山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

月山から六十里越街道その1(肘折温泉→小岳→念仏ヶ原避難小屋)

今回の旅のメインである月山の登山。その初日は肘折温泉から途中の念仏ヶ原避難小屋までの移動で行程としては短く足慣らし的な一日。スタートから歩き始めた肘折コースは鬱蒼とした樹林帯の中を進む地味な道筋が続きますが、その分人気は少なく自然本来の静かな山歩きが楽しめました。

往路、白水阿弥陀堂と閖上港」の続きの記事となります。

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他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。

【2022年9月】月山・鳥海山登山旅行 - 山とか酒とか

目次

今回歩いたルートのGPSログです。

朝の新庄散歩 新庄藩六万石の城下町

月山登山の実質的な初日となりますが、乗車予定の肘折温泉行きの始発のバスの発車時刻が7時台と遅めなので、それまで新庄の市内を散歩して暇を潰す事になりました。

最初に訪れたのは最上中央公園。新幹線も発着する新庄駅のすぐ東側に隣接した場所とは思えないくらいに広々としていて、公園の広場越しにはこれから向かう月山を始めとした周囲の山々が見えました。

月山の望遠。山上には雲が掛かっていますが、この近辺では最も高く大きな山という事で一際の存在感があります。

雲であまり見えませんがこちらは神室山がある北東方面。新庄盆地に面しており、どちらかと言えばこちらの方が地元の山として見られているようです。

新庄駅の東口の様子。公園の敷地に面しており全体的にゆとりがある。

駅の自由通路を抜けて行きます。この日はバスでの移動のみなので、改札には向かわずそのまま通り過ぎるだけ。

緑色のモアイのような山形県ゆるキャラ、きてけろくん。横顔が山形県の形をしているらしい。

表口である西口に戻ってきました。乗車予定の肘折温泉行きのバスもこの駅前を発着するようでバスポールも発見。

写真が荒くて見辛いですが乗車する大蔵村営バスの時刻表。平日はほぼ1~2時間おきとそこそこの本数があるものの、休日は1日4本と温泉地に行くバスにしては本数が少なすぎるのが今回の計画を立てる上でのネックでした。

特に問題なのは始発の時刻で、平日は肘折温泉に8時に到着するバスがありますが、休日では一番早いものでも12:10と正午過ぎの到着。そうなるとその日の内の念仏ヶ原避難小屋到着が困難となり、きっちり3日間で月山から六十里越街道を歩き切るという計画が立ち行かなくなるので、どうしてもこのバスに乗る日を平日とする必要がありました。

3日後の鳥海山登山の際に乗った土日祝日運休のコミュニティバスもそうですが、今回は計画を立てる際に曜日の調整に悩まされた登山でした。

新庄駅駅前通りから元々の中心街の方へと進んでいきます。既に日は高いですが、時刻は朝6時という事で人通りは少ない。学生の姿も見掛けません。

中小のビルと看板建築の建物が立ち並ぶ駅前通りの様子。旅館とまれ屋……ネーミング良すぎる。

駅前通りと直交する通りの商店街がかつての城下町であり、当時の町人町にあたるエリアとなります。町割は駅前通りを境に北に本町、南に大町と分かれており、本町の方に暫く進んでいくとアーケードの商店街が見えてきます……以前は駅前通りとの交差点の地点からアーケード街が続いていたのですが何年か前に取り壊されてしまったようです。背が高く重厚で迫力のあるアーケードだったのですが、その分維持が大変だったのでしょう。

現在の新庄の市街地に当たる街並みは江戸時代に新庄城の城下町として整備された事が発祥。羽州街道のルートのルートを引き寄せた事で宿場町という性質を持ち合わせていました。近隣には最上川舟運の寄港地である本合海の集落も立地していたという事で、商都として繁栄していたとされています。

明治に入ると新庄城は廃城となってしまうものの、大正時代に各方面の鉄道が開通すると、新庄奥羽本線から陸羽東線陸羽西線という2路線が分岐する鉄道の町として再び発展。現在でも山形新幹線の終着駅となる等、この地方の交通の要衝として山形県下では一定の地位にある都市です。

こちらは新庄城の正面となる大手。現在は埋められてしまい跡形もありませんが、城下町であった当時は写真の少し先の所に町人町と侍町を隔てる外堀が整備されていたという。

大手門が設けられていたと思われる場所には大手御門跡と書かれた標柱が立っていました。

この花壇の通りを境に左側に侍町、右側に二ノ丸という配置となっていました。現在は広場となっていますが、所々で当時のものと思われる石垣も残っています。

内堀に囲われた本丸。その周囲には大規模な土塁が張り巡らされていた。

内堀には所々で噴水があり長閑な雰囲気。

かつての本丸最上公園として整備されており、その中心には新庄城の初代城主である戸沢政盛とその祖先を祀る戸澤神社が鎮座しています。

戸澤神社の境内から先程の外堀の方面。

戸澤神社の社殿。1625年の築城時には天守がこの場所に存在したとされていますが、江戸初期の早い段階に火災で消失。その後は明治初期に廃城となるまで再建されなかったという。

新庄城の解説板です。古い絵図では現在は埋められてしまった外堀も記されている。

バスの時間が迫ってきたのでバス停へ移動します。こちらは大町と呼ばれる区域で、先程歩いた本町の方とは通りに沿ってに街続きとなっている。

新庄は遠野のように民話の町であるという事を推しているようで、中心街付近の通り沿いは『民話のとおり』と名付けられています。

こちらは魚捕りが上手なカワウソ。絵本にもされている『キツネとカワウソ』という民話に基づき、かわうそど狐どおり(原文ママ)という通りとしてその場面を再現したとされるモニュメントが幾つか設置されている。

乗車予定の大蔵村営バス新庄駅から市街地を経由していくので、駅に戻らず手近なバス停を探して乗車。コミュニティバスという事で旅館の送迎で使われるような小ぶりのものでした。

新庄から肘折温泉まではそれなりに距離があり約1時間のバス旅。途中、肘折希望大橋という九十九折状に高度を下げていく所があり、そこからは肘折温泉の温泉街が見下ろせる。

肘折温泉カルデラ状の地形に立地している事で有名らしいのですが、どんどん先に進んでしまうのであまりじっくり観察できなかったのが残念。

肘折温泉→肘折コース登山口

温泉街の道幅は狭く、マイクロバスといえど殆ど軒を掠めるかのようでした。

暫く進むと肘折温泉待合所に到着。温泉街のどん詰まりのような所に位置しており、そのまま山の方に向かえば月山登山道の一つである肘折コース登山口に通じています。初めて来る場所なので一旦引き返し、温泉街の散策を行う事にしました。

身支度を進めているとおばちゃんが軽トラで近付いてきて、おこわを買わないかと声を声を掛けてくる。肘折温泉には朝市があるという話なのでその売れ残りでしょうか。初日で食料は潤沢だったので一度は遠慮したものの、笹巻きのおまけを付けてくれるという事で悩んだ挙句に購入……おばちゃんが商売上手という事もありましたが、こうした素朴な郷土食を担いでいくのも偶には有りかもなと思ったので。

5つ付けてくれた笹巻きは本体のおこわより明らかに重量がありますが、この時点では一体どういうものか分からない。見た目から中華ちまきのようなものを想像していました。

肘折温泉の温泉街の様子。狭い街路の両側に高層の旅館が立ち並ぶ。距離が近い銀山温泉とはまた違った風情。

まるで路地と見紛う道幅のメインストリートを先程乗ったバスの折り返し便が走り抜けていく。とは言え道が狭いのでゆっくりとしたスピードで、小走りで歩けば追いつけそうな感じ。

土産物屋やカフェ等が集まる一角。完全に観光客向けという訳でもなく、酒屋や精肉店といった生活感のある店舗も立ち並んでいる……バスはこの地点から90度折れて、往路で通過した肘折希望大橋の方へと向かっていきます。

肘折温泉の街並みの様子。元々は湯治場で、かつては月山詣での際の登山基地という一面も持ち合わせていました。街中には湯治場であった時代からのものか、木造の大きな旅館も何軒か見られる。

温泉街には所々で源泉が湧いています。足湯には少し惹かれたのですが、湿った状態で登山すると足の皮を痛めてしまうので今回は手湯のみ。

[8:47]肘折温泉待合所出発

バスを降車した肘折温泉待合所に戻りリスタート。今度は反対側、山側の方へと進んでいきます。

温泉街の西端から銅山川を跨ぐ橋を渡って対岸側へ。この付近は少し道が入り組んでいるので地図で確認しながら進む。

銅山川の上流を臨む。川は月山の南東を源流に若干南側に回り込むような形で肘折温泉の方に流れてきて、その少し下流の所で最上川と合流します。ちなみにこれから向かう念仏ヶ原銅山川の源流の一つとされています。

対岸から肘折温泉の家並み。平地の少ない山間に旅館やホテルが立ち並ぶ様は温泉街特有の景観とも言える。

温泉街から肘折コース登山口までの区間は林道歩きとなりますが、標準コースタイムで1時間20分と結構長い。

道なりに歩くと蛇行していてロスが多そうなので少しでもショートカットできそうな道を探すのですが、橋から少し進んだ所でそれっぽい道を発見したので進んでみる事に。

石段を登り詰めてくと神社が。どうやら神社の参道のようでした。

参道の途中から肘折温泉の温泉街を見下ろしてみた所。山と川に挟まれた隙間のような平地に街並みが広がっている。

神社の裏手に進むと生涯学習センターという建物の前に出ました。元々は学校の敷地だったような雰囲気。しかし向かう方面とは違った場所に来てしまったので少し戻ります。

更に山の方に進むと人工物は見当たらなくなり人の気配もなくなる。周囲の緑は9月という時期の割には青々としていました。

朝日台という開けた所に出ました。開拓地として田畑が整備された場所のようですが、現在はあまり盛んに利用されている雰囲気ではなく所々で雑草が生い茂っています……少し前のストリートビューでは畑として使用されているのが確認できるのですが。

登山口に続く林道の様子。朝日台以降は未舗装路のようで、周囲の風景もなんだか山っぽくなってきた。

少し開けた所からの青空。林道歩きはまだまだ続く。

途中で左右に大きく蛇行する九十九折の箇所があるのですが、その起点の所に登山用の近道が続いていたので入ってみる事に。こちらの道は地図には載っていなかったので完全にノーマーク。

山道に入った所で栃の実が無数に落ちていました。

ショートカット道はあまり歩かれていないのか少し不安げな道筋ですが、なんとか歩ける程度には整備されている。

陽光の注がない鬱蒼とした道なのでキノコが幾つか。黄色や右奥の白いニョロニョロもキノコでしょうか。

先程の林道に合流し、そこから再びショートカット道が伸びています。九十九折を愚直に歩くよりはだいぶ時間短縮になっているので有り難い限り。

2本目のショートカット道を進む……のですが、道なりに進んでいくと藪に突っ込んでしまい通行不能に。

戻ってみると道が斜面を直登する形で続いていました。踏み跡が薄いという事もあり、知らず知らずの内に外れていてしまったようです。

正しい道を登り詰めていくと程無くして林道に合流。ショートカット道はこれで終わり、以降は登山口まで林道歩きとなります。

登山口まで続くフラットな林道。周囲の木々が深く風が抜けない為か、熱気が籠もったかのような暑さでした。

肘折コース登山口→大森山西鞍部→猫又沢→赤沢川

[10:10]肘折コース登山口

肘折コースの登山口に到着。ショートカットしたとは言え初日で荷物が多いせいか足取りが重く、殆どコースタイム通りとなってしまいました。

ここから月山の一般登山道においては最長の肘折コースに入ります。その入口の看板には念仏ヶ原避難小屋まで9km、月山山頂まで17kmの文字が……痺れる。

ネット上の山行記録が極端に少ないコースなので不安でしたが、歩き始めは全く問題ない雰囲気の道。地元の方によって整備されているようです。

日向はトンボが飛び交っていて少しだけ秋の気配。日陰に入ると少しだけ蚊が居ましたが、翌々日の六十里越街道の藪蚊地獄を思えば居ないも同然で快適に歩けました。

スタートして最初は大森山の登りとなりますが、山頂には立ち寄らず南側をトラバースするように道が続いています。肘折コースは尾根に沿って歩く区間は全体的に少なく、ピークを巻いたり谷筋に降りたりするような箇所が多い。

[10:45-10:52]大森山標識

ピークは巻いているので当然山頂ではありませんが、大森山を示す標識を見つけました。割れて散らばっているわけではなく、3枚別の物が置かれているようです。

大森山の看板の置かれた所は開けていて、ちょっとした展望地となっていました。バスを降りて3時間弱、休み無しでここまで歩いてきたのでここらで小休止。

標識の近くからの展望。山深くて何が何だかという感じ。進む先もはっきりした尾根筋ではないのでよく分からない。

大森山のピークを迂回して西側の鞍部へ。以降は地図上では尾根筋を進むように描かれているのですが、実際はその北側をトラバース気味に進むようです……この区間、地味に足元が悪く歩き辛かった。

トラバース路を歩いていると木々の合間に白く輝く残雪が見えました。

道中見掛けたキノコシリーズ。この日は概ね鬱蒼とした樹林帯のような所を歩いていたので沢山見掛けました。一見すると食べられそうなものだったり、いや無理だろうという毒々しい色合いのものだったり。

青紫色をしたキノコ。派手な色合いのキノコは見掛けますが、青色系統のものは意外とレアかも。物珍しくて何枚か写真撮ってしまった。

途中で見掛けた湯殿山碑なる石碑。現在でこそ歩く人が少ない肘折コースですが、室町時代月山の登拝道として開通した事から始まる由緒あるルートで、かつては出羽三山巡礼の山伏が多く歩いたという。

急峻な下り坂の先に最初の渡渉地点である猫又沢が見えてきました。

殆ど真下という所を流れている猫又沢。右側に見えるロープの所を下っていくようですが……。

[11:41-12:03]猫又沢渡渉点

猫又沢の沢沿いになんとかして降下。斜度が垂直に近い岩壁の上に湿っているので神経使いました。ロープもビニールの簡素なもので引っ張るとうにょんと伸びるので、身体を預けるには心許ない感じ。

ちなみに渡渉自体は問題なく、飛び石で靴を濡らす事なく渡れました。

流石にこの急降下はおかしいなと思い付近を見渡すと、沢の下流の所に割とちゃんとした取り付きがありました……そう言えば途中で道らしきものが分岐していたような。こちらが正規、もしくは新しく作られた道なのでしょう。

ちょっとした難所を越えた後に腹ごなし。肘折温泉で調達した笹巻きですが、5つもあるので少しずつ消費していこうとその1つを開いてみる。笹で巻いた餅米を茹でるか蒸すかしたもののようで、食べてみるとお米の仄かな甘味がありました。

福島出身のTwitterのフォロワーさん曰く、東北地方では当たり前のように食べられる軽食らしいです。纏めて作って朝食にしたりする事もあるんだとか。

1つはそのまま何も付けずに食べてしまいましたが、2つ目以降は一緒に入っていた砂糖入りのきなこを塗して食べました。きなこ餅のようで素朴で美味しさ。バテてあんまり食欲無い時でも食べられそうです。

かつてこの道を歩いたであろう山伏は何日も掛けて月山に向かうので、日持ちする携行食を幾つも持参して歩いていたと考えられますが……中にはこうして川縁で笹巻きを齧っていた人も一人くらいは居たのかもしれませんね。何となく情景みたいなのが浮かんでくる。

猫又沢から再び登り返しとなります。そこらの尾根のアップダウンよりも一つ一つが急峻で、中々に体力を持っていかれる。

細い傘のような形状のキノコ。

殆ど鬱蒼とした道であるものの、尾根筋に近付くタイミングで時々視界が広がります。

方角的には恐らくスタート地点の肘折温泉の方面ですが、温泉街そのものは谷底の方に位置しているので見えません。しかし左側の尾根の奥の方には朝方に散策した新庄の市街地が微かに見えていたり。

978mピークを越えて赤沢川への下りに差し掛かる前後の道の様子。距離が長い割に平坦な箇所が少ないので体力的にはハードですが、道そのものは非常に分かりやすく迷う事は無さそう。

夏真っ盛りのような蒸し暑さですが、時々秋を感じさせるようなものも。

赤沢川が近付いてきた辺りで幾つかの小さな沢を越えていきます。この日は水場となるような場所が多く、水を殆ど担ぐ必要が無いのが精神的に楽でした。

少し開けた所を流れているのが赤沢川で、更に若干上流に進んだ所で渡渉となります。

赤沢川→小岳

[13:15-13:29]赤沢川渡渉点

赤沢川の渡渉箇所に到着。写真手前の沢を越えて左奥方向に進み、そのまま沢沿いに登り詰めて行きます。水量は豊富ですがこちらも飛び石で問題なく通行可能。

沢沿いに歩く区間は短く、すぐに高巻き気味の道となります。

赤沢川からの標高差は300m程度ですが、この小岳までのトラバース気味の登り返しがこの日一番しんどかった。

沢の近でジメジメしているという事で、この付近はキノコが特に多いです……左はベニテングダケでしょうか。右の苔の中のキノコも絵になっていい感じ。

肉厚で美味しそうなキノコも多い。左は一見するとドライマンゴーみたいですし、右はクッキーのようにも見える。

キノコばかり目にしていますが標高が上がるにつれて高山植物を見かける事も増えてきました。こちらはおなじみダイモンジソウ。

小岳の山頂手前という所までトラバース路が続く。この頃になると蚊も増えてきて少し鬱陶しい。

派手に崩落している箇所がありました。先月(2022年8月)の台風によりこの付近で道が崩れたとの情報を得ていましたが、恐らくはこの場所でしょう。

沢が土砂で埋まっていてその前後も消失していましたが、ちょっと高巻き気味に歩く事で問題なく通過できました。

その沢の上方を見上げてみた所。源頭は近いようで水は冷たく澄んでいた。

その後のトラバース路も全体的に荒れ気味で危うい感じ。台風の爪痕のような所も幾つか。

木々が途切れた展望。いつの間にか正午を回っており、雲も少しずつ増えてきた。

ワイルドな道が続く。こまめに整備している様子ですが所々で自然に還りかけています。

尾根に乗り、いよいよ小岳の登りも終盤という所でおよそ場違いとも言えるような大きな看板が出現。

国立公園の境界上という事で設けられたようですが、登山口からコースタイム3時間、温泉街から4時間半という山の真っ只中で『登山道の入口』と言い張っているのが何だかシュールでした。

看板の手前までは相当に荒れ気味でしたが、以降は朽ちかけてはいるものの階段状の道となっています。国立公園という事で環境省辺りが整備したのでしょう。

階段ゾーンを越えと、登山口から延々続いてきた樹林帯を抜けて湿原っぽい所に出る。

オヤマリンドウとチシマゼキショウ。高山植物の顔触れも湿原特有のものが増えてきました。

小岳→三日月池→念仏ヶ原避難小屋

[15:01-15:15]小岳

小岳の看板が置かれている地点に到着。歩く速度はコースタイムと同じか少し遅いくらいでキープしているのですが、赤沢川から小岳区間は全体的に道が荒れ気味で歩きにくく、コースタイムの1.5倍くらい掛かってしまった。

しかしこれだけ歩いたのに未だ月山山頂までの半分の距離にも満たないというのが驚きです。恐るべし肘折コース

念仏ヶ原方面へと続く道。すぐ右側に見える盛り上がりが小岳のピークですが、コースは迂回するように取り付けられているのでピークを踏む事は無い。

看板から少し先の所で広めの湿地帯に出ました。小岳湿原と呼ばれているそうです。

イワイチョウウメバチソウ。どちらも湿原ではよく見かける花々。

小岳から三日月池の辺りまでもトラバース気味の道となりますが、片側に切れ落ちていて展望は良いです……しかし山深い上に雲も上がってきて何だかよく分からず、今どこを歩いているのかいまいち把握できない。

これから進む三日月池方面の尾根筋。こちらも道は尾根上ではなく若干巻き気味に通されています。

正面右に見えるのが小岳の南側に位置している1199mピーク。こちらも巻いていく。

湿原越しの山々。恐らく葉山がある方面だと思われますが、どっぷり雲が掛かってしまっているので判別は厳しい。

ちょっとザレ気味で嫌な感じのトラバース路だな……と思ってしまうような場所が見えてきた所。

トラバースの反対側から。意外に斜度は緩く普通に通過できました。

ザレ気味のトラバースはちらほら出てきますが、どれも見た目程ではないです。

ウメバチソウヨツバシオガマ。この付近も高山植物は豊富でした。

ヨツバシオガマとウサギギク。夏の終わりの花々が多く咲く。

トラバース越しの展望。この箇所はザレている上に斜度が急で若干歩きにくかった。

1199mピークを越えて再び尾根上に乗った所。風が吹き抜けてトンボが飛び交っていた。

再び樹林帯に突入も区間は短い。

[15:45]三日月池

木道が何線にも広がったような場所が三日月池。プレートに書かれた距離を見た限り、この場所が肘折コースの中間に当たるようです。

木道の上から三日月池、その背後には雲に埋もれつつも月山の稜線が。翌日の朝一に登頂する予定ですが、まだまだ遥か遠くといったような距離感。

木道の間から幾つも花を咲かせているオヤマリンドウ。秋の高山植物の代表格というイメージの花。

念仏ヶ原避難小屋を目指して進んでいきます。この付近は緑が深く、山の中を彷徨い歩いているかのような印象を受ける。

三日月池から念仏ヶ原避難小屋までは下り坂が一本、程無くして小屋前の開けたスペースに出ました。すると正面には先程三日月池から見えた月山の稜線が。

[16:08]念仏ヶ原避難小屋到着

本日の宿泊地である念仏ヶ原避難小屋に到着。人の少ないコースなのでもっと粗末な小屋を予想していましたが、思ったより頑丈な上に規模もやたら大きい。

内部の様子。広々としている上に清潔に保たれている。虫の侵入も殆ど無く快適に過ごせそうです。

ちなみにこの日は他に宿泊者は居らず一人貸切でした。というか本日肘折温泉をスタートして翌日の月山まで誰一人として会わなかった。

小屋に荷物を置いたら水場とトイレの確認へ。水場は小屋から僅かに月山寄りに進んだ所に小川がありますが、底の浅い沢なので漏斗を使用して給水しました。

そしてトイレは、そこから更に進んだ所に分岐があるのですが……。

こちらが念仏ヶ原避難小屋の名物であるトイレ。沢の上に丸太を敷き詰めただけという自然味溢れる構造です。下は常に水の流れがあるので一応は水洗トイレという事になるのでしょうか。

翌日は未明の内の通過となってしまうので、日没となる前に念仏ヶ原の湿原地帯の見物へ。

そこで花を眺めたりしながらウロウロしていると、次第に月山方面の雲が抜けて山頂が見えてくれました。月山が山頂まで見えたのは今回これが初めてでしょう。

月山を単体で。向こうの世界には青空が広がっている。雰囲気的にガスが滞留しているのはこの念仏ヶ原の一帯だけのようです。

月山と周囲の風景。重々しい雲に覆われていて全体的に薄暗いですが、月山の方面だけ窓から注ぐ陽光のように明るい。

小屋に戻り夕食です。この日は肘折温泉で購入したおこわがメイン。そしてお酒は前日閖上で購入した宝船浪の音の2種類。肉団子をつまみに飲み比べを楽しむ至福のひととき。

おこわは温めなくても十分柔らかくて美味しいのですが、軽く蒸してみたらより一層風味豊かになりました。中に入った具材はキノコに油揚げといった如何にも山のごはんといった風情。登山のイメージによく合う。

食事を済ませた後、翌日分の水を汲みに小屋の外へ。入口の看板には月山山頂まで6.9kmという距離。数字的には大した事無いと言えるくらいには縮んでいるようですが、直後から標高差1000mの強烈な登りが控えているので一筋縄では行かないでしょう。実際、山頂までのコースタイムもこの日の全行程よりも長かったりする。

その後、更に湯殿山神社、六十里街道と歩みを進めていく明日は長い一日となる事が確実なので、この日は早めに床に就く事にしたのでした。

次回記事『月山から六十里越街道その2』に続く

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