月山の登山を終えた翌日は次なるピークである鳥海山を目指して距離を詰める、半分移動日のような一日でした。前日宿泊した酒田から羽後本荘、矢島と鉄道とバスを乗り継いで秋田県側の鳥海荘から歩き始めますが、そこから見える鳥海山はあまりにも遠くに聳えており……。
「月山から六十里越街道その3」の続きの記事となります。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。
目次
今回歩いたルートのGPSログです。
【移動】羽越本線から由利高原鉄道鳥海山ろく線
朝方、既に明るくなった時間帯。電車の時間に合わせて宿泊した白鳥荘を後にします。一昔前の駅前旅館を彷彿とさせる趣深い宿でした。
玄関で身支度を整えていると旅館の方が見送りに来ておにぎりを手渡されました……無機質なビジホでは中々無いような心温まるサービス。酒田に来たらまた泊まろう。
朝の酒田の街並み。酒田に宿泊した際は翌日、朝一番に漁港の方に出向いてお土産に鮮魚を見繕ったりするのが恒例なんですが…………この日はそのまま山登りなので泣く泣くスルー。また次回。
酒田駅まで戻ってきた所。雲が若干多いながらも、これから登る鳥海山が駅舎の背後に見えています。
酒田駅の改札口。幾つかの特急の始発駅という事もあってか、売店も朝6時台という時間帯から営業していました。
ホームへ移動……古レールを利用した上屋に加え、昔のままの姿を留める貨物ホームの跡地など、かつての一般駅としての趣が色濃く残っている。50年くらい時が止まっているかのような風景。
秋田行きの羽越本線の電車に乗り込みます。朝の通勤通学時間帯の割には2両と短く、県境を越えた象潟や仁賀保の辺りから結構混雑しました。
酒田を出発後程無くして、車窓からは庄内平野らしい田園風景が広がる。しかし山形県との県境に近付くにつれて平野は次第に狭まっていき、鳥海山が間近という所まで迫ってくる。
この付近の吹浦や象潟が鳥海山登山においてメジャーな大平口や象潟口のアクセス駅なんですが、今回はそちらからは登らないのでスルー。鳥海山は一旦は遠ざかっていく。
県境から更に日本海沿いに北上して羽後本荘駅へ。ここから第三セクターである由利高原鉄道の鳥海山ろく線に乗り換え。元々の国鉄矢島線で、この路線を利用して鳥海山の北麓にある矢島の町へと向かいます。
後々になって撮った写真ですが、こちらが羽後本荘の駅で購入した由利高原鉄道の切符。レトロな硬券でした。(降車時、記念に欲しいと言ったら頂けた)
羽後本荘を出発して暫くは羽越本線の線路に沿って走っていく……ローカル盲腸線であるこちらよりも幹線である羽越本線の方が草ぼうぼうなのが少し気になる。
羽越本線の線路から離れ、以降は子吉川沿いの田園風景の中を進んでいく……すぐに鳥海山が見えてきました。
唯一の列車交換可能駅である前郷駅での行き違い。この線区では信号が自動化しておらず、タブレットやスタフの交換といったアナログな閉塞方式が現役で使用されていました……ホルダーを持った駅員がホームで待機する姿はどこかノスタルジックな光景。
前郷駅を過ぎると更に山の方へと入り込んでいくものの、視界に入る鳥海山は依然として遠くに見える。
途中には仮乗降場のような簡易的な設備の駅も多く、中には一面の田んぼの中にホーム一つがぽつんと佇んでいるような駅も。
終着駅である矢島駅に入線し、線路の終端部も見えてきました。現在でこそ盲腸線となっている旧矢島線ですが、計画段階では横手盆地の中心都市である横手から伸びていた羽後交通横庄線と接続し、羽後本荘と横手を結ぶ路線となる予定でした。
揺られてきた由利高原鉄道の気動車と矢島駅のホーム。ホームは片面のみで側線が数本という、如何にも終着駅らしい風景。国鉄時代は旧国名が頭に付いて羽後矢島という駅名でした。
矢島駅のホームの様子。由利高原鉄道の車両基地としての役割もあるのか、構内には車庫もある……その外壁にはこの矢島の町に所在する二軒の蔵元の銘柄、天寿と出羽の冨士の看板が掲げられていた。
矢島駅の待合室の様子。やや新し目の駅舎の中にはパネルがあったり立て看板が置かれていたり案山子が立っていたりと賑やかな雰囲気。
駅舎内には水槽や展示コーナーも。ガラスケースの下段には地方の駅ではよくある地元の銘酒コーナー。そして上の段には台湾国鉄の平渓線という懐かしい名前が。鳥海山ろく線と姉妹鉄道を結んでいるようで、それに纏わる展示物が並べられていました。
こちらがその平渓線の写真で、だいぶ前に台湾を旅行した際に訪れた時のもの。日本統治時代に運炭路線として建設された路線で、台北から距離が近いという事もあって気軽に乗りに来れるローカル線として観光地化していました。
写真は平渓線のハイライトである十分駅近くの商店街の中を走る区間……機会があればまた行きたいですね。
矢島散歩 鳥海山北麓の町
矢島駅の外へ。ここからバスに乗り換えて更に登山口近くまで移動するのですが、乗り継ぎに少し時間があるので暫し矢島の町を散策。他、初日に閖上で調達した日本酒が減ってきたので、ついでに近くの酒蔵で日本酒の調達も。
駅前から矢島の市街地が広がっています。現在は由利本荘市に属していますが、平成の大合併以前は矢島町という独立した自治体でした。
駅から少し歩いた所にある天寿酒造へ。矢島の町に2軒ある酒蔵の内の1軒で『鳥海山』の銘柄は何度か飲んだ事があります。2軒あるので少し悩んだのですが、今回はこちらの酒蔵で調達する事に。
天寿酒造の売店の様子。観光客も多く訪れるのか小綺麗に陳列されています。目に入ったのは冷蔵ケースには収まった蔵元限定販売という生酒……蔵元限定という文言に滅法弱い為、特に迷う余地もなく決まってしまった。
ちなみにこちらの蔵でも試飲の対応はしているのですが、試飲できるのは自身が指定した一種類のみというルールがあるので、複数の種類を並行に飲み比べてその中から一本を……といういつもの選び方はできません。試飲の意味があまりないような気がしますが、とりあえず購入予定の蔵元限定酒を指定して一杯頂きました。
こちらのリンドウの花酵母を使用した生酛造りのお酒も大いに気になったものの、結局味は分からずじまいでした。
購入した鳥海山純米大吟醸生酒グリーンボトル。使用米は美山錦で、純米大吟醸というスペックながらも落ち着いた風味が特徴的。ファーストインプレッションから閖上で購入した宝船浪の音の純米吟醸の方と傾向が似ているかなと思ったんですが、後々並べて飲み比べてみるとだいぶ違った。
天寿酒造を後にして矢島の町中へ。江戸時代に存在した矢島藩の城下町で、先程の天寿酒造の直ぐ側の丘の上に藩庁となる陣屋が置かれていたとされています……今回は時間が無かったので立ち寄りませんでしたが。
ただ、矢島藩が存在したのは江戸初期と明治に入っての数年間と全体から見ればごくごく僅かな期間らしく、どちらかと言えば町中を経由する矢島街道の宿場町や集散地として栄えていたという話です。
東西を縦貫するこの通りが矢島のメインストリート。昔は商店街として賑わっていたのか看板建築の建物が多く並んでいます。古びた洋館風の建物が多いのが特徴的でした。
こちらは矢島の町に存在するもう一軒の酒造である佐藤酒造店で『出羽の冨士』の銘柄を醸しています。『鳥海山』の方は飲んだ事ありますがこちらは一度も無かったので、今回立ち寄らなかったのは少しばかり心残りでした。
矢島の駅前に戻ってきました。かつては向かって右側、車庫の手前の辺りに国鉄時代の駅舎が残されていたらしいのですが、老朽化で2011年に取り壊されてしまったという。
鉄道を鳥海山登山に利用する人はあまり多くはないと思いますが、近くには鳥海山の矢島口の玄関口である事を示す立派な標柱が立っていました。
矢島駅のバス停へ移動……乗車予定の羽後交通の路線バスですが、平日に関しては1日5本あるのでまだ良いものの、土日はその内の3本が運休となってしまう上、その更に先で乗り継ぐバスも全便が運休となってしまうので事実上登山口までのアクセスが不能となってしまいます。
先の月山の登山の際に利用した新庄から肘折温泉までのバスも土日は到達が難しく、双方の乗車日が平日となるように調整するのが予定を組む上で非常に難度高かったです。
その土日運休のバスが入ってきました。羽後本荘からはるばる直通してくるバスのようですが、自分以外に他の乗客の姿はありませんでした。本数が少なすぎる上に鳥海山ろく線と並行しているので、あまり利用されていないようです。
その路線バスで旧鳥海町の町域に入り、鳥海菜らんどのバス停にて乗り継ぎます。農協の直売所のようで、お酒のつまみにでもなりそうな面白そうなものも幾つかあったのですが、ここでの乗り継ぎの時間はあまり余裕が無かったのでゆっくり見てはいられず……。
ちなみに左側に見える乗用車がここから乗り継ぐ由利本荘市コミュニティバス猿倉線で、こちらに乗車して今回歩き始めのスタート地点となる鳥海荘まで移動します。
コミュニティバスから見えた鳥海山……方角が変わった為か、庄内平野から見えた時とはまた印象が異なるような気がします。
鳥海荘→祓川登山口
[10:16]鳥海荘出発
今回の鳥海山登山のスタート地点である鳥海荘に到着しました。周辺は猿倉温泉という温泉地で、鳥海荘はそこに建つ公営の宿舎のようで、元々は国民宿舎だったようです。日帰り入浴や食事もできるらしいので、逆にこちらに降りるパターンもありだったかなと思ったり。
鳥海荘入口には置かれた雪を被った時期の鳥海山のパネル。現在は秋の初めで雪が最も少ない時期という事で黒々としている
鳥海荘の前から登頂を目指す鳥海山を臨む……電車とバスを乗り継いではるばるやってきましたが、全くもって近付けていないですね。途方もなく遠い所に見えます。
山頂部の望遠。北斜面だからか、よく見ると残雪が僅かに残っています。
鳥海荘を後にします。付近一帯の中では特に大きな建物のようで、後に登る鳥海山や中腹の辺りからも確認できた。
暫くは猿倉の集落内を歩いていく。まだまだ人里という雰囲気で登山という感じはしない。
道端で咲いていた蓮の花と、その背後に聳える鳥海山。
田んぼ越しに見える鳥海山。長閑な田園風景の中にシンボル的なものが一つ……絵になって良いですね。
集落の終端部となり家並みが途切れてきた所。鳥海荘から矢島口の登山口である祓川までは距離では7km弱ですが、道は大きく迂回するように取り付けられているので実際に歩く距離は13km弱と倍近かったり。
鳥海山の裾野の森林地帯を歩いていきます。鳥海山グリーンラインという名の通り道の両側が高い木々に覆われており、見通しの利かない区間が多い。
途中、フォレスタ鳥海というリゾートホテル方面の分岐の辺りは開けており展望台もありました……まだ歩き始めてから3km、奥に見える鳥海山の大きさは出発時とそう変わらない。
森の中の舗装路を延々と歩いていく。所々で小さな沢が横切っています。
少し進んだ所で広々とした場所に出ました。奥山放牧場という公営の牧場があった場所のようですが、現在は廃止されており建物もあまり残っていません。
奥山放牧場からは鳥海山も見えますが、まだまだ距離があります。歩いている間に雲が増えてきたような。
まだまだ道は長いので、白鳥荘で頂いたおにぎりをこの時点で頂く。昨日の刺身定食のものもそうでしたが、やはり庄内の米は美味しい。
空を見上げると雲が占める割合が高くなっていた。天気予報では翌日いまいちとの事なので、少し心配になりながら進んでいく。
放牧場から鳥海山を臨む。鳥海荘を歩き始めてから約1時間半、心なしか少しだけ近付いてきたような気がします。
更に先に進んだ所から鳥海山。
放牧場の終端部に到達する頃には雲で隠れ始めていました。この日はこれ以降、鳥海山の山頂部は雲に隠れて見えなくなってしまう。
放牧場を振り返った所。開けている区間もここまでで、以降は再び鬱蒼とした森の中の舗装路歩きとなります。
道を横切る沢の幾つか。水量が豊富なのか、流れる水はどれも澄んでいる。
法体の滝方面の分岐点となる丁字路に到着しました。距離的にはこの地点が今回の舗装路歩きの中間となりますが、以降は傾斜がきつくなり予想よりも時間が掛かった。
分岐点にある立派な標柱。暗くて見辛いですが、これから向かう矢島口の名もあります。
引き続きの林道歩き……雲が増えた事もあって全体的に陰影が濃くなりつつある。歩く分には涼しくて快適。
登り詰めていく途中で鳥海山が見えるスポットもありましたが、既に大部分が雲の中に埋もれていました。
途中にあった謎の駐車スペース。地図にもパーキングのマークがあるので一応ちゃんとした駐車場のようです。お花園湿原という湿原に隣接した場所なので、周辺の散策用に整備されたものでしょうか。
そのお花園湿原がある方面は高い草木が生い茂っており入り込む事ができません……10年くらい前のストリートビューを見ると右の写真の場所に草木の切れ目みたいなものがあるので、その頃は入れたのでしょう。
更に少し先に進んだ所で鳥海山の登山口の一つである猿倉口の駐車場が見えてきました。そこまで人気のある登山口ではないので駐車場はガラガラで、工事の方々のものと思しき車が止まっているのみでした。
[13:40]猿倉口
こちらが猿倉口の入口となります。舗装路歩きもいい加減飽きてきたので、こちらから登り始める事も少し考えたのですが、これから向かう矢島口と違ってコース上に水場が無いらしいのでスルーとなりました。
猿倉口から矢島口の入口である祓川までは距離はそこまででも無いのですが、傾斜が急で200m近く標高差がある。
途中の橋の上から沢の上流部を眺める。上の方にガードが見えているので、あの辺りまで登っていくようです。
九十九折のように進んで高度を上げていく。雲もますます増えてきており、全体的に薄暗くなりつつある。
祓川まで続く舗装路の様子。歩き始めた頃と比べるといつしか道幅も細くなっており、なんだか心許ない。
歩いてきた道の様子。気付けば標高1,000mを越えており、300mくらいしか無かった鳥海荘から結構登ってきていました。
最後の分岐点に立つ看板……褪せていてよく読めない。下の方には平成の大合併後に生まれた由利本荘市の名があるので、そこまで古いものではなさそうですが。
先程の分岐点で小さな尾根に乗ったようで、以降はなだらかな道となる。ここまで来れば祓川はもうすぐという所。
道端のヤマハハコ。気付けば高山植物が見られる標高まで上がっていたようです。
先程、橋の上から見上げたガードロープの辺りに到着。眼下にはこれまで歩いてきた道が見えています。中央の開けた所が先程通過した猿倉口の駐車場でしょうか。
祓川のキャンプ場の標識が立っていました。行程次第ではこちらでのテント泊も考えていましたが、時間的にまだ進めそうなので先へ。
キャンプ場に隣接する湿原でその奥のガス溜まりの中が鳥海山……気付けば完全に雲に埋もれていました。
祓川登山口→祓川ヒュッテ→賽ノ河原
[14:28-14:33]祓川駐車場
鳥海荘を出発して4時間、ようやく矢島口の登山口である祓川の駐車場に到着しました……舗装路歩きは慣れていますが、流石にここまで長いと色々としんどいです。片道3時間が限度かな。
入口には靴底の泥を落とす用の水場がありました。登山口にある水場表示はここのものかなと水筒を水を汲もうとしていると、他の登山者の方に少し先の祓川ヒュッテの水場の方が冷えていて美味しいと教えて頂く……そのヒュッテの建物は歩き始めてすぐという所に見えてきました。
[14:38-15:03]祓川ヒュッテ
祓川ヒュッテに到着。鳥海山においては数少ない有人小屋の内の一つらしいですが、この日は不在でした。
ヒュッテの入口には矢島口のコース状況が掲示されていました。コース上に水場も幾つかあるようですが、この夏の終わりという時期ではその多くが枯れているようで、上から×印が付けられている。
ヒュッテに隣接した所には竜ヶ原湿原という名の湿地帯が広がっており、一帯には散策路が整備されています。鳥海山の登山まではせず、キャンプついでにこの付近の散策をする人も多いらしい。
広々とした竜ヶ原湿原の様子。晴れていれば木道の先に鳥海山が見えるのでしょうが、完全に雲の中となっている。
竜ヶ原湿原の看板と湿原の様子。奥に見える存在感のあるピークは鳥海湖から北側に伸びた尾根上にある稲倉岳。夏道はなく、主に積雪期に登られる山のようです。
湿原に咲く高山植物の幾つか。前日まで歩いていた月山と同様、リンドウが特に多く咲いていました。
他の登山者の方と居合わせたので、これから登るぞという所を写真に収めて頂く。その方は昼前頃から登り始めたものの、途中でガスって心が折れてしまい引き返してきたとの事でした。まあ気が滅入るよね。
もう午後3時という遅い時間帯ですがこれから登り始めます。暫くは湿原内の木道を進んでいく。
湿原の終端部、遊歩道が途切れた所から鳥海山方面に続く登山道が伸びています。
[15:10]祓川神社
山道に入ったすぐの所には祓川神社というそれなりに広い敷地の神社がありました。由緒は不明ですが、矢島口は修験道が盛んであった時代からの古い登山道なので、ここも恐らくはそうした関連の施設だったのでしょうか。
池があります。日本庭園のような光景ですが、修験道と関係する場所と考えると行場のようにも思えてきます。
祓川神社とその一帯。ちょっとした広場となっている。
鳥海荘から歩き始めてから5時間、ようやく登山道らしい道となってきました。矢島口は鳥海山登山におけるメインルートの一つ……という事で、前日まで歩いていた藪の茂った六十里越街道街道や荒れ気味の肘折コースと比べると断然歩きやすい。
登山道に入ってから急登が始まります。道端にはボウフウの花が目立つ。
少し登った所から先程通過してきた祓川神社、竜ヶ原湿原、祓川ヒュッテを見下ろした所。
登山道は暫く階段状となっているものの一段一段は小さく歩きやすい。長い舗装路歩きの後の割にはそこまで苦労せず進めました。
鬱蒼とした森の中に続く階段。下山してくる人が多い時間帯で時折おしゃべり。やはり上の方はガスに覆われていて見えなかったようで、皆一様に肩を落としていた。
少し開けた所があったので登ってきた道を振り返ってみる。道は鳥海山北麓の深い森の中を貫くように続いている。
賽ノ河原手前という標識。人の多いコースなので案内は非常に充実しており、案内板が小刻みに設置されていました。
手前……の看板が立っている辺りの様子。賽ノ河原までは両側を草木で覆われた見通しの悪い道が続く。
賽ノ河原→御田→七ツ釜避難小屋
[15:42]賽ノ河原
開けた所に到着。こちらが賽ノ河原のようで、名前の通り大小の石が河原のように堆積している……割と日本全国で見かける地名で月山にも同名の場所がありましたね。
賽ノ河原に立つ看板。祓川を出発して距離は1km足らずという所ですが、既に標高は200m程登っていた。
看板から先に進むとガレの急登が見えてきました。広々としていて雰囲気の良い場所なんですが、雲が厚い為か日が差し込まず辺り一帯薄暗い。
急登が近付いてきた所。距離は短そうです。
ガレ場ではペンキのマーキングが豊富でした。
近くに咲いていたイワイチョウの花。こちらもこの季節よく見かける花。
ガレの急登の途中から振り返った所。奥に見えている広場が先程の賽ノ河原の看板が立っていた辺りです。
少し進んだ所から同方面。左右に広がっていた河原は途中から収束し、再び両側を低木に囲まれた道となる。
更に登った所から同方面。登り一辺倒のコースなので展望は期待していなかったのですが、案外開けていて景色も楽しめる道でした。
なんだかんだで少しずつ標高を稼いできていたようで、麓の方を見ると既に結構な高度感に。行きがけに通った鳥海山ろく線の沿線や日本海の海岸線も見えています。
この付近で暫くの間、頭上をヘリがうろうろしていました……荷揚げでは無さそうなのでパトロールでしょうか。この遅い時間帯からの登りなので心配して拡声器で声を掛けられるかなと思ったものの、特に何事もなく去っていった。
急登を登りきった所で再び平坦な道となります。日没近い時間帯となり蚊やブヨが湧いてきたので足早に先に進む。
一つ前の写真の中央辺りに宿泊予定の七ツ釜避難小屋の屋根が見えたので望遠したもの。距離は近そうですが若干の標高差があります。
徐々に傾いてきた日の様子。まだ9月なので秋の夜長という程ではありませんが、日々一日短くなっている事を感じさせる。
辺りは湿地帯となっており木道が通されている。
写真で見ると中々居心地の良さそうな場所ですが、蚊の勢いが凄まじいので心休まらない。
急に薄暗くなったので振り返ると太陽が山の斜面に隠れてしまっていた。
[16:13-16:17]御田
御田と書かれた標識が立つ場所に到着。言われてみれば、背の低い草が生える湿地帯は田んぼのようにも見えなくもない。
御田の看板から少し先の所で再び急登となりますが、こちらも先程同様短そうな登り。
急登を僅かに進んだ所から御田を見下ろした所。湿原は意外にも奥行きがあり、左奥には幾つかの池塘が見える。
少し登った所から同方面。だだっ広くて只管に長閑。
奥に見えた山が気になったので望遠してみた所。羽後本荘の町近くの東光山や笹森山、日住山といった標高600mくらいの山々のようです。手前の麓の辺りには列車で通過した前郷や矢島の町並みが少しだけ見えている。
更に登りつめた所から御田方面。この付近は特に景色が良いので何度も振り返ってしまい中々足が進まなかった。
七ツ釜避難小屋へと続く急登の様子。少し藪っぽいですがマーキングが豊富。
何度目かの麓方面の展望。大きく見えていた御田が遠ざかり、徐々に小さくなってきた。
急登が一段落して傾斜の緩い登りとなった頃の様子。
更に登った所から麓方面の展望。視点が高くなった事で登山口近くの竜ヶ原湿原や祓川ヒュッテまで見通せるようになりました。
1枚前の写真の右側に何やら大きな建物が見えたので望遠してみると、スタート地点の鳥海荘のようでした……結構歩いたつもりですが距離感はそこまででもない気が。
少し進むと猿倉口との分岐がありました。七ツ釜避難小屋はここから分岐方面に少し進んだ所に建っているようです。
七ツ釜避難小屋からの展望
[16:36]七ツ釜避難小屋到着
本日のゴールである七ツ釜避難小屋に到着。先程も下から見えましたが、風雪に耐える為か大きくて重厚な屋根が印象的。
七ツ釜避難小屋の入口……お世話になるのは一晩だけの予定だったのですが、翌日悪天候で停滞したので結果的に二泊しました。
小屋の周辺は視界が開けており、主に北側方面の展望が臨めます……日没近くなるにつれて徐々に空気も澄んできたようで、日本海の海岸線も遠く男鹿半島の方まで見渡せるようになりました。
望遠してみると遠くの山や麓の様子が細かく見えています。右側に広々と見えているのは横手盆地で、やや雲が多いながらもその盆地越しに岩手山や早池峰山も見えていたりします。
せっかくなので山名や地名を入れたものを作ってみました。かなり薄いですが白神山地の方の山々まで見えていた。
スタートの鳥海荘はこの地点からもよく見えていました。
東側も気になるピークが幾つかありますが、こちらは低木が茂っていて少し見辛い。
同方面を望遠してみたもの。右側のノコギリのようにギザギザの稜線は焼石岳です。かなり気になっている山で、次に東北方面を訪れた時に登ろうかなと思っていたり。
こちらは真北、県都秋田や男鹿半島へと続く日本海の海岸線の様子。半島にある寒風山や本山といったピークも鮮明に見えています。
先程のものと方面が少し被っていますが、こちらも山名や地名を入れたものを作ってみました。白神山地はこちらの方が見やすいかも。
景色も十分堪能したという所で小屋へ入り夕食の時間。この日の肉物はレトルトのハンバーグ……であればフライドポテトも欲しいなとジャガビーを皿に開けてそれっぽい感じにしてみる。ビールやワインが無いのが残念。
午前中に矢島の天寿酒造で購入した鳥海山を開栓。試飲の時に全く同じものを飲んでいるので特に驚きのようなものはありませんが、やはり銘柄通りの山で頂くそのお酒の味は格別。
食事も一段落という所で外に出てみると、良い感じの夕焼けが広がっていました。
ピンクがかっていた東の空の望遠。日没前の同方面と比べると雲がだいぶ下がっており、遠くの山々も見やすくなっていた。
麓の方には祓川ヒュッテや駐車場、そして延々歩いてきた舗装路が見えました。
次回記事『鳥海山矢島口から長坂口その2』に続く