剣山系縦走その3(お亀岩避難小屋→三嶺→高ノ瀬→次郎笈→剣山→一ノ森)
前回記事『剣山系縦走その2』からの続きです。
この日は剣山系の主峰である三嶺、次郎笈、剣山の三つのピークを踏破するという今回の登山におけるハイライト的な一日。前日宿泊したお亀岩避難小屋を出発し、先ずは西熊山から剣山系西の主峰である三嶺へ。この日は終始展望を堪能しながらの尾根歩きですが、道程は非常に長い。三嶺の後はカヤハゲ、白髪避難小屋、高ノ瀬、丸石とピークを越えていく。次郎笈に到着する頃には疲労感もそこそこ溜まっていましたが、そこから臨む剣山は疲れを忘れる程に素晴らしく、そして剣山から臨む次郎笈もまた同様に目を見張るものがありました……その後はテント場があるとされる一ノ森まで移動。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。
【2021年3月】剣山系縦走登山についての情報と記録 - 山とか酒とか
また登山の以外の旅行の日程は以下に掲載していますので、山に飽きたらご覧下さいませ。
目次
お亀岩避難小屋→西熊山→三嶺
午前3時半に起床。前日はなんやかんやで寝付くのが遅くなり、その遅延が波及して目覚めも遅れてしまった。今日は行程が長いから早出したかったのに……と慌てても仕方ないので、のんびり寝袋に包まりながら朝食とコーヒー。形だけでも普段通りの朝を演出。
さあ出発しようと靴に爪先を突っ込むも入らない……よく見るとガチガチに凍結していました。前日の雨の中の笹漕ぎで思いっきり浸水したので、もしかしたらとは考えたんですけど、正直そこまで冷え込むとは思っていなかった。
手持ちの温度計を見るとマイナス3℃。この程度であれば普段なら凍らないんですけど、テントを張ったのは常に強風が吹き付けている稜線上。氷点下の風に一晩晒されてこの有様でした……ここまで見事に凍ったのは一昨年の晩秋、大峰山の弥山でテントを張った時以来かも知れない。
靴が履けない事には身動きが取れないので、力づくでこじ開けて無理矢理にでも履く。そして後々体温で柔らかくなってきたら改めて靴紐を締める事に。とは言え凍傷になっても困るので、テントの撤収中は血行促進の為にも常に足踏みを続けていました。
乾燥目的で張ったテントも水気が飛んでくれる前に凍り、びっしりと霜が張っている始末。色々と目論見通りには行かない。素直に避難小屋に泊まった方が良かったんじゃない?
[5:19]お亀岩避難小屋出発
寝坊に加えて強風の中での凍ったテントの撤収にやや難儀したという事もあり、本来の予定より1時間遅れでお亀岩避難小屋を出発。日の出前に三嶺に登り山頂から御来光を拝むという、一日のスタートとしては中々に完成された段取りでしたが、ここまで遅れてしまうと挽回は無理。途中なんでもない所で日が昇ってしまうだろうなと既に諦めムード。
避難小屋の分岐に立つ看板には「こっちの水もおいしいよ!」という文言……確かに美味しかったですね。甘くはなかったけど。
ヘッドライトを灯して歩き始めるも、既に空がグラデーション掛かっていました。夜と朝の狭間の時。
南西方面の空。まだ薄暗いものの、前日歩いた地蔵ノ頭や天狗塚といったピークは見える。
コース上に若干の残雪が。踏み越えていくと、ざくざくと小気味よい音がする。
[5:46-5:55]西熊山
お亀岩避難小屋から三嶺方面の一つ目の起伏を登った所が西熊山です。縦走路上にある地味なピークですが、標高に関しては天狗塚よりも僅かに高い。
西熊山からの展望。まだまだ薄暗く、見える稜線の悉くがシルエット状……この夜明け前特有の景色は割と好き。一日の始まりという感じがする。
三嶺、剣山方面を少し望遠したもの。剣山は三嶺の山体に隠れて見えませんが、その対となる次郎笈のピークはその右側に見える。
次第に白味を帯び始めた西の空。正面の地蔵ノ頭から左に尾根伝いに進んだ所が綱附森で、その右側には土佐矢筈山も見える。どれも前日乗り越えてきた山々。
後光が差し始めた三嶺方面へ進みます。西熊山からは隣近所のようにも見えますが、間にそこそこ大きめのアップダウンがあるので、コースタイムは1時間強と案外時間が掛かる。
最鞍部の大タオに下りきった所から祖谷山地方面の展望。今回登るまでは存在すら知らなかった山域。その稜線は一際存在感があり、いつか縦走してみたいなと思える……道中の水の確保は大変そうですけど。
歩いていると突如、三嶺の背後が眩く瞬いた。山の向こう側で日の出を迎えたようです。
笹に覆われた西熊山。朝日がその山肌を徐々に上の方から照らしていく。
三嶺までもう少しという所で山頂の肩から太陽が姿を現した。長い一日が始まる。
幾つかの起伏を乗り越えてきた所。朝日に照らされる範囲も次第に広がってきた。
笹原を横切る鹿の姿。自分の姿を見つけるや否や全速力で走り去っていく。
登りの最中から振り返る。暗くて何も見えない中歩いてしまうのは勿体なかったかなと後悔を覚える程の極上の稜線。
三嶺の直下に差し掛かった所。望遠してみると山頂には人の姿が……前日前々日と誰一人と会わなかったので、人の姿を見つけたというだけでテンションが上がり気味。
山頂直下には高知県側の登山口である堂床方面に降るコースがあります……が、道筋は細くそこまで歩かれてないかなと言う印象。
山頂直下の雰囲気。奥に見える綱附森付近の平たい稜線と比べると起伏が大きく、また違った印象を受ける。
三嶺→カヤハゲ→白髪避難小屋
[7:10-7:41]三嶺
三嶺に到着。この山域の縦走における主幹を成すピークの一つです。1時間早く着いていれば御来光を拝めたんですが、到着時点では既に日は高々と昇っていた……これはこれで落ち着いて景色を眺められるので、まあ良しという事で。
山頂からの眺めは流石とも言うべき360度の大展望。これまで歩いてきた天狗塚方面の稜線から、これから向かうべき剣山方面の稜線までの全てが見通せる。
こちらは歩いてきた天狗塚、綱附森方面の稜線。雄大な笹原の尾根道が遥か遠くまで続く。奥には石鎚山系も見えるはずなんですけど、この日は若干霞みがちで遠くの山はあまり見えませんでした……とは言え初日の三方山や弘瀬山を含め歩いてきた山の殆どは視認できたので、ほぼほぼ満足です。
望遠して繋げたもの。左端に綱附森、地蔵ノ頭とその左側に土佐矢筈山が見えます。西熊山の奥、牛ノ背の右側には京柱峠北の牧場跡のススキ野原も見えますね。残置された有刺鉄線に手こずった記憶が蘇る。
今まで歩いてきた山を中心に幾つかの山名を入れてみました。三方山の奥の山塊が気になったものの薄くて判別できず。奥工石山にしては小さすぎるし、東赤石山にしては遠すぎる気がする。
天狗塚方面を単体で。見れば見る程に秀麗な稜線。起伏もそこそこ富んでいて迫力もある。
こちらはこれから進もうとしている高ノ瀬、次郎笈、剣山方面の山々。右側の尾根を一旦下って白髪山方面へ進む。その後は写真の左右に伸びる稜線を尾根伝いに延々歩き、太陽の左下辺りに聳える剣山の方まで本日中に歩き通します……本当に歩けるのか、自信が揺らいでしまう程の遠さ。
稜線を望遠で撮ったもの。起伏はこれまで辿った道と比べると幾分か小刻みですが、その分距離が長く見える。
逆光なので多くの山は見えませんが、これから歩く山々を中心に山名を書き加えてみました。共に翌日登る山ですが、丸笹山の左背後に赤帽子山が見えたのは少し意外。
本日の目的地である剣山、次郎笈を見据える。力強い陽光を浴びて溶けかけている。
山頂の雰囲気。指導標の「剣山まで17km」という文字が中々の圧を放っている。山中での10km越えって相当な距離という認識……実際は平坦なので数字程の印象はないんですけど、思わず身構えてしまう。
三嶺を下りカヤハゲ、白髪山分岐方面に進んでいきます。こちら側は暫く下り基調の道が続き、特に三嶺の直下は若干傾斜が急。
三嶺から剣山にかけての縦走路は全体通してなだらかで急登らしき急登は殆ど存在しないのですが、この付近のみ急峻で鎖場も登場。しかしこれを越えれば本日は最後まで難所なし。
尾根筋の少し離れた所に佇んでいる大岩。簡単に攀じ登れそうですが、まだまだ先が長いので自重。
難所を越えて下ってきた所。この付近から見上げる三嶺は所々で岩が露出し、特に厳めしい印象。
こちらはカヤハゲ方面。名前が示す通り山頂部には髪、いや木々が無い。
緩やかな傾斜のカヤハゲへの登り返し。この付近でも朝方は氷点下に達していたようで、池塘には薄氷が張っていました。登り返しの道はやわやわで少し前まで雪が残っていたような感触。
カヤハゲの直下から三嶺。山の姿形という点では今回の山行において一番の格好良さ。Most impressive mountainだと思う。
少し登った所から三嶺だけ単体で。自分が辿ったコースとは逆に、この景色を見据えながら三嶺に挑むというのもクライマックス感があって楽しそう。
[8:34-8:40]カヤハゲ
カヤハゲの山頂から三嶺を見据える。山頂周辺は全くの不毛の地と言う訳ではなく、一帯はススキの群生地となっています。
一風変わった山名ですが別名に東熊山とあります。三嶺の向こう側にある西熊山の対となるピークなのかもしれません。
三嶺の山頂付近を望遠で。山肌に大小の岩が入り交じっているのが特徴的な山容。
白髪山分岐方面へ進みます。鞍部である韮生越の辺りまでススキ野原が続いている。
ススキ茂る坂を下りきった所が韮生越の分岐です。ここからも堂床方面に降る道が分岐していますが、破線コース扱いであまり歩かれていない雰囲気。
登り返した先にある白髪山分岐のピークを見上げる。30分程度の登りです。
明るい雰囲気の樹林帯を進んでいく。
登り返しの途中から綱附森、天狗塚方面の展望。その鞍部に見えるのは土佐矢筈山です。この付近は稜線がコの字型に大きく蛇行しており、見える山並みの印象がその都度変わるので退屈しない。
[9:23-9:36]白髪山分岐
白髪山の分岐点に到着。分岐という名ですが確固たる一つのピークであり山頂です。
分岐からのほぼ360度展望。白髪山は中央左の黒い山です。分岐から往復1時間と手軽に寄り道できる距離なので、ここに荷物を置いて手早く往復……のつもりでしたが、まだまだ先は長い上に行程も遅れ気味という訳で残念ながら今回は見送りに。さらば土佐富士。
分岐から三嶺、カヤハゲ方面の展望。一つ一つの登り返しが大きく案外しんどい道程でした。
こちらは進行方向、剣山方面。剣山、次郎笈共に白く霞んでいて、まだまだ距離を感じさせます。手強い。
少し下った所に避難小屋があり、そこにはテントを撤収している人の姿が……先程三嶺の山頂で立っていた方のようです。
白髪山方面の分岐。名残惜しいですがまた次回。遠い山ですから次がいつになるのか、そもそも次はあるのかって感じですが……遠路はるばる、また来てもいいなって思えるくらいには良い山域なので機会があれば。
白髪避難小屋→平和丸→高ノ瀬
[9:43]白髪山避難小屋
分岐から10分足らず下って白髪山避難小屋に到着しました。小屋そのものも小ぢんまりと纏まっていて良いですが、隣接するテント場は広々とした草原にあり絶好のロケーション。ザレ気味で平地の少なかったお亀岩よりも居心地は良さそう。
ここで先程見えたテント撤収中の方とお喋り。丸二日全く人に会ってなくて少なからず寂しさがあったのか、妙に話し込んでしまった……この方とは剣山まで追い抜き追い越されという感じで所々お会いし、その都度お喋りを楽しみました。
白髪山分岐以降暫くは小刻みな起伏を幾つも越えていくような尾根道となります。平坦な箇所も多く歩くのは楽な分、コースタイムは若干厳し目。
振り返り白髪山分岐と白髪山本峰。こうして見ると存在感あるピークなので、やっぱり登りたかったかな……絶対に展望良さそうだし。
立ち枯れした白骨林の合間から三嶺、西熊山、天狗塚方面。こちらから見る三嶺もまたシンボル的で良いですね。角度によって表情が異なるのが楽しい。
白髪山避難小屋を出発して一つ目の起伏が平和丸というピーク。数分で登れてしまう程度の登りですが、こんな登り下りが無数に続く。
平和丸手前からの展望。白髪山から三嶺までの稜線が屏風のように立ちはだかる。
少し登った所から白髪山分岐。前日、間近で見た時はあれだけ存在感のあった天狗塚のピークも、これだけ離れているとアポロチョコのように小さく見える。
[10:11]平和丸
平和丸のピークに到着。この辺りは鹿の食害が激しいようで、所々で植生回復用のロープが張られている箇所がありました。
次のチェックポイントである高ノ瀬方面へ進みます。すぐ右手に見える山々は中東山方面へ伸びている稜線で、右後ろの石立山のピークまで続いています。
基本尾根筋を外さず歩きますが、トラバース路が整備されていて登り返しをカットできる所もしばしば。
幾つ目かの登り返し。登り返し一つ一つの大小は様々ですが、傾斜に関してはどこも緩く楽に登れる。
歩いた道を振り返った所。白髪山やその分岐は既にそこそこの距離感……起伏は少なく歩きやすい道なので思った以上に距離が稼げる。
のっぺりした雰囲気の笹原に入りました。居心地が良いのでこの付近で一旦休憩と、何とはなしに笹のベッドに寝転がってみる……マダニが潜んでいそうな気配。すぐに思い直し身体を起こした。
歩いてきた道を振り返る。三嶺もいつの間にやら遠く、そして小さくなっていた……もう随分と歩いてきた印象ですけど、まだ縦走路の半分も歩いていないという驚愕の事実。
剣山方面。着実に距離を詰めつつあるものの、その間には幾重かの稜線が見え距離を感じさせる。
剣山と次郎笈を正面に見据えながら進んでいく。次郎笈は剣山より手前にあるからでしょうか、山体は剣山のそれよりも少し大きく見える。
緩い傾斜、雰囲気の笹尾根を進んでいく。中東山方面の稜線が間近に迫ってきた。
ややトラバース気味の縦走路。ほぼ全区間こんな感じで刈り払われており、歩きやすい道でした。登山慣れしていなくても体力さえあれば歩き通せるコースでしょう。
北側に聳える祖谷山地の山々を眺める。麓の谷間には奥祖谷の集落であり三嶺の登山基地でもある名頃集落が見えます。
中東山分岐手前の1,738mピークからその尾根筋を眺める。奥の石立山まで縦走路が続いているらしいですが、そこまで人の通りは多くはない様子。
振り返り白髪山、三嶺方面。緩い笹の起伏を延々と歩いてきました。
[11:30]中東山分岐
中東山方面への尾根道はこの看板から分岐しますが……どれくらいの人が通るのかな。
写真左側正面、高ノ瀬のピークが近付いてきました。その右側には後に目指す剣山、次郎笈の山々が。ようやく尾根続きに見えるようになってきた。
剣山を見据えながら進んでいく。偶に振り返り三嶺を眺めて気分転換。
小刻みな起伏を幾度も乗り越えていく。
剣山と次郎笈を望遠で。流石に近付いてきたのか、山頂にある木道や電波塔なども確認できるように。
左側の小ピークが高ノ瀬の山頂です。幾つかある登り返しのうちの一つとそう変わらなかったので、いざ登ってみるまで山頂と気付きませんでした。
高ノ瀬→丸石→次郎笈
[11:56-12:16]高ノ瀬
高ノ瀬に到着……読みは「こうのせ」と重箱読みです。標高は1,741mで三嶺から次郎笈までの間では最も高いピークですが、縦走路の中間点というような地味な雰囲気な山頂でした。
元々の縦走路はこの山頂を経由せず南側斜面をトラバースするものだったようで、古い案内なんかだとそのように記載されています。旧ルート上には伊勢の岩屋と呼ばれる水場もあったらしいですが、現在では殆ど廃道と化している。
高ノ瀬からの展望。なだらかな笹尾根の途中という風情。ピークそのものは大きな起伏ではなく地味ですが、展望はこれから向かう剣山、次郎笈の他、南側に広がる渓谷も見下ろせる。
少し引いて山頂広場を入れたもの。ここで三嶺から剣山方面に縦走しているトレランの方と遭遇、本日3人目くらいの人との出会い。小話した後、南斜面を下って水場を探しに行ったものの見つけられなかった様子。
剣山と次郎笈をバックにした構図が最高過ぎたのでトレランの方に一枚撮って貰いました。少し前までは遥か遠くの山という認識だったのが、今や立ち塞がるかのように聳える山体。いよいよ核心部が近付いてきたという実感が湧いてきた。
一方、徐々に遠ざかっていく三嶺。名残惜しい。
少し進んだ所から南側の展望。高の瀬峡と呼ばれる渓谷が広がっており、紅葉の名所として知られているらしい。山奥中の山奥とも言うべき所のV字に大きく切れ落ちた谷筋。人跡未踏、深山幽谷の趣がある。
鞍部の丸石避難小屋までは一旦下り基調となる道。北側に見えるなだらかを通り越して平坦とも言える稜線は、丸笹山から塔丸方面に伸びる尾根道。左側の少し小高くなった所が塔丸のピークです。
高ノ瀬を振り返る。相変わらず歩きやすい道ですが、こうした地味なアップダウンの積み重ねが徐々にダメージになりつつある。
丸石避難小屋の分岐に到着しました。この分岐から1時間半程度下れば国道沿いの二重かずら橋に行き着く事ができます。手軽に稜線上まで登れるアクセス路の一つで、人は結構歩いてそうな雰囲気の道。
[13:03]丸石避難小屋
少し進んだ所に丸石避難小屋があります。白髪山避難小屋と同じタイプの造りの小屋で、テント場も周囲に幾つか設けられています。こちらは木々が多く静かな雰囲気……基本テント泊な人間なので、テント場を見つけると何かと観察してしまう癖がある。
次に目指すのは丸石のピーク。進んでいるとアレが丸石か?って思うような丸っこい岩が視界に入る……なんかお餅とか大福のように見えて仕方なかった。3日くらい山歩いてると無性に和菓子食べたくなるんですよね。特に餅菓子なんかは硬くなるので持っていけないし。
正面に次郎笈と剣山を見据える。長い長い稜線歩きもようやく終わりが見えてきた感じがする。
地味にしんどかった丸石への登り返し。なんともない登りなんですけど流石にバテて来たか。
[13:42-13:58]丸石
しんどい登りをなんとか越えて丸石に到着。このピークも視界を遮るものはない一級展望地。
丸石からの展望。ここまで来れば次郎笈までは登り返し一回控えた程度と近いですが……その登り返しは標高差300mを越える本日一番の山場。のんびり行こう。
アレが丸石か?と下から見えた岩は、山頂から北側に伸びる支尾根を進んだ先にあります。こちらから見ると大して丸くないですね。大福と言うよりは雷おこしに近い。
次郎笈目指して出発します。幾つかの起伏を乗り越え最鞍部へ。
この一歩一歩進むにつれて次郎笈が近付いてくる感じ……足を止めて見上げる度にその山体は一回り、二回りと大きくなる。
前方の笹原の広がりが最鞍部で、ここから次郎笈の山頂まで登り一辺倒の道となります。今日一番の踏ん張りどころ。
最鞍部は南側を走るスーパー林道に下る分岐点となっています。こちらもお手軽登山コースで、登山口から僅か30分程度で稜線上まで登れてしまうらしい……。
次郎笈方面の稜線を見てみると人影が見える。これまでも何度かお会いしている白髪山避難小屋の方でした。
少し登った所から丸石方面を振り返る。緩やかに盛り上がった笹の起伏に長閑さを感じる。
最初の急登を越えた後の稜線歩き。
再び緩い起伏の笹尾根となりました。この日は似たような景色がひたすら続く尾根歩きに終止していましたが、進む度に見える山が刻一刻と変化するので飽きない。
更に進むと左側に剣山が見えてきた。両ピークの間は吊尾根っぽい様相を呈しており、そこまでの登り返しは無さそうな感じ。
歩いてきた道を振り返る。高度が上がってきて次第に開放感が出てきた。
間近に迫った次郎笈と剣山。少し先には次郎笈を巻いて剣山方面に向かうトラバース路があります。次郎笈の登りは見るからにしんどそうですけど……この立派な山を登らず巻いてしまうという選択肢は個人的には無しです。
分岐から剣山方面を見やる。その左側には翌日登る丸笹山や赤帽子山も……終わりはまだまだ見えない。
次郎笈を巻くトラバース路には水場があるので、分岐にザックを置いてプラティパス片手に向かいます。本日の宿泊地である一ノ森にもヒュッテ併設の水場があるのですが、ヒュッテそのものがまだ冬季休業中……という訳で、ここで晩ごはん用の水の確保。
水場へのトラバース路。このまま進んでいくと剣山方面に行ってしまう。楽したいという気持ちも脳裏を過ぎるが?
数分歩いた所に件の水場がありました……結構な水量の湧水が滔々と流れ出している。次郎笈水と呼ばれ、徳島県の名水にも選定されているらしい。
分岐まで戻り次郎笈の最後の登りへ。区間こそ短いですが、傾斜がきつく見るからにしんどうそうな登り。
険しい急登の途中、振り返った先の景色。景色の良い所は何度も足を止めるので牛歩がちになってしまう。
少し望遠で撮ったもの。朝に登った三嶺までの間に幾重もの稜線が連なっているのが見える……つまり、本日それらを全て乗り越えてきたという事でもある。三嶺の左側には天狗塚や土佐矢筈山方面の稜線も見えますが、そのどれもがあまりにも小さい。
本日一番の急登でしたが、景色を堪能しつつ歩いていたら疲れを殆ど感じる事はなく、まるで頂上の方から近付いてきたかのようにあっさりと登れてしまった。
次郎笈→剣山
急登を登り終えた地点に剣山方面の分岐があります。次郎笈の山頂は南側に少し入った所にあるので、この分岐に荷物を置いて山頂まで往復……ついでにザックの中に重りを消化。五臓六腑に染み渡るのを実感した。
分岐から次郎笈への道。全くの手ぶらなので羽が生えたかのように軽快な足取り。
[15:39-15:53]次郎笈
予定よりも時間は掛かってしまったものの次郎笈に到着。剣山の対をなすピークで、この地方に住む人々を中心に剣山の方を太郎笈と呼んだりするらしいです。
読みは「じろうぎゅう」と読むのですが、最初読み方が分からず「じろうおいずる」と呼んでいた所、白髪山避難小屋で会った方に正しい読みを教えて貰いました。
山名の由来は昔、この一帯の山域が修験道における行場として知られていた頃、太郎と次郎という修験者が笈(おい、おいずるとも呼ばれる)と呼ばれる経文等を入れた背負子を担いで、それぞれの山に登っていったというもの……とされていますが、地名の由来としてはちょっと信憑性が低いような気がします。笈を負った修験者なんて特に珍しいものでも無かったでしょうし。
個人的にはそのまま主峰の剣山を太郎、対となった次郎笈を次郎と呼んでいて、ギュウというのは何らかの一般名詞を示す古語もしくはそれが転訛したものであり、笈の文字は後年になっての後付けなんじゃないかなと思ったり。
剣山系でも第二位、四国でも第三位という標高なので展望は流石というべきもの。 特に鞍部一つ挟んだ先に見える剣山の山体が素晴らしい。
剣山を単体で。本日の最終目的地……と言いたい所ですけど、山頂周辺にはテントを張れるような場所が無いのでゴールはまだ先です。長い一日だ。
非常に山深い場所ですが、標高が高く遮る山がない為か麓の街並みまで見通せます。恐らく二日後に散策する脇町の辺りかと思われますが、霞んでいて吉野川すら判別できない。
手前の建物は大剣神社の社殿で、付近には剣山御神水と呼ばれる日本の名水百選にも選定された湧水があります。手前には神社の由来となった剣のように隆起する大岩があり、剣山の名はこの岩に基づいたという説もあるとか。
これまで歩いてきた長い長い稜線。今でこそ写真を拡大すれば一つ一つ事細かに判別できますが、当時はあまりにも複雑に折り重なり過ぎて何がなんだか分からなかった。
歩いてきた稜線をクローズアップしたもの。西熊山から始まり三嶺、カヤハゲ、白髪山分岐、高ノ瀬、丸石と全てがコンパクトに収まった。
望遠したもののパノラマ。三角形の天狗塚までは容易に判別できます。そのすぐ右が地蔵ノ頭で、そこから大きく左側、白髪山分岐と白髪山本峰との間に見える平坦な稜線が綱附森で、そこから右側、高ノ瀬のピークのちょうど奥に土佐矢筈山が見えます。東西に長く伸びる剣山地ですが、所々でジグザグに蛇行しているんですね。
他、白髪山分岐の奥には初日にも見えた、山頂に電波塔立つ梶ヶ森が薄く見えていたり、険しい祖谷山地の手前に伸びるなだらかな塔丸方面の稜線のコントラストとか……眺め始めたらキリがなくて日が暮れそう。
そして右下の次郎笈の山頂分岐、直下の岩屋で食事休憩していた白髪山避難小屋の人が自分に続いて登ってきた。
暫くして白髪山避難小屋の人と合流。折角なので剣山をバックに撮って貰いました。特に意味もなく中腰。
まだまだ先は長いので、お次の太郎の方に向けて出発。次郎笈の山頂から見た時もそうでしたが、この付近から臨む剣山は整って見えます。
下ってきた所から次郎笈を振り返る。良い山でした。
鞍部である次郎笈峠から剣山方面の縦走路。先程の見立て通り、登り返しは大した事無さそう。
少し進むと幾つかの起伏に視界を遮られて剣山の山頂は見えなくなる。
振り返り次郎笈。握り拳のような形に見える。
剣山への登り返し。傾斜は緩く歩きやすいのですが、案外距離があるのか地味に長く感じる。
岩と夕陽と次郎笈。時刻は17時手前、流石に陰影が広がってきた。
次郎笈からの剣山も中々でしたが、剣山からの次郎笈もそれに負けず劣らずの立派な山容でした。
剣山→一ノ森
[16:58-17:22]剣山
17時頃に剣山に到着。まだ本日の宿泊地である一ノ森への移動を控えていますが、纏まった登りは終えたという事で大休止……風が吹き付けてきて寒い。故にそこまで長居しませんでした。
剣山に登って驚いたのは山頂一帯に張り巡らされた木道。余程洗掘による裸地化が酷かったのか、これだけ徹底的に整備されている所も中々無いですね。雰囲気だけなら丹沢の山と似てる。
山頂部は平家の馬場と呼ばれる笹原が広がっており、木道が敷き詰められている事を除いても次郎笈とは雰囲気が少し違うピークです。
平家の馬場の名は昔、源平合戦で敗北しこの付近に落ち延びてきた平家の生き残りが、来るべき源氏への逆襲に備えてこの地で騎馬訓練を行ったという伝説から由来します。剣山という名も、平家と共に逃れた安徳天皇(安徳天皇の四国潜幸伝説。史実上は壇ノ浦で水死したとされる)が持っていた三種の神器である天叢雲剣をこの地に祀ったという伝説が由来の一つ。
もっとも、剣山という名前自体は江戸時代に入ってから付けられたとされ、それ以前は山容から石立山とか立石山と呼ばれていました。一説には江戸初期頃、周辺の寺院が中心となって参道の整備が行われ、その際に集客目的で平家伝説に肖った名前に変更したという話があります。ロマンもへったくれもない話で恐縮ですが。
西の空、夕陽が三嶺の方に沈みゆく……流石は剣山系の最高峰、素晴らしい展望でした。
西に見える山々を望遠で撮ったもの。この日は空気が霞んでしまっている所為か、石鎚山系は全く見えませんでした。
南側、次郎笈方面の展望。剣山に日帰りで登ってきた人の多くは次郎笈まで足を伸ばすらしい。そりゃそうだろうと納得の堂々たる山容。
こちらは東側、一ノ森方面の展望。やや左側の一番高く、若干双耳峰ぽく見えるのが一ノ森のピークです。近そうに見えますが剣山から片道1時間掛かる。
山頂北側、様々な施設が立ち並ぶ界隈にやってきました。トイレや休憩所や宿泊施設等が立ち並び、さながら街のような雰囲気。
更に先に進むと北側斜面に建つ剣山頂上ヒュッテの建物が見え、その側には宝蔵石と呼ばれる大岩がある。安徳天皇が奉納した天叢雲剣はこの岩に収められたと言い伝えられ、剣山信仰における神体の一つとして扱われている。
うろうろしている間に地平線に近付いてきた夕陽。一日の終わりも近い。
東側の展望ウッドデッキ。ベンチ等は設置されていませんが広々としている。シート敷いて食事をするには良い感じ。
剣山山頂は翌朝も経由します。また明日。
ウッドデッキの端から本日の宿泊地である一ノ森方面へ歩き始めます。後は下るだけ……と思っていたら幾つかの登り返しが待ち構えていた。
背後に剣山。夕陽がその山体に飲まれつつあった。
影が足元にも伸びてきた。追い立てられるように先を急ぐ。
半分が笹に覆われた二ノ森の小さな登り返し。一ノ森はこの裏側です。
見上げれば既に月が浮かび上がっていました。
日没も近く、クレーターも鮮明に見え始める時間帯。
二ノ森のピークを乗り越えて一ノ森を見据える。二ノ森の山頂には小さな社が鎮座していました。
一ノ森の登り返し。北斜面を巻くように登っていくので日陰がちになるのか、道の上には所々で雪が残る。
一ノ森ヒュッテの荷物運搬用のロープウェイが見えてきた。
[18:23]一ノ森ヒュッテ到着
長い長い尾根歩きを経て宿泊地である一ノ森ヒュッテに到着。営業期間外なので人気はなく、ひっそりと佇んでいました。
テント場は東側の斜面を少し下った所にあり、その付近からの展望。尾根はまだまだ天神丸、高城山方面へと続いていますが、翌日以降は下山後の交通アクセスの問題もあって北方向に転進するので、剣山系の主稜線の縦走に関してはこの場所が最東端。
簡素ですが晩飯風景。三晩続いたアルファ米定食に飽き始めた頃。4日前に食べた明石の鯛の味が恋しい。
次回記事『剣山系縦走その4』に続く。