山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

高取城ハイキング(千股→芋峠→高取城→壺阪寺→壺阪山駅)

前回記事『大峯奥駈道その6』の続きです。

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大峯奥駈道を完歩したその翌日。Uターンして吉野に戻るのもどうかと思い、この日は山を越えて奈良盆地へ自力で下る事に。最初は明日香村に抜ける旧道の通る芋峠まで登り、高取城(高取山)まで尾根歩き。城跡での紅葉見物を終えたら少し下った所にある壺阪寺を観光し、最終的には吉野線壺阪山駅に下りました。

他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。

【2019年11月】熊野古道中辺路&大峯奥駈道縦走についての記録 - 山とか酒とか

目次

千股→芋峠→高取城

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こちら野宿場所付近の公園です……今回は麓での野宿ですのでテントの写真はありません。明日香村に向かう芋峠の麓にある、千股せせらぎ公園というよく整備された公園でした。

前日は到着が遅かったので就寝も起床も遅く、写真の通り既に日が高く登った時間帯での出発となりました。その間際、テントを片付けたりアレコレしたりと準備をしていると、公園を管理していると思われる方がこちらに。

怒られるかなーと内心では戦々恐々としてましたが「昨夜は寒かったでしょう、よく眠れましたか?」との心温まる言葉を頂き涙がちょちょぎれる。

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[9:35]芋峠旧道分岐(千股せせらぎ公園)出発

さて、ほぼノープランでここまで来ちゃいまいたが、どうしましょう。

吉野まで戻って、前日到着が遅れお流れとなった吉野観光のリベンジもいいかなと考えたのですが、ここから吉野まで距離がある上に再び奥千本近くまで登るというのも気が進まない。かと言って駅まで行くだけというのもアッサリとしすぎる……ならいっそ反対側、山を越えて奈良盆地に出てみようと、峠に向けて歩き始める事に。

吉野町と明日香村との境にある芋峠は林道を1時間半ほど歩けば到着するとの事でしたが、何やら公園の側から山道のようなものが伸びています。ネットで調べてみると、かつての旧道が登山道として整備されているとの事。遠回りになる林道経由より幾らか短縮できそうなので、こちらを通る事に。

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芋峠旧道。元々は林道だったのでしょうか、暫くは幅の広い道が沢に沿って続きます。

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芋峠旧道は奈良盆地と吉野を結ぶ古い道で、地蔵のようなものもちらほら。歩いていると盛大に路面が崩壊している箇所が。とても車は通れそうにないですね。

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道標に従って歩いていると沢沿いから離れ、完全に山道になりました。道はやや朽ち気味ながらも、案内についてはしっかりしているので迷う事はなさそう。

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暫く山道を歩くと林道と合流しました。のんびり歩いて1時間くらいだったので、だいぶショートカットできましたね。

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[10:38-10:41]芋峠

明日香村との境である芋峠に到着……芋ヶ峠と記載されている事もあるので、読みは『いもがとうげ』なのかな。

さて、ここからどうしよう。明日香村側にも伸びている旧道を下って観光してもいいですが、明日香なんて洗練された観光地、この一週間以上の山歩きを経た小汚い格好では許されないような気がする。

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予め考えてあった案の一つである高取城方面に転進する事にしました。高取城までは尾根伝いの山道。前日痛めてしまった足もまだ完治してないのでちょっと悩みましたが、距離は大した事なさそうなので行ってみる事に。

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尾根なので若干のアップダウンが続きますが、流石に奥駈道みたいにはきつくはないですね。あんまり整備されていないハイキングコースという感じ。

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歩いていると、やや開けた所から台高山脈北端の高見山らしき山が見えました。

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林道が尾根上を通っている区間も多く舗装路歩きとなる事もしばしば。

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道はよく整備されている上に案内も十分……ですが日曜にも関わらず誰とも遭遇しませんでした。

ちなみに芋峠から反対方向に歩くと十三重塔で有名な談山神社の方に行けるとの事で、途中でそっちでも良かったなと思ったり。

高取城周辺

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山道を歩いていると突如として高取城の石垣が現れました。末端のこの辺りはあまり整備されていないのか崩壊しかけています。

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吉野側の入口である吉野口門跡を越えると、本丸の周囲を取り巻くようにある石垣を、吉野口門とは真逆にある三の丸近くの大手門まで迂回するように進みます……位置関係がよく分からなかったら高取城跡の地図を御覧ください(pdfです)。

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石垣を眺めながら歩きます。観光客もこの付近には来ないみたいで人気は全くありませんでした。

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付近には井戸跡があります。先程の地図を見ると分かるように、この辺りの平地にはかつて侍屋敷が所狭しと立ち並んでいました。

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[12:27-13:01]高取城(高取山)

三の丸に回り込み大手門を潜ります。ここから先は袋小路ですので、荷物を置いて手ぶらで向かいます……これで見た目に関しては観光客かな。

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高取城南北朝時代にこの辺りを治めていた豪族の越智一族によって築城されたのが始まりですが、石垣など本格的に整備されたのは安土桃山時代豊臣秀吉の配下である本多利久が城主となって以降となってからの事。以降は高取藩の藩庁として使用されていましたが明治初期に廃城

現在では岐阜の岩村城、岡山の備中松山城と並び日本三大山城に選ばれているのだとか……こういう何大なんとかって誰がどういう基準で選んでるんでしょうかね。割と言ったもん勝ちな気がする。

その遺構と言えば石垣くらいなものですが、山奥で不便だったという事もありかなりの規模でそれが残っています……が、あんまり保全整備されていないのか、崩れている箇所もちらほら。変に整備したりするとどこぞの天空の城みたいに小奇麗になりすぎて興醒めしてしまう所もありますし、難しい所です。

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休日で紅葉も見頃でしたから城内はハイカーで賑わっていました。賑やかな山なんて随分と久しぶりな気がする。木彫りの熊も妙にリアルな割には和む。

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本丸のあたりは広場のようになっており、皆ここで昼食を食べたりと気の抜ける空気。孤独で過酷な奥駈道からいい感じワンクッション踏めてますね。

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本丸の様子。周囲は木々で茂っていますが、南側の展望は良いです。

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この日も霞みがちですが、前日まで歩いていた大峰山脈はよく見えました……見えましたけど、何が何だかという感じ……ここでの山座同定にやったらと時間かかりました。

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やや望遠で。中央左の霞んでる山が弥山八経ヶ岳で、その右側が釈迦ヶ岳? その左側のちょっと低く尖った山が山上ヶ岳と大普賢岳? 自信なし。

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先程のが大峰山だとすると、こちらは大台ケ原方面となりますが。こんなデコボコした山でしたっけ。見る方角が違うと見え方も違うのかな。

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本丸の石垣の様子。北西方向に天守台があります。

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天守台がからは奈良盆地がちらっと見えます。こちら側の展望については宗泉寺方面に下った所にある国見櫓跡が良いみたいですが、今回は壺阪寺に下るので立ち寄りません。

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そこそこに満喫したら下山します。出発が遅かったので、なんだかんだでもう昼過ぎですし。

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本丸から下った所。晴れてきて紅葉がいい感じに映えています。

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こちらは御神木。樹齢700年の杉の木芙蓉姫と名付けられています……って事は築城した頃にはもう生えていたのかな。その芙蓉姫という名前は高取城がかつて芙蓉城との別名を持っていたからでしょう。

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大手門に戻り荷物を回収します。その間にも引っ切り無しにハイカーが登ってきていました。

高取城→壺阪寺

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壺阪寺方面に下山します。概ね整備された道ですが階段が太腿に響く。

そしてハイキングの山では流石にこの大荷物は目立つのか、事ある毎にどこから来てどこへ行くのかと突っ込まれる……流石に奥駈の人はここまでは来ないみたいですね。くっつけて歩く意味も無いですし。

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どーんと林道との交差点に建つ石碑。

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壺阪寺までは登山道と舗装路が平行しており、全員が全員登山道を歩くわけではなく、半数以上の人は歩きやすい舗装路を経由しちゃうみたいです……ハイキングしようぜ。

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途中、五百羅漢なるものがあります。安土桃山時代、城主となった本多利久に命じられ掘られたものなんだとか……すぐ隣に新品もありました。新しすぎて違和感ありますが、これも500年くらい経てば風格も出てくるのかな。

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どんどん下っていると壺阪寺の伽藍が見えてきました。すぐ横を通りますが、拝観料が必要なお寺なので正門の受付までぐるっと迂回する必要があります。

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途中、奈良盆地が見えました。連綿と続いていた山並みの終わり。長い登山の終わりを感じさせる。

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やや望遠で。中央左には大和三山の一つである畝傍山。奥の平たい山が矢田丘陵で、左に生駒山があります。左端手前には、見切れていますが近鉄吉野線の車両も。右側のビル立ち並ぶ街は近鉄大和八木駅付近、近鉄百貨店も見えます。

壺阪寺見物

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[13:52-15:19]壺阪寺

入場料を払って境内に入ります。壺阪寺の正称は法華寺白鳳時代創建の古刹ですが、伽藍は過去何度か消失しており、再建のものが多いです。

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仁王門鎌倉時代の建築ですが、何度か解体修理されているので小奇麗。

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仁王門内部の金剛力士像。眼力が良いね。

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階段を登っていくと多宝塔。その更に上に礼堂三重塔があります。三重塔は室町時代の建築で重文指定。

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三重塔の前にはこんなのがありました。壺阪寺は明治期、人形浄瑠璃の壺阪霊験記で眼の佛として大衆に知れ渡る事となりましたが、現在でも眼病封じの霊験を求めて多数の参拝客がやってきます。

境内にはそうしたニーズに沿った施設がものもちらほら……自分も視力の低下が気になってたので、周囲に人が居ない中を見計らってこっそりやってみました。1.0に戻れ!

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礼堂である普照堂は室町中期以前の建築。本堂となる八角円堂はその裏側に通じています。

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靴を脱いで礼堂に入る。堂内部も撮影OKというサービス精神旺盛なお寺でした……こちらでも目に関わるものが色々と陳列されている。

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本尊である十一面千手観音菩薩八角円堂の中心に座しています。受付で眼病封じの祈願を頼むと木札を授かり、本尊の目の前まで行ってお参りする事ができます。

ちなみにこの時貰った木札を次回来る際に提示すると600円掛かる入場料が無料となり、リピーター確保に一躍買っています。なんと商売上手な。

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礼堂の後ろに隣接する八角円堂をぐるりと。右奥に見えるのは二上山です。

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創建の古い壺坂寺ですが、インドとの関わりが深いという事もあって境内にはインド風の仏像や建築物があちこちに建っています。日本の古い寺と違って上座部仏教的な感じ……堅苦しい寺もいいけど、たまにはこういうエキゾチックな所もいいですね。昔、アジアを旅行した時の事を思い出します。

右側は世界遺産であるインドのアジャンタ石窟寺院をモデルにした天竺渡来大石堂。お寺の観光というと子供なんかは退屈しそうですけど、ここなら全然楽しめそう。

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うろうろしていると腹が減ってしまったので、境内にあるつぼさか茶屋にて遅い昼食としました。境内の見物も後半はカレー風味だったのでインドカレーを注文。スパイスが効いていて、米もバターライスの本格派でした。

サービスで飲めるお茶は目薬の木茶。メグスリノキというカエデ科の木の樹皮を煎じたもので、これも眼病予防になるのだとか。お土産としても売ってました。

 

壺阪寺→壺阪山駅

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見物を終えたら下山です。入口には路線バスが発着していて、それに乗れば駅までワープできるのですが……那智からはるばるここまで歩いてきておいて、そんな終わり方でいい訳が無いよね。

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暫くはハイキングコースが整備されています。麓から近いからか妙に不法投棄が多い……というかなんだこの古いテレビ。夜中通り掛かるとひとりでに点いてたりしそう。

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山道を下りましたが、駅まで2.5kmと少々距離があります。

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途中、土佐の集落を抜けていく。江戸期には高取城の城下町として栄えた所で、古い町並みが残っています。

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途中で90度折れています。ここを東側に進めば旧高取藩筆頭家老の屋敷である植村家長屋門が見られるのですが、下調べ不足で足を運べず。

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この付近は大和売薬の中心だったので、くすりの資料館なんて唆られるものも。ちなみにここに日本100名城のスタンプがありました。

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薬の町ですから漢方薬のお店なんかもありました。

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奈良らしい雰囲気のある町並みでした。

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[16:30]壺阪山駅到着

那智から歩き始めて九日目、これが正真正銘の下山。以降は文明の利器を活用しての移動となります。

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久々に乗る文明の利器は単線で各停は30分に1本しかやってこず、ちょっぴり待たされました。大阪に行くなら特急に乗っても良いんですが、宿は奈良市内なので。

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吉野線に乗って橿原神宮前へ……この辺りに来るの久しぶり。早く着いたら伝建地区の今井町辺り散策したかったですが、もう暗くなり始めているので真っ直ぐ宿に向かいます。

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奈良市内に移動。三条通りやその付近をぶらぶらして色々と調達。

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奈良駅前のスーパーホテルにてチェックイン……光の速さでお風呂に入り、服を洗濯機で回している間に夕食。前の日の晩御飯は上品な料理でしたので、本日はその反動でジャンキーな焼肉弁当+唐揚げという組み合わせとなりました。

それに合わせたお酒は、銘柄篠峯で知られる奈良御所の千代酒造櫛羅・純米山田錦・中取り無濾過生原酒。櫛羅は御所市内の字名で、その地区の地場産米を使用したものなんだとか……味わいはやや辛口。活性感が強いながらも味が太く、コッテリした焼肉に合うお酒でした。

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次回『熊野古道中辺路&大峯奥駈道縦走 帰路と総括』に続く。

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