたのですが……途中、良さそうな雰囲気のお好み焼き屋を見つけたので滑り込む。

古くから存在する町家をリノベーションしたもののようで、元々は奥の細い道に面した方が正面だった様子。現在では海沿いに新しい道が作られたので建物の裏側、元々は庭だったような場所に入口が設けられている。

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お好み焼き屋でビールを頼まないのは個人的にナンセンスだと思っているので、先ずはビールを注文……しようとするも、なんと633mlの大瓶しかないという。チューハイはあるとの事でしたがビールを飲む気満々だったのでちょっと考えられない。

悩みましたが、先程山登りした事もあり少し水分補給した方が良いだろうと思っていたので、思い切って大瓶頼みました。

春の陽気で少し暑さも感じられる日、真っ昼間から呷るスーパードライの美味さよ。

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お好み焼きは所謂、広島風と呼ばれるタイプ。結構カロリーを消費していると思ったのでダブル(麺2玉)を注文。2玉だと麺の存在感は流石に強い。

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出来上がりの写真……かなりのボリューム感です。ビールが足りるか心配になってくる程の大きさ。

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ビールとお好み焼きで千円を越える程度です。リーズナブルに昼飲みが楽しめました。

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ほろ酔い気分のまま散策を続行、御手洗の中心街方面に向かう方面に観光案内所があったので、そこで荷物を預かって貰いました。

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御手洗の入口の看板。重伝建にも指定されているという事で、観光地としてもそれなりに知られた場所でもあります。

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道沿いの風景。この付近には御手洗港のバス停が設置されており、帰りはここから乗車します。バス停に隣接してブルーの洋館風の建物と、日本酒の看板を掲げた倒壊寸前の朽ちた家屋が建っている。

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バス停の前に伸びる、非常な簡素な造りの御手洗港の桟橋。本州竹原大崎下島を結ぶ航路の一部が寄港しますが、本数は1日1~2往復と非常に少ない。

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御手洗の街並みは岬のような場所に形成されていますが、その先端部とも言える場所に恵比寿神社があります。そのすぐ横手には船着き場の石段が復元されており、隣接した所に鳥居が設けられている。

道ではなく海に向かって鳥居が建っているのは、海路が主流であった時代の名残でしょうか。

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復元された石段越しに岡村島。石段そのものは真新しいですが、隣の石組みは年季が入っている。

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恵比寿神社の本殿と鳥居、瀬戸内海。

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道端で見かけた無人販売大崎下島はみかんの産地で知られていますが、レモンの産地としても知られている……東京に住んでいる人間の感覚からすると、国産のもので一袋100円は格安。

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海沿いの道を延々と進んでいきます。現在はコンクリートの堤防が整備されていますが、元々は波打ち際だったのでしょうか。

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海沿いの道から入った所にある大東寺は町人の隠居所であった庵が前身の寺院。御手洗 の町内には神社は幾つかありますが、お寺はそこまで数が多くはない。

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更に先に進み、見えてきたのは石積みの防波堤。千砂子波止という名で江戸期に建築された古いもの。その先端にはかつては灯台として使用されていたと思われる石灯籠が建っています。

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御手洗の街並みの南西端とも言える場所に位置する住吉神社。先程の千砂子波止の鎮守として、大阪の豪商として知られる鴻池家によって建立された。

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千砂子波止と石灯籠、入江には釣り船が停泊している。

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町の外周は一通り歩き終えたので次は御手洗の家並みの内部に入ります。集落内の道は軽自動車がギリギリ通れるか程度の幅しかない。

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御手洗南部の街並みの様子。途中にあるピンクの洋館はかつて病院として使用されていたもの。空き家となって久しい様子で所々朽ちている。

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際立って古い建物はありませんが、どことなくノスタルジーな雰囲気。

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走り幅跳びでもしているのか、やけに大股の通学路標識。右側が先程通った大東寺の本堂で、左の石垣は満舟寺に続いています。

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大東寺の漆喰塀。すぐ左側には境内に建つ樹齢300年のクスノキが見える。

大崎下島その3 歴史が見える丘公園

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瀬戸内海御手洗の街並みを一望できるという歴史が見える丘公園に向かいます。旧御手洗小・中学校の校庭であった所から道が伸びており、案内に従って進んでいく。

かつての学校の建物はふるさと学園という宿泊施設として利用されていとの事。基本自炊の宿で安く泊まれるらしい。

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校庭の隅には今や絶滅危惧種とも言える二宮金次郎像が。

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歴史が見える丘公園の最上部にある展望台は標高86mの山の上にあります。午前中に登った神峰山程ではありませんが、そこそこ登りが続く。

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階段を登った所にある開けた場所はおいらん公園。かつてこの街で暮らしていた遊女のものと思われる墓石が付近の法面工事の際に大量に発掘され、後々公園として整備されたとの事。

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更に先に進んだ所から御手洗の街並みを見下ろしてみる。麓の桜が見える辺りは後程向かう御手洗天満神社の境内です。

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御手洗の街並み、天満神社周辺と住吉神社周辺をそれぞれ1枚ずつ。

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歴史が見える丘公園の階段。登りきった所が展望台です。

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展望台はとぐろを巻いたような不思議な形。麓の御手洗の街並みの辺りはそうですが、この展望台は2011年に放送された『たまゆら〜hitotose〜』というアニメの舞台になった、所謂聖地と呼ばれる場所の一つでした。

メインの舞台である竹原はこれまでに2~3回は訪れているのですが、こちらは離島という事もあって中々叶わず……しかし今回、10年越しとなってしまったもののようやくの訪問と相成り感無量。

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展望台付近から見下ろす御手洗の街並み。

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先程のとぐろを巻いた展望台の上から瀬戸内海の島々を眺める。午前中は霞んでしまって見えませんでしたが、四国の方の陸地も見えています。

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少し位置を変えた所からの展望。

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街並みの方に戻ります……途中、少し下った所からの展望。

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御手洗の町と瀬戸内海、岡村島を一枚の写真に収めたもの。

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おいらん公園に戻ってきました。供養碑と共に、出土した墓石が整然と並んでいる。

大崎下島その4 潮待ちの町、御手洗の古い街並み

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麓の街並みの方に下り、大東寺の付近から散策を再開。付近には古くからの旅館を利用した宿泊施設もありました。

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大東寺から海岸に続く道の様子。

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洋館風の古い建物。こちらもまた病院として使用されていたものらしいです……右読みの醫院の文字が古めかしい。

その道路を挟んだ向かいには、かつて薩摩藩の船宿として利用されていた脇屋の建物があり、現在ではギャラリーとして活用されています。

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街並みを東西に貫く相生通りで一際目を引くモダンな建物は、かつて劇場として使用されていた乙女座の建物。昭和初期の建築で、戦後は専ら映画館として使われていました。

その後は空き家となっていたりみかんの選果場に転用されていたりと不遇の時代が続きました。しかし最近になって建築当時の姿に復原され、本来の用途通り劇場として使用される事も増えたという。

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レトロなホーロー看板で装飾された御手洗昭和館なる建物。先程の乙女座を始め、内部を観覧できる施設も多い。

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街並みの様子。御手洗郵便局の先には重伝建に指定された御手洗の街並みの核心部とも言える古い町並みが残っています。

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常盤町通りと呼ばれる道沿いの様子。江戸から明治頃にかけての商家の建物が立ち並んでいる。

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常盤町通りの統一感の取れた街並み。

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先程の越智医院沿いの通り(相生通り)と合流する手前のカーブにはこの御手洗の町の庄屋であった旧柴屋住宅が残されている。この付近は特に古い建物が連続していて、見応えがあります。

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右側が旧柴屋住宅。現在は『街並み保存センター』という展示施設となっています。

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カーブがかった箇所の街並み。道幅は狭く車両は通れないので、自転車や原付バイクの往来が多かった。

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旧柴屋住宅の内部は自由に観覧が可能でした。間口は狭いですが奥は長く、最初に歩いた海沿いの通りまで建物の敷地が続いている。

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この建物はかつて全国を測量して回っていた伊能忠敬が宿舎として利用していたようで、敷地内の土蔵の一つには伊能忠敬測量絵図館という名の展示施設となっていました。

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旧柴屋住宅の内部。落ち着いた雰囲気の和室。

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常盤町通りの突き当りで相生通りに合流しました。すぐ右側に進んだ所に荷物を預けている観光案内所がありますが、まだ時間的に余裕があるのでもう少し散策を継続。

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先程の丁字路を左側に進んだ先には歴史が見える丘公園からも見えた御手洗天神神社があります。上から見た時もそうでしたが、一帯は満開の桜に覆われている。

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ここは天神神社という名の通り菅原道真を祀る神社。その発祥は、失脚した道真が都を追われ太宰府へと左遷させられる途中にこの地に立ち寄り、境内にある井戸で手を洗ったという話が古くから伝わっており、江戸期に入って御手洗を港町として整備する際、そうした伝説に基づく井戸『菅公の井戸』の付近に天神社を建てたのが始まり。その後、明治に入って現在のような立派な社殿が整備されました。

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天神社とか天満宮というと梅のイメージがありますが、この神社の境内は桜で埋め尽くされていました。

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桜の枝と拝殿。明治の建築との事でそこまで古いものではないですが、明るい桜の花とのコントラストが美しい。

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菅原道真が手を洗ったとされる伝説のある井戸『菅公の井戸』。御手洗の町は江戸期に瀬戸内海において沖乗り航路が発達するまでは集落は存在しなかった(本村である大長の枝村という扱いで、僅かに出作が行われていた程度)上、沖乗りが主流となる以前の地乗りの航路のルート上からも外れていていました。

なので、どうしてこの場所に立ち寄ったのか不思議な所ですが、島の東端という立地もあって古来より水軍の基地が置かれていたという説もあります。かつては瀬戸内海上の航路を利用する際は、海賊の存在や潮流の複雑さから水軍の力添えが必須でしたので、仮に水軍の基地がこの地にあったのであれば、この地に降り立つという事も頷ける話です。

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隣接してみかん畑があるのがなんとも瀬戸内の神社らしいです。

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本殿の真下に可能門という通路が通されています。願い事を願いながら通ると叶うとされているらしいです……なるほど、『かなう門』という事ですか。

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シートを広げて一杯やりたくなるような天神神社の境内。

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桜の花と参道。良い雰囲気の神社でした。

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神社の前から道沿いに少し先に進むと醤油の醸造所の建物があります。残念ながら現在は営業していないようです。

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その醤油醸造所の向かいには、西国随一の花街として栄えた御手洗を象徴する若胡子屋の建物が残っています。かつては御手洗の町でも最大規模の遊郭でしたが明治に入った頃に廃業。後に寺の本堂や公民館に転用され、それに伴う改築を受けている。

この付近は遊郭街で他にも数件の妓楼が立ち並んでいたとされていますが、午前中に歩いた木江の町のようにひと目で分かるような遊郭建築は少ない。元々そうなのか、保存活動の際に小奇麗にしてしまったのか、そのどちらかは分からないですが。

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内部は吹き抜けとなっています。元々は二階構造であったものを寺院として転用する際に二階部の床を撤去してこのような構造になったとの事です。

張り巡らされた無骨な鉄骨は近年の耐震補強工事において設けられたものらしいですが……なんだか工事現場のような雰囲気で、遊郭として使用されていた当時の面影はあまり残っていません。

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幾度かの改装を受けているものの、建物そのものは江戸中期の建築。重伝建の御手洗を代表する建物として、観光の拠点のような施設になっています。

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遊郭としての規模は大きく、最盛期には100人の遊女を抱えたという話……しかし、大所帯だけにいざこざも絶えなかったという。

右の写真にある女郎鉄漿事件とは、一人の花魁が禿という名のお付きがお歯黒を上手く付けられなかった事に腹を立て、煮立った鉄漿(歯黒となる屑鉄を湯やお茶で煮出した物)をその口に注ぎ込み、最終的にはそのお付きは命を落とした……しかし後に幽霊として出るようになり、その花魁は祟りを恐れて四国八十八ヶ所巡りをして供養したという。

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その事件の舞台となったとされる二階の部屋と、そこから広間を見下ろしてみた所。

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若胡子屋の裏庭。八重紫という名の花魁の墓が何故か一基だけ存在しますが、これが先の事件を起こした花魁のものとして伝えられている。

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若胡子屋を出て更に先へ。先程の常盤町通りが分岐する御手洗郵便局の方へと続いています。

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最後に御手洗の街並みを一瞥。時刻は既に夕刻近くで、影が伸びてきた。

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帰り際、お土産という程ではないですが、無人販売の柑橘が美味しそうだったのではっさくを一袋購入。

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バス停まで移動します。最初に通った海沿いの道に戻ってきました……丁度、街を一周してきたような形になる。

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入ってきたのはの近郊のにある中国労災病院行きのバス。大崎下島岡村島)から本州までの間はとびしま海道という名のルートが整備されており、間に挟んでいる豊島、上蒲刈島下蒲刈島の間にはそれぞれ橋が掛けられているので本州方面との往来が可能。乗車のバスも一本で本州入りです。

【移動】呉線で広島へ

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本日は広島までの移動。どこかしらかで呉線に乗る必要があるので、終点まで乗り通さずに途中の仁方駅にて下車しました。

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改装を受けつつも昔ながらの駅舎が残る呉線仁方駅国鉄時代に存在した鉄道連絡船である仁堀航路の接続駅で、松山の近郊にある堀江駅と航路で結ばれていました。

本州と四国を結ぶ連絡船と言えば宇高連絡船が有名でしたが、こちらはその補助的なものとして戦後開設されたもの。しかしローカル駅同士を結ぶという立地の微妙さから利用は芳しくなく、後に赤字が理由で廃止されました。

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仁方駅から呉線広島を目指します。仁方は町内に酒造が2軒、宝剣酒造(宝剣)と相原酒造(雨後の月)という、日本酒好きであれば名前くらい聞いた事くらいはあるであろう有名蔵元が存在する酒造りの町でもありますが、既に午後5時を過ぎているので訪問は見送り。

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帰宅ラッシュでそこそこ混雑していた呉線に揺られて広島駅へ。何面も並ぶホームに、酔ってしまいそうな人の多さ。久々に大きな駅に来たなという印象でした。

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駅の周りをうろうろ。ここ数日の夕食は刺身が続いたので、なんだか無性に肉類が食べたい。強いて言えばマクドナルド的なジャンクなものが……と、ハンバーガーを求めて暫し駅前を彷徨う。

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広島駅の近辺には何故かマクドナルドが見当たらず、仕方無しにフレッシュネスで代用。ジャンクさという点では劣りますが、パティが肉々しくて如何にも肉を食っているという感覚に浸れたのでひとまず満足。

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御手洗の無人販売で購入したはっさくをデザート。暫くお酒ばかり飲んでたので本日は休肝日としました。

お昼に飲んだスーパードライの大瓶……は、水代わりという事で。

次回記事『11日目 白壁の街柳井と秋吉台散策』に続く。※作成中