山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

頸城山塊から戸隠連峰その7(戸隠キャンプ場→高妻山→乙妻山往復→戸隠山→戸隠神社奥社→戸隠キャンプ場)

この日は表題にも挙げている戸隠連峰高妻山戸隠山の縦走を目的とした一日でした。ベースキャンプの発着で大荷物を担がなくて済むのでボーナスステージのような位置づけの日だったのですが、360度の展望で有名な高妻山に近付くにつれてガスは濃くなる一方で……。

頸城山塊から戸隠連峰その6」の続きの記事となります。

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他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。

【2022年8月】頸城山塊から戸隠連峰 - 山とか酒とか

目次

今回歩いたルートのGPSログです。

戸隠キャンプ場→弥勒尾根→五地蔵山

本日の朝ごはんはノンフライタイプのカップ麺。登山中の朝は普段カップヌードルリフィルですが、3種類(カップヌードル、同シーフード、チキンラーメン)しか無くてローテで回しているとすぐに飽きるので、その間に挟むべく前日街の方に出た際に調達したもの。

この日は荷物が少なくて気楽とは言え行程そのものは長いので、朝の4時少し前くらいに出発しました。ファミリーキャンプという事で夜遅かった人が多いので、この時間帯の周囲のテントは完全に寝静まっている……と思いきや入口近くの登山用テントで準備を始めている方も姿が。同じ高妻山に行くものと思われ、妙な仲間意識を覚えたり。

[4:08]戸隠キャンプ場出発

バス停まで移動しました。キャンプ場の奥地にテントを張ったので、ここまで来るだけでも一苦労。

高妻山の登山口は戸隠イースタンキャンプ場から県道を挟んで反対側の戸隠キャンプ場、その敷地内の戸隠牧場の場内にあります。そのゲートの前では暗闇の中、牛を模した人形が出迎えてくれる。

空の様子は良い感じです。天気予報は晴れなのか曇りなのか雨なのか、どうとでも受け取れそうな状態でGOの判断を出すのが非常に難しかったのですが、この空の様子を見て安堵……したのも束の間の事でした。

暗闇の中の牧場内。複雑に入り組んでいますが、随所に看板が設けられているのでそれに従って進んでいく。

朝焼けとなり空の色がグラデーション掛かり始めました。前日の黒姫山からの日の出がいまいちだったので、もう少し早く出発して山上で日の出見物を……とも考えていたのですが、流石に後半戦で疲れが溜まっていたのか起きられずこの時間に。

やや広い範囲の空の様子。一時は雨の予報だったのですが、この様子なら大丈夫だろうと足を進ませていく。

[4:35]弥勒尾根入口

登山口かなと思われる場所に到着。3日前に妙高山に登った際に会った方の話に拠れば、1週間前(自分が雨飾山に登った日)に登ろうとしたら登山口近くの沢が増水していて通れず引き返したという。

少し進んでみると確かに沢は流れていましたが、暫く大雨が降っていない為か水量は大した事無く、飛び石で容易に通過できました。

その沢の近くに居ためちゃくちゃでかいカエル。近くに足を置いても全く動じず、のそのそと茂みの方に歩いていった。山のヌシかな。

高妻山登山のコースは沢沿いか尾根筋(弥勒新道)の2つがありますが、今回は未明の内から歩くという事で後者を選択。前日黒姫山で出会った方の話では、登りで使うには長くて単調で地味な道との事でしたが、真っ暗闇の中を登るには都合が良い。足を止める事もなく黙々と進んでいく。

暗闇の中に佇むブナ仙人。

樹間から空の様子が見えました。徐々に明るくなりつつありますが、心なしか雲が増えてきたような気が。

高妻山と麓からの標高差は1,200m弱、特に戸隠山方面とのジャンクションピークとなる五地蔵山までの弥勒新道は800mを一気に登るので数値的にはきつい区間ですが、この日は日帰り装備なので特に苦労せず登っていく。

前評判通り展望もなく単調な登りが続きますが、時々空が見える……何やら頭上に厚い雲の層が漂っているような。

怪しげな雲の存在を訝しみながら進んでいくとやはりと言うべきか、行き先が雲に埋もれて見えなくなっていました。どうやら前日の黒姫山と同様、稜線上にガスが掛かってしまっているようです。

ここから先はまともに展望が無いと思われるので、ガスに突っ込む直前に振り返り景色を堪能しておく事に。麓の方や前日巡った古池は見えていますが、正面の飯縄山はこれから進む方面と同様に雲に埋もれています。

一つ前の写真の左側を望遠してみたもの。信濃町の柏原や古間といった旧北国街道の宿場町が並んでいる辺りです。右側の雲と麓の間には遠く、善光寺平の方の街並みもごく一部分ですが見えています。

そして行先にはガス。足は重いですが、ここまで来て引き返すのもどうかと思い先へ。

ガスに突入した後は案の定何も見えなくなる。景色も何も無いので、以降はピークハントに徹する事にしました。

五地蔵山→高妻山→乙妻山(往路)

[6:14-6:24]五地蔵山(六弥勒

主稜線とのジャンクションピークである五地蔵山に到着。高妻山のコース上の幾つかのポイントは十三佛室町時代に始まった仏教思想の一つ)に見立てられており、山頂に向かって一不動、二釈迦といったように名付けられている。

この五地蔵山も十三佛の五地蔵に由来しますが、ピーク上には弥勒があり、山名である五地蔵はこの場所から僅かに西に進んだ所にあります。

五地蔵山で麓から延々続いていた登りは一段落しますが、以降は主稜線上の尾根歩きとなるのでアップダウンは激しい……この辺りでいよいよ雨が降ってきましたが、雨具を着込む程ではないのでそのまま進む。

幾つかのピークを登ったり下ったりしながら山頂との距離を詰めていきますが、何も見えないので距離感が一向に掴めない。

弥勒から七薬師、八観音、九勢至と辿ってきた所。九勢至からは高妻山の山頂までは標高差300mの纏まった登り返しとなります。

道端のコケモモ畑。景色が何も見えない時に足元に目が行くのはこの日も同じ。

この日は荷物も少ないという事で半ば小走り気味に登っていたつもりなんですが、後続のトレランの方に軽々と追い抜かれてしまう。やはり本職の方は違う。

九勢至から高妻山山頂までの登り返しは結構な斜度で所々岩場もある。

幾つかある岩場の一つ。難所という程でもないような所ですが、道が崩壊気味で足場が安定しない所が多い。

急登を終えると一転して平坦な道となり、その少し先に阿弥陀があります。

[7:50-8:13]高妻山

高妻山の山頂に到着。戸隠連峰の最高峰で今回の登山の後半においてのメインのピークでもありましたが……空は見事なまでに鈍重な鉛色で、好転の気配すら感じられず。

山頂付近の様子。先程のトレランの方も早々に下山してしまったので誰の姿もなく、寒々しい印象。

北アルプスの展望台とも称されているらしいですが、この日は雲しか見えませんでした。

こうもガスガスの様相ではと悩んだのですが、中々訪れる機会のない山という事で高妻山から先の乙妻山まで足を伸ばしてみる事にしました……こちらの方面に訪れる人はそこまで多くはないのか、百名山である高妻山までの道と比べると幾らか細くなる。

乙妻山までの縦走路の様子。コースは殆ど尾根に沿っているものの、実際には少し巻き気味の道が続きます。

その道端で見掛けたミヤマコゴメグサ。

途中の2,297mピーク(中妻山)を越えると広尾根となります。難路扱いの道の割には歩きやすいですが、全体的に藪が繁茂している。

直前まで雨が降っていたという事もあり、通過の際には全身ずぶ濡れ必至の笹とハイマツの薮。ふと駅とかにある電車洗う装置を思い出す。

広尾根区間は小さいながらも湿地帯となった場所があります。晴れていれば風光明媚な場所なんだろうなと遠い目。

花の終わったチングルマ。気軽に日帰りできる山なので、花の盛りである初夏くらいにリベンジしてみるのも良いなと思ったり。

乙妻山の登り返し。道そのものは迷う事は無いですが藪が茂っている……通る人は少ないという事でしょうか。

個人的な認識として高妻山は台形状の山容が特徴的な山なので、もう一つの頂点である乙妻山も重要であるとてっきり考えていたのですが、大多数の人はそうではなく高妻山のピークハントのみで降りてしまうようです。

途中、倒木に阻まれたりしましたが順調に乙妻山の山頂が近付いてきました。

乙妻山→高妻山→五地蔵山(復路)

[9:00-9:27]乙妻山

高妻山のもう一つのピークとも言える乙妻山に到着しました。標高は高妻山の2,353mより僅かに低い2,318mで、戸隠連峰では二番目に高い。山頂には十三佛のラストである十三虚空蔵が置かれています。

頑張って歩いてきましたが、稜線上は依然として雲の中にあるようで展望は皆無。小休止がてらお菓子を適当に摘んだら戻ります。

帰り道、往路でも取った湿原を少し高い所から見下ろす。晴れていれば風光明媚な場所なんだろうなと遠い目(二度目)。

高妻山まで引き返していく。地図上では殆ど平坦ですが、意外に細かい起伏があります。

雨露に濡れたツリガネニンジン

岩稜の隙間のような所から花を咲かせたマツムシソウ。こちらは晩夏がシーズンの花なので、このくらいの時期が見頃。

[10:20-10:28]高妻山

乙妻山から1時間弱、高妻山の山頂に戻ってくると人だかりができていました……流石は百名山とも言える人気ぶり。

再び高妻山の山頂の様子。ガスの中で展望ゼロなのは相変わらずですが、人の姿がなく荒涼としていた先程と比べると和気藹々とした雰囲気。

百名山完登を目指している人が多く登ってくるような山なので、皆さんこれ何座目だとか口々に話されており、中には前々日は火打山、前日は妙高山と立て続けに登っている強者のお爺ちゃんの姿も。話の流れで自分の方にも何座目?と訊ねられましたが、途中から数えなくなってしまったので改めて何座目なんだろうと暫し思案……その場では半分くらいと答えましたが、もう少し多く登っているはず。

こんな天気ですが折角なので写真に収めて貰いました。これもまた一つの思い出という事で。

高妻山から下り始めます。五地蔵山までは往路と同じ道を辿っていく。

人の姿が増えてきました。百名山であるが故にあまり登り慣れていない人も多いのか、急登の箇所ではしばしば渋滞が発生したり。

五地蔵山の登り返しが近付いてきた所。小刻みな起伏が続き、地味に足にダメージが蓄積される区間

五地蔵山→一不動避難小屋→九頭龍山

[11:33-11:46]五地蔵山(六弥勒

五地蔵山の山頂まで戻ってきました。ここから先は予定通り戸隠山方面に向かいますが、この天気では……と、あまり気が進まず途中で降りる事も視野に入れていました。

ひとまず高妻山の下山コースが分岐する一不動避難小屋まで向かってみる事に。往路で使用した弥勒新道と同様にこちらも高妻山登山の主要コースの一つのようで、歩きやすい道が続く。

五地蔵山から殆ど数分という所で五地蔵に到着。そのまま一不動まで巻き戻す形で進んでいく。

テントでも張れそうな広場となった五地蔵周辺の様子。大量のブヨが飛び交っていてあまりゆっくりできそうにない雰囲気ですが、そうした中でも休憩しているグループが……なんだこの虫?という反応でしたのでブヨだと教えたら飛び跳ねていました。

五地蔵以降、鞍部にある一不動避難小屋まで下り坂が続く……標高が下がってきたからか、なんとなく麓の様子が窺えるように。

四普賢まで下ってきましたが鞍部はまだまだ先にある。

この付近でようやく雲の下となったようで視界が広がりました。眼下にはスタート地点である戸隠牧場の放牧場が見えます。

先に進み景色が更に鮮明になった所。正面の飯縄山はこちら側と同様に雲の中ですが、麓の方はよく見通せる。

その麓の方を望遠してみたもの。午前中、五地蔵山の登りの途中から見えたものと同じ信濃町飯綱町の方面で、その奥には善光寺平の信州中野の辺りの街並みも見える。

少し進んだ所からの展望。正面に見えるのが戸隠山の前衛の九頭龍山ですが雲の中に埋もれている。

文殊、そして二釈迦と通過する。東側は切れ落ちているので視界が開けている所が多い。

二釈迦からの展望。ここまで下るとかなり遠くの方まで見通せますが、相変わらず飯縄山は雲に埋もれている。

十三佛の起点である一不動に到着しました。最鞍部である一不動避難小屋はここから更に少し下った所にあります。

一不動からの展望。奥には志賀高原方面の山々が続いていますが、ピークを判別できる程にはすっきり見えていないのが残念。

[12:40]一不動避難小屋

最鞍部であり沢筋からのコースの合流点である一不動避難小屋に到着。ブロック積みの重厚な小屋が建っていますが緊急避難用という事で、宿泊利用は不可らしいです。

さて、先に巡った高妻山のようにガスの中だったらここから迷わず降りていましたが、この場所のように標高が低ければそれなりに展望が楽しめる事が分かったので、予定通り稜線上を戸隠山方面に進む事にしました。

一不動避難小屋からは登り返しとなりますが、標高差100m程度でそこまで長くはない。

登り返しの途中からの展望。山の切れ目の左の方には斑尾山山麓にある野尻湖が見えます。

終始歩きやすかった高妻山の登山道と比べると全体的に険し目ですが、通過に苦労するような箇所は少ない。

九頭龍山北側のピークの南斜面にはちょっと長めの鎖場があります。岩が湿っていて滑りやすく、少し気を遣った箇所。

鎖場の先は九頭龍山まで緩い傾斜の登りとなります。その途中からの展望は……角度が変わった為か、左側に黒姫山が見えるようになりました。しかし前日登った時と同様に山頂部に分厚い笠雲が掛かっています。

九頭龍山に登り返す途中の様子。再び標高が上がってきた為かガスが濃くなってきました。

九頭龍山→戸隠山→八方睨

[13:42-14:00]九頭龍山

九頭龍山に到着……展望が楽しめそうな木々の切れ目がありますが、着いた時点ではガスの中で視界ゼロでした。

ガスが動く気配があったので暫く待っていると流れてくれた。

やや雲が残るものの九頭龍山からの展望。左側の雲が掛かっているのが飯縄山で、その山麓部が戸隠高原。高原という名の通り、奥に見える善光寺平から一段高くなった山裾のような所に広がっている。

善光寺平に広がる街並みとその奥の山々を望遠してみたもの。長野市街がある方面ですが、市街地そのものは手前の山に遮られてしまって見えない。

これまで東側のみ視界がありましたが、西側の雲も少しだけ抜けてきました。左の写真、正面に見える盛大に雲が掛かっている山が先程登った高妻山乙妻山)で、その左側に見えるのはその尾根続きにある堂津岳

九頭龍山を後にして戸隠山方面に向かいます。これまでも東側が切れ落ちていましたが、以降は更に険しくなり断崖絶壁の上のような所を歩いていく。予てより抱いていた戸隠のイメージらしい。

崖っぷちのような所に通された道の様子。高度感はありますが登山道そのものは広く歩きやすい。

恐る恐る崖の下を覗いてみた所。一歩先の所で100m以上落ち込んでいる。足を滑らせたらまず助からないでしょう。

戸隠山方面に続く道の様子。高妻山程ではないにせよ人気の山で、人とすれ違う事も多い。

再び崖っぷちの道。眼下には戸隠高原西側に位置する鏡池があります。

九頭龍山戸隠山の間の鞍部からV字に切れ落ちた谷筋を覗き見る。

ウサギギクと戸隠高原、そして奥には善光寺平。一時は丸一日ガスの中を覚悟していましたが、後半はそれなりに展望を堪能できました。

幾つかのピークを登り下りしつつ進んでいく。振り返れば九頭龍山直下の岩壁が。

もう何度目かの崖っぷち歩き。恐怖感も麻痺してくる頃。

その途中から戸隠高原を挟んで反対側にある飯縄山を眺める。なんとなくピークが判別できるくらいには雲が流れていますが、この日の内に完全に取れてくれる事はありませんでした。

ギザギザした稜線の見た目通り小刻みな起伏が連続する。

再び東側が切れ落ちた道。正面に見えているのが戸隠山ですが、山頂部にはガスが掛かっている。

戸隠山の登りとその途中、不自然に突き出した岩の上に植生が広がっている様子が何とも浮世離れした風に見えた。

[14:41-14:48]戸隠山

戸隠連峰の主峰の一つ、戸隠山に到着しました。標高1,904mと同連峰にある高妻山戸隠西岳といったピークよりは低いものの、麓の戸隠神社の神体として祀られている等、古くから戸隠信仰におけるシンボルであったとされている。

戸隠山からの展望……は、丁度ガスが上がってしまって見通せませんでした。一帯は登山道の道すがらような所で、あまり山頂らしい山頂という雰囲気ではないです。

戸隠山を越えて更に先に進んだ所、難所で有名な蟻の塔渡りが見えてきました……あの上を歩いていくのかと暫し足を止めて眺める。

蟻の塔渡りを望遠してみたもの。手掛かりが無い上にルート的に下り坂となるので苦戦が予想されそう……下の方には鎖が張られた迂回路があるのも見えますが、そちらの方も中々険しそうで。

更に進んだ所から蟻の塔渡りを見下ろす。区間そのものは短そうですが。

八方睨→蟻の塔渡り→百間長屋→戸隠神社奥社

[14:59-15:18]八方睨

戸隠神社奥社方面のコースが分岐する八方睨に到着。短いようで長かった戸隠連峰の縦走はこの地点で区切りとして、今回はこちらから下山します。

八方睨から更に先に尾根伝いに進んだ先には戸隠西岳があります。これから進む蟻の塔渡り以上の難所らしいですが、岩場はあまり好きではない自分には無縁のコース。

八方睨から見下ろす蟻の塔渡り。風雨による長年の侵食を受け、地質の硬い部分のみ残ったとされています……周囲の景色の中でも異様さが際立っている。

蟻の塔渡り方面に続く鎖場の上にホシガラスが止まっていました。南北アルプスを始めとした高山帯で偶に見掛ける鳥ですが、標高2000にも満たない山域で見かけるのは珍しいかも。

八方睨から奥社方面に向けて下り始めますが、いきなり鎖場が始まる……とは言え一般コース扱いで難度は高くないです。ホールドも豊富なので下りでも特に苦労する事はありませんでした。

徐々に蟻の塔渡りが近付いてきました。ガスの中ぼんやり映し出される様は幽玄というべきか。

蟻の塔渡りの起点に到着しました……想像よりは幅は広いので、普通に上を歩いていけそうな感じ。

最初に始まるのは剣の刃渡りと呼ばれる区間。両側の崖は切れ落ちており、どちらに落ちても命は無さそうです。

恐怖感は中々ですが道幅が意外に広いので、這ったり跨ったりと変な体勢で進むよりも平均台のように立って歩いた方が安定しました。バランス崩した際にもその方がリカバリーしやすい気がします。

蟻の塔渡りの中でも一際細い岩尾根。狭義での蟻の塔渡りはこのナイフブリッジ状の区間のみを指すらしいです。

蟻の塔渡りの足場となりそうな幅は30cmくらいでしょうか。細いには細いですが、こちらは先程までの剣の刃渡りと比べるとザレてないだけ歩きやすいです。

最も細い区間の様子。恐怖感は中々のものですが、足を置いて立てるくらいのスペースは終始あるので高所恐怖症じゃなければ問題無さそう。自分も普通に歩いて通過しました。

ナイフブリッジを越えると開けた場所に出ました……どうやら蟻の塔渡り区間は終わってしまったようです。予想以上に短かったので少し物足りないようなそうでもないような。

最後に降りてきた鎖場を振り返る。手掛かり足掛かりは多い。

少し進んだ所から蟻の塔渡り、八方睨方面を見返してみる。下り利用の際は谷底を見下ろし続ける必要があるので恐怖ですが、登りで使う分にはそこまで怖くないのではないかと思います。

蟻の塔渡りを終えて難所は終わりという訳ではなく、麓にある戸隠神社奥社の手前まで延々と岩場鎖場が続きます。こちらも登りだったら特に問題無さそうですが、下りなので足場を探るのが少し面倒。

薄いガスが漂う戸隠高原。麓とはまだまだ標高差がありそうですが。

数ある鎖場の中の一つ。鎖を使わずとも下れそうですが、勢い余ったら崖から落ちそう。

途中の胸突岩の鎖場。この鎖場が最も斜度が急で、垂直に近かったような気がします。

胸突岩を越えた先もまだまだ鎖場は続く。修験道における行場というイメージ通りの険しい道程ですが、全体的にホールドが豊富なので見た目程の難度は無かったりします。

鎖を辿るように進んでいく。前日までのテント装備だったらまだしも、この日は日帰り装備なのでどうという事はない道。

もう何度目かという鎖場。この手の道に慣れた人であれば、よく整備されたアスレチックのように思えるコース。

鎖場の先の広場。少しだけ麓に近付いてきたような気がします。

こちらも少し長めの鎖場。下降した後にトラバースを挟んで再び下降……こちらも足場は豊富なので特に問題なく下る。その先には天狗ノ露地と呼ばれる岩場の分岐がありましたが、時間が無かったのでスルーしてそのまま下ります。

分岐から先も鎖が伸びている。

視界が開けた所からの展望。方角としては南西なので旧鬼無里村がある辺りでしょうか。山深い景色の中にちらほら陽の光が差し込んでいます。

鎖場を下ってきた所。上に見える岩が先程の分岐の先にある天狗ノ露地です。

鎖場を下った地点には西窟と書かれた岩場があります。修験道場として知られた戸隠山には三十三霊窟という行場があり、こちらはその一つとされている。

西窟の先に見える山肌をくり抜いたかのような長い岩屋は百間長屋と呼ばれています。こちらも三十三霊窟の一つで、修験道における行場として使用されていた当時は長窟や長岩窟と呼ばれていた。

百間長屋に近付いた所。正面に見える飯縄山はやはり雲の中ですが、麓の方は広い範囲で陽光が当たり始めている。

百間長屋の内部には石仏が置かれていました。修験道が盛んであった当時、三十三霊窟という名が示す通り戸隠山一帯には多くの行場が存在しましたが、廃れてしまった現在では登山道上にあるごく一部のものを訪れる人も少なく、多くは藪に埋もれているという。

百間長屋に隣接して五十間長屋という岩屋があり、こちらも三十三霊窟の一つ。古くは毘沙門窟とされていました。

五十間長屋を越えると鎖場は無くなり普通の山道となります。何の変哲もない道ですが、一度粘土質の地面で足を滑らせて尻餅を突いてしまった。

木々の切れ目から見上げた空。高妻山は相変わらず雲の中のようでした。

軽快に下っていると程なくして戸隠神社奥社の建物が視界に入ってくる。

戸隠神社奥社→随神門→戸隠キャンプ場

[16:48-17:05]戸隠神社奥社

戸隠神社奥社に下山。敷地の脇に滑り込んでくるような形で降りてきます。登山口には指導所と思われるテントが張られていましたが、こうも遅い時間帯なので人の姿はありませんでした。

参道に合流してそのまま奥社の境内へ。厳つい顔つきの狛犬が出迎えてくれます。

前日から始めた戸隠五社巡りですが、残り2つの九頭龍社奥社は隣接しているのでこの時点で達成。九頭龍社はやや手前に、奥社は最も奥まった所に位置しています。

それぞれの拝殿の背後には先程通りがかった百間長屋等と同様に霊窟があるらしく、奥社には本窟、九頭龍社には龍窟があり、これら2つの霊窟は三十三霊窟の中でも特に中心的なものとされていたという。

まずは奥社の方に立ち寄ってみます。かつて戸隠神社戸隠山顕光寺と呼ばれていた時代の奥院で、修験道における戸隠信仰の発祥の地とされています。

現在の拝殿は建造物としては新しいようで昭和中期頃の再建との事。背後に霊窟が続いている為か、トンネルの坑口のような特異な構造でした。

戸隠信仰の発祥は日本神話において、天照大神が隠れていた天岩戸を開いた際その岩戸がこの地まで投げ飛ばされて戸隠山となり崇拝されるようになった……という伝説に基づいていますが、信仰が本格的に行われ人が集まるようになったのはその後、この地に戸隠寺(後の奥院であり現在の奥社)が開かれ修験道における道場として全国的に知られるようになった事が起因とされています。

全国有数の修験道場として既に知られていた平安時代には宝光院(宝光社)、更に後に中院(中社)が設けられて戸隠三院という体制となりますが、その後の詳しい歴史は前回の中社の辺りの解説を参照。

奥社の境内の様子。既に日没近い時間帯ですが観光客の姿は多い。

こちらは同じ境内にある九頭龍社。こちらも戸隠五社の一つとされており、戸隠信仰が盛んになる以前の土着信仰に纏わる神社とされています……そう言えば先程巡ってきた戸隠連峰の山々の一つに九頭龍山という名のピークがありましたが、全くの無関係という事は無さそうですね。

こちらは奥社社務所御朱印なのかお守りなのかで、この時間帯でも行列が伸びていました。

少し下った所から奥社の社殿を見上げる。その背後にある山の上には先程歩いてきた戸隠連峰のギザギザの稜線が見えます。

そのギザギザを拡大してみた所。方角的に左の小高いピークが戸隠山と思われます。

戸隠五社巡りも済ませて帰路へ。概ねやることを終えてしまったような気分ですが、宿泊地の戸隠キャンプ場まで徒歩1時間の距離があります。帰るまでが遠足とも言うので足早に歩を進める。

戸隠神社奥社から県道との合流点まで続く参道の様子。現在でこそ沿道に杉並木が立ち並ぶのみですが、この通り一帯にはかつては多くの宿坊が軒を連ねていたとされています。

こちらは修験道が盛んであった江戸時代頃のこの付近の古地図。上の方の奥院御本社と書かれた建物が現在の奥社で、その手前の参道沿いには仁王門(現在の随神門)まで〇〇院という名称の宿坊が犇めき合っている様子が記載されています。

途中の飯縄社。祀られている飯縄大権現は近隣の飯縄山を発祥とした神仏習合の神であり、この戸隠の地の鎮守とされていました。

かつては多くの宿坊が存在した付近には立派な杉並木が立ち並んでいます。江戸初期、戸隠山顕光寺(現在の戸隠神社)が幕府による保護を受けて再興した際に整備されたものとされており、植樹から既に400年が経っているという事で一本一本が立派。

杉並木の参道を歩いていると随神門が近付いてきました……霊験あらたかといった風情の道ですが、夕方という事もあってアブの勢いが凄まじいです。山で見かけるアブと違って人馴れしているのか躊躇なく噛んでくるのが恐ろしい。中には走って逃げている人の姿もありました。

[17:20]随神門

長い参道の中間地点に位置する随神門に到着。神仏習合時代は仁王門と呼ばれていました。左右には不自然に空いた所がありますが、仁王門であった頃にはこのスペースに仁王像が置かれていたらしいです。

この随神門は1710年の宝永年間の建立で、戸隠神社を構成する建造物の中では最も古いものとされています……その割にはあまり手入れされているようには見えないのが少し気になる。

徐々に遠ざかっていく随神門。草ぼうぼうの茅葺屋根が周囲の緑に溶け込んでいる。

ゴールである県道との合流点は遥か先に見える。この頃になると杉並木は途切れて雑木林のような雰囲気に。

途中の高妻山神鏡碑なる石碑。江戸時代にはこの地点から高妻山の山頂まで大澤通りと呼ばれる登山道が伸びていたとされる。

県道すぐ近くの大鳥居に到着。奥社から2kmにも及ぶ長い参道でした。

[17:40]奥社前駐車場

県道と合流した所。時間帯的に駐車場はガラ空きですが、人の姿は依然として多く見られる。

前日この場所を訪れた際にソフトクリームの店があったのでマークしていたのですが、その時よりも到着が1時間遅かったという事もあって既にシャッターが降りていました……仕方ないのでジュースで我慢。

時間も遅い上にアブとの格闘に疲れたので県道をそのまま進んでいく事にしました。空は未だ明るいですが、周囲の陰影は濃くなり始めている。

[18:08]戸隠キャンプ場到着

14時間ぶりにスタート地点である戸隠キャンプ場に戻ってきました……長い周回コースでした。キャンプ場内は丁度夕食時のようで、前日同様に肉を焼く匂いが立ち込めている。

夕食風景です。コンビーフを焼いて周囲の肉焼きに対抗しながら、未だ十分な量がある2本の根知男山を吟味……このお酒を根知谷の渡辺酒造店で買ったのは行程初日、一週間も前の話となりますが、絶え間なく登山を続けていた為か随分と昔の事のように思えてしまう。

さて、翌日はいよいよ最終日。行程そのものは飯縄山を乗り越えるだけなので短いですが、再びテント込みの大荷物を背負わなくてはならず、8日目歩き続けていて疲弊した足ではそれなりにハードな一日となる事が予想される。故に少しでも回復させる為にこの日も早々に寝袋に潜りました。

次回記事『頸城山塊から戸隠連峰その8』に続く

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