山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

岩櫃山ハイキング(矢倉駅→岩櫃山→岩櫃城跡→群馬原町駅)

前回、横川駅から碓氷峠、浅間隠山と経て長野原草津口駅まで歩き通した後、そこから吾妻線で少しばかり電車移動して岩櫃山の登山を楽しみました。標高僅か800mの低山、どちらかと言えば観光地のようなイメージがあったのでハイキング気分で登れるだろう……と思いきや、流石は戦国時代に難攻不落の山城が整備されていた山。殆ど見た目通りの険しい道程でした。

旧碓氷峠から浅間隠山その3』の続きの記事となります。

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今回の登山のGPSログです。

矢倉駅→密岩登山口→赤岩登山口

長野原草津口駅から吾妻線の電車に乗り込んで僅か15分、矢倉駅にて下車しました。岩櫃山近辺には登山に使えそうな駅は幾つかありましたが、今回はこちらの駅からアクセスを試みる事に。

[11:48]矢倉駅出発

矢倉駅のホームは一面のみ、駅舎はなくホーム上に待合室があるのみの無人駅でした。

15分という短い電車移動ではいまいち身体は休まりませんでしたが、そこまで大変な山ではないだろうと特に休憩を挟む事もなく出発。

矢倉駅の入口。長いスロープ状の通路がホームに続いています。駅へのアプローチとなる道も隘路で、周囲の風景に溶け込んでいるかのような駅でした。

矢倉駅から国道に出た所に雰囲気の良さそうなお菓子屋さん兼ベーカリーがあったので、昼食の調達ついでに立ち寄ってみました。金加屋というお店で、かりんとう饅頭が一番の売れ筋との話。

この時点で翌日の予定は既にカットが決まっていたので、お土産に幾つか購入していく事に。

軽めの昼食として購入したハンバーガー。パン屋のハンバーガーって素朴で偶に食べたくなる。

金加屋の店先からこれから向かう先の岩櫃山が見えていました……魔城のような山ですね。

岩櫃山に向かう途中、街道に面した所にあるのが矢倉鳥頭神社。その参道の入口に立つ神代杉は枯死した大杉の洞の中から別の新しい杉が伸びているという特異な形態の御神木でした。

矢倉鳥頭神社の境内。この矢倉の地の鎮守であり、戦国時代より以前はこの地を治めていた岩櫃城の城主からの庇護を受けていたという。

街道から外れて山裾の方に向かいます。岩櫃山の山頂を望遠してみると人の姿は見当たりませんでしたが、旗のようなものが一本だけ風に揺れていました。

暫く吾妻線の線路に沿って歩いていく。途中からその線路を乗り越して北側へ。

途中、振り返ると突起のような鋭鋒……午前中登った高ジョッキかと思ったものの違うらしく、芦鞍山という別のピークらしい。

徐々に近付いてきた岩櫃山山麓すれすれという所まで家並みが続いている。

[12:29-12:41]密岩神社

麓にある密岩神社に到着。かつては山の中腹に存在した神社らしいですが、落石による損傷が激しくなったという事で、近年になって現在の地に遷宮が行われたという。

これからの険しそうな登りに備えて先程購入したハンバーガーを頂く。どこか安心するような味でした。

こちらは密岩神社の社殿。この地に遷宮が行われたのは平成23年(2011年)と割と新しい。岩櫃山の山容からしてそうですが、かつては修験道が盛んな地でそれに纏わる社や行場が山中に存在したという。

岩櫃山と、殆ど山の直下という所に広がる古谷の集落……ちょっと日本離れしたような光景。この厳しい山容はNHK大河ドラマ真田丸』のオープニング映像で使用された事で有名。

集落から畑越しに密岩神社を振り返る。奥には榛名山が見えます。

集落内を進んでいく。距離に関しては殆ど無さそうですが標高差は300mと結構なものです。

岩櫃山の麓に広がる古谷の集落を歩いていく。昔ながらの農村といった趣き。

分岐に立つ道標と幟。訪れる人は多いようで道中の案内は充実しています。

幾つか存在する岩櫃山の登山口の一つ、密岩登山口すぐ手前から岩櫃山を臨む。ほぼ垂直の断崖絶壁で、近付けば近付く程に迫力が増してくる。

こちらが登山口です……が、密岩通りはかなり険しいコースで大荷物では難しいという情報もあり、少し悩みつつ足を踏み入れる。

晩秋の風物詩であるマムシグサが足元に。

コース状況を調べながら進んでいきましたが、やはり大荷物では厳しいかと怖気づき別のコースからアプローチする事に……GPSの軌跡にも現れていますが、この付近で一旦引き返す事にしました。

古谷の集落に戻り案内板でコースを確認。赤岩通りから取り付き、大荷物は分岐にデポして険しそうな山頂までの道は空荷でピストンするという作戦に変更。

赤岩登山口に向けて山裾沿いを進んでいく。この辺りは集落の中でも最も岩櫃山の岩壁に近付いた一角。

古谷の集落と赤岩登山口までの道の様子。

その途中から見上げた岩櫃山。殆ど仰ぎ見るような形に。

赤岩登山口→岩櫃山

[13:18-13:22]赤岩登山口

赤岩通りの入口、赤岩登山口に到着しました。一帯は広々としており、古びた石垣が残されています。

この場所は潜龍院跡という史跡で、かつて岩櫃山に存在した岩櫃城の城主であった真田昌幸が、織田徳川連合軍の甲州征伐を受けて退却を余儀なくされていた武田勝頼を迎え入れる為、この地に城館を築いたという。

付近は公園のように開けています。古びた石垣は当時のものでしょうか、年季が入った野面積みです。

潜龍院跡の解説看板。戦国時代の歴史に詳しい方ならご存知でしょうが、この地に招いた武田勝頼は結局の所辿り着けず(というか向かってすらいない)、途中の天目山(現在の山梨県甲州市)にて自害して果てました。故にこちらの城館は一度として使われる事は無かったという。

赤岩登山口から登り始めます。登山口から伸びるコースとして、岩櫃城の出城であった郷原を方を経由して迂回しつつ登る十二様通りというものも別に存在したのですが、日没まであまり時間がないので今回はそのまま直登する赤岩通りを選択。

赤岩通りの様子。結構な斜度の急坂が続き、大荷物では少々厳しい。

道は若干荒れ気味。落ち葉に埋もれたトラバースは緊張する。

四合目と書かれた標識の立つ場所に到着しました。終始荒れた道かと思いきや、所々で階段が整備されています。

階段の先、鎖が垂れ下がった急登の様子。落ち葉で滑りやすいので有り難い。ごぼうで登りました。

尾根上に登った所で潜龍院跡から分岐した十二様通りと合流します。

先程通過した急登と山頂方面に続く道の様子。観光地のような所を想像していましたが、意外と本格的な山でした。

少し進んだ所で岩櫃城の方面に続く尾根道、尾根通りとの分岐があります。

この分岐に荷物を置いて往復しようかと思ったのですが、もう少し先の沢通りとの分岐である堰の口まで移動する事に。

[13:55-14:06]堰の口

堰の口の分岐に荷物を置いてからの山頂往復としました。看板には六合目……体感的にあまり進んでない。

堰の口以降は険しさに拍車がかかり、急峻な岩場が連続します。大荷物ではちょっと面倒そうだったので迂回したのは正解でした。

七合目に到着。急な登りには違いないですが軽装……というか荷物を全部置いてきたので、そこまで苦労せず登っていく。

道中の鎖場の様子。険しいながらもよく整備された道でした。

少し登った所で八合目です。山頂に近付くにつれて合目標識が小刻みになってきた気がします。

尾根筋のトラバースを通過した所で九合目。日が傾いてきて全体的に陰ってきました。

九合目で視界が開け岩櫃山の山頂が見えました。一度下ってそこから登り返す形となるようです。

九合目からの展望。吾妻川の谷筋一本挟んだ先の榛名山や、これから向かう麓の中之条原町といった市街地の家並みが間近に見えます。

山頂を目指して岩場を下っていく。この付近は特に険しいですが、すぐ先に山頂が見えているように区間は短い。

岩櫃山の最後の登り。最後の最後で一枚岩の若干急峻な鎖場があります。

鎖場を終えた所でようやくの登頂です。厳つい山容そのままの険しい道でした。

岩櫃山からの展望

[14:18-14:48]岩櫃山

岩櫃山の山頂に到着……麓からも見えた幟が立っています。かなり狭い山頂で、転落防止の柵に囲われていました。

岩櫃山からのほぼ360度展望。山頂の狭い岩峰の頂上というだけあって、視界を遮るものは皆無でした。

逆光となっている西側を露出を変えて撮ってみたもの。午前中に高ジョッキから見た時に比べると全体的に雲も流れてくれて、遠くの山々まで見通せました。

こちらは東側を中心とした展望。雪を被り白くなった上越国境方面の稜線も鮮明に確認できます。

細かく山々が見えたので山名入りを作ってみました。前日見えた日光方面の山々や至仏山、燧ヶ岳といった尾瀬近辺の山もよく見えました。

原町中之条の市街地と、その付近を流れる吾妻川。奥には上州武尊山日光白根山が並んで見える。

同方面を望遠して繋げてみたもの。

吾妻耶山の右奥に見えていた白い山は平ヶ岳でした。

こちらは上州武尊山から尾瀬、日光方面の山々。

山名入りです。燧ヶ岳はちゃんと柴安嵓、俎嵓といった二つの双耳峰が確認できます。

日光白根山の周辺を更に望遠してみたもの。立て込んでいる日光連山のピークの一つ一つも細かく見えています。

原町から中之条の市街地とその望遠。中之条吾妻川沿いの町としては最も規模が大きく、広い範囲で家並みが続いている

吾妻川越しの榛名山を単体で。眼下に見える集落は郷原の集落で、岩櫃山のアクセス駅として使われる事の多い郷原駅が集落内にある。

郷原駅の望遠。小さな駅舎や相対式のホームも見えています……眺めていると丁度、特急が通過していきました。

こちらは今回登る際に経由した岩櫃山山麓に広がる古谷の集落。スタートの矢倉駅やその周辺の集落は手前の山に遮られて見えませんでした。

南方面の山々。完全に逆光ですが、荒々しい妙義山の稜線とその奥に奥秩父山塊が見えています……前日までも見えていましたが、知らぬ間に随分と離れてしまいました。

こちらは南西方面。ほとんどシルエット状態ですが、前半部で歩いた留夫山、鼻曲山、浅間隠山といったピークが見えます。浅間隠山の右奥に見える一際大きな起伏は浅間山ですね。

浅間山浅間隠山の望遠。浅間山もシンボル的ですが、浅間隠山もそれなりに大きなピークに見える。

こちらは西側、草津白根山四阿山が見える方面となります。

草津白根山方面を望遠してみたもの。本白根山逢ノ峰白根山横手山といった各ピークがよく見えます。

一周してきて最後に再び東側の展望。狭い山頂も含め、やや広い範囲で撮ってみました。

山頂には簡易的ながらも山座同定板がありました。

30分程の滞在で山頂を後にします。午前中に登った高ジョッキもそうでしたが、手軽に登れる割には高度感がある展望台のようなピークでした。

岩櫃山岩櫃城跡→平沢登山口→群馬原町駅

往路でも通過した山頂直下の鎖場です。鎖に頼ってテキトーに下ってしまうのが楽そうですが、ここはきちんとホールドとステップを見定めて三点支持で下っていく。

九合目の登り返し。見るからに険しそうですが、こちらは手がかりは多く意外と大した事は無かったり。

九合目から岩櫃山の山頂を振り返る。往復の間にだいぶ日が傾いてきました。

[14:58-15:16]堰の口

復路は往路とはまた違った景色。とは言え短い下りなので、分岐点である堰の口まであっという間の帰着。

堰の口にて荷物を回収してそのまま分岐より先、沢通りのコース経由で下山します。

[15:38-15:44]岩櫃城本丸跡

暫く沢沿いを歩いていましたが、途中で尾根上に登り返して岩櫃城本丸跡へ。岩櫃城は中世以前に築城された山城で、戦国時代には武田氏、北条氏、上杉氏の領地の境界に立地していた事で幾度となく争奪戦が行われました。

岩櫃城の城主は当時吾妻荘と呼ばれたこの一帯を支配していた国衆である斎藤氏(後に上杉氏や北条氏に従属)でしたが、武田氏による進攻が始まると斎藤氏は一時的に武田側に従属、後に離反して上杉氏に従属したものの武田氏の進攻を受けて落城。以降暫くは武田氏の支城となります。

武田氏の滅亡後は旧武田領地での勢力の拡大を図る真田氏(真田昌幸の支配となり、近隣の名胡桃城や沼田城と共に上州支配における重要拠点として整備が行われました。関ヶ原の戦いの後は西軍に付いた真田昌幸・信之の父子は改易させられてしまいますが、昌幸の嫡子である真田信之は東軍に付いた事で本領を安堵され、居城である沼田城の支城という扱いとなります。しかし後に一国一城令を受けて廃城となっています。

本丸跡の様子。上州においては最大規模の城郭であったとされており、現在でも多くの曲輪や堀がそのままの姿で残されている。

樹間から麓の様子を覗いてみた所。下る先の原町の町並みが見えます。

本丸の全体の様子。東屋が建っており公園のような雰囲気でした。

木々が途切れた場所からは榛名山方面が見えました。山頂からだいぶ下ってきた為か、すぐ近くという所に麓が見えます。

二の丸に向かう途中の様子。幾つかの土塁を横目に。

途中にはNHK大河ドラマ真田丸』の幟が立っていました。6年も前のドラマですが真新しく見えます。定期的に新調しているのでしょうか。

更に一段下がった所にある中城跡三の丸に相当する場所だったとされています。

付近からは山頂からも見えた日光白根山がよく見えました。日が傾いてきて全体的な色合いが変わってきましたね。

[15:59-16:07]平沢登山口

岩櫃山の登山口であり、岩櫃城の入口となる沢登山口まで下ってきました。メインの登山口なので周囲には観光案内所も設けられていますが、時間帯的に遅い為か既に人の気配はありませんでした。

観光案内所と案内板。すぐ近くには非常に規模の大きな駐車場が整備されています。

登山口の名の元となった平沢の集落を過ぎると人気のない樹林帯の中へ。

樹林帯を抜けた所が麓となりますが既に日没。徐々に薄暗くなってきました。

線路を越えて原町の市街地へ。役場や公共施設等がある東吾妻町の中心で、かつての街道に沿って家並みが続いています。先の岩櫃城一国一城令で廃城となった後は行政的な拠点はこの地に移され、町中には陣屋が置かれたという。

駅前の商店街の様子。現在の中心市街地は車社会化に伴って駅裏の国道沿いの新市街に移行しつつあるようですが、営業している店もちらほら残っています……素朴そうなケーキ屋がちょっと気になりました。

訪問時点では12月、駅前のぐんまちゃんの石像はクリスマス仕様の装飾が施されていました。

[16:51]群馬原町駅到着

吾妻線群馬原町駅に到着。原町の市街に面した東吾妻町の中心駅ですが、駅舎内に観光案内所が入っているものの扱いとしては無人駅で特急も通過してしまいます。

予定ではここから小野上温泉駅に移動して翌日の十二ヶ岳、小野子山、子持山方面の縦走に備えるつもりだったのですが、雪の予報という事で以降の予定はカット。そのまま帰宅する事にしました。

帰路

群馬原町駅の隣駅である中之条駅にて下車しました。こちらは市街地の規模も群馬原町よりも大きく、四万温泉のアクセス駅という事で沿線ではそこそこ規模の大きな駅です。

普段からお土産に味噌を購入する事が多いのですが、中之条にも味噌の醸造所があるという事で今回立ち寄りました。こうじや德茂醸造舗というお店で、天然醸造に拘っているという。小綺麗な店構えからも期待ができそうです。

店内に並ぶ味噌の幾つか……関東で麦味噌はちょっと珍しいですね。普段遣いの米味噌に合わせてこちらも購入しましたが、味わいは西日本の物のように甘くはなく、東日本の米味噌に近いもの。若干さっぱりとした傾向で使いやすい味噌でした。

冷蔵ケースの中にはちょっとグレード高めの味噌や甘めの舐め味噌、塩麹等が入っていました。麹そのものも売っていたので、塩麹用に今回こちらも併せて購入。

中之条の駅から歩いて数分という好立地にあるので、また機会があれば立ち寄りたいと思います。

吾妻線に再び乗車、以降は寄り道せずにまっすぐ帰ります……帰宅ラッシュとは逆方向だからか、途中の渋川まで車内に自分一人という状況でした。

高崎駅にて乗り換えです。予定外の帰宅となり夕食を食べ損ねてしまったので、だるま弁当でも買おうかとコンコースの売店に向かってみると既に閉店。しかし駅ホームの立ち食い蕎麦が辛うじて営業していたので今回はそちらで。

カウンターに置かれた注文したかき揚げそば。立ち食い蕎麦ならではのノスタルジーな雰囲気。

駅そばを食べるのは割と久しぶり……冷える季節は駅弁より良いですね。やや強めの汁の塩気も運動後にはいい感じです。

こちらは今夜の燗酒用に長野原草津口駅売店で購入した日本酒、秘幻長野原草津口の駅から割と近い所にある浅間酒造によるお酒で、スペックは本醸造生貯蔵酒……予定カットの為に電車酒となってしまいました。

帰宅後、中之条こうじや德茂醸造舗にて購入した味噌と麹を並べてみた所。味噌は全体的に味がしっかりしたタイプで、味噌汁でも付け味噌でもなんでも使えそうな感じでした。麹は米麹に加えて少し珍しい麦麹も。

こちらは矢倉金加屋でお土産に購入した饅頭のセット。どれも美味しかったですが、個人的には上の塩饅頭がお茶請けに丁度良くてお気に入りでした。