登山を終えた翌日の西中国山地登山旅行5日目は島根県安来市にある神社仏閣や城跡巡りがメインの一日でした。前日、バスの便が無くなり行動終了となった浜田市波佐の集落からは朝一のバスを利用し、石見地方の中心都市である浜田へ。浜田駅からは山陰本線に乗車し出雲市、松江といった島根県内の主要駅を通過した先の安来駅で下車。安来市内ではレンタサイクルを利用して安来清水寺や月山富田城、その麓にある広瀬の町並み等を観光しました。その後は引き続き山陰本線で東に進み米子から鳥取県入りし、この日は倉吉まで移動しました。
前回記事『恐羅漢山方面登山その3』からの続きです。
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目次
- 早朝の波佐で桜見物
- 浜田散歩 石見地方有数の都市
- 【移動】山陰本線で浜田から安来まで
- 安来その1 古刹、安来清水寺
- 安来その2 自転車旅、能義平野から広瀬
- 安来その3 戦国大名尼子氏の本拠、月山富田跡
- 【移動】山陰本線で安来から倉吉へ
早朝の波佐で桜見物
前日、バスも終わってしまった夜中に到着した浜田市の波佐集落から一日が始まります。辺りが明るくなってきたので行動開始としましたが、始発のバスの時刻まで少し時間があるので集落内を散策する事に。
こちらは亀遊公園。周布川に長田川が合流するポイントにあります。すぐ裏手には鎌倉時代に築城されたという波佐一本松城の城跡があり、公園はその麓に位置しています。
桜の花々が見事な亀遊公園の入口付近の様子。公園に隣接して大歳神社という神社がある。
公園前に掛かる橋から周布川の支流である長田川を見下ろした所。長田川はこのすぐ下流で周布川と合流し、河川名である浜田市周布の河口から日本海に注いでいる。
大歳神社すぐ横の所の桜の木。殆ど満開に近い。
桜の花の接写。
こちらは少し違う品種のものと思われます。
桜の花と青空。この日も天気は良さそうですが、天気予報では好天が続くのはこの日までで翌日以降は崩れるという。
波佐の集落内の様子。日本海沿岸域の浜田市に属していますが、平成の大合併以前は金城町という若干内陸に入った所の自治体に属していました。波佐はその中でも特に内陸部、広島県との県境に近い所に位置する地域で、山深い為か若干隔絶された雰囲気があります。
波佐は古来よりたたら製鉄で栄えた集落で、その資料が展示された民俗資料館が地区内にあるようです。資料館は昔の土蔵を利用したもので少し気になっていたのですが、この早朝という時間帯では当然閉まっており、残念ながら立ち寄れず。
前日下車した波佐バス停に戻りました。浜田の中心市街方面に向かう路線バスは1日5往復と、山間地域の路線バスにしてはそれなりに本数がある方かと。
始発のバスがやってきました。バスのルートは幾つかの集落を経由する形で、下車地である浜田駅までは所要1時間以上と結構長め。朝一のバスという事で通勤通学需要があるのか、車内はそこそこ混雑していました。
浜田散歩 石見地方有数の都市
朝の8時頃に浜田駅に到着しました……街らしい街は2日目の廿日市以来なので暫く振りですね。この駅からは山陰本線で東に向かいますがバスと列車の接続が若干悪く、乗車予定の列車の発車時刻まで約1時間。その時間を利用して駅周辺を少しだけ散歩をしました。
浜田は島根県西部、石見地方(旧石見国)においては随一の規模の都市で、地域内の益田や大田といった都市と合わせて石見三田とも呼ばれたりします。
駅前には地方都市にありがちなアーケード商店街が伸びる。
西側に進んだ所にある万灯山公園。園内には天然痘ワクチンの開発者というイギリス人医師、エドワード・ジェンナー の銅像が建つ。
更に先に進んだ所で見つけたベーカリー、パンの森。朝8時台と早い時間帯ですが、既に開店していたので朝食兼昼食用に幾つか買い込みました。開店直後だったお陰か、割引のものが多く残っていたのが嬉しい。
市街地を貫くように流れる浜田川の川縁にはこんなモニュメントが……山陰のカレイも食べてみたいですね。
踏切の音が聞こえてきたので視線を向けると浜田川を渡る列車が見えました。乗車予定の出雲市行きの気動車のようですが、まさか車長の短いキハ120の単行とは……山陰本線も本線という名称が有名無実化して久しいですが、なんだか来る度に寂れてる気がします。
ちなみにこの列車は浜田駅に到着後30分以上停車しているので、ここで列車を見送った後から駅にのんびり歩いていっても十分に間に合います。
浜田市の中心市街は更に西に進んだ所にありますが、時間切れなのでここで駅に戻ります。次回は名所旧跡等を含めてもう少し色々と回り、それこそカレイの刺身でも味わいたい所ですね。
浜田駅に戻る途中、西側の踏切から駅の構内を臨む。本線系統の主要駅の割にはコンパクトな構造ですが、現在の駅舎となる前は駅裏となる左側には留置線が広がっていました。現在でも山陰本線の島根県西部区間を管轄する浜田鉄道部が駅構内に置かれ、駅の北側にはこの周辺では比較的規模の大きい車両基地が置かれている。
浜田駅の時刻表。日中は特急と鈍行がそれぞれ2時間に1本ずつといった感じでした。少し前までは快速アクアライナーという東西の行き来に便利な速達列車が日に数往復存在していてこの辺りも意外に便利な線区だったのですが、残念ながらそれも無くなってしまった。
駅のコンコースからホームへ移動すると先程見かけた山陰本線の列車が停車していました。
反対側からやってきた列車。こちらも同型の気動車の単行でした。
終点の出雲市までは2時間以上、先程買い込んだパンを列車内で頂きながら流れ行く景色を眺めていました。
【移動】山陰本線で浜田から安来まで
浜田駅を出発した山陰本線の列車は日本海に沿って東に進む。海沿いを走るので風光明媚な車窓が続きます。
かつての三江線の分岐駅である江津駅で列車の交換待ち。現在は単なる中間駅となっています。三江線は廃止前に何度か乗った事がありますが、その頃に比べるとなんだか一層寂れたような……全国屈指の閑散ローカル線として有名でしたが、江津口は1日5本あって利用もそこそこ多く、乗り換え客の行き来も結構あったんですよね。
更に先の黒松駅で列車交換。この辺りを移動する時は専ら快速利用で飛ばしていたので、一駅一駅止まっていくのは逆に新鮮味がありました。もっとも、その快速は既に廃止となってしまったので、こうして時間を掛けて移動するのは今後当たり前のようになるのでしょうが。
反対側から益田に向かう特急スーパーまつかぜがやってきました。鈍行が1両ならば特急は2両です。
乗り継ぎ駅の出雲市駅に到着しました。出雲大社参詣のイメージですが、ここ何年かは行ってないです。ここでも少しだけ時間があったので駅前散策。
駅前にあるアーケード商店街、サンロードなかまち。出雲市の中心市街地であるこの辺りは今市という町名で、駅名もかつてはそれに倣って出雲今市駅というものでした。この商店街はその今市の町中を縫うように通された古くからの道だったりします。
商店街の様子。アーケードそのものは近代的ですが、一つ一つの建物はそこそこ古そうです。道幅も車同士の離合に困るような古くからの道特有のものです。
出雲市駅から米子行きの列車に乗り込み、木次線の乗換駅である宍道駅にて列車の交換。出雲市以東は列車本数が増える上に特急列車が2系統あるので交換待ちが多い。
反対側から岡山方面からやってきた特急やくもが入線。国鉄時代から存在する古いタイプの車両ですが、既に引退が決まっているという事もあって沿線では写真を撮ってる人が多かったです。
車窓からは宍道湖の湖面が見えます。奥に見えるビル群は島根県の県都である松江の町並みです。
その松江駅でも暫く停車していました。松江には何度も訪れているのですが、現存天守である松江城には一度も行った事がないので是非とも行ってみたい……のですが、今回は安来の観光がメインなのでそのまま素通りです。
その少し先の揖屋駅で先程と同じく特急やくもとの交換待ち。こちらは7両とそこそこ長大でした。
荒島駅にて特急スーパーまつかぜとの交換……ホーム端には撮り鉄の方がいらっしゃったので邪魔にならないように後方から。この駅は一線スルー型の配線の為か、スピードを維持したまま駆け抜けていく。
安来その1 古刹、安来清水寺
この日の観光の拠点となる安来駅で下車します。浜田駅から4時間弱、そこそこ長めの列車旅でした。
安来駅の外観。安来市の中心駅で特急も停車するからか大きめの駅舎です。内部には観光案内所も入っていますが、レンタサイクルは駅前の駐輪場の方に受付があります。
レンタサイクルで借りた自転車は変速ができるタイプでした。これがあるか無いかで機動力に大きく差が出るので非常に重要。
自転車を走らせて、まずは安来の中心市街地へと向かいます。安来とその周辺地域は朝一番に歩いた波佐と同様に古くからたたら製鉄が盛んで、北前船西廻り航路の寄港地でもあり山陰街道の宿場町でもあった安来の町は、そこで産出された鉄等を始めとした交易品の取引で発展した商都でもありました。
現在でも町中には当時の商家の建物が残る等、その時代は名残は見られます。右の一際豪奢な建物は並河家住宅。江戸後期の天明年間に建てられたもので、安来で最も古い商家建築とされています。
古い町家が多く立ち並ぶ安来の町並み。右の写真はかつての商家の建物をイベントスペースとして利用している安来懐古館一風邸。内部が観覧できるらしいので帰り道にでも寄ろうと思ったのですが、時間切れで叶いませんでした。
ガードを潜って山陰本線の線路の南側へ。丁度、国鉄色の特急やくもが通過していきました。
線路を潜った南側の八幡町の町並み。雰囲気良さそうな和菓子屋があって少し気になった。帰り際で刺身を調達した大田鮮魚店はこの通り沿いにあります。
更に南に進んでいくと家並みを抜けて田畑が広がる長閑な風景に。高速のインター近くのモニュメントには安来節とハガネのまちとあります。
山側に進んでいくと安来観光における最初の目的地である清水寺(安来清水寺)の三重塔が見えてきました。
清水寺手前の清水の集落内に建つ辻堂。なんだか真新しそうなスレート屋根ですが、ストリートビューで見た限り少し前までは茅葺屋根だったようです。
更に山の方へと進んでいくと清水寺の参拝者用の駐車場に到着しました。この辺りも桜の花は満開。
入口の境内図。参道は石段があるので、自転車は止めて徒歩で向かいます。
石段を登っていく。少し進んだ所にあるのが大門。
森の中を通された参道の様子。途中には清水寺名物の精進料理を出す料理旅館なんかもあったり。
更に進むと本堂にあたる根本堂や三重塔まで見渡せる開けた所に出ました。
清水寺は飛鳥時代創建の寺院で、山陰地方屈指の規模の密教霊場として古くから栄えており、特に厄払いの寺としての信仰を集めました。
戦国時代には尼子氏と毛利氏の争いによる戦火に巻き込まれ、本堂にあたる根本堂を除いた大部分の伽藍が消失。現在の大部分の伽藍はその後に毛利氏や広瀬松平氏(江戸時代における広瀬藩主)によって再興された際に建築されたものとされています。
こちらは開山堂。三重塔は現在は根本堂の奥の山際に位置していますが、戦国時代より前はこの場所に建っていたようです。
大階段を登った先にある根本堂。戦国時代の戦火から唯一免れたこちらの建物は室町時代の建築で重要文化財に指定されています。
根本堂とその周囲。向かって右側に見えるのは護摩堂。
同じく根本堂を少し見上げる形で。内部も自由に拝観可能です。
三重塔へ向かう途中はちょっとしたお花見スポット。様々な品種の桜が植えられており、それぞれ見頃を迎えていました。
一際目を引いたのはこの花弁に赤い筋の入ったこの桜。
こちらは百観音お砂踏み霊場。幟にあるように中国、出雲、西国それぞれの三十三箇所観音霊場の砂(御砂)が納められており、先程の根本堂にて購入できる御札を納札箱に納めて回る事で百箇所の観音霊場を巡礼した時と同じ功徳が得られるとか。
こちらは麓からも見えた三重塔。江戸末期である安政年間の建築と比較的新しいですが、現在は清水寺におけるシンボルの一つとなっている。
この三重塔は内部に入る事が可能で、最上階である3階まで登る事ができるとか(入場料は500円)。登れる三重塔というのは近年の再建のものを除くと結構珍しいので是非とも登ってみたかったのですが、その事を知ったのは帰宅した後……次回訪れる機会があれば是非とも上がってみたいですね。
三重塔の少し先には展望台があるようです。そこまで距離は無さそうですが、時間的にちょっとギリギリなので見送りました。こちらも再訪した時に……。
根本堂から先程の広場を見下ろした所。山の中腹にある雰囲気の良い寺院でした。
ちなみに清水寺は羊羹が名物のようで、境内には羊羹を扱う売店が4店舗あるようです。今回はまだ暫く帰らないのでお土産の購入は見送ったのですが、ちょっと気がかりでした。
安来その2 自転車旅、能義平野から広瀬
清水寺を巡った後は麓の清水の集落に戻りました。清水寺で羊羹を売っている売店の中にはこちらに店を構えているものもあります。
清水からは南西方向、山越えの道を通過して伯太川沿いの宇賀荘の集落へ。家並みは次に向かう雲樹寺に隣接した所に広がっています。
宇賀荘の鎮守となるのが集落中心部の小高い丘にある宇賀神社。観光マップにも載っていないような小さな神社ですが、太い注連縄が印象的。
宇賀荘から南部に進んだ所から雲樹寺の長い参道が延びています。その途中の大門(四脚門)は室町時代の建築で、こちらも先程の清水寺の根本堂と同様に重要文化財に指定されています。
参道沿いに進んだ所が山門(八脚門)で、こちらは江戸末期の建築。集落から山一つ隔てた所に立地しているので、境内はひっそりとした雰囲気です。
山門下の地蔵。
境内の様子。中央に仏殿、奥に方丈という並びの伽藍配置となっている。
雲樹寺は鎌倉時代創建の臨済宗妙心寺派の禅寺。今回は外観のみの見物だったので内部の拝観はしなかったのですが、方丈裏手の禅宗庭園は見事だとか。
中庭の奥に見えるのが開山堂。内部には室町時代作と伝わる朝鮮鐘が安置されている。
雲樹寺の後は今回の安来観光のメインでもある月山富田城方面へ。10km以上離れているので割と纏まった移動となります。
雲樹寺から南に進んだ所にある金鳳酒造。あまり首都圏では見かけない銘柄なので今回立ち寄って四合瓶でもと考えていたのですが、事務所に誰の姿も無くて買えず……インターホンを押しても反応が無かったので、諦めて先に進む事に。
暫くは伯太川と飯梨川の間の平野部、能義平野を横断する形で進んでいきます。
能義平野のパノラマ。白鳥の飛来地らしく、白鳥ロードなんていう道も域内に整備されている。
伯太川沿いの桜並木越しに見えた大山。流石にこの時期でも雪は多いですね。
平野部を抜けた後は飯梨川に沿って進んでいく。以降は上流部に登り詰めていく形となるので、いくら変速機付きの自転車といえど少し大変。
先には如何にも城山っぽい山が見えてきました。
足立美術館や安来節演芸館のあるさぎの湯温泉。足立美術館は日本画や庭園で有名ですが、内容のボリューム的に流石に今回は立ち寄らず。
徐々に近付いてきた月山富田城と、その麓に広がる広瀬の町。
広瀬の街中に入りました。広瀬は月山富田城の麓に位置する町で、江戸時代には広瀬藩の藩庁が町中に置かれた陣屋町でした。安来の所でも触れましたが、この地域では鉄の生産が盛んで、広瀬はその取引を担う中継地であったり、奥出雲方面へ向かう街道途中の宿場町としても繁栄していたようです。
ちなみに古くは月山富田城の城の名にも入っている富田という名の城下町で、現在地よりも東寄りに位置していました。しかし江戸初期頃に洪水が頻発し飯梨川の流路そのものが変わった事により移転、現在地である飯梨川西岸に町を築いたとされています。
こちらは洞光寺。戦国大名である尼子氏の当主であった清定、経久の墓がある。
洞光寺から広瀬の町。奥にはこれから向かう月山富田城が見える。
広瀬には月山という銘柄を醸す吉田酒造という酒蔵があります。月山は割と早い段階から首都圏の地酒専門店や銘酒居酒屋で置かれており、日本酒に多少詳しい人であれば知っているであろう銘柄。
ただ月山と言うと東北の山の方が有名なので、名前的にあちらの方面のお酒と思ってしまう人は結構多かったりします。(あちらはあちらで秀峰月山などの銘柄がありますが)
こちらが吉田酒造。古い街並みに溶け込むような建物です。レンガの煙突もいい感じ。
酒蔵内の冷蔵ケースのラインナップ。蔵元だけの限定酒みたいなものはありませんでした。月山は近所にも取扱店があるので敢えて旅先で買う必要は無いかなと、この時はお酒を眺めただけで立ち去りました……この時は。
吉田酒造ではお茶の水井戸という日本酒の仕込み水が自由に汲めるのですが、隣接した所にある水汲み場は止められている。敷地裏の方にもう一箇所水汲み場があるとの事なので、後程そちらの方へと向かいました。
安来その3 戦国大名尼子氏の本拠、月山富田跡
広瀬の街並みをさらっと回った後は飯梨川の対岸にある月山富田城へ向かいます。
山頂部の望遠。段々状となった石垣が麓からもよく見える。
登城口へ移動します。
自転車では少し厳しめの急な坂道。月山富田城の石垣も近付いてきた。
桜の花と月山富田城。駐輪場に自転車を置き、ここからは歩きです。
登城口近くの案内図。
そこまで急ではない傾斜の坂道を登っていく。少し先に進んだ所が大手門の跡。
山中御殿という御殿が整備されていた広場からは七曲りの坂と呼ばれた急登が始まる。
七曲りの坂を少し登ったところからの展望。広々とした山中御殿跡の先には花の壇の曲輪が見える。
更に登ったところから同方面の展望。山と山が狭まってきた。
七曲りの坂の終わりが見えてきた頃。
登って最初の曲輪が三ノ丸です。麓から遠目で見ても分かるような大規模な石垣が広がる。
トラバースする形の脇道を抜けて本丸を目指していく。奥に見える巨木が立っている場所が本丸のようです。
こちらが本丸です。尾根上の広がりを利用したかのような細長い曲輪でした。
本丸の奥に建つ勝日高守神社。城内の守り神として、尼子氏や毛利氏といった時代毎の城主に崇拝されたという。
本丸からの展望。出発地である安来の市街地越しには中海が。
同方面を望遠してみた所。左下に先程通過した足立美術館が見えます。奥の方には中海、弓ヶ浜半島、美保湾、島根半島と交互に陸地が続いているのが確認できますね。
本丸に建つ山中幸盛(山中鹿介)塔。山中鹿助といえば戦国時代、主君である尼子家が毛利家によって攻め滅ぼされた後、主家再興を目指す尼子再興軍を率いて奮闘した武将として知られる。
二ノ丸から三ノ丸を臨む。
三ノ丸の大木と鳥居。
三ノ丸からの展望。谷に面した所にあるので、広瀬の町並みや飯梨川沿いといった谷間の風景を俯瞰する事ができる。
西日で思いっきり逆光なので露出を変えたものも撮ってみました。
広瀬の町並みを望遠してみたもの。谷間すっぽりと収まるかのように家並みが広がっています。市街地右側の煙突がある建物が先程立ち寄った吉田酒造です。
市街地中心の辺りを望遠で。広瀬の町並みは周辺の史跡も含めて今回あまり回れなかったので、また時間がある時にでも……自転車だと意外に時間が掛かってしまったので、次回はバス利用で徒歩で回ろうかなと考え中。
三ノ丸から下ります。如何にも山城といった雰囲気の山城でした。
大手門跡から飯梨川の川縁。この辺りの桜も見事。
橋の上から飯梨川の上流を臨む。日没が近付いてきました。
帰路で吉田酒造裏手の水汲み場に立ち寄りました。こちらで後の電車酒の際のチェイサー用に2リットルほど調達。後々味わいましたが、酒造りに用いられているだけあって中々にピュアな水でした。
さて、広瀬の町中であるこの場所を出発したのが17:15、約11km離れた安来駅のレンタサイクルの返却時間が18時なので時間的に結構タイトです。
途中、山中鹿介を大河ドラマに……の看板が。山中鹿介自体は道半ばで謀殺されてしまうので話が暗くなりそうな気がしますが、同じ尼子再興軍の一人であった亀井茲矩は逃げ延びて後に豊臣家臣となり、亀井家は江戸時代には鹿野藩の藩主、その後は津和野藩の藩主として明治まで続いているので、話の広げようはありそうですね。
能義平野を横断するような形で自転車を走らせていく。途中、往路でも見かけた大山が見えました。
田んぼ越しに見える大山の望遠。
今日は山陰の魚が食べたいな……という事で、安来の市街地にある大田鮮魚店にて刺し身を調達。魚の入ったトロ箱が並ぶ昔ながらの魚屋という雰囲気で、値段もお手頃でした。
刺身にしてくれるかと尋ねたら快く引き受けて下さりました。大根のツマや醤油や山葵のサービスが付いて料金無料、有り難い限りです。
魚の種類は悩みましたが、アジとサヨリと真鯛がおすすめという事なのでアジとサヨリを……真鯛にもだいぶ唆られましたので、こちらはまた次回。最後の最後で安来再訪の理由がもう一つできました。
往路でも通過した安来の商店街。
返却時間の5分前というギリギリのタイミングで自転車を返した後に更に食料調達。つまみは調達したものの主食となるものが無いので、駅隣接の唐楽という唐揚げ屋で弁当を購入しました。
安来駅に戻ってきました。既に18時を過ぎる時分ですが、まだ明るい。
駅舎内部の様子。待合スペースである観光案内所近くの一角は資料館のようになっています。コーエーの歴史ゲー、戦国無双に出てくるイケメン化した山中鹿介のパネルの存在感が一際強い。
安来駅からは米子行きの列車に乗車します。夕方時間帯という事で、県を跨ぐ列車ながら車内はそこそこ混雑していました。
【移動】山陰本線で安来から倉吉へ
安来駅からわずか1駅……といっても所要10分の長い駅間の1駅でしたが、山陰の交通の要衝である米子駅に到着しました。ホームが沢山ある駅に来るのは暫く振りですね。
その米子駅の駅舎は工事中で仮駅舎での営業でした。2021年の春頃に訪れた時から工事しているので結構長いですね。
米子駅の駅舎の新旧。仮駅舎は以前までの駅舎の一部分を残して使用するという形を取っているようです。
一方、奥のシートに包まれたものが新駅舎です。見た感じ既に殆ど出来上がっている感じで、実際この僅か4ヶ月後の7/29から供用が開始されたようです。
米子駅前の様子。駅前のモニュメントといい、この辺の雰囲気はあまり変わってない気がします。
米子は山陰地方屈指の商都として栄えた街で、鳥取県内では県都鳥取に次ぐ規模の都市です。山陰の大阪なんて呼ばれたりする事もあるらしいです。
前回立ち寄ったの2年前の2021年春の伯耆大山の登山の際。交通の要衝という事もあるので、2〜3年に1回くらいの頻度で訪れてたりします。
なんだか無性に心残りだったのが、先程広瀬の吉田酒造で冷やかしだだけで何も買わずに出て行ってしまった事……。
少し悩んだのですが、米子駅前のこちらの深田酒店で月山の銘柄を購入する事にしました。県を跨いだ島根県のお酒ですが、距離が近い為かスペック違いで色々な種類が置かれていました。その中から何を購入したかは後程。
買い物を済ませて米子駅に戻ります。そうこうしている間にすっかり日も暮れてました。
駅裏の留置線には今や貴重な凸型ディーゼル機関車、DD51を見かけたので思わず1枚。現在でも構内入れ替え用として使用されているようです。
米子駅ホームの風景。実質、4方面に分岐するジャンクション駅という事で構内には様々な方面に向かう列車が並びます。左が乗車する鳥取行きの普通列車で、名探偵コナンのラッピングが施されてました。
鳥取行きの列車は出発時点からガラガラに近い状態だったので、早速お酒を開栓。
こちらが深田酒店で先程購入した『月山 特別無濾過生原酒』です。吉田酒造の冷蔵ケースにはこれの火入れタイプのものしか無かったので特約店限定なのかもしれません。
味わいとしては華やかさと上品な酸味。こう書いてみると西条で購入した賀茂鶴の青冴えと似てそうですが、こちらは甘辛は中庸、酒質は骨太気味とタイプは大きく異なります。
それと、唐揚げ弁当を買ったのであれば……という事で珍しくビールも追加で購入しました。種類はヱビスのホップテロワール。
安来駅前の唐楽で購入した唐揚げ弁当。ライスを最大まで大盛りにしたので結構なサイズ感です。
ライスは締めなので、まずは唐揚げをつまみにビールを。旅行中の食事は基本的には魚中心ですが、登山後はこういうジャンキーなものが欲しくなる。
こちらは安来の大田鮮魚店で購入したアジとサヨリの刺身。どちらも新鮮で美味しかったですが、付けてくれた醤油がほんのり甘かったのが郷土色感じられて良かったです。これぞ旅の醍醐味とでも言える。
途中の御来屋駅にて列車の交換待ち。無人駅ですが、ここは山陰地方で最も古い木造駅舎が残る駅とされている。内外もレトロに改装されています。
反対側からやってきた特急列車。前照灯に照らされたレールが眩しく輝く。
少し進んだ先の赤碕駅でも列車交換。米子と倉吉の区間では主要駅っぽい駅ですが、こちらの駅も無人化されている。
反対側からやってきた列車を見送る。
倉吉駅で下車しました。県内では鳥取と米子に次ぐ規模の都市の中心駅なんですが、夜間とは言え無人化されていたのにちょっと驚きでした。
倉吉駅から駅前通りを進む。倉吉駅は倉吉の中心市街地からは若干距離があり、上井と呼ばれる地域にあります。中心市街地に倉吉線の倉吉駅(後年は打吹駅)があった時代は上井駅と呼ばれていました。
宿にチェックインする際に貰ったクーポン券です。旅行した当時の2023年の4月は全国旅行支援の施行中で、宿泊料金が割引される上にこんな感じのクーポン券(2000円分)が貰えました。
さて、翌日以降の予定ですが……実は安来観光以降のスケジュールは旅行開始時点ではノープランに近く、天気が良ければこの日の内に鳥取、更に因美線で智頭まで移動し、そこで宿泊。翌日那岐山に登る、という予定で漠然と考えている程度でした。
しかし翌日、翌々日は連続で雨続きの予報。その後は晴れるみたいですが、流石にその間長々と停滞している訳にもいかないので、ラストの2日間を旅行モードで費やして帰る事になりました。
旅先の候補も幾つかあり、伯備線で一旦山陽側に出るか、内陸の津山に向かうかと色々ありましたが、最終的には山陰沿いに帰るルートに決定……そうして旅行後半の予定が決まったのは未だ登山中である2日前、宿の予約を取ったのもその日の宿泊地である聖山の山頂からだったりします。
次回記事『西中国山地登山旅行6日目』に続く