頸城山塊から戸隠連峰その8(戸隠キャンプ場→瑪瑙山→飯縄山→霊仙寺山→霊仙寺湖)
最終日は北信五岳の一つである飯縄山の登頂がメインの一日でした。未明の内に戸隠キャンプ場を出発して本日最初のピークである瑪瑙山へ。到着時点ではガスに覆われていたものの、前日のように濃くはなく時折太陽の輪郭線が浮かび上がる。故に好転に期待して先に進んだのですが……。
「頸城山塊から戸隠連峰その7」の続きの記事となります。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。
目次
今回歩いたルートのGPSログです。
戸隠キャンプ場→瑪瑙山
この日の朝食は最終日の恒例、鍋で煮込むタイプのパスタです。鍋が盛大に汚れるので基本的には、これ以降鍋は使わないという時のみ食べられる限定メニュー。程よいアルデンテとトマトの酸味が寝覚めの頭をいい感じに刺激してくれました。
未明の内にテントを収納。日帰り装備で身軽だった前日とは打って変わって再びの大荷物……連続して背負っていると次第に重さに慣れてくるものですが、1日開いてしまったのでそうした感覚もリセット。スタート時に感じた時のような重量感が襲ってくる。
[4:42]瑪瑙山登山口出発
飯縄山方面への取り付きとなる瑪瑙山登山口は宿泊地である戸隠イースタンキャンプ場の最奥部にあります。まだテントの多い時間帯、暗闇の中という事も相まって探し出すのに少し苦労しました。
キャンプ場から伸びている登山道の様子。瑪瑙山の山頂まで5km弱と他のコースと比べて長いのであまり使われてないのではと思いきや、道は結構整備されていて幅もそこら辺の林道くらいににはあります。
最初は傾斜も緩くて歩きやすい道だったのですが、空が明るくなるにつれてアブが大量に湧き始めて一転して過酷な道程に。
アブとの死闘を繰り広げながら進んだ先の分岐では3日前、黒姫山に登った時以来見掛けていなかった信越五岳トレイルランニングレースの案内板が立っていました。知らぬ間にコースと合流したようです。
徐々に傾斜が急になってきましたが変わらず歩きやすい道。沢筋から離れた為か、30分くらい旅を共にしていたアブともここでお別れ。
山の中腹をトラバース気味に進む区間。この日は背負う荷物の重量感に負け気味でペースは終始牛歩でした。
樹林帯の中の登り。アブが消えてくれたと思ったら今度は蚊が大量に湧いてきた。上の方もなんだかガス気味であまりテンションもガタ落ち。
暫くはマラソンコースに沿って歩く。車でも通れそうな程に広い幅の道が続いています。
やや広々とした所に出ました。周辺は湿地帯となっている様子。
湿地帯の中の池塘。一時的に降り始めた小雨でその水面は細かく揺れていた。
スキー場のゲレンデのような道の様子。まっすぐ直登していくのかと思いきや、マラソンコースの看板は脇から伸びている鬱蒼とした道を指し示しています。地図を見てみると正面に見える小高い所は地図上にある1,632mピークで、コースはそれを巻くように伸びているようです。
1,632mピークの巻道。これまでの道と同様に広く刈り払われており難なく進める。
瑪瑙山と1,632mピークの間の鞍部に到着しました。この頃になると雨は止んでくれましたが、稜線上を覆うガスは依然として濃い。
鞍部から瑪瑙山に登っていきます。日が差し込まず薄暗い為か、この付近はブヨの攻撃が特に強烈でした。
その道端に咲く花々。野生の稲(キビ?)のようなものが気になった。
花畑の中でも一際目を引いたのが、このスパイラルランス的な植物。
瑪瑙山への登りが一段落した所。ガスが濃いので、どこをどう歩いているのかいまいち把握できない。
と思ったら、ガスの中に太陽の輪郭線がぼんやりと浮かんでいました。ガスそのものはそこまで濃くは無いのでしょう、流れてくれる事を期待しながら進んでいく。
瑪瑙山→飯縄山
[7:37-7:53]瑪瑙山
瑪瑙山の山頂に到着。雲は着実に薄くなりつつありますが、未だ視界を得られる程には回復していない。
ガスが抜けるのを期待して暫し粘っていましたが、中々状況が変わらないので諦めて先に進む事にします。
飯縄山方面の縦走路を進んでいく。妙高山や黒姫山のように独立峰のように見える飯縄山ですが、実際は瑪瑙山や霊仙寺山といったピークを持つ連峰のような形状の山岳だったりします。故に尾根歩きのような風情の区間も幾つか。
瑪瑙山と飯縄山の間の鞍部まで下っていくと、正面にはこれから登り返す飯縄山の山肌がうっすらと見えつつありました。
飯縄山の雲が徐々に抜けていく様子。期待に進む足にも力が入る。
一瞬だけ日差しが降り注いだので見上げてみると、ほぐれた雲の中には太陽が。
この頃になるとちらほら青空も雲間から覗かせるようになりました。
雲の抜けた稜線上から瑪瑙山を振り返る。雲は未だ多く残るものの、天気は確実に好転している。
飯縄山方面は相変わらず鈍重な雲が掛かっていて、ピークの上の様子は窺えません。しかし登っている内に抜けてくれるだろうと楽観的に考えつつ先へ。
幾つかの小さな起伏を乗り越えて飯縄山の登り返しが近付いてきた所。山頂部の輪郭線は未だ窺えない。
飯縄山の山頂までは最鞍部から300m弱と纏まった登り返しとなります。瑪瑙山からのコースタイム55分はテント装備ではかなり厳しい。
きつい登りですが道そのものは良いです。日曜日だからでしょうか、この付近からトレランの人の姿を見掛けました。
小さな花を咲かせたミヤマコゴメグサ。
なんだか妙に均衡の取れた形のキノコ。ストライプの入った笠が印象的。
歩いていると再びガスの中となりますが、すぐに抜けてくれそうな雰囲気ではある。
後程向かう霊仙寺山方面に続く縦走路の分岐を越えて飯縄山の山頂へ。
飯縄山→霊仙寺山
[9:11-9:16]飯縄山
最終日のメインである飯縄山に到着……しかし残念ながら再びガスが濃くなってしまったようで、うっすら見えていた太陽もいつの間にか姿を消していました。
山頂一帯の様子。コースタイムは麓から2時間半、付近の山の中では登りやすい為か結構な賑わい。遠足で登られる事もあるようで、到着時点では小学生くらいの集団も。
今回の登山においての最後の主峰なのでガスが流れてくれるまで待機するつもりだったのですが……ただ待つだけというのも暇なので、南側すぐという所にある飯縄山南峰まで足を伸ばしてみる事に。
本峰と南峰の標高差は僅か8m。距離は500m程離れていますが、その間は平坦な尾根道が続いています。
[9:24-9:27]飯縄山南峰
飯縄山から10分足らずで飯縄山南峰に到着しました。本峰と殆ど標高は変わりませんが、こちらは南登山道における9合目とされている。
南峰の山頂の様子。広々としている飯縄山の山頂程ではないものの山頂広場がある。
広場から少し下った所には飯縄権現が祀られた飯縄神社奥社(神仏習合時代は飯縄大明神と呼ばれていた)があります。飯縄山は近隣の戸隠山と同様に古くから修験道場として繁栄しており、その当時からの登山道とされる南登山道には前日歩いた高妻山と同様、十三佛に因んだ石仏が立ち並んでおり往時の名残があります。
鎌倉時代頃までは修験道と関わりの深かった飯縄権現ですが、室町時代に入ると一転して軍神として信仰される風潮が強まり、戦国大名を始めとした武士の支持を集めるようになります。中でも特に武田家や武田家による信仰が厚かったとされ、後に武田勝頼によって麓に里宮が造営されるまでに至っています。
[9:36-9:55]飯縄山
南峰から飯縄山の山頂に戻ってきましたが……最初に来た時よりもガスの厚みが増してしまっていて薄暗い。山頂で寛いでいた人達も往復している間に皆立ち去ってしまったようで、なんだか荒涼とした雰囲気でした。
それからも暫く粘っていましたが、変化と言えばせいぜい右の写真のようにうっすらと雲が綻びを見せてくれる程度で一向に晴れてくれそうにない……まだまだ先の予定があるので、諦めて先に進む事にしました。
瑪瑙山方面の道に入った所から霊仙寺山に向かう縦走路が分岐しており、そちらに向かいます。こちらの道は難路扱いの破線コースなので少しだけ緊張。
山頂直下の下りは結構な急斜面。下調べした段階ではこの付近が最も歩きにくいとの事でしたが、刈り払われている上にステップまで作られているので特に苦労せず下れました。
霊仙寺山までの縦走路の雰囲気。所々で苔生した岩を乗り越えたりするような箇所はあるものの、破線コースの割にはよく整備された区間でした。3日前歩いた際に手こずった黒姫山の西登山道よりもずっと歩きやすい。
縦走路の途中から麓の街並みが見えたので望遠してみる。長野市街の方面で、奥に見える白い段々屋根の特徴的な建物は長野オリンピック記念アリーナ、エムウェーブ。
所々で険しい所はあるものの難路という雰囲気ではない。
縦走路は全体的に鬱蒼としているのでキノコが豊富でした。これは先程、飯縄山の山頂手前で見たものと同じ種類でしょうか。
ヌメっていたりクッキーのようであったりと様々な種類のキノコ。
再び木々の切れ目から長野市街方面を覗いてみる。角度が変わった為か見えている街並みが少し変わった。
街並みを望遠してみたもの。右の写真、中央右側に見える蒲鉾屋根の建物はこちらも長野オリンピック関連の施設であるアクアウィングアリーナで、その左側には巨大な富士通長野工場の巨大な施設群。その奥には左右を横断するように千曲川が流れていて、アーチ橋である屋島橋が見えます。
歩いていると徐々に陽の光が差し込んできて樹林帯ながらも明るい雰囲気に。
霊仙寺山への登り返しの途中で視界が開けました。右側に見えるのが飯縄山ですが、この時点では雲に埋もれている。
青空が広がりつつありますが、飯縄山の上に乗った雲は中々流れてくれない。
霊仙寺湖方面への下山道との合流地点に到着。霊仙寺山の山頂はここから少し登った所にあります。
雲に埋もれた飯縄山と麓に続く登山道。
山頂方面に少し進んだ所には東側の展望が開けた場所がありました。遠くの山々は軒並み雲が掛かってしまっていますが野尻湖、霊仙寺湖、善光寺平といった麓の方は概ね見通せる。
少し広い範囲で撮ったもの。最後の最後で展望が楽しめる程度には天候が回復してくれました。
山頂手前の所に古い石碑のようなものが立っている。修験道に関係するものでしょうか、文字が刻まれているものの風化が進んでしまって読み取れない。
アザミの花の蜜を吸うアゲハチョウ。
こちらはマツムシソウ。山頂手前の斜面はお花畑が広がっていました。
霊仙寺山→霊仙寺跡
[10:52-11:00]霊仙寺山
8日間にも及んだ今回の登山における最後のピーク、霊仙寺山に到着。賑やかだった飯縄山から尾根続きですが、両ピーク間を結んでいるのは先程の破線コースのみで訪れる人も多くはないのか、落ち着いた雰囲気の山頂でした。
山頂一帯の様子。北西方面は木々が茂っていて見通しは利かない。
見通しが利く東側の展望。先程の展望地からのものと同じ方向ですが、僅かに北東方面に開けたりと若干の差異があります。まだ少し雲が多く一時的に視界が遮られたりする事もあったものの、概ね良く見通せました。
北東方面を望遠してみたもの。関川の下流部、高田平野が広がっている辺りです。平野部には妙高市の新井市街や上越市の高田市街といった街並み、日本海に面した直江津港のガスタンクまでも見通せる。
北西方向は茂っていて殆ど見えませんが、木々の合間から僅かに頸城山塊の妙高山が……そのすぐ手前に重なるようにして見えているピークは黒姫山の山頂、どちらも今回の登山で登った山なので最終日に見る事ができて感慨深い。
こちらは南東側、善光寺平方面の展望。これから下山する霊仙寺湖は写真中央の割と近い所に見えています。
斑尾山や野尻湖が見える方面。田畑が多く、長閑な農村といった風情。
善光寺平を望遠してみたもの。奥に見える千曲川沿いの都市は中野、小布施、須坂といった辺りで、この付近になると平野はだいぶ狭まっている。そのすぐ手前には飯綱町の牟礼の市街地見えており、今回はその付近にある牟礼駅から電車に乗って帰る事になる。
長野市街の望遠。密集した家並みが見えますが、長野の市街地の方でも少し北の方で善光寺等がある中心市街は右側のガスの中の辺り。
同方面を更に望遠してみたもの。下の方には北陸新幹線の高架橋、上の方には千曲川がそれぞれ左右に横切っている様子が見える。
こちらは信州中野の市街の北側、志賀高原山麓の望遠。奥に見えるスキー場は焼額山の麓にある竜王スキーパーク。
景色を堪能した後はいよいよ下山となります。その途中、飯縄山の方を見やると山頂が雲から抜けていました……かなり未練が残りますが、2時間掛けて往復するのも厳しいのでまたの次回に。
雲の蟠りを背にした飯縄山に別れを告げて下り始める。
分岐まで戻ってきました。こちらから霊仙寺湖方面の下山道に進んでいく。そこまで人が沢山登る山ではないので道の状態が少し不安でしたが、立派な案内標識を見る限りでは大丈夫そうです。
まだまだ下の方に見える霊仙寺湖。山頂から麓まで1000mを越える標高差を一気に下っていく。普段だったら駆け下りていく所ですが、流石に8日目ともなると蓄積した足のダメージでそうも行かない。
眼下には霊仙寺湖、そしてその更に奥には飯綱町牟礼の市街地。当初はその中の牟礼駅まで歩き通す予定だったので、まだまだ先は長いなという気分だった。
霊仙寺湖までの下山道の様子。所々笹で茂っていますが、比較的よく整備された道でした。
ある程度下ると樹林帯となります。晴れてきたお陰で蚊やブヨが居ないのが幸い。
色合い的にチチタケっぽいキノコ。食用できるので持って帰ろうかと思ったけど、万が一という事もあるのでスルーしました……キノコに詳しくなりたい。
樹林帯に入っても所々で木々の切れ目のような箇所があり、麓の様子が窺えます。
道の傾斜も麓に近付くに従って緩くなってきましたが、足の裏が結構痛くなってきたので休み休み進む。一週間を越える長い登山の終盤は太腿や脹脛といった筋肉的な所は意外と平気なんですが、足裏の筋や骨部、足首や膝といった関節が痛み始める事が多い。
小休止がてら戸隠中社の門前町にて購入したそば饅頭を頂く。仄かな甘味と蕎麦の風味がボロボロの心身を癒やしてくれる。
更に麓近くなってきた所の様子。傾斜も平坦に近くなってきた。
そのまま登山道を下っていくと霊仙寺山の山麓にある霊仙寺の境内に入りました。付近に立つ看板には五社権現奥ノ院跡と書かれています。
五社権現奥ノ院跡の様子。麓寄りには五社権現前宮。霊仙寺はそれらの別当寺(神宮寺)であったとされています。
五社権現(明治の神仏分離後は一般的に五社神社と呼ばれる)とはそのまま名前通りに5つの祭神を祀った神社、もしくは何らかの事情で5つの神社を統合した神社が後にそう呼ばれるようになったものが由来とされています。同名の神社は全国に存在するものの、そうした理由で中身は異なりそれぞれの関連性は無い。
五社権現奥ノ院跡に続く参道の様子。所々で朽ちたり苔むしたりしつつも古びた石段が残っている。
少し下った所にある広がりが霊仙寺講堂跡。学問所として使用された施設らしいですが、現在は礎石が残るのみとなっている。
霊仙寺は修験道における道場として繁栄した寺院で、鎌倉時代には戸隠十三谷三千坊とも呼ばれて栄華を極めていた戸隠への入口という立地であった事で大変賑わい、最盛期には多くの伽藍を擁していたという。
室町時代以降も栄えていましたが、戦国時代に入ると戦乱の巻き添えで焼失。後に上杉家によって再興するものの、江戸時代には本拠が更に麓寄りの千曲川沿い、旧長沼藩の城下町であった長沼に移され、その後明治に入る頃に廃寺となり現在に至っています。
左側は五社権現前宮跡。こちらも礎石が残るのみですが、その前方には室町時代に作られたという石水鉢が現在でも残されています。右の写真はかつての参道の様子で、左の所には二ノ鳥居の沓石(礎石)が残る事を示す標柱が立っている。
霊仙寺跡→霊仙寺湖
[13:42-13:48]霊仙寺山登山口
参道を抜けて広場のような所に到着しました。この場所が霊仙寺山の登山口とされているらしく、付近には車を停められるスペースもあります。
霊仙寺湖の湖畔に立地する温泉施設、天狗の館へと向かいます。登山口からは2~3kmくらい離れていますが、ここまで歩いてきた事を考えると大した距離ではない。
先程の霊仙寺跡の門前のような所にある霊仙寺の集落を抜けていきます。名前からして元々は御師集落だったような所ですが、現在は人家も少なく静かな集落となっている。
右の写真の正面に見えている山は先程登った霊仙寺山で、その左奥に見えているのが飯縄山です。
霊仙寺山に続く分岐の所に立派な案内看板が立っている。
別荘地の中を抜けていく途中、昔の車掌車のような車両が置かれているのが気になった……形式はヨ6000っぽいですね。錆が浮き出る等して痛んでいるものの原型は保っています。
別荘地を抜けた所で霊仙寺湖の湖面が視界に広がりました。長閑な雰囲気ですが自然の湖ではなく、戦後に農業用の溜め池として作られたものとされる。
霊仙寺湖の湖面越しに霊仙寺山、飯縄山。右奥に黒姫山、その背後に頸城山塊と続いていますが、こちらは雲に埋もれてしまっている。周辺は温泉施設やゴルフ場、キャンプ場等が立ち並ぶ保養地となっていて、湖面にはスワンボートが浮かんでいました。
湖畔を半周するような形で歩いていると目的地である天狗の館が近付いてきました。右側の小高い所にある建物がそのようです。
[14:33]天狗の館到着
日帰り入浴施設である天狗の館に到着。予定では更に駅まで歩くつもりでしたが、後にここから駅に向かう路線バスの存在を知り得た事で以降の行程は予定外にカットとなってしまったので、事実上この時点を以ってゴールという事に。
お風呂の写真は撮れないのでその後、湯上がりに飲んだプレモル。真夏の登山後のビールは脱水症状気味という事もあり、心地良さを超越して痛みすら覚える程に染みる。しかしそれが良い。
温泉施設の食堂で食べた『やたらカツ丼』。やたらとはナスやキュウリ、ミョウガといった夏野菜の味噌漬けを刻んだものでこの飯綱町の郷土料理らしく、油物のカツには薬味のようで意外によく合う……薬味と言うには妙に沢山乗っていますが、長期の登山の直後はいつも野菜が食べたくなる衝動に駆られるので丁度良かった。
食後、甘味を猛烈に欲していたのでソフトクリーム。飯綱町はリンゴの産地という事でりんごジャムをトッピングしたものを頂きました。
温泉に浸かってビール飲んで美味しいものを食べて、正直もう歩きたくないなという気分。しかし、この施設と牟礼駅を結ぶ長野電鉄の路線バスは平日のみの運行で、日曜日であるこの日は全便が運休。故に自分の足で駅まで歩く必要があるのですが……いざ自分を奮い立たせて出発という時、天狗の館のフロントの方から慌てた様子で呼び止められて一枚のチラシを渡されました。
チラシには最近新設されたというコミュニティバスの案内を旨としたものでした。どうやら平日のみ運行の路線バスを補完する役割で、土日祝のみ運行の自治体運営のコミュニティバスが2022年の今年度より運行されるようになったという……無論、利用しないという選択肢は無いので以降の駅までの舗装路歩きはカットとなりました。
最終盤の行程が唐突にカットとなってしまったのでなんとなく尻切れトンボの感は否めないですが、これにて今回の8日間にも及んだ登山は終了となりました。
今回利用した飯綱町による運行のコミュニティバス、iバスコネクト。試験運行のような状態なのか、バスを降りる際にこんなポケットティッシュを手渡されました。
バスで直接乗り付けるという予定外に優雅な到着となってしまったしなの鉄道の牟礼駅。元々はJR信越本線の駅で、明治もしくは大正頃の改築の古い駅舎が残っています。
入ってきた長野行きの電車……元国鉄の古い車両ばかりというイメージだったしなの鉄道も、じわじわと新しい車両が増えているようです。
長野駅での乗り継ぎの様子。松本、塩尻と越えて中央本線に入り甲府駅まで通しで運行されるロングランの電車に乗り込む。
篠ノ井線の車窓から東の空を眺める。この日は首都圏に台風が直撃していたらしく、それも丁度この電車に乗っている頃だったという。よく見ると台風一過と思われる晴れ空の奥には暗雲とも呼べるような分厚い雲の塊が見えていました。