2020年4月9日……都内にて緊急事態宣言が発令されたその翌日、堀切菖蒲園駅近くのカメラ修理業者から修理品を引き取りに行ったので、その後柴又で食事し、浅草で乗り換えついでに浅草寺に参拝しました。
いくら用事があっての外出といえど、個々の自粛が叫ばれる時にこんな記事を上げるのも不謹慎かなと思いましたが、あまりにも暇なのでちょっと作ってみようかなと思った次第です。後になって、倫理的に問題があるかな?と思ったら取り下げますので期間限定かも。
目次
柴又編(柴又駅、参道、柴又帝釈天)
修理したカメラを引き取り、もう14時手前……流石に空腹だったので、食事を名目に数駅先の柴又にやってきました。半年に一回くらいの頻度で来ている場所ですが、ここ数年の間、線路際の店舗が無くなって駅前の雰囲気が少し変わったかな。
参道はやはり静か。平日であれば基本的に空いている場所ですが、ここまでガラガラなのは始めてかも。開いている店も半分くらいです。
信号を渡って贔屓にしている大和屋へ。数駅先の柴又に寄ったのはここに来るのが目的。
やってるかなー?と不安でしたが、暇そうにしながらも店は開いていました。あまりにも人が居なかったからか、店に入ろうとするとすっごい喜ばれて、帰り道再び通りがかった時も深々頭を下げられた(笑)
ちなみにこちらが混雑時の同じ参道。たぶんGWとかかな?
店内に滑り込み天丼を注文。扉はなく窓も開いているので風通しは良い。余程の混雑でもなければ三密の問題はなさそう。
当の天丼は……この客足なので大盛り無料サービスなんかもやっていました。味については食べた人なら分かる、甘辛で、決して万人受けはしないもののハマる人にはハマる味。特に上天丼は寅さん演じた渥美清の好物だったという。
自分はそんな大それた人間じゃないけど、この天丼目当てで定期的に柴又に通っている。
店内にはかつての出演者との写真等が飾られている。昨年末に新作映画が披露されたので、その頃には店が埋まるくらいには混雑したのでしょう。
天丼の天ぷらは店先で揚げている。ちなみに柴又名物の草だんごもこちらで製造販売しているものもある。昔は劇中でとらやとして使われた高木屋の方で買い求めていましたが、こちらの方が蓬の味が濃く好みなので、最近は専ら天丼とセットで買っている。会計も一緒。
その高木屋も向かい合わせになっている店舗のうち一つを閉じているような状況だった。こんな状態じゃ商売にならないねー、なんて事をどこかの店で話していた。
こちらが柴又帝釈天、題経寺。観光目的ではないのでさっと参拝。日本人を代表してコロナ収束を祈願しておく。
帰りに船橋屋であんみつを買って帰った。期間限定の桜あんみつ……少々お高いが偶にはいいね。
京成金町線で帰路へ。駅は空いてましたが車内は意外と混雑していました。
浅草編(浅草駅、仲見世、浅草寺)
都営直通に乗り、帰りは浅草経由で。乗り換えるついでに地上の方も様子見に行きました。
雷門前の交差点。普段であれば外国人観光客で混雑しているこの付近も人通りは少なく、まるで早朝のように静かな雰囲気。
その雷門の提灯は10年に一度の改修で不在でした。なんか別の場所のような印象。
雷門越しに宝蔵門、そして本堂。仲見世にも殆ど人の姿が無いので先まで見通せます。
いつだか撮った仲見世の写真。この時は日没近くで既に本堂は閉まっており、人通りはまだ少ない方でした。
仲見世の様子。大半の店が閉まっているものの、中には一部開いている店も。
シャッターの目立つ仲見世の様子。
境内と本堂、内観の様子。
本堂から見た境内。人の姿はぽつぽつ。
参拝を済ませたら早々に後にする。
浅草寺は物心つく以前からかなりの頻度で連れて行って貰っていましたが、いつも立ち寄るのが宝蔵門側にある三宝荒神堂。しかしコロナの影響でここもシャッターが閉じている。
ちなみにこちらの伽藍は浅草寺には含まれてはおらず、天台宗の大行院という寺院に属している。
祖母が元気だった頃はこの撫で仏を念入りに擦っていました。我が家で脈々と続く浅草詣での決まり事。
帰路の仲見世。
伝法院通越しにスカイツリー。展望台もコロナで当分は登れないでしょうね。
新仲見世のアーケードを潜って帰る。仲見世は殆ど店は閉じていたが、こちらはそうでもなく人通りもそれなりに多い感じ。
松屋デパートの手前から浅草地下街に下る。ここを通るのも祖母と来ていた頃の習わし。といっても帰路は松屋の地下街で買い物していくので、こちらは専ら往路のみでしたが。
ダンジョンみたいな所を通るが短い……昔はもっと明るかった気がするけど、なんか年々薄暗くなって怪しい雰囲気に拍車をかけている。ちなみにヘアーカット800円の店は数年前は700円でした。
この日本最古とも呼ばれる地下街。今でこそ飲食店が多いが、昔は色んなジャンルの店が犇めき合っていて人通りも多く賑やかだったように思う。
改札脇の地下街の入り口にてその明暗の落差を目の当たりにしつつ、銀座線で帰宅しました。