月山・鳥海山登山旅行1日目 往路、白水阿弥陀堂と閖上
前回の富士登山から僅か11日後の遠征となりました。当初はそこまで長く出かけるつもりはなかったのですが、今期の夏山シーズンのメインであった『頸城山塊から戸隠連峰』が全体的に天気が優れず不完全燃焼に終わってしまったので、シーズン中もう一度くらい歩き甲斐のある所に行っておきたいなと急遽計画。
行先の候補は幾つかありましたが、今回は前々から計画を立てては頓挫を繰り返していた月山の登山を軸とした東北地方に向かう登山旅行としました。
月山を初めて登ってみたいなと思ったのは何年か前、簡単に登れる山というイメージだったのでそれまではあまり唆られなかったのですが、地図を見てやけに長いコースがあるなと注目したのが今回歩いた肘折温泉から始まる肘折口コースでした。この頃には既にテント泊前提のロング登山のスタイルが定着していたので、これは是非とも歩いてみたいなと思い何度か登山を検討していました。しかし東北の山という事で積雪量が多い、故に雪解けが遅くシーズンが短いのがネックで都合が中々合わず、いざ行こうという段階となっても台風が来たりなんだりで何度も取り止めになってしまっていました。
そうしてやきもきしている間に大嶺奥駈道のような超ロングコースを歩いたりしてますますロング登山に傾倒するようになり、今回は更に後半で六十里越街道というかつて山形盆地と庄内平野と結んでいた古い街道に繋げる事にしました。行程は2泊3日、南北アルプスを歩いたりするよりは短いですが、東北の山としては中々に歩き堪えのある行程でしょう。
ちなみにもう一つの鳥海山の方は出発時点では月山のついでという程度に考えていて、途中で天気が悪くなりそうなら行程をカットして帰るつもりでした。見た目は格好いいですし標高も月山よりずっと高いのですが、独立峰故に縦走やロング登山といった楽しみ方はできず、いまいち唆られなかったのです。
しかし実際に登ってみるとこちらの方も楽しい山で……そうした顛末は本編の方を御覧ください。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。
目次
【移動】常磐線の旅その1
今回使用する青春18きっぷです。シーズン開始時は意気込んで丸一枚購入してみたものの、前々回の頸城山塊では8日間という長丁場にも関わらず2回分しか使わなかったので消化に黄信号が灯っていました。
そして今回、3日目を押印したのは期限の迫った9/4……これから僅か一週間で消化できるのでしょうか。※できませんでした
今回の旅のお供です。7日間という行程なのでそれなりの貫禄。とは言え今回は月山と鳥海山の合間のタイミングで麓に降りるので途中での食料補給が可能であるのと、道中水場が多くてあまり担がなくて済むので、水不足と荷物の重さに悩まされた頸城山塊の時よりはずっと気楽でした。
北の玄関口である上野駅です。旅行以外でも西郷さんに挨拶しに来たりとそこそこ訪れる機会のある所ですが、乗り継ぎの時間が少しあったのでパンダ橋の方に出てみました……朝5時台という事で閑散としており鳩の姿しかありません。
駅のパンダ橋口の脇、仁王門の仁王像のように目を光らせているパンダの親子。上野動物園にも暫く行ってないですね。
上野駅から常磐線に乗り換えます。これまで東北方面に向かう場合はそのまま東北本線(宇都宮線)で向かう事が多かったのですが、18きっぷのシーズン中はやけに混むのと乗り継ぎが多いので敬遠しがち。黒磯駅が直流化して不便になって以降は一度も乗ってないかも。
我孫子駅で水戸方面に向かう始発列車があるのでこちらで乗り継ぎ……終点の高萩駅まで2時間半のロングランです。中途半端な駅からの始発なので空いてるかなと思いきや、意外に自分と同じような人の姿が多く見られました。
一時期この駅のホームにある弥生軒のからあげ蕎麦に嵌ってて、旅行で通る度に食べてた事があったり……思い出したら食べたくなったので今度久々に寄ってみよう。
取手を過ぎた辺りから長閑になりつつある車窓。薄く広がる雲の間から陽光が垣間見えました。この日の天気は曇りもしくは雨との予報でしたが、この感じだと暫くはもってくれそうです。
県庁所在地の水戸駅をそのまま通り過ぎます。この駅ではホームのスピーカーに集音マイクを当てているマニアの方々がやけに多く見られました。鉄道から足を洗って久しいので知らないのですが、何か珍しいメロディでも流れてるんでしょうか。
水戸の次の勝田駅では13分の停車。ホームの向こう側には那珂湊の方に向かうひたちなか海浜鉄道の気動車が停車しているのが見えました。この付近も久しく散策してないですね。
日立駅で特急の追い越し待ちです。日立といえば工業都市のイメージが強いですが海岸線すれすれの所に駅が置かれており、ガラス張りの駅舎からは太平洋が臨める。
日立から数駅で終点の高萩駅に到着。更に先に進むのでこの駅で後続の列車を待ちます。他に接続路線の無い中間駅ですが、日立の方からの通勤通学圏の区切りで折返し列車が多く設定されており、構内には留置線が多く敷かれています。
高萩の町は元々、現在の日立市からいわき市の辺りまで続いていた常磐炭田で繁栄していた炭鉱街で、この駅も当時は石炭の積み出し駅として賑わっていました。運炭用の支線もこの駅を起点に幾つかが伸びていたとされています。
現在の広々とした駅構内も、かつて多くの貨車を取り扱っていた名残でしょうか。
駅前のロータリーから高萩駅の外観。大正期建築の洋風駅舎が現役で使用されています。建物としては小さいものの天井が高く堂々としたイメージを受ける。
高萩駅の遠景。常磐炭田の盛衰を見守ってきたこの駅舎もあと数年で100歳を迎える。いつまでも残っていて欲しい景色です。
高萩の街中を少し歩いてみる。高萩市の人口は約26,000人で県内の市の中でも最小。市街地の規模も人口相応で決して大きくはありませんが、それなりに纏まった町並みが続いている。
駅のホームに戻ってきました。この駅から先は殆ど1時間に1本くらいのローカル線のような運行頻度となりますが、10両の長い電車が入ってきて少し驚く……5両で30分おきくらいに走らせた方が利便性が高そうな気がしますが。
乗り込んだ電車の車内の様子。車両間の扉が開け放たれていて、遙か先の先頭車まで見通せた。
内郷散歩 白水阿弥陀堂とスミの町
勿来関にて県境を越えて福島県入り。そして、ずっと電車に揺られているだけというのも面白くないしお尻も痛いので、今回はターミナル駅のいわき駅から一つ前の内郷駅で下車。今回はこの駅を拠点に観光ついでの散策とします。
何の変哲もない小さな駅ですが、この駅もかつては常磐炭田における石炭の積み出し駅として栄えており、貨物発送量全国一位を記録した年度もあったという。駅の構内も当時は先程の高萩駅と同様に多くの留置線群を擁していましたが、現在はホームが2本並んでいるのみとよくある中間駅のような構造で賑わっていた頃の面影はありません。
内郷駅の駅舎。2015年頃までは古い駅舎が残っていましたが、現在では新しく小さなものに建て替えられています。
この駅から2km進んだ所に福島県で唯一の国宝建築物として知られる白水阿弥陀堂があるので徒歩で向かいます。自転車が欲しくなる距離ですが、残念ながらレンタサイクルはありません。隣の湯本駅の方にはあるのでそちらの方からスタートするべきか悩んだのですが、結局こちらから歩き始める事に。
こちらは2010年に訪れた当時の内郷駅。シンプルながらも入口に設けられた鋭い三角ファザードが印象的な駅舎でした。
暫く線路沿いを進んでいきます。錆びついた跨線橋に古びた家々に公営住宅と、なんとなく炭鉱街であった頃の雰囲気が感じられる。
常磐線の線路を跨ぐ陸橋から駅の方を振り返ってみた所。内郷は常磐炭田の炭鉱街として発展した街で、昭和中期にいわき市が成立する以前は内郷市という独立した自治体に属していました。
炭鉱の衰退後はターミナル駅であるいわき駅の隣駅という立地を活かしたベッドタウンへと転換。故にいわき市内の平や湯本、小名浜といった他の市街地と比べると少し地味な地区で駅も特急は止まりません。
昭和中期、まだ石炭から石油のエネルギー転換が起こる以前の綴駅(現在の内郷駅)周辺の地形図です。近隣の山の方には炭鉱や炭鉱住宅が立ち並んでおり、そちらに向かって駅から幾つかの支線が伸びています。
ちなみにこれから向かう白水阿弥陀堂も駅から左に進んだ所に阿弥陀堂の名で記載されているのが確認できます。
先程とは反対側の展望。こちらの方面にはかつては幾つかの炭鉱が存在したとされており、線路の右奥の所にはズリ山(選炭の際に取り除かれた石や土砂が積み上げられて形成した山、ボタ山とも呼ばれる)が見えます。
陸橋から道路沿いに白水阿弥陀堂を目指して進んでいきます。線路を越える道はこの付近では少ないのか交通量がやけに多い。
少し歩くと大きな工場が見えてきました。かつては三星炭鉱の選炭場が存在したとされる場所で、現在は金属加工の工場が建っている。
歩いていて何やら気になった建造物。一見すると列車の車庫のように見えますがまさにその通りで、近隣の炭鉱に務める鉱員の輸送の為に使われた気動車の車庫だったという……ちなみに手前の道路は元々は常磐炭鉱専用鉄道の高倉線という名の路線の線路が敷かれていた場所で、先程の地形図にも記載があります。
古びた焼却炉のようなものが空き地に置かれていた。
途中で見掛けたあからさまに不自然な段差。元々は奥の道路の所は線路が敷かれていた……という事はその路盤によって生まれた高低差でしょうか。
先程の段差の所から脇道に入っていくと公営住宅が密集した一角があります。かつての炭鉱住宅のようで、昭和40年頃の航空写真では既にその姿が確認できる。
更に進んでいくと白水阿弥陀堂の入口から伸びる通りに差し掛かりました。朱色の橋に灯籠と次第に雰囲気がそれっぽくなってきた。
途中に周辺の案内板が立っていました。内容的にはこれから向かう白水阿弥陀堂ではなく、かつてこの付近に広がっていた炭鉱についてのもののようです。
地図を見てみると、付近のみろく沢と呼ばれる沢沿いに石炭発見の地と名付けられた常磐炭田の発祥となる場所があったり、坑道等の当時の遺構を見学できる資料館があったりと炭鉱マニア的には物凄く興味を惹かれるのですが、今回は白水阿弥陀堂の見学だけで時間切れとなってしまうのでまたの機会に……その際は湯本で自転車を借りて一日がかりで回ってみたい。
白水阿弥陀堂の入口に到着しました。有名な場所なのでもっと混んでいるものと思っていましたが、意外に人の姿は多くはない。
阿弥陀堂の周囲は浄土庭園式の園池が取り囲むように整備されており、幾つかの橋を渡って進んでいく事になる。
受付で入場料を支払って阿弥陀堂の目の前まで移動しました。まだまだ夏の暑さが残る頃でしたが、周囲の草木は早くも色付き始めている。
阿弥陀堂の外観。建立されたのは平安時代の末期の1160年、当時奥州を支配していた奥州藤原氏の初代当主である藤原清衡の娘の徳姫が夫の菩提寺としてこの地に願成寺を整備、併せてこの阿弥陀堂も建てられたという。
通称としては白水阿弥陀堂ですが、白水という地にある阿弥陀堂という意味で、建物そのものは近隣の願成寺という寺院の所有となっています。ちなみにその白水という地名の由来についてですが、藤原氏が本拠としていた平泉の泉という字を上下2つに分けたものという説もあるとか。
内部には阿弥陀堂が建立された当時のものと伝わる本尊の阿弥陀如来像を始めとした幾つかの仏像が安置されており、常駐している人が解説してくれます。但し撮影禁止なので内部の写真は無し。
阿弥陀堂越しに入口の方を振り返ってみる。青空と緑が平安時代建築の古い建物によく映える。
回り込んでみて少し違った角度から阿弥陀堂を観察。
裏手の方には石碑や地蔵といったものが立ち並んでいました。一つ一つに統一感が無く、元々散在していたものを掻き集めたような感じです。
最後に真正面から阿弥陀堂の外観を撮影。規模としては小さく簡素ですが、均衡の取れたデザインで絵になりますね。
去り際にもう一枚。登山のついでという形になりましたが、前々から一度は来てみたいと思っていた場所なので念願叶ったような気分でした。
受付にて御朱印を頂きました。御朱印帳も2冊目に入ってからペースも落ち気味ですが、少しずつページが埋まりつつある。
少し距離を置き、入口手前に広がる園池の畔から阿弥陀堂を臨む。奥州藤原氏のルーツを汲んでいるという事で、平泉の毛越寺の庭園と構造が似ているとか。
阿弥陀堂から少し離れていますが、折角なので本坊のある願成寺の方にも立ち寄ってみました。真言宗智山派の寺院で、周囲には多くの墓が立ち並んでいます。
その願成寺の側にひっそりと佇んでいる鳥居。真新しい幟が多く立てられていたのが気になったので参道を進んでみる事に。
石段を登った先にある白水常磐神社。居合わせた神社周りの清掃を行っていた方から頂いた案内のパンフレットには、願成寺(と阿弥陀堂)を建立した徳姫を主祭神として祀る神社との記載がありました。
先程の炭鉱住宅群の遠望。常磐炭田の炭鉱が全て閉山してから久しく炭鉱住宅も数を減らしているらしいですが、こちらのものは比較的後年に建てられたもののようで、現在でも公営住宅として使用されている様子でした。
往路でも通過した陸橋の上に戻ってきました。雨が降るという天気予報の通り、雲の層が厚くなってきた。
ズリ山の右の所には炭鉱だった頃に使用されていたレンガの煙突が残っているとの事だったので望遠で撮影。そうこうしていると特急が結構なスピードで駆け抜けていった。
内郷駅に戻ってきました。駅舎を改めて観察してみると、内側の壁に石炭輸送を取り扱っていた頃の古写真が展示されていました。写真の一枚を見てみると、何本もの側線が敷かれた中に山盛りの石炭を積んだ貨車が犇めき合っている……現在のシンプルな構造の駅からは想像もできませんね。
内郷を始めとした常磐炭田に纏わる地域の盛衰に関してはいわき市の公式サイト内の紹介が詳しいので、興味があればご覧下さい。
程無くしてホームに滑り込んできた常磐線の電車に乗り込みます。元々は市の中心駅というだけあって利用客はそれなりに多い印象でした。
【移動】常磐線の旅その2
内郷駅から僅か1駅の乗車で終点のいわき駅に到着です。常磐線を乗り通す際、この駅での乗り継ぎは最早おなじみ。
いわき駅の外観。乗り継ぎの時間が少々あったので、改札を出てちょっとした買い物に向かいました。
駅前に広がる市街地、かつて平と呼ばれた街並みの様子。東北地方では仙台に次ぐ人口の都市……割には市街地が分散しているので規模そのものは大きくはなく、人口の割には落ち着いた雰囲気です。
予定ではこの近くの酒屋で今回の登山用のお酒を1本調達するつもりでしたが、残念ながら休みだったので買えませんでした。その目当ての銘柄は又兵衛、いわき市内の酒造による醸造で、殆どがいわき市内にて消費されるという地酒オブ地酒とも言うべきお酒だったのですが……常磐炭田巡りに加えて次回訪れた時にやるべき事が増えました。
駅に戻ると乗車予定の原ノ町行きの電車が既に止まっていました。いわきから原ノ町までは東日本大震災による被災で最後に復旧した区間。本数は常磐線内では最も少なく、日中は殆ど3時間おき。乗り継ぎの難度は高い。
発車を待つ原ノ町行きの電車。本数が少ないが故に乗客は集中するのですが、5両とそこそこ長いので車内は余裕がありました。
先程、又兵衛を買いに行く途中で通りがかったイタリアンレストランで購入した弁当。翌日以降は山籠りとなり洋食とは縁遠くなるので購入。専門店故に本格的な味でワインが欲しくなる。
終点の原ノ町駅にて再び乗り継ぎ。震災以前は直通する列車も存在したのですが、現在は系統が完全に分割されています。
例によって乗り継ぎの時間が生じていたので駅前を特に意味もなく散策……なんか常磐線通る度に歩いている気がします。
原ノ町(南相馬)は浜通りの相双地域の中心にあたる都市で、江戸時代には宿場町や集散地として栄えた街。東日本大震災以前から何年か毎にちょくちょく訪れているのですが、来る度に賑わいが徐々に戻ってきているように感じられます。
今回も何やらロータリーで大掛かりに工事をしていたので、また次に訪れた時には違った風景となっているのでしょう。
この地域の名物といえば相馬野馬追、その様子を象った像が駅前に立っています。よくある特定の誰々の像とかではないのは却って珍しいかも。
ホームに入ってきた仙台行きの電車に乗り込む。上野から始まった常磐線の旅もこの電車で最後となります。
閖上散歩 名取川河口の復興した港町
仙台まで向かう電車に乗車していましたが、終点まで行かず途中の名取駅にて下車しました。ここまで来ると完全に仙台の衛星都市で電車の運行頻度もそれなり。
名取駅からは日本酒&夕食の調達の為に沿岸部の閖上へ……雨だったら取り止めるつもりだったのですが、いい感じに天気が保ってくれたので予定通り向かいます。
名取川の川縁にあるかわまちてらす閖上。震災後に新たに作られた物産施設で、フードコートの設備もあり内部での飲食も可能……今回はこちらで夕食の調達をする事に。
夕刻近くという事で既に半分以上が店じまいをしている状況でしたが、テイクアウトできそうな丼物を扱う店があったのでそちらへ……そこでまず気になったのは綺羅びやかな海鮮丼。しかしはらこ飯の方は地味な見た目ながらもお酒に合いそうな気がする。悩みに悩んだ挙げ句に後者を購入としました。
別の店で売られていた大ぶりの桃。見るからに甘そうで唆られたのですが、流石に山には担いでいけそうにない。
食料調達を終えてもう一つの目的である登山用日本酒の調達へ。閖上の酒蔵、佐々木酒造店はかわまちてらすの向かい側にあります。小ぢんまりしつつも真新しい売店は観光用駐車場に隣接した立地という事もあってか、観光客らしき人の出入りが多い様子でした。
予てよりこの地で酒造業を営んでいた佐々木酒造店は2011年の東日本大震災の津波被害を受け、賑やかな港町であった閖上の街並みもろとも全壊。現在の建物は2019年に再建されたもので、それまでは近隣の工業団地に仮設の酒蔵を建てて醸造していたという……津波による被害を受けて内陸に移った酒造は幾つかありますが、震災から10年以上が経過し元々の地での醸造を再開させている所も徐々に現れつつあります。最近では福島県の浪江から山形県の長井に居を移した、磐城壽の銘柄で知られる鈴木酒造店が元々の浪江の地に酒蔵を建設したりしていますね。
自分が最初に佐々木酒造店のお酒を認識したのは震災の年の2011年、被災した街並みを一目見ておこうと12月頃に東北地方に訪れた時の事で、その際に訪れた仙台駅のコンコースで出店を出していたのを見掛けたのが始まりです。その時は日本酒を飲んでいなかった頃だったので素通りしてしまったのですが、飲むようになってからはずっとその時の記憶が蟠りのような形で残っていました。
店内の様子。酒瓶の多くが冷蔵ケースに丁寧に仕舞われています。ラインナップも生酒系統が多く否応にも期待させられる……その多くのお酒から何を選ぶか。予定ではこちらの酒蔵では4合瓶1本だけ調達するつもりでしたが、いわきで又兵衛を買い損ねてしまったので2本。できればそれぞれ違うタイプのものを選びたい。
何にしようかと悩んでいると奥に試飲コーナーがある事に気が付きました。頭で考える前にひとまず実際に飲み比べてみる事に
片っ端から試していきます。メインとする銘柄は宝船浪の音と閖の二種で、宝船浪の音の方が元々存在した銘柄……読みはたからぶねではなくほうせんとの事。対する閖の方は震災後の2012年に新たに立ち上げられたブランドで、津波による被害を受けながらも奇跡的に残っていたタンクのお酒を瓶詰めしたものに名付けたのが始まりという。どちらの銘柄も全体的に甘辛のバランスが取れていて透明感を感じさせるものが多い印象……ちなみに真ん中の瓶は玲瓏という銘柄で、こちらも同様に洗練された味わいでした。
まずは1本と選んだのが、蔵元限定という謳い文句に惹かれた宝船浪の音の純米吟醸生酒。そしてもう1本、写真にある玲瓏や閖の純米しぼりたて生酒も美味しかったのですが傾向が似ているという事で、別の尖ったお酒を……と何を選んだかは後程。
お酒の調達を済ませた後は閖上の散策の続き、かわまちてらすの裏手の名取川の川縁まで移動しました。
川縁の様子。自分以外にも散策している人も多く、ちょっとした観光地となってるようです。天気が良い日にこの辺で川面を眺めながら海鮮丼を頂くというのも気分良いでしょう。
更に海寄りに移動した所にある日和山。震災前はこの周辺も市街地が広がっていましたが、現在は一帯が名取市震災メモリアル公園として整備されており人家は少ない。
日和山の山上に鎮座する富主姫神社。元々は別の場所にあった閖上湊神社の末社でしたが、本社の方も津波で被災してしまった事でこちらの方に合祀された。閖上湊神社の方は現在は先程回ったかわまちてらすの方に新しい社殿が整備されているらしいです。
日和山から見下ろす風景。震災以前はこの一帯には密集した家並みが続いていました。既に11年が経過しているもののされど11年、献花台には手向けられた花は真新しい。
東日本大震災による津波被害を受ける前後の閖上付近の地形図です。現在は名取川の川縁に沿うように新しい街が形成されていますが、震災以前は南側の方から伸びている増田川の河口の三角州のような所にも家並みが続いていました。
現在地の日和山はその三角州の中央付近に位置しています。
日和山の近くには震災遺構として街灯と歩道橋が保存されていました。
震災メモリアル公園の慰霊碑。今でも多くの人が訪れ手を合わせている。
閖上からの帰り道。名取駅から距離はあるものの道がまっすぐ通じているので思った程時間は掛かりませんでした。仙台から近いのでお土産を買うのに都合が良いですし、またこちらの方に来た時にでも寄りたいですね。
名取の旧市街の様子。江戸時代に置かれた奥州街道の増田宿という宿場町が前身の町で、昭和の大合併で近隣町村と合併して名取町となる以前は増田町という自治体でした。
歴史的に古い街には違いありませんが、現在では仙台のベッドタウンとして開発が進んでしまっているようで宿場町時代の遺構は少ないです。それでも旧街道沿いには当時のものと思われる古い土蔵が数軒残っていました。
名取駅の西口にはサッポロビールの巨大な工場がありその入口の所にはできたてのビールが楽しめるというコンセプトのレストランが。試飲もできるらしいので立ち寄ってみたかったのですが、今回は閖上の往復だけで時間切れ。
名取駅の自由通路の垂れ幕。そういえば2022年の甲子園は仙台育英が白河関越えを果たし優勝した年でもありました。この名取出身の選手も居るらしいです。
仙台空港の方からやってきた仙台行きの電車に乗り込みます……そろそろ帰宅時間帯という事で車内は混雑していました。
【移動】新庄までの乗り継ぎ
東北に来る時は必然的に一度は立ち寄る仙台駅。この薄暗い在来線ホームに来ると一気に仙台に来たなーって気分になる。
ここでも例によって乗り継ぎの時間があったのでコンコースの物産コーナーを眺めたりして暇潰し……震災の年に先程の佐々木酒造店の出店を見掛けたのはこの辺り。
外の空気を吸いに駅前のペデストリアンデッキへ。流石は東北第一の都市、日曜の夜という事で結構な賑わい。
駅に戻り、次の小牛田行きの電車に乗り込みます……夕方のラッシュで混雑しているかと思いきや、10分前に同じ方面の電車が行った直後らしく意外と空いてました。
終点の小牛田駅に到着。殆どの降車客は一ノ関行きの電車に乗り込んでいく。一方、陸羽東線や石巻線といった路線に乗り換える人はそこまで多くはないようです。
小牛田駅の外観。現在は橋上駅が別に設けられていますが、かつて使われていた地上駅舎も待合室として開放されている。
入線してきた陸羽東線の気動車。終点の新庄まで2時間以上の長旅……乗客は1両あたり10人に満たない程度と始発駅の時点でかなり少ない。
途中の北浦駅での列車交換。濃い闇の中、ホームがぽつんと島のように浮かんでいた。
線路を照らしながら反対側の列車が入ってきました。ゆったりとした所作でY字の分岐路を越えてくる。
陸羽東線の沿線の最大都市である古川を越えると乗客の殆どは降りてしまい、車内に2~3人という状況に……夕食にするには良い頃合だろうと、先程閖上で購入した宝船浪の音の2種類を取り出しました。
最初に決めた純米吟醸とは真逆の味わいのものを……と2本目に選んだのは90%精米の所謂低精白のお酒でした。傾向としては強烈な濃醇辛口ですが、低精白由来の野暮ったさはあまり感じられず、妙に洗練されていて奥行きを感じさせる不思議な印象。
一方の純米吟醸はそれと比較するとバランス重視の吟醸酒。しかし一般的な吟醸系のお酒と比べると風味も独特で、落ち着いて纏まっているかのような印象でした。派手さは無いので食事とも合わせやすいでしょう。
夕食はかわまちてらすで購入したはらこ飯です。鮭を炊き込んだご飯の上にいくらを散らした宮城県沿岸部の郷土料理ですが……本体はいくらでも鮭でもなく、鮭の出汁が利いた炊き込みご飯。これが本当に美味しかった。
岩出山、有備館と纏まった降車が続くにつれて乗客は減っていき、中間の鳴子温泉駅に到着する頃には遂に一両に自分一人残すのみという状況に。陸羽東線はJR東日本の路線でも屈指の閑散路線として知られていますが、時間帯に因るものとしても少し心配になってしまうガラガラ具合でした。
そして本日の最終目的地である新庄駅に到着。他の車両にも乗客は居なかったようで、下車する際はホームに一人放り出される格好に。
既に21時を回っている時間帯ですが、ここから更に秋田に向かう電車も接続していてちょっと驚きました。終点の秋田には日付を跨いだ頃の到着となるようです。
駅の改札を抜けた先にあるインパクト強烈な人形。夏祭りである新庄まつりで牽かれる山車のようです。夜中、人気のない駅で見ると中々の迫力でした。
新庄駅の外観。駅施設は新幹線が延伸したと同時に改築された近代的なものです。駅前の槍のようなモニュメントはからくり時計で、決まった時間になると新庄まつりに因んだ人形が出てくるという。
夜中の新庄の町。夜9時となれば人通りどころか車通りも殆どなく、街全体がひっそりと静まり返っていました。
次回記事『月山から六十里越街道その1』に続く