山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

頸城山塊から戸隠連峰その6(黒姫山→古池→戸隠キャンプ場、戸隠観光)

この日は黒姫山の山頂からスタート……日の出の時間まで暫く待機し、その後下山して戸隠キャンプ場に到着した時点ではまだ昼前。まだまだ時間的に余裕があったので、付近の戸隠神社を始めとした戸隠エリアの観光へと赴いたのでした。

頸城山塊から戸隠連峰その5」の続きの記事となります。

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他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。

【2022年8月】頸城山塊から戸隠連峰 - 山とか酒とか

目次

今回歩いたルートのGPSログです。

黒姫山からの日の出

黒姫山の山頂から一日が始まります。せっかくこの時間帯から山頂に居るので、日の出見物をしてからの行動開始としました。

今回の登山ではこれまで日の出らしい日の出は見えていなかったので期待していたのですが……周囲が明るくなると同時にガスが上がってきた。

その状態のまま日の出を迎えました。ガスに埋もれていますが、全く見えない訳ではないので良しとするべきかどうか。

ガス越しに見える日の出。輪郭線は鮮明になったりぼやけたり。

やはり納得行かないので完全にガスが流れてくれるまで居座ろうとするも、待てどもガスは濃くなる一方……写真はその途中、一瞬だけ薄くなった時に撮影したもの。遠くには志賀高原方面の山が殆ど全て見えているので、ガスが掛かっているのはこの黒姫山一帯だけのようです。

粘っている間、ガスで真っ白になったり部分的に青空が広がったりを繰り返す。

一時間近く粘った結果、数十秒間だけ雲が流れて得られた奇跡の展望。

すぐ左の所には野尻湖斑尾山。奥には岩菅山横手山草津白根山……それどころ岩菅山から更に左奥の所に佐武流山、苗場山と続いているのが見えます。しかし、こうした展望もすぐに埋もれて見えなくなってしまう。

それから更に粘ってみましたがガスは濃くなる一方で。

黒姫山→新道分岐→古池

[6:03]黒姫山出発

周囲が完全に濃いガスに包まれ、陽光すら注がなくなってしまったので諦めて下山します。残念ですが仕方ない。

歩き始めて暫くした所で峰ノ大池から分岐していた道と合流。そのまま外輪山に沿って進んでいきます。

新道経由で戸隠高原を目指していく。黒姫山登山においての実質的なメインルートなのか、前日の険しい道はなんだったのかと思う程に歩きやすいです。

[6:37-6:48]しらたま平

しらたま平と呼ばれる少し開けた展望地に到着。晴れている時には眺めが良いのでしょうが。

上の方はガスガスでしたが、標高を下げていくと麓の方が見通せるようになりました。いつの間にか雲の下となっていたようです。

少し望遠してみた所。頭上を覆う雲が分厚く、ピークの特定までには至らないという感じ。

[7:59-8:11]新道分岐

大橋林道方面に下る道と、大ダルミを経て西登山口へ至る道との分岐を越えて古池方面に。このくらい下がってくると陽光も注ぎ始めました。

鬱蒼とした道ながらも明るい雰囲気。しかし朝方という事で相変わらず蚊やブヨが猛威を奮っている。

古池まで続く道の様子。山裾近くとなり、幾つかの沢が側を流れている。

こちらでもタマゴタケを見掛けました。まだ幼菌で、卵のような白い殻に覆われている。

古池の外周路に合流しました。木々の枝越しにはその湖面が見えます。

古池→種池→戸隠キャンプ場

古池の外周一帯は木道が敷かれていて散策路のような雰囲気です。黒姫山までは登らず、観光ついでにこの辺りにまで足を伸ばす人も多いのかもしれません。

山頂の濃いガスは何だったのかという程に麓は晴れています。写真の左側、古池の湖面越しに飯縄山……は見えませんが、その山続きとなる瑪瑙山霊仙寺山は見えている。そのどちらの山も最終日に登ります。

古池の外周路の様子。日の当たる西岸の方が良いだろうと進んでいきますが、東岸からだと湖面越しに戸隠山が見えるらしいと、後にすれ違った方から教えて頂いた。

草原の奥には高妻山へと続く弥勒尾根が見えますが、高妻山のピークそのものは雲の中のようでした。

古池の湖面越しに飯縄山方面を臨む。自然味溢れる池ですが、水力発電用に人工的に築かれた溜め池らしく、元々は湿原だったようです。

岸辺の湿原地帯には色鮮やかなクルマユリが沢山咲いていました。

青空と古池と山の陰影。ただ美しい。

[9:39-9:51]古池

池を挟んで反対側の所まで移動しました。ちょうど湖面越しに先程下ってきた黒姫山が見えるのですが、山頂部には依然として重々しい雲が乗っている……この雲は今日一日取れてくれなかったようです。

黒姫山と山上の雲。

近くの葉の上にはモリアオガエルらしき小さなカエルの姿がありました。

古池から引き続き下山します。この日は祝日(山の日)だったのでそれなりに人の姿がありましたが、中にはガスで諦めて途中で下山する方の姿も。

近くには種池という古池より少し小さい池があり、そちらに向かう分岐があります。時間には余裕があったので荷物を置いて往復へ。

[10:00-10:05]種池

分岐から数分で種池の湖畔に到着。この池の水を汲んで戸隠神社にて雨乞いの祈願を行うと雨が降るという伝説があり、現在でも毎年初夏に行われる『種池祭』という雨乞い神事に際はこの池でお水取りが行われるという。入口に紙垂が吊るされているのもその関係でしょうか。

湿地帯となった種池の様子。古池も溜め池となる以前はこんな感じの風景だったのでしょうか。

[10:16]大橋登山口

種池の分岐から少し歩いた所が登山口となります。小ぢんまりとした登山口ですが、少し先に進んだ所の大橋近くに大きな駐車場があり、そちらを拠点として登る人が多いようです。

大橋登山口から先は舗装路歩き……とは言え目的地のキャンプ場まで2km程度なので、そこまで長くはない。

山裾の上に広がる青空。一見すると登山日和っぽく見えますが、周辺の山々は先程の黒姫山のように雲が笠のように掛かってしまっている所が多い。

戸隠キャンプ場→戸隠神社中社

[10:44-12:14]戸隠キャンプ場

戸隠高原のキャンプ場が立ち並ぶエリアに入りました。バス停には戸隠キャンプ場とあり隣接して同名のキャンプ場もありますが、今回はそちらの方には行かず。

北側から歩いてくると、まず名前通り東側に位置する戸隠イースタンキャンプ場の受付(ウェルカムハウス)があります。今回はこちらでの宿泊予定なので、そのまま流れるように建物の中へ。

受付を終えた後、建物前の自販機でガソリン補給。登山中は何かと炭酸系を選んでしまいがち。暑さもあったので1分も掛からずに喉奥に吸い込まれた。

テントを設営しにキャンプ場内へ……オート主体なので広々としています。手前だと人の通りが多くて気になりそうなので奥の方へ進んでいく。

適当な所に設営。登山用なので周囲にあるガチ目のキャンプ用テントと比べるとかなり見劣りがしますが、その分料金が安いので納得。テントの数は到着時点ではそこまででもないですが、後々増えて最終的には結構な密度になっていました。

テントを設営した時点で昼前。天気が悪ければそのままゴロゴロと半分停滞日のような過ごし方をしても良いですが、こうも晴れている日にそれでは勿体無いなとテントの外へ。

あまり戸隠の辺りを歩いた事が無いので土地勘が無かったのですが、改めて地図を見てみると、前々から一度は行ってみたいと思っていた戸隠神社はここからでも徒歩で行ける距離にあるようでした。しかし戸隠神社戸隠五社とも呼ばれ、5つの神社が戸隠高原というエリア内に散らばるように点在している。車や自転車ならともかく徒歩で全て回り切るのは半日では少し厳しそう……せっかく行くのであれば全て見て回りたいですが。

地図をよく見てみると、その内の奥社とその境内にある九頭龍社は翌日戸隠山から下ってくれば自動的に回れそうです。となればこの日は中社宝光社火之御子社、ついでに名物の戸隠そばでも食べられれば言う事なしだろうと簡単にスケジュールを立てていざ出発。

戸隠キャンプ場のバス停です。高妻山黒姫山といった近場の山々の登山基地のような所で、その近くには高妻山の登山者用の駐車場があります。こちらは百名山という事で人気があり広々とした駐車場、それも結構な埋まり具合です。

これから向かう戸隠神社中社はバスに乗っていけば早いのですが、ここで乗ってしまうと気持ちが下山モードに移ってしまいそう……という訳で自力で歩いて向かう事にしました。

駐車場の奥の方には越後道と書かれた標識が立っており、そこから遊歩道のような道が伸びています。昔の街道だろうかと明治初期頃の古地図を見てみると、戸隠神社中社と北国街道の柏原宿(現在の黒姫駅近くに位置する)を結ぶメインルートであるかのように描かれている。

戸隠周辺にはこのような古い道が散策路のような形で幾つか保存されており、全部ひっくるめて戸隠古道として紹介されているようです。

越後道を入った所にある念仏池。越後への流刑を終えた親鸞聖人が関東に向かう途中、この地に立ち寄った際に杖を立てたら水が湧いたとか、念仏を唱えたら呼応するかのように水底が踊ったとか、そうした伝説が残されているという。弘法大師伝説とかでよく聞くパターンの話ですね。

一段下がった窪地のような所の池を覗き込んでみると、苔が生えて淀んでいるようで水そのものは意外に澄んでいる。どこから流入している感じでも無いので、底の方で水が湧いているのかもしれません。水場として使うのは流石に天罰が下りそうなので見るのみに留めておく。

越後道戸隠中社方面へと進んでいく。先程まで歩いていた山道と比べると整備されていますが、車道がすぐ近くを並行しているという事もあってか、あまり歩かれている感じはしない。

古い道という事で途中にはこんな社が。あまり訪れる人が居ないのか、調べても名前が出てこなかった

橋の奥の社というロケーションが良いですね。昔はもう少し大きな社殿を持っていたような……そんな雰囲気がある。

越後道を更に先へ進んでいく。橋が崩壊していたりと、この付近の道は少し荒れ気味。

暫く進むと交差点へ。越後道はそのまま舗装路となって先に続いています。

ペンションやロッジが多く集まる越水ヶ原という地区に入ります。この付近が南北の河川(楠川と鳥居川)の分水嶺となっている為、これまでの道は緩やかながらも全体的に登り基調でした。越水という地名もそうした地形が由来でしょうか。

木々の合間から戸隠山が垣間見えました。鋸の歯のように見える荒々しい岩稜が威圧的。

ペンション街で犬に追いかけられたりしながら進んでいきます。キャンプ場から4km足らずという距離の割には長く感じる道。

神社の駐車場を越えて以降は人の姿が増え、一転して賑やかな道中に。

戸隠神社中社と戸隠そば

[13:02-14:48]戸隠神社中社

戸隠五社巡りにおいての最初の神社は戸隠神社中社。五社の中でも最も規模は大きく、古くから戸隠信仰の中核と言えるような位置付けの神社でした。他の観光客の後に続くような形で西鳥居を潜り境内に入っていく。

戸隠神社中社の境内。戸隠神社は現在でこそ神社ですが、明治の神仏分離までは戸隠山顕光寺という寺院でした(中社、宝光社、奥社の三社はその当時は中院、宝光院、奥院と呼ばれていた)。

戸隠神社の発祥は諸説ありますが、平安時代末期には修験道における道場として既に都でも知られており、その後の鎌倉時代では更に発展し、多くの道場や宿坊が軒を連ねた事から『戸隠十三谷三千坊』と呼ばれ高野山比叡山に比肩する一大霊場とされていました。しかし戦後時代には周辺一帯が戦国大名、上杉家と武田家の争いの地となってしまった事で一旦は衰退してしまいます(寺院内の宗派争いが原因ともされている)。

江戸時代に入ると徳川家康の庇護を受けて再興。後に徳川将軍家菩提寺である東京上野の東叡山寛永寺の末寺となり、併せて天台宗の宗教行事も行われるようになります。その頃には善光寺参り全国的に流行しており、セットで近隣の戸隠も回られる事が増えた事で巡礼者が急増。当時の中院宝光院の周囲には門前集落が形成される程に発展したのでした。

そうした歴史が示す通り、神社というよりはどちらかと言えば寺院という特色が強い戸隠山顕光寺でしたが、明治の神仏分離令によって領地は没収。その後、廃仏毀釈運動が激しくなった事で廃寺、戸隠神社中社と転換されて現在に至ります。

賑わう戸隠神社中社の境内。手前から社務所、拝殿、青龍殿(宝物殿)という並び……祝日という事もあって結構な賑わいです。ここ数日静かな山の中に居たので人酔いしそうになる。

立派な作りの拝殿。いい感じに褪せていて風格がありますが戦後の再建だったりします。

中社の境内の全景。かつての三院の中では最も新しく、奥院宝光院の中間に作られる形で創建しました。故に中院という名前になったという。

拝殿の前には参拝の行列が形成している……まるで初詣のようです。流石に待っていられないのでそのまま後にしました。御朱印についてもコロナの関係で書き置き対応のみとの事だったのでこちらも頂かず。

恒例の奉納酒チェックと境内の御神木。酒樽の日本酒の銘柄は少し読み辛いですが松尾君の井と書かれています。

松尾は長野県上水内郡信濃町、北国街道の古間宿にある高橋助作酒造店の銘柄で、戸隠神社から最も距離的に近い酒蔵という事もあって他に戸隠という銘柄も存在します。君の井は県境を越えた先の新潟県妙高市新井の市街地に立地する君の井酒造の銘柄。他に特約店向け銘柄として恵信というものがあります。

拝殿裏手にあるさざれ滝。かつて水行や禊等で使用されていたという。ちょっと俗っぽい話ですが、この滝の写真をスマホの待ち受けにすると金運アップするとか。

拝殿前の広場から南側、大鳥居の方に向かって下っていきます。すぐ正面の所に御神木である三本杉が見えてきました。

石段を下った所にある三本杉。途中から三又に分かれていてまさに三本杉という形ですが、これ1本のみを指して三本杉という訳ではなく、大鳥居周囲の他の2本の杉の木を合わせてそう呼んでいるという。

中社の大鳥居に到着。こちらが側が表玄関のようで、かつての門前町が入口付近から道なりに続いています……ちなみに鳥居は寺院であった江戸時代から存在していたとされている(現在の鳥居そのものは2020年の再建と新しい)。

中社の近辺には名物の戸隠そばが食べられる店が沢山あります……その中でも一際凄い人だかりができているのが、鳥居からすぐ横道に入った所にあるうずら。午前中、黒姫山ですれ違った方に教えてもらった店なので一番に向かってみたのですが、想像以上に人気店のようで入るには相当の覚悟が……とかなんとかしているまでもなく、程なくして本日の受付は終了との掛け声が飛んでくる。この日の分の蕎麦が切れてしまったようです。

ほぼノープランだったので、その後は足を使ってのアナログな店探し。ネットの評判で溢れているこの時代、観光地だからとふざけたものを出す店はそうないと思われるので、待たずに入れそうな所を適当に探していく。

ちょっと奥まった入りにくそうな所ならばと進んでみると、蕎麦屋が二軒並んでいるのが見えます。どちらも入店待ちの客の姿がありますが、左の店は人気店のようで結構な人だかり。一方で右側はそこまででもない……そちらの方のネットのレビューを見てみると、戸隠そばの割には安くて量は多く味も良い穴場との事。これは決まりだなと、すぐさまノートに名前を書き入れる(戸隠そばの店は殆どが記帳制)。

今回、戸隠そばを頂くゆたかや。隣の二葉屋の行列を尻目に、こちらでは優雅に座っての待機。

順番が回ってきて店内に案内されますが、流石に6日間も山を歩いていて全身汚れているのでそのまま入るのは店の人にも他のお客にも申し訳ない。すかさず外のテラス席を希望してそちらに陣取ると、程なくしてお茶とお茶請けの漬物が運ばれてきました。

蕎麦屋とはお酒を飲む所であると個人的に認識しているので、ひとまず日本酒を一合。自動的につまみが一品、辛子大根が付いてきました……この辛子大根が甘辛くて美味しかった。

冷や(常温)で出された日本酒は甘味とキレのバランスが良いタイプ。美味しかったのですが、蕎麦を食べる事で頭が一杯で銘柄を聞きそびれてしまったのはミス。

その後運ばれてきたメインの品々。蕎麦御膳的なものを注文したのですが、メニューの写真よりも数段階豪勢で、テラス席のテーブルを埋め尽くすかのような品数……ネットの評判通りのボリュームで、味についても文句なしでした。

しかし、これを衆目集める店先のテラスで食するのはある種のデモンストレーションとなってしまったのか、隣の二葉家で待っていた客の何組かを奪ってしまう事になり、最終的にはこちらの店が先に蕎麦切れとなってしまった模様。

ところで、今でこそ戸隠といえば蕎麦と言えるように名実ともにこの土地の名物とされていますが、現在のようなそば切りという形態での提供スタイルは江戸時代、戸隠神社(当時の戸隠山顕光寺)が上野の寛永寺の末寺となっていた頃、この地に遣わされていた寛永寺の僧侶から伝えられてそのまま定着したとされています。ちなみにそれ以前からも山間の戸隠は蕎麦の産地でもありましたが、その当時は蕎麦掻きや蕎麦餅といった形態で、主に修験者の携行食として利用されていたとの事。

戸隠そばの特徴としては盛り付け方が独特な事が挙げられ、一口程度の量に束ねたものを並べるぼっち盛りと呼ばれる形態で提供されます。これは見栄えを重視したもので、専ら庶民のファストフードであった江戸の蕎麦とは違い、戸隠そばが主に祭礼や行事で提供されるハレの日の食事であったという事がその理由となります。

あれだけの品数だと日本酒一合では到底足りなかったので、そば焼酎の湯割りを追加で注文。セットで付いてきたつまみには柿ピーに加えてそば饅頭……何から何まで蕎麦尽くしの豪勢な昼食でした。

蕎麦切れとなり静かになった店先の様子。もし次に戸隠で蕎麦を食べる機会があれば、再びこちらの店に訪れるでしょう。

神道から戸隠神社宝光社、火之御子社

戸隠そばを食すというサブ的なミッションも果たし、主目的である戸隠五社巡りへ復帰。2つ目の宝光社へと足を進めます。この一帯が昔の門前町だった所で、現在でも何軒かの宿坊が残っていました。

出発して早々、なんだか甘いものが猛烈に欲しくなったので近くのお店で蕎麦ソフトをひとつ。ミルクの中に蕎麦の風味が仄かに感じられる、素朴な味わいの甘味でした。

門前町を進んでいく。この戸隠門前町中社宝光社のものを合わせて重要伝統的建造物群保存地区重伝建)にも指定されています。指定を受けたのは割と近年との事なので、重伝建をそこそこ回っている自分でも知らなかった。

門前町から一本隣の道へ移動し、宝光社の拝殿に直接繋がる神道経由で進みます。その途中、古びた石碑や祠が無造作に掻き集められた一角が……奥には五輪の塔のようなものが見えます。近くに墓地でもあったのでしょうか。

と思っていたらそのすぐ先に墓地がありました。右側に伸びているのが宝光社に続いている神道

神道を暫く進むと鬱蒼とした森の中に入ります。遊歩道のような道ですが舗装されており、歩いている人も結構多い。

[15:22-15:25]戸隠神社宝光社

戸隠五社の一つ、宝光社に到着。戸隠五社の中では最も麓に近い所に位置しています。

神仏分離の以前は宝光院という名称の寺院で、奥院の相殿として創建されたのが発祥。戸隠五社の建造物は後年になっての再建が多いですが、こちらは江戸時代(江戸末期)建築の拝殿が現存しています。

宝光社門前町の方から続いている参道。こちらの街並みも重伝建指定なので覗いてみたかったのですが、のんびり蕎麦を食べていたら時間切れとなり今回は断念。

宝光社の付近で生えていた白いキノコ。マシュマロのようですが、白いキノコは一般的に毒を持つものが多いという。

宝光社中社を繋ぐ神道の途中、脇道を一本入った所に戸隠五社の一つである火之御子社があります。

こちらの神社は現在でこそ戸隠五社にも名を連ねていますが、長らく神仏習合の状態が続いていた戸隠山顕光寺とは違い一貫して神社だったという。主祭神は天細女命(元は天忍穂耳命であったとされている)で舞楽芸能、火防のご利益があるとされ古くから信仰を受けていた。

森の中にひっそりと佇む火之御子社の拝殿。中社宝光社と比べると参拝客は少なく静かでした。

公明院、さかさ川遊歩道から戸隠キャンプ場

火之御子社から先程歩いた中社門前町の方に這い上がり、そのまま中社を目指して進んでいきます。

今回のテーマである『頸城山塊から戸隠連峰』という長大な登山も既に後半戦……という事でお土産を購入しました。戸隠と言えば蕎麦、であるならば蕎麦に関連するものが良いだろうとそば饅頭を選択。

門前町の途中で見つけたまんじゅう店、碓井製菓へ。こちらのお店でははね出し品の試食も可能でした。餡は思ったより甘くはなく上品な味わいで、その分蕎麦の風味がしっかりと主張してくる。値段も手頃ですし、これは良いなと一箱。

何かと気さくな店主の方は地元の山岳会に所属しているらしく、翌日登る戸隠山の鎖場の整備なんかも行っているようで、その辺りのお話を色々聞かせて頂きました。

門前町には酒屋もあります。戸隠神社境内の氷室で数ヶ月間氷温熟成させた『戸隠山雪中酒』なるお酒を取り扱っているらしい……唆られる。お酒が切れたらこちらで調達しても良かったなと思ったものの、初日に調達した根知男山が2本とも残ってるのでまたの機会に。

[16:03-16:14]戸隠神社中社

中社の大鳥居手前の広場に戻ってきましたが、夕方近くとなったので人通りもめっきり少なくなっている。周辺には早くも店じまいを始めている店が幾つか。

中社の境内に続く階段を見上げる。つい数時間前の喧騒は何だったのかという程に辺りは静まり返っている。

再び中社の拝殿。この頃には参拝待ちの行列も消滅していました。

中社から越後道へ。往路とは違い、途中から奥社方面に向かいます。

途中で見掛けたウバユリの蕾。七支刀を思わせる形状。

殆どの観光客は車でのアクセスなので、駐車場を過ぎると再び孤独な道中に。

奥社に向かう途中で見掛けた施設。観光案内所で貰ったパンフには掲載されていませんでしたが、公明院という昭和の戦前頃に建てられた寺院のようです。

境内を覗いてみるとかなり広々としている。この公明院を建てたのは戸隠にて修行を積んだ姫野光明という尼僧で、戸隠最後の修験者を標榜している。政財界にも深く通じていたとされ有名人の訪問も多かったらしい。

一応は寺院ですが、拝殿の背後には本殿が建つ一般的な神社のような形態となっています。調べた所、神仏習合が廃される以前の本来の戸隠信仰の形を再現しているのだという。

西側に位置する三尊堂。境内は綺麗に整備されている。掃除をしている方から深々と頭を下げられたのが印象的でした。

公明院から見上げた青空。なんだか不思議な感じの空模様。

公明院から更に先に進んだ先にある稚児ノ塔。案内板には『かつてこの地に養子を取っていた夫婦が居た所、妻に一通の艶文が届く。夫は訝しんだが自身は文字が読めなかったので養子に読ませた所、さも普通の手紙のように読んでみせて夫婦仲を収めてみせたが、その後養子は夭折し里の人間が偲んで供養塔を建立した』という孝子物語が記されています。

付近から戸隠山が見えましたが、既に日も落ちつつある時間帯という事もあって陰影は深く、シルエットのように見える。

[16:44]奥社前駐車場

戸隠五社の一つ、奥社の入口に到着……こちらは翌日の登山ついでに回ろうと思っているので今回は立ち寄らず。ちなみに奥社はこの駐車場から2km弱、片道50分と意外に距離があります。

奥社入口の様子。日没近い為か参道の人通りは疎ら。

駐車場の所から僅かに奥社寄りに進み、そこからさかさ川歩道という戸隠キャンプ場方面に続く遊歩道を歩いていく事に。

さかさ川歩道の様子。往路で歩いた越後道と同様によくある散策路といった風情ですが、こちらの方が歩かれている雰囲気がある。

曲がりくねっていた越後道と違い、こちらの道は比較的まっすぐ戸隠キャンプ場まで続いている……静かで雰囲気の良い道ですがアブの攻撃が半端なく、走って逃げるように進みました。

途中で見掛けたキノコシリーズ。こちらも木々で鬱蒼としているので、足元を見やると幾つか目に付く。

真上から見た時にビスケットみたいだなと思ったキノコ。横から見ると普通。

[17:17]戸隠キャンプ場到着

戸隠キャンプ場に到着。既にテントを張っている戸隠イースタンキャンプ場のサイトへ更に進む。

我が家に到着。設営した時よりも周囲が随分賑やかになりました。夕食時という事で辺りではもうもうと肉を焼く煙が漂っている。

本日の夕食風景。他のゴージャスなテントと比べるとメニューは質素極まりないですが、周囲に対抗して前日に引き続きソーセージを焼いたりしてみる……せっかく街に来ているのだから、ビールの一本くらい調達しておけばよかったなと少し後悔。

食事を終えてまだ明るいうちに寝袋に収まります。ファミリーキャンプ場という事で夜遅くまで歌声や手拍子が聞こえたり犬が吠えてたりと結構な賑わいでしたが、耳栓代わりにイヤホンを装備していたので普通に熟睡。翌日から再び始まるハードな登山に備えて体力を回復させました。

次回記事『頸城山塊から戸隠連峰その7』に続く

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