山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

頸城山塊から戸隠連峰その4(高谷池ヒュッテ→黒沢池ヒュッテ→妙高山往復→黒沢橋)

西端の雨飾山から始まった頸城山塊の縦走。この日はその実質的な最終日で、東端の妙高山の登頂を持って遂に縦走を達成……しかし登山そのものはまだ終わりとはならず、次なる目的地である戸隠連峰方面を目指して笹ヶ峰へと一旦下山する事に。

頸城山塊から戸隠連峰その3」の続きの記事となります。

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他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。

【2022年8月】頸城山塊から戸隠連峰 - 山とか酒とか

目次

今回歩いたルートのGPSログです。

高谷池ヒュッテ→黒沢池ヒュッテ

この日は高谷池のテント場からのスタートです。前日の到着が遅かったので早起きできず、周囲が明るくなり始めてからのテント撤収。

しかし出発時点では辺り一帯濃いガスに包まれていました。窪地のような地形にあるので朝霧に覆われているだけと考えるものの、山全体にガスが掛かっているという事も十分に有り得るのでやきもき。

テント場の風景。高谷池池塘に面した風光明媚なロケーションが人気の場所ですが、前日は暗い中の到着、この日は早朝ガスの中の出発と、ろくに堪能できなかったのが心残り。

テント場から高谷池ヒュッテの建物まで移動。5時台と登山としてはそこまで早くない時間帯であるものの、この頃になって皆ようやく動き出したような感じを受ける。南北アルプスとは違って山域が狭いので、あまり早くから歩き始める必要が無いからでしょうか。

[5:53]高谷池ヒュッテ出発

小屋前で身支度。この頃になると先に出発していく方の姿もちらほら出始めましたが、ガスっているから……と笹ヶ峰方面に下山してしまう人も少なからず見かける。自分の方としても、こうも何も見えないと先に進む気が削がれてしまう所ですが、好転を期待して先に進む事に。

黒沢池に続く道を進んでいく。尾根上まで僅かに登りがありますが、すぐに平坦な道に変わります。

前日に引き続き頸城山塊の主稜線を進んでいきます。難所らしき難所は既に通過してしまったので足取りは気楽そのもの。

[6:25-6:29]茶臼山

高谷池黒沢池の間にある茶臼山のピークに到着。殆ど登山道の通過地点といった雰囲気ですが、このピークを境に黒沢池まで標高差150m程度の下り坂が始まる。

黒沢池まで下る途中。心なしかガスが薄くなっているような……と思っていたら一気に流れて青空が広がる。下山しなくてよかった。

妙高山方面の展望ですが、正面に大きく聳えているのは外輪山で、一般的に山頂とされている妙高山南峰はその裏側にあります。

妙高山は溶岩ドームの火口丘の周囲を取り巻くように外輪山が広がる(カルデラ内に新しい火山が存在する)二重式火山という構造が特徴で、故に火口丘にある山頂を目指す際には一旦その外輪山を乗り越えていく必要がある。

茶臼山から少し下った所。黒沢池ヒュッテの南側の一帯は高谷池と同様に湿原が広がっている。

写真左側、黒沢池ヒュッテの建物が見えてきました。正面の残雪と池塘が見えますが、こちらは小屋の水場として使用されているらしい……つまり日照りが続く等して枯れてしまうと水場も無くなってしまうという。

黒沢池ヒュッテ→大倉乗越→妙高山北峰

[7:00-7:15]黒沢池ヒュッテ

人工衛星のような一風変わったデザインの黒沢池ヒュッテに到着。水場は左側の蛇口の所から十分な量が出ていました。ぬるい上に茶色く濁っていた高谷池ヒュッテの水よりは清冽で普通に飲めそうな感じですが、こちらも池の水なので最低限濾過なり煮沸なりした方が良いでしょう。

この小屋から妙高山を往復する形となるので、今まで肩や腰を苦しめてきた大荷物からは一時的に開放。同じようにピストンする人が多いのか、ザックのデポ用に小屋が設けられていますが、こちらは宿泊者専用との事。

宿泊者以外は小屋前の岩場にとの張り紙があったので、適当な所に転がしておく。

黒沢池ヒュッテを出発、身軽になり足取り軽やかに妙高山の山頂を目指しますが、まずは外輪を乗り越える為の急登が始まります。

鬱蒼とした中の外輪山への登り。日が当たらないのか泥濘んでいる所が多い。

[7:36-7:44]大倉乗越

外輪山上の大倉乗越に到着しました。ここでようやく妙高山の山頂が見えるようになりますが……その反対方向には若干雲があるものの前日登った火打山の姿も。

大倉乗越から臨む妙高山……如何にも溶岩ドームって感じの山です。見ていてなんだかカヌレが食べたくなるような形状。

麓の方面の望遠と、その手前に広がる長助池池塘群。妙高山頸城山塊においては火打山に次ぐ第二の高峰ですが、麓が近い為か家並みのようなものも見える。

大倉乗越からはカルデラの底部まで一旦下っていきます。外輪山をトラバース気味に下降していくのですが、トラバース故に足場のよろしくない箇所もちらほら。このポイントで滑落する人も多いらしく、実際この登山の1週間前と2週間後に1回ずつ事故が発生している。

身軽なので何事もなく進めますが、谷側が深く落ち込んでいて少し気を遣う箇所。この区間は特に遅くまで雪が残るらしく、年によっては7月半ばまで通れないという事もあるとか。

長助池分岐の手前の沢を越えていく。地図上には水場マークが記載されていますが、こちらも秋になると枯れてしまうらしいです。

[8:16-8:22]長助池分岐

長助池方面に下る道との分岐に到着しました。カルデラの底部であるここから先は妙高山の山頂まで登り一辺倒となります。

妙高山への登り。結構な斜度があり急登には違いないですが、前日前々日の難路を思えば特になんともない道のように思える。

振り返り火打山妙高山の方は晴れていますが、あちらの方面は雲が全体的に多い。

金山、新潟焼山火打山と並んでいる様子。それぞれのピークは雲で見えませんが、鞍部は雲の下に確認できる……めちゃくちゃキツかったなーと、暫し感慨に耽りながら眺めていました。

長助池分岐から登り始めて以降、延々続いていた緑のトンネルの出口が見えてきた所。

視界が開けると正面、そう遠くはない距離に妙高山の山頂が見えました。写真右側に見えるピークが三角点が置かれている妙高山北峰です。

妙高山北峰の手前の岩窟に置かれた祠。詳細は調べても出てこないので不明ですが、雰囲気的に修験道が流行っていた時代の遺構でしょうか。

妙高山は古くは須弥山(古代インドの世界観において仏教世界の中心にあるとされる巨山を指す。サンスクリット語ではスメールと呼称し、それを音写したもの)と呼ばれた信仰の山で、修験道が盛んに行われるようになった時期は戸隠山と同様にその道場として繁栄していました。

江戸時代に入った頃には当時全国的に流行していた善光寺信仰と密接になり、明治の神仏分離までは当時山頂に存在した阿弥陀堂に、善光寺の本尊である善光寺如来と同形態である一光三尊仏の阿弥陀三尊が祀られていたとされています(現在は麓の関山神社に移されている)。

妙高山北峰→妙高山南峰

[9:25-9:35]妙高山北峰

妙高山の山頂の一つである妙高山北峰に到着。対を成すように南峰が存在しそちらの方が標高は高いですが、三角点はこちらに置かれています。

妙高山の標高は現在でこそ南峰の2,454mが基準とされていますが、平成に入るまでは北峰の2,446mが採用されており、名実共にこちらの方が山頂という扱いでした。

北峰の山頂から南峰を臨む。左の端の薄雲が掛かっているピークが南峰で、北峰から歩いて数分という所にあります。

北峰からの展望。標高については南峰の方が高いものの、こちらの方が広々としていて山頂という趣がある……肝心の展望は晴れているものの少し雲が多く、あまり見通せない。

南峰の方には山頂看板が立っていないという事だったのでこちらで撮って貰いました。人気の山だからでしょうか、一本柱だった火打山のものと比べて立派な作りです。

ガスが上がってきているので南峰の方に急ぎます。その途中で見掛けた日本岩なる岩塊。

付近で咲いていたトリカブトの花。鮮やかな紫色が目を引く。

北峰南峰を結ぶ道の様子。標高的には10m足らずという差なので殆ど平坦な道程。幾つかの岩の隙間を縫うように通されている。

南峰の山頂を目前とした所。こちらは切り立った岩場のような場所で、北峰程にはスペースが無い様子でした。

妙高山南峰からの展望

[9:40-10:23]妙高山南峰

北峰を出発してから僅か5分で妙高山南峰に到着。妙高大神と書かれたプレートはありますが、山頂看板はありません。ちょっと前までは私製看板と思われる手持ち式の看板が存在したらしいものの、見当たりませんでした。

南峰の山頂から北峰を臨む。東側から結構な量のガスが上がりつつありますが、偏西風が押し戻してくれているお陰で視界ゼロとはならずに済んでいる。

北峰方面に続く尾根を眺める。ごつごつとした大小の溶岩が転がる。

山頂から北西方面の展望。反対側、南東方面は雲が上がって何も見えなかったので写真はこちらの方面のみ。

南峰から更に少し南側に移動して山頂の賑わう様子を遠望。その左側にはこれまで歩いてきた火打山新潟焼山、金山方面……それぞれのピークは雲に隠れてしまっていますが、なんとなく山容が把握できる程度には見えています。その下の方に見えるのは先程乗り越えてきた外輪山。

同方面をやや望遠に撮ったもの。晴れているには晴れていますが、全体的に雲が多い。もう少し早くに出発していれば違ったのかもしれません。

暫く粘っていると火打山方面の雲が少し取れてくれました。左から天狗原山、金山、新潟焼山、影火打、火打山と前日越えてきた頸城山塊の山々が見えている。

火打山方面の望遠。山肌に雪が僅かに残る。

同方面を望遠して繋げてみたもの。あの尾根を延々歩いてきたという事になる。

山頂に置かれた将軍地蔵なる石仏。設置は比較的新しいようで、右の説明書きを読むに昭和期の戦時中に戦勝祈願で制作されたとの事。行者なんとかと書かれているので修験道もミックスしてそうです。

さて、冒頭でも書いたように西端の雨飾山から始まった頸城山塊の縦走は東端のこの妙高山の登頂をもって終わりとなります。頸城山塊の縦走というだけであればここから燕温泉方面に降るのがセオリーで、何年か前に立てた計画ではそのつもりでした。

しかし今回は笹ヶ峰に下った後に黒姫山を縦断して戸隠方面の登山に繋げるつもりなので、笹ヶ峰方面に続く下山道の分岐がある黒沢池まで引き返すという形になりました。

妙高山南峰→妙高山北峰→大倉乗越→黒沢池ヒュッテ

妙高山南峰から北峰に戻ります。良い山でしたが、もう少し晴れてくれれば……というのが本音。

往路と同様、岩の隙間を通り抜けていく。

[10:29-10:35]妙高山北峰

程なくして妙高山北峰に到着。既に一度訪れているので、景色に変化はないか確認する程度にうろうろした後、早々に下り始める。

長助池分岐までの急坂を駆け下りる。その途中からは外輪山越しに雲の取れた火打山が見えました。

[11:22-11:36]長助池分岐

長助池分岐に到着。ここから再び外輪山上にある大倉乗越まで登り返しとなります。

往路でも通過した長助池分岐近くの水場。走って暑くなってしまったので頭から被りました。すぐ上の雪渓の雪解け水という事でひんやりしていて気持ちが良く、味もそこそこでした。

大倉乗越までのトラバース路を進んでいく。登り返しとは言え100mくらいの標高差なので大した事はなく、むしろ平坦な所の方が多い。

[12:10-12:28]大倉乗越

外輪山を乗り越えるポイント、大倉乗越に到着。時間的に正午を過ぎましたが、ここに辿り着くまでの間に妙高山に向かっていく方々数人とすれ違いました。

往路と同様、大倉乗越から眺める妙高山。黙々と歩いている間に随分と雲が増えていました。

こちらは火打山方面。雲が増えつつある妙高山とは対照的に、こちらはガスが完全に流れています……前日は真っ白だったのでリベンジで登り直したいなーという欲求に駆られてしまいそうですが、まだまだ先の予定は長いので泣く泣く断念。

黒沢池ヒュッテ→富士見平分岐→黒沢橋

[12:47-13:17]黒沢池ヒュッテ

5時間半ぶりに黒沢池ヒュッテに戻ってきました。既に昼過ぎという事もあって妙にホッとしたというか、弛緩したような空気が流れている。

ここでデポしていた荷物を回収。5時間半ぶりに背負う荷物の重量感は今まで身軽で快適だっただけに堪える。

笹ヶ峰方面に若干進んだ所からの黒沢池ヒュッテ。未確認ですが高谷池ヒュッテと同様にテント場が設けられているらしいです。高谷池より妙高山に近いので、前日早着していればこちらで宿泊の予定でしたが……その顛末は前回の記事にて。

麓の笹ヶ峰に続く道を進んでいく。正面に見えるのは黒沢岳で、右の方に見える小ピークが朝方通過した茶臼山。雲が増えて日が遮られ、なんだか薄暗くなってきた。

ヒュッテを出発して暫くの間は湿原の中を進んでいきます。意外に奥行きがあり、尾瀬ヶ原のような雰囲気がある。

雲の中の世界へと続いているかのような木道の一本道。

周辺の植物は水芭蕉ウメバチソウと湿原特有のものが多く見られます……火打山リベンジは水芭蕉が見られる時期というのも良さそうだなーとか思ったり。

チングルマワタスゲチングルマは既に花の時期を終えているようでした。

チングルマワタスゲが群生する湿原の風景。日が差し込まず全体的に陰ってしまっている。

木道上から湿原越しに黒沢岳を見上げる。周囲の登山道は全てトラバースするように伸びているので登る道はありませんが、積雪期や残雪期にはトラバースを避ける為に登られる事があるという。

湿原から沢となって流れ出ていくポイントを跨いでいく。この沢は後に横断する黒沢の源流で、更にその先では笹ヶ峰乙見湖に注いでいる。

甘味に飢えているのか分かりませんが、サンカヨウの実は見かける度に写真を撮ってしまう。

沢を渡ってからは富士見平まで僅かに登り返す。途中、妙高山の山頂では雲に覆われて見えなかった戸隠高原方面の展望が臨めました。左から翌日登る黒姫山、その右背後に最終日に登る飯縄山、右側に3日後に歩く五地蔵山から高妻山に続く尾根が見えている。

富士見平までの樹林帯の中の登り返し。

[14:21-14:28]富士見平分岐

富士見平の分岐に到着。この場所と高谷池、黒沢池の3箇所で道がデルタ状が繋がっているので、妙高山火打山の二山を周回する際にはこの分岐を起点に一周する形で歩くのがセオリーです。

富士見平というその名の通り富士山黒姫山の山頂に重なるように見えるらしいのですが、澄んだ空気となる秋冬でもないと難しいでしょう。

富士見平分岐以降、登山口の笹ヶ峰まで長い下り坂となります。所々で急坂もありますが、百名山の最短経路という事で全体的によく整備されている。

笹ヶ峰を起点とした火打山の山頂までの合目標識的なものが所々で。

歩きやすい道ですが、改めて背負う大荷物は重く足の裏に堪える……休み休み進んでいく。

途中、十二曲りという九十九折の坂があり、カーブの一つ一つにその進捗を示す看板が置かれている……とは言え区間そのものは短く、適当に下っているとすぐに十二回のカーブを終えてしまった。

十二曲りの先で黒沢に接近します。黒沢池から流れ出ている時点では心許ない水量でしたが、麓が近付いたこの頃になると結構な勢いの沢に。

[16:05]黒沢橋到着

黒沢を跨ぐ黒沢橋に到着しました……さて、ここから麓の笹ヶ峰まで既に目前という距離で、歩いて50分という所。そこにはキャンプ場もあり水道設備や売店もある。テントサイトもきっと山小屋の手狭なテント場よりはフラットでしょう。

しかし、この日はこれ以上先に進むつもりはありませんでした。というのも笹ヶ峰のキャンプ場はオートキャンプ場で車無しの宿泊者は受け入れていない(実際は車無しの料金設定もある)と何故かこの時思い込んでおり、下山した所で宿は無いと考えていたのです。

どうしてそう思い込んでいたのか。キャンプ場のウェブサイトのイメージがそうさせたのか。自分の思考ながら今となっては全くの謎ですが……という訳で本日はこの付近で野営という事になったのでした。

水に関しては黒沢がすぐ側を流れているので困る事は一切ありませんでした。沢水ですが水量も豊富で澄んでいたので、直接飲用する場合を除いて濾過せずに使用。

実に良い感じの沢。ここから沢を登り詰める形で黒沢池を目指す沢登りのコースも存在するらしいです。

この日の夕食。メニューは何の変哲もないアルファ米定食ですが、イワシの蒲焼の缶詰があるのは大きい。

この晩は4日目であり4泊目。7泊8日という行程においては折り返しとなります。4合瓶2本の日本酒では足りるかどうか不安でしたが、暑さにバテ気味なのか思ったよりも消費が追いついていない。この分だと最終日まで持ちそうだなと安堵したのでした。

次回記事『頸城山塊から戸隠連峰その5』に続く

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