山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

頸城山塊から戸隠連峰その1(根知駅→フォッサマグナパーク→雨飾温泉)

4月に氷ノ山に行って以来の登山となりました(間に日帰りの山くらいは登ってますが)。当初の予定では6月7月辺りにどこかしら登るつもりだったのですが、季節の変わり目で体調を崩してしまったり、戻り梅雨が中々明けてくれなかったりと、中々行けない日々が続く。8月に入ってもいまいち天気が優れませんでしたが、このままでは夏山シーズンが終わってしまうと危機感を覚え、悪天候上等で敢行……というのが事の次第です。

行き先の頸城山塊については、自分の本格的に登山を始めて1~2年くらいして登山スタイルが徐々に長期間の縦走に傾倒しつつあった頃。地図を見て、西端の雨飾山から東端の妙高山まで縦走路が繋がっている事に気付き、これは是非とも一度は歩いておきたいなと思って以来、気になっていた山域でした。

しかし丁度その頃、2016年の春に新潟焼山で噴火が発生して縦走路を始めとした周囲の登山道が軒並み封鎖。数年に及び踏破する事が叶わなくなってしまいます。

その後、当該区間の通行規制は2018年の晩秋に解除、実質的には2019年以降の雪解けから普通に登れるようになったのですが……この山域は雪解けが遅く初雪も早い、登山シーズンが短いという事もあって予定や天気の都合が中々付かず、計画を長年温めざるを得なかったのでした。

そして今年は解除から3シーズン目。あまり先送りにしていると、いつ再び新潟焼山が噴火して通れなくなってしまうかも分からない。故にこの年は絶対にこの山域に行こうと心に決めており、3000m級の高山への登山がセオリーとなる夏山シーズンを迎えても尚、行き先を変更する事無く出発したという訳です……とは言え真夏に歩くには些か辛そうなルートですが。

初日の行程です。大糸線根知を昼頃に出発し、その近辺のフォッサマグナパーク、渡辺酒造店といったチェックポイント(名所)を経由しつつ、雨飾山の登山口である雨飾温泉へと歩きました。15kmにも及ぶ舗装路歩きに終始した一日ですが、ラスト3kmくらいの所で雨飾温泉にある雨飾山の従業員の方に車で拾って頂けたので少しだけ楽ができました。

他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。

【2022年8月】頸城山塊から戸隠連峰 - 山とか酒とか

目次

根知駅まで電車移動

登山の際の遠征ではおなじみ、青春18きっぷです。まっさらな新品からのスタートとなりますが、今回は行き帰りの2回分のみの使用なのでシーズン中に5回分使いきれるか不安。※結局使いきれませんでした

夏山に登る際は大抵の場合、中央線で西に向かいます。笹子トンネル、大和トンネルと抜けて甲府盆地に入った所で金峰山を始めとした秩父の山々が普段は見えるものの、この日は雲が多くて見え方がいまいち……車窓の下の方に広がっているのは甲州名物のぶどう畑。

終点の松本駅から大糸線に乗り継ぐ予定なのですが、乗り継ぐ大糸線の列車が少し手前の岡谷駅からの始発なのでそちらで乗り換え。目当ての列車は塩尻駅方面に設けられた頭端式ホームに止まっていました……なんだか隅に追いやられているような印象を受ける。

向かいの島式ホームに等間隔で並ぶ物干し竿みたいなモニュメントが一体何なのか。甚く気になったので調べてみると、元々その箇所には上屋が伸びていて、この物干し竿はそれを支える柱だったようです。

岡谷駅始発の列車は中央本線の旧線を辿って松本駅を目指します。新線経由であれば塩嶺トンネルを抜けてすぐに塩尻駅という所ですが、こちらの方は南の辰野駅まで大きく迂回するので3倍以上時間が掛かる。

塩嶺トンネルの開通は国鉄末期の昭和58年と遅く、それまでは特急を含む全ての列車がこの旧線経由で運行。特にこの辰野駅飯田線の分岐点という事もあって中央本線においての主要駅の一つでもありました……しかし令和の世となった現在、そうした話も昔語りとなって久しく、ホームの奥に広がるヤードには草が生い茂り侘しさが漂う。

塩尻駅から松本駅までの区間からの車窓。甲府盆地を通過した時はまさに曇天といった空模様でしたが、この頃になると次第に青空が広がってきました。しかし天気が良ければ屏風のように見えるはずの北アルプスは粗方雲に埋もれている。

ほぼ年一くらいの頻度で訪れている松本駅に到着。列車はそのまま大糸線に直通するので乗り換えの必要はありませんが、暫く止まっているので少し買い出しへ。

松本駅とその自由通路上から見た北アルプス。主峰と言えるようなものは粗方見えませんが……つい昨年、下のロータリーから松本電鉄の代行バスに乗車して上高地方面に向かったのを思い出す。

もはや恒例化している松本駅の水場での水汲み。扇状地の上に広がる松本は湧水が多い街として有名ですが、こちらは『深志の湧水』という割と近年整備された井戸……非常に澄んでいて美味しいので気に入っています。

この井戸をの存在を知るまでは、水は自宅から担いで来るか駅のトイレの洗面所で汲むかだったので、登山する上では大変ありがたい存在。未来永劫維持して欲しい所。

松本駅にて夕食用の駅弁を調達。レトロな掛け紙の鶏飯に惹かれました。駅弁と言えば今や1000円を越えるのが当たり前ですが、この駅は手頃な価格のものが多いです……以前は更に安かったような。

大糸線に入ると単線となり、途中の島内駅にて列車交換。前身が私鉄だったという事もあってか駅の一つ一つもなんだかコンパクトな構造。ホームの幅もやけに狭い。

大糸線の拠点駅である信濃大町駅立山黒部アルペンルートの起点となる駅で、後立山の方に登りに行った際にここで扇沢行きのバスに乗り換えた事を思い出す。北アルプス方面の天気予報が向こう数日間いまいちという事もあってか、この日はそうした方面に向かう人の姿は殆ど見掛けませんでした。

大町の市街にはお気に入りの酒屋があり、白馬方面のスキーの帰り等で車で立ち寄る事が多い(多かった)。最近行ってないなーと思いつつも、中々立ち寄る機会が得られない。

木崎湖、青木湖と車窓越しに湖が見える、線内でも特に風光明媚な区間。その二つの湖の間にある簗場駅で何度目かの列車交換待ち。

青木湖を過ぎると程なくして中央分水嶺を越え、日本海の河川である姫川の流域へ。途中の白馬駅のホームでは白馬三山を始めとした立山の山に向かうと思われる重装備の方々の背中が見えた。

例年のこの時期であれば登山客の姿がもう少し多く見られるのですが、やはり天気の問題で少ない。穂高駅辺りまですし詰めというイメージの大糸線も、この日は空いている気がする。

JR東日本JR西日本の境界である南小谷駅にて乗り継ぎです。山間を走る線区と言えど以降は次第に海に近付いていってしまうので、登山目的でこちらの方面に行く事は少ないですね……列車を待つ人の姿も自分のような登山客の姿は無く、旅行者か鉄道マニアもしくはそのハイブリッドという顔触れ。アウェー感が高まってくる。

ちなみに、この駅から翌日以降登る雨飾山の登山口である雨飾高原までバスが繋がってたりします。むしろそちらの方が雨飾山登山においてのメインルートなんですが、人が多いコースは好きではないので今回は別ルートを選択。少し糸魚川寄りの根知駅まで移動します。

跨線橋から見下ろす構内。東西JRの境界という割にはこじんまりと纏まった印象です。

乗り継ぎで暫く時間があったので駅の外を出て散策。駅前すぐの所に姫川が流れており、その渡った先の千国街道沿いに集落が広がっています。

千国街道はかつては塩の道とも呼ばれ、日本海に面した糸魚川から海産物が牛車や歩荷で松本、果てはその先の塩尻まで運ばれていました(塩尻という地名の由来でもある)。駅の入口にはなんだかそれっぽい顔出しパネルも。

千国街道、現在の国道148号線沿いの風景。雨中(うちゅう)という小字で、小谷村に数多くある集落の一つ。現在では町役場が置かれる等で行政の中心となっている。

少し進んだ所にある古民家のような建物は『小谷村郷土館』という郷土資料館。元々山間部にあった茅葺屋根の建物を移築して利用しているようです。内部も覗いてみたかったのですが、数十分程度の乗り継ぎ時間では外観を拝むだけで時間切れ。

駅まで戻ってきました。構内には二社の電車と気動車が並んでいる。

暫くすると新宿からやってきた特急あずさが入線してきました。周囲の鄙びた風景に似つかわしくない近代的なフォルムに加えて編成も9両と長大。この小さな駅にちゃんと収まるのだろうかと、暫し跨線橋の上からその様子を眺めていた。

3つの線路全てが埋まり賑やかになった南小谷駅。乗り継ぎ先の糸魚川行きの気動車に乗り込むと、特急から乗り換えてきた人が多いのかそこそこ賑わっていました。

南小谷駅を出発して何駅目かの平岩駅。温泉地でもある為か結構人の乗り降りがありました。以前白馬三山の縦走の際、蓮華温泉からバスでこの駅に降りてきた記憶があります。

根知谷その1 フォッサマグナパーク見学

今回の登山の出発地である根知に到着。南小谷駅から糸魚川駅までの区間では唯一列車交換が可能な駅らしいです。駅の周辺は姫川根知の合流点でそれなりに集落があるのですが、降車客は自分一人でした。

遠ざかっていく大糸線の列車を見送る。これ以降は一週間、己の足のみでの移動となります。

列車が去ってしまった後、辺りは一気に静寂に包まれる。駅は当然ながら無人駅ですが古い駅舎が残されており、内部には窓口の跡も。

[13:02]根知駅出発

根知の駅舎と周辺の様子。メインの国道が少し離れた所を走っているので車通りは少ない。人の姿も当然無い。

これから向かう根知方面の観光案内板がありました。最近ブラタモリで紹介されて人気のフォッサマグナパーク渡辺酒造店はこの駅から徒歩圏内なので、大糸線を利用して訪れる観光客も多いのだとか。

根知の入口にあたる道路の上部。人形のようなものが吊るされているのが一際目を引く。江戸時代から続く七夕飾りの風習との事で、花嫁行列を表したものだという。

その根知の入口をスルーして姫川を渡った先の国道沿いにフォッサマグナパークの入口があります。

フォッサマグナパークの遊歩道は根知の北岸の山を巻くように続いている。起伏も僅かにありますが、緩い傾斜のスロープ状となっているので歩きやすい。

少し先で大糸線の線路を上から越えていきます。その線路の先には出発地である根知の構内が見える。鉄道模型のレイアウトを見ているかのような景色。

フェンスの所に列車の通過時刻が掲示されていました。1日9往復と、この手のローカル線にしては本数が多い。

単調な道ですが、解説板が随所に立っていて退屈しない。

木々の合間から、糸魚川静岡構造線の上に跨る酒蔵として有名な渡辺酒造店が見える。こちらは後にお酒の調達で向かいます。

[13:17-13:32]フォッサマグナパーク

フォッサマグナパークにおけるメインコンテンツ、露頭の展示に到着しました。昔から存在する施設らしいですが、2018年頃に現在のように綺麗に整備されたらしいです。

フォッサマグナパークの露頭の様子。フォッサマグナとはラテン語で『大きな溝』という意味で、日本列島の地下にあるユーラシアプレート北米プレートの間に大きなU字の窪みが存在する事からそう呼ばれています。そしてこの露頭はそのフォッサマグナの西端にある構造線の断層崖を人工的に露出させたもので、東西の地質の違いが視覚的に分かりやすく展示されている。

このフォッサマグナ西端の構造線は糸魚川静岡構造線と呼ばれ、名前の通り糸魚川から静岡まで日本を二分するかのように南北に走っています。実際、この構造線を境界に東日本と西日本で区別される事もあり、例を挙げると電気の50/60hzという周波数の違いもこの構造線にほぼ沿っていたり、生活面ではポリタンクの色の赤と青、雑煮に入れる餅の形状、畳のサイズの違い(京間と江戸間)と枚挙に暇がない。

露頭を細かく観察してみます。左が西側ユーラシア大陸に繋がっていた頃から存在する古い地層(約2億7000万年前)。右が東側、大陸から離れた後のフォッサマグナに砂や泥、火山噴出物等が堆積した比較的新しい地層(約1600万年前)です。

フォッサマグナパークという名称から偶に、この境界線がフォッサマグナというものであると誤解している人も結構居るらしいのですが、フォッサマグナとはこの境界線(糸魚川静岡構造線の境界断層)を西端にそこから東側100kmにも広がる溝の事を示します……ちなみに東の端は今現在もどこであるか解明されておらず、幾つか説があるらしいです。

他にも観光客の方がいらっしゃったので一枚撮って頂きました。

上から見た露頭の様子。根知が正面を横切るように流れている。

上の通路に糸魚川静岡構造線の断層崖の標本が展示されていました。内容は下の露頭と同様のものです。

少し先へ進み、直後に向かう枕状溶岩の上部へ。金網に囲まれていて分かりづらいですが柱状節理のような形状となっているのが見える。

枕状溶岩の解説パネルの前に移動しました。枕状溶岩とは概ね絵の通りの作られ方で、一本一本細く伸びた溶岩が束となったものが海水で冷え、その一本一本が丸い形状の断面となったものの事を呼ぶという。

こちらがその枕状溶岩。名前の通り、枕のような丸い塊の集合体となっています。

根知谷その2 渡辺酒造店、東日本と西日本の境界に建つ酒蔵

一頻り地質の勉強をした後は根知のもう一つの目的地である渡辺酒造店へと向かいます……その途中、根知の上流を眺めてみたもの。左の台形状の頸城駒ヶ岳の右奥に翌日登る雨飾山があるのですが、雲に覆われていて全くもって窺えません。

根知に掛かる橋の上から同方面。根知は米どころとして知られる地区で、季節柄青々とした田んぼが多く広がる。

根知のメイン道路をやや根知方面に引き返した所に目的地の渡辺酒造店があります。この日は土曜日だったので営業してるか心配(通常、酒造は土日休み)だったのですが、幟がはためいているのを見て一安心。

[13:57-14:16]渡辺酒造店

こちらが糸魚川静岡構造線の真上に建つ酒蔵として有名な渡辺酒造店。道路に面して建つのは豊穣蔵という近年作られた販売所で、醸造設備はその後ろの古くからの道沿いに存在する。

豊穣蔵でお酒を買う前に暫し酒造の敷地内を見学。東日本と西日本に跨る酒蔵という事で、奥の醸造設備の所には東と西という分かりやすい標識が立っていた。

一通り見学した後は販売所である豊穣蔵の店内へ……冷蔵酒がラインナップの多数を占めた今風の酒造です。この酒造で作られているお酒の大半はドメーヌ、酒造りだけではなく酒米の生産から自社で行っているのが特徴。メインの銘柄である根知男山は何度か飲んだ事あり、前々から一度訪れてみたかった酒蔵でもあります。

さて、冷蔵ケース内に整然と並べられたお酒はどれも美味しそう……なんですが、試飲ができなかったのが残念。観光客もそれなりに来る蔵なので試飲の対応もされていると思っていたのですが、尋ねたら、え?って感じに袖にされてしまいました。という訳で、幾らか話を聞いた上で味を想像しながらの日本酒選び。

豊穣蔵ではお酒の飲み比べができない代わりに水の飲み比べができました。糸魚川静岡構造線を境に挟んで東西に存在する井戸の水がそれぞれ飲めるのですが……正直あまり違いが分かりませんでした。水の飲み比べは結構あちこちで実践してるつもりなんですが。まだまだ修行が足らないという事でしょう。

こちらが購入した2本の根知男山。左が蔵元限定販売の純米吟醸生酒で、まずはこれが一本と決まる。もう一本は、それと180度傾向が違うお酒をと所望しておすすめされたのが右の山廃純米酒……それぞれの詳しい解説と味のレビューは後の食事の時にでも。

酒造から少し歩き始めた所で根知男山に使用される酒米が栽培された田んぼがありました……プレートには越淡麗の文字が。今回購入したお酒はどちらも五百万石ですが、越淡麗も最近ではよく見かける人気の酒米越淡麗を使用した根知男山もいつか飲んでみたいですね。

根知谷その3 雨飾温泉を目指して山間へ

根知で済ませるべきミッションも粗方終えたという事で、いよいよ登山口への長い舗装路歩きが始まります……何だかやけに暑いなと思い、手持ちの温度計を見てみると34℃。そう言えば糸魚川フェーン現象が発生しやすい土地柄でしたね。

米どころ根知にはひたすらに田んぼが広がる……その奥には溶岩ドームが特徴的な頸城駒ヶ岳が佇んでいる。その奥に高々と聳えているであろう雨飾山は依然として見えません。

高い屋根に軒下に吊るされた鐘と、一見するとお堂か何かのようにも見える不思議な建物。なんだろうと思って近付いてみると、入口に掲げられた看板には褪せた文字で公会堂と書かれていました。

目的地の雨飾温泉までの舗装路歩きは12km……集落に入っては抜けてを何度となく繰り返す。

ひたすら田んぼと小集落という景色を繰り返していると、徐々に山が近付いてきた。

[15:23-15:28]山寺橋

山口集落から根知に掛かる橋のたもとで左に折れます。看板には雨飾山まで5kmとありますが、グーグルマップで調べてみるとまだ7km以上という表示。

金蔵院とその手前に立つ巨大な観音像。おててこ舞いという行事で知られている寺院のようで、近くにはおててこ会館なる施設がある。

金蔵院のある山寺集落が山間に向かう上での最後の集落だったようで、以降は視界から人家が消えて寂しい道に。

山間を衝くように歩いていく。相変わらず雨飾山は雲の中にある。

川沿いに並ぶ棚田と、その上部に建つ一軒の廃屋。この一帯には元は梶山という名の集落が存在したらしいですが、既に廃村となって久しい様子。しかし、かつての集落内の田んぼは人が去った後も使われているのか、綺麗に手入れされた様子が窺える。

昭和初期頃と現在の版の地形図の比較。ひなたGISにて作成。

梶山集落を含めた根知上流は昔はどうなっていたのかと古地図を見てみる。先程の梶山集落は現在では数件の家屋(廃屋)が表示されるのみで殆どまっさらですが、戦前頃の地図においては現在よりも家屋が圧倒的に多く、山の中腹の方まで集落が伸びているように見える。更にその北東の沢沿いに進んだ先には梶山元湯という温泉もあったようです(こちらは現在でも維持されているらしい)。

南側にも現在は殆ど家屋は無い様子ですが、かつては大久保、戸土、押廻、中股という複数の集落の名が記載されており、その内の戸土には学校も存在したようです。

梶山集落を越えると山が狭まってきてなんだか心許なくなってきた。日も傾いてきて、ブヨやアブといった敵が続々と現れてくる。

雲間から降り注ぐ光芒。全体的に雲が多いのが、翌日の天気に影響しそうで気掛かり。

根知を歩いている時に常に見えていた頸城駒ヶ岳を反対側、南側から見上げる。山が深くなり道も影に覆われている事が増えてきた……日没までにはなんとか辿り着きたい所ですが。

雨飾山麓の秘湯、雨飾温泉

[17:16]雨飾温泉到着

雨飾温泉に到着。明るい間に到着できるか不安でしたが、ラスト3kmの所で雨飾山の従業員の方に車で拾って頂けました。感謝です。

小屋で受付した後は早々にテントを張りに行く。テント場は雨飾山方面の登山道を僅かに進んだ所にありますが……山頂まで240分という文字がヘビー極まりない。

テント場に到着し早速の設営。盛夏のこの時期に登る人は流石に少ないのか、この日の利用者は自分一人だけでした。

テントとそこから見える風景。あまり長く開けているとアブが飛び込んでくるので要注意。

温泉に入りに小屋に戻ってくると空の色が良い感じに。

こちらが雨飾温泉の露天風呂の入口。これから山に登るのに温泉に浸かるというのは順序が逆ではと少し悩みましたが、テント料金に入浴料が問答無用で含まれているので、ここで入らないのは流石に勿体無いなと思い直す。

ちなみに小屋の方に男女別の内湯もあるらしいですが、秘湯を堪能するのであれば絶対的に露天一択だろうとそちらへ。

小ぢんまりとしていますが風流な露天風呂で、他に人が居らず貸し切り状態でした。湯加減も若干温めで長く入っていられそうな感じで、湯船の中で暫し翌日以降の行程の不安を忘れて暫し呆けていました。

しかし、こんなにいい湯なのに何で誰も入ってこないんだろうか。入っている間ずっと不思議に思っていましたが……その理由はすぐに判明する事になる。

十分に身体が温まり、そろそろ出ようと立ち上がった直後、背中とお尻の何か所かにチクチクという刺激……というか痛みが。なんだろうと辺りを見渡してみると、そこには何十匹というアブの大群。咄嗟に湯船の中へ逃げ込み状況の把握に努める。

アブとは人間の体温や二酸化炭素を察知して寄ってくる生き物。湯上がりで火照った身体では尚更群がるという事になる。そして朝夕と言えば特にアブが活発な時間帯……なるほど、この時間帯は皆露天を避けて内湯に入っているという事か。どうりで誰も入ってこない訳である。

しかし、このままでは永久に湯船に出られないので、多少刺される事覚悟して脱出を試みる。タオルを振り回しながら脱衣所にダッシュで移動するものの、棚が置いてあるだけで吹きさらしなので、身体を拭いて服を着たりなんだりしたりしている間にも刺される刺される。

結局、20箇所以上と多少では済まないくらいに刺されてしまい、登山中はずっと痛痒さに苦しめられる羽目に……この時期この時間帯の露天風呂はアブが凄い。一つ教訓となりました。

アブとの死闘の後、命からがらテントに戻って来た後の夕食タイム。メインは松本駅で購入した駅弁と根知男山

先程、渡辺酒造店て購入した2本の根知男山を飲み比べる。左の『根知男山しぼりたて純米吟醸生酒・夏生』は、新酒の時期に『しぼりたて純米吟醸生酒』として瓶詰めされたものを夏まで寝かせておいて出荷したもので、蔵元のみの販売との事。使用米は五百万石で、レギュラー品である純米吟醸酒の生酒バージョンといった所でしょうか。味はこれまで飲んできた根知男山と同様、洗練された透明感のある甘味。派手な吟醸酒という感じではなく、上品に纏まった感じを受ける。更に夏まで寝かせた生酒という事で奥行きや円熟味が加わり、より一層複雑な味わいに……中々に素晴らしいお酒でした。

一方で右側のお酒、『根知男山 山廃純米酒2021』は左の夏生と180度傾向の違うお酒をと所望しておすすめされたもの。こちらも使用米は五百万石で2021というのは醸造年度。一口目はよくある山廃酒のように乳酸が立っている印象を受けたものの、以降は少しずつ甘味を主張を始める。先程の夏生の方と比べると随分とボリュームのある感じではあるものの、他の根知男山のような透明や綺麗に纏まった感じも少なからず受ける。飲んでいる中で変化が生じるタイプの楽しいお酒でした。どちらも甲乙付け難い。

駅弁をオープンし、お酒と合わせる至福のひと時。何の変哲もない鶏飯と思いきや、付け合わせに生野菜が乗っている所は結構珍しいと思います。他で見かけるのは小淵沢の『高原野菜とカツの弁当』くらいでしょうか……などと食事にお酒と楽しみながら夜は更けていく。

日も落ちて次第に闇が深まりつつある空の様子をテントの入口から眺める。この頃になるとアブも静かになり、気兼ねなく開けっ放しにできる。

日没直後の空の様子……依然として雲が多いの不安の種でした。

次回記事『頸城山塊から戸隠連峰その2』に続く

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