山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

箱根外輪山その1(足柄駅→小田原城→塔ノ岳→明星ヶ岳→明神ヶ岳)

2023年1月に箱根外輪山の縦走登山に出掛けてきました。

初日のこの日は小田原の市街地近くの足柄駅より歩き始め、途中で小田原城を見物。そこから暫し住宅地の中を歩き、上水之尾用水溜池付近の登山口から取り付き最初のピークである塔ノ峰に登頂。以降は明星ヶ岳、明神ヶ岳と外輪山の尾根に沿って進みました。

今回の登山(全日程)のGPSログです。

経緯

泊りがけの登山としては約1ヶ月前、前年12月に歩いた浅間隠山以来です。

前回は虫垂炎手術の術後という事もあって若干緩めの行程で歩いたのですが、その時歩いてみた限りでは特に問題なく体力は回復していると感じたので、次回は少し距離と標高差を歩くコースを……という事で、そこまで間隔を空けない内での登山となりました。

行き先の候補は幾つかありましたが、今回は箱根山を取り巻く外輪山の縦走路を選択。箱根方面はこれまで金時山を単体で登った事しか無かったのですが、いつか端から端まで歩いてみたいと思っていました。

箱根外輪山の縦走そのものはトレランで日帰りする人も多い人気のコースですが、今回は3日間と余裕を持った行程。だいぶ麓の方の小田原から歩き始めるので2日間だとギリギリですが3日間だと少々余裕が生じてしまう。なので3日目はその時間的余裕を使い、これも以前から歩きたいと思っていた旧東海道箱根旧街道)の街道歩きを組み込み、結果的にそこそこのロングコースとなりました。

足柄駅小田原市街→小田原城

今回の電車移動は相模線から小田急へと乗り継いでいきます。こちらの方面は登山的には丹沢に向かうイメージが強いですが最近行ってないですね……山小屋は多くて縦走も楽しめるのですがテント場が無いのがネックで、テント担いでのロングが基本スタイルになりつつある昨今は足が遠のいてしまっています。

新松田駅にて乗り換え。ここで御殿場線に乗り換える事はあれど、各駅停車に乗り換える事は滅多にないので少しだけ新鮮な気分……僅か数駅のみの区間列車、空いてるだろうと思いきや小田原方面に向かう通勤通学客で急行以上に混雑していました。

終点小田原駅の一つ手前の足柄駅にて下車。急行も通過してしまうような小さな駅ですが、構内には電車区が置かれているようで広々としている。

[7:29]足柄駅出発

今回はこの足柄駅から歩き始めます。小田急の中では二番目に利用者の少ない駅(一番目は南新宿駅)らしいですが、時間帯によるものか人の姿は多いです。

今昇ったばかりの朝日に向かって歩き進めていく。古くからの集落のようで、道端には道祖神が置かれていました。付近には大雄山線五百羅漢駅の駅名の由来となった玉桂寺がある。

途中、国道255号線を横断する。横断歩道がなく歩道橋のみというのはバリアフリー化が進んだ最近では珍しい。歩道橋もどんどん撤去されていますからね。

国道255号線の東側を並行して通っているのが旧街道。小田原御殿場を結んでいた古い道で、矢倉沢往還足柄古道という名で知られています。

この付近は大雄山線の駅名にもある細田の集落の中心部で、小さいながらも商店街が形成されている。

[7:42-7:58]足下地蔵尊

その細田の集落の中にあるのが足下地蔵尊という仏堂。ここでは『足下地蔵尊の延命水』という名水を汲めるようなので、今回の登山用に担いでいく水として有り難く頂く事にしました……小田原駅まで行かず足柄駅で降りたのも、この場所に立ち寄る事が目的であったり。

足下地蔵尊の外観。規模は小さいながらも、入口を覆うように並べられた提灯が一際存在感ある。

こちらが件の延命水。手水場からも水は流れていますが、水を汲む場合はすぐ隣の蛇口から給水するようです。

少々重たいですが行程途中に水場は全く無さそうなので3日分、7リットルを補給。味見してみましたが、ミネラル由来のものか、そこはかとなく滋味があって美味しいお水でした。

水質検査表も掲示されていました。硬度96mg/Lの中硬水のようです。

水を汲み終えた後はそのまま小田原の市街地に向けて歩いていきます。東の空を見てみると既に日は高く昇っていました。

小田原の市街地に入った所。大雄山線緑町駅がすぐ側にあるらしく案内がありました。マンションが多く立ち並ぶ町並みですが古そうな建物もちらほら。

元々の小田原の中心と思われる辺りの町並み。銀座通りという名が付けられていますが、朝早い時間帯もあってか閑散とした印象を受けました。

元々は連綿と商店街が続いていたようですが、今やその建物の多くがマンションに建て替えられている様子。そうした中には古めかしい茶屋の建物も残る。

小田原といえば大正時代の関東大震災で特に被害が特に甚大だった都市。近世まではそれなりに規模の大きな城下町であった割には市内(後に向かう小田原城も含む)にあまり古い建築物が残っていないのは、そうした関係もあるのかもしれません。

南側に進んでいくと、途切れ途切れのアーケード商店街がさながら残骸のような印象を醸し出す。ストリートビューを見る限り、ここ10年の間に大部分が撤去されてしまったようです。

町中を歩いていて一際目を引くのが、だるま料理店という明治時代以来の料亭。現在の建物は関東大震災直後の大正15年の建築で、国の登録有形文化財に指定されている。

だるま料理店の壁面には紹介パネルが展示されていました。

歩道橋で再び国道255号線を越えて小田原城方面へ。右のレトロな建築物は中央労働金庫小田原支店(旧明和銀行)の建物で、昭和3年の建築という。

小田原城見物

[8:10-8:56]小田原城

学橋と呼ばれる朱色の欄干の橋を通って小田原城の場内へ。

学橋から二の丸を囲う堀を臨む。かつては関東支配の拠点とされていたという事もあり、後に辿る総構えを含めると城郭としての規模は非常に大きい。

二の丸広場の外縁を歩いて二の丸隅櫓。こちらは昭和9年の再建で、規模や構造は当時のものと大きく異なるという。

隅櫓の上には鳩ならぬカモメが沢山止まっていました。海が近い町ならではの光景ですね。

左の写真の大きな漆喰の建物は二の丸の表門にあたる銅門で平成期の再建。当時の伝統的な工法を用いて建てられたという。右の写真はかつて銅門に使われていたとされる礎石との事。

二の丸跡、かつて御殿が存在した場所には小田原城NINJA館というエンタメ的な施設が建っていました。内部で手裏剣投げたりできるらしいです。

水の張られていない本丸東堀を越えた先には本丸広場へと続く常盤木門が見えてきました。

階段の下から常盤木門を見上げる。

本丸の大手門にあたる常盤木門の外観。こちらも当時のものではなく昭和の再建。

常盤木門を抜けると広々とした本丸広場に出ます。以前訪れた時は一帯が動物園で、象や猿山を始めとした多くの飼育施設が立ち並んでいました。

小田原城天守の外観。所謂復興天守と呼ばれる戦後の再建で、当時のものとは構造が大きく異なるという。

広々とした本丸広場の雰囲気。小田原城は言わずと知れた関東随一の規模を誇った城郭で、こと戦国時代においては後北条氏の居城として整備、拡充が続けられました。

武田信玄上杉謙信を始めとした時代の名将を退けた難攻不落の城として知られますが、1590年の豊臣秀吉による小田原城攻めにより落城。後北条家が戦国大名として滅亡した後は徳川家康の配下であり後の譜代大名である大久保氏が城主として入り、江戸時代には小田原藩の藩庁として使用されました。

以降も東海道箱根越えを控えた立地から江戸を守る拠点として重要視され、度重なる災害で被害を受けてもその都度再建されている(江戸時代において天守の再建は許されない事が多い)。また徳川将軍家の宿所として使用される事も多かったとされ、そうした性格もあってか瓦には三つ葉葵が象られている。

小田原城天守。内部は資料館となっているようですが9時の開館……まだ開館前でした。以前訪れた時も中には入らなかったので今回こそはと考えていたのですが残念。

本丸広場からは海が臨めました。奥の方には伊豆大島三原山らしき陰影が見えます。

洋上に浮かぶ三原山の望遠。霞んでいますが距離は60kmと近い。

庭園鉄道の敷かれた子ども遊園地の近くから報徳二宮神社へと向かいます。

報徳二宮神社の境内と社殿。小田原城の廃城後、明治27年に創建された比較的新しい神社で、一般的には二宮金次郎の名で知られる二宮尊徳が祭神として祀られています。

参道の様子。小綺麗な雰囲気の神社でした。

境内に立つ二宮尊徳金次郎)像。この小田原の地の生誕で、報徳社と呼ばれる団体を作り農村復興運動を行っていたとされる。

この神社が創建された明治期には勤勉さの象徴とされた人物でもあり、全国各地の学校に薪を背負って勉学に励む姿の二宮金次郎が置かれた。

二宮金次郎の方も境内にありました。最近は時代の変化に応じか座っているタイプのものも増えているのだとか。

報徳二宮神社を抜け、以降は山の方へ向かって歩き始めます……しかしまだまだ小田原の町中で海抜もゼロメートル近く、道程は遠い。

小田原城→上水之尾用水溜池→塔ノ峰

地図上で登山口となる上水之尾用水溜池の少し先まで約4km、暫し道路上を歩いていきます。

登山口までのアクセスとなる道路は八幡山丘陵と呼ばれる尾根上を辿るように取り付けられています。周辺は見所が豊富なのか散策コースとしても案内されていました。

途中の小田原競輪場。入口の看板は城下町小田原らしい戦国時代仕様でした。

尾根上に広がる住宅地。道路のアップダウンがトレーニングになるのか、付近の学校の生徒が走っていました。

この小高い尾根沿いには皇族の別邸が築かれていたり、詩人の北原白秋を始めとした文化人も多く住んでいたという。白州童話の散歩道という案内もある。

尾根沿いの道からは相模湾が遠くに臨める。こうした風光明媚な景色が当時の文化人を多く集めたのでしょう。

陽光に照らされて白く輝く海面。

小峯御鐘ノ台大堀切と書かれた看板。小田原城には豊臣秀吉小田原城攻めに備え、総構えと呼ばれる非常に大規模な土塁が築かれていたとされており、こちらはその遺構の一つ。

 小田原七福神の一つとされる蓮船寺から、こちらも総構えの遺構である小峯御鐘ノ台大堀切西堀

尾根上には畑が広がり長閑な景色。

水之尾口櫓台。広大な範囲を持つ総構えの終端部で、その中でも最も標高の高い所に位置するとされています。付近には荻窪仕寄陣場なる出城も設けられ、こうした設備を利用して西側より来る豊臣軍を迎え撃ったという。

水之尾口櫓台の近辺は視界が開けており、酒匂川沿いの家並みや丹沢の山々が見える。

引き続き尾根沿いの道を進んでいく。山に近付くにつれて人家も少なくなってきましたが、近くに小田原厚木道路のインターがあるようで交通量は多い。

尾根上から相模湾を臨む。麓から延々と歩いてきましたが、ようやく山が近付いてきた気がしますね。

更に進んでいくと上水之尾の集落が見えてきました。この尾根筋においては最上部の集落となるようです。

上水之尾付近も開けた箇所があり、こちらからも相模湾が臨めました。すぐ下の谷には箱根の方に続く旧東海道が沿っており、奥には早川を跨ぐ西湘バイパスの高架橋が見えます。

緑の中に立つ送電鉄塔。一帯にはみかん畑が広がっている。

遠くに見える丹沢の山々。先程、水之尾口櫓台から見た時と比べると幾らか雲が流れてくれたようで、檜洞丸から臼ヶ岳、蛭ヶ岳といった付近の稜線がよく見える。

鬱蒼とした樹林帯の中の舗装路歩き。

[10:10]上水之尾用水溜池

地図上にチェックポイントとして記載されている上水之尾用水溜池に到着。一見すると何の変哲もない溜池ですが、江戸時代に当時の藩主であった大久保氏によって整備された由緒あるもののようです。

その上水之尾用水溜池から少し進んだ先にあるロープ。関係者以外立ち入り禁止と書かれていますが、登山者の通行はOK的な事も書かれているので跨いで進みます。

ロープを跨いだ先で湧き水がありました。この水場の存在を知っていれば少しは楽ができたのでしょうが、水質検査済みの美味しい水を担いでこれたので良しとしましょう……尤も、こちらの湧き水も水量豊富で結構美味しそうでしたが。

更に道沿いに進んでいくと登山者向けの案内看板が見えてきました。

[10:27-10:48]塔ノ峰・水之尾登山口

足柄駅を出発して約3時間、箱根外輪山の最初ピークである塔ノ峰の取り付きに到着しました。長かった舗装路歩きもここで終わりとなり、以降暫くの間は山道となります。

塔ノ峰の山頂へと続く登山道の様子。終始鬱蒼とした樹林帯の中の道でしたが、通る人は多いのか比較的良く整備されていました。

塔ノ峰→明星ヶ岳

[11:36-11:45]塔ノ峰

取り付きからの標高差は300m足らず、約1時間で今回最初のピークである塔ノ峰の山頂に到着しました。山頂は木々が多く展望はありませんが、樹間から次のピークである明星ヶ岳が見えました。

地味な山ですが、戦国時代には北条氏によって東海道を監視する為の城がこの山頂に築かれたとされており、山頂付近には土塁や曲輪が残るという。

明星ヶ岳方面へと続く道。よく踏まれた道ですが人の気配はありません。

塔ノ峰の山頂から少し明星ヶ岳に向けて歩いた所で僅かに視界の開けた所がありました。檜洞丸から大室山、加入堂山といった西丹沢の山々が見えます。

やや角度を変えて表丹沢方面の展望。蛭ヶ岳から丹沢山、塔ノ岳から伸びる表尾根が大山まで続く様子が鮮明に見えます。

緩い傾斜の尾根道を進むと、程なくして舗装路が見えてきました。

[11:59]塔ノ峰山頂入口

林道に合流しました。以降は暫く道なりに歩いていきます。

林道沿いからは相模湾湘南の方の町並みが見えました。

[12:15]明星ヶ岳登山口

明星ヶ岳の取り付きに到着しました。ここから再び山道となります。

取り付きから次のピークである明星ヶ岳までの標高差は400m。最初の内は急な登りが続く。

登りの途中から箱根方面の山々が見えました。右側には箱根においての最高峰である神山駒ヶ岳が見えますが、今回は外輪山を歩いていくので中央火口丘であるそちらには向かいません。

登りが一段落した所。樹間からは富士山が見えました。

明星ヶ岳までの登りの様子。手頃なハイキングコースとして人気があるようで、この辺りからちらほら人とすれ違うように。

急坂を見下ろした所。そこそこの斜度でした。

地図上に758mと記載された箇所。まだ海が近いようで、樹間からは相模湾の海面が見えました。

以降は緩い傾斜の上り下りを続けながら山頂までの距離を詰めていく。道は終始歩きやすい。

笹の間から見えた神山駒ヶ岳。手前に広がる家々は強羅の町並みです。

やや開けた所があったので、そこからのパノラマ。左から白銀山、二子山、駒ヶ岳、神山と並んでいる。左手前に見えるのは大平台の集落。

平坦に近い、ゆるゆるの傾斜の道が続く。登りが一段落した後の方が長く感じられました。

途中の指導標。明星ヶ岳まで30分との事ですが。

明星ヶ岳の最後の上り。その途中からは山頂が垣間見えました。

明星ヶ岳までの急登も終え、傾斜が再び緩やかになった頃。

明星ヶ岳→二宮金次郎芝刈り路分岐

[13:50-14:18]明星ヶ岳

明星ヶ岳の山頂に到着。こちらも周囲が木々に覆われた地味なピークですが、麓の強羅から2時間足らずで登れるというお手軽さもあって人気のようで、到着時点で何人かの姿がありました。

明星ヶ岳の山頂の様子。展望は殆どありませんが、広々としていて雰囲気は良いです。

木々が茂っていてあまり見えませんが明星ヶ岳からの展望。芦ノ湖温泉近くの二子山が辛うじて見えています。

山頂広場と展望。芝生が広がっていて、ちょっと休憩するには良い感じ。

山頂には石碑や石像が幾つか並んでいました。箱根修験道を始めとした山岳信仰が盛んな地であったとされており、明星ヶ岳明神ヶ岳といった如何にもな山名にもそれが現れています。

明星ヶ岳から明神ヶ岳方面へ進みます。足柄駅を出発して6時間が経過していますが、未だ標高1000mにも至っていなかったり。

明星ヶ岳の山頂から僅かに進んだ所にある強羅方面に続くコースの分岐。ここから下山したらこの日の内に帰宅できそうですが……。

次なるピークである明神ヶ岳が見えてきました。標高は1,169mと先程の明星ヶ岳より200m程高く、だいぶ上の方に見えます。

明神ヶ岳を眺めながらの尾根歩き。この近辺は際立った起伏も少なく気楽に歩けます。

正面には明神ヶ岳、そして左奥には富士山が……展望を楽しみながらの尾根歩きでした。

富士山の望遠。真冬の1月という事もあって真っ白ですね。

[14:35]奥和留沢みはらしコース分岐

緩やかなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと和留沢方面に下るコースとの分岐に到着しました。ここから下山すると出発地の足柄駅大雄山線の沿線に下る事ができるようです。

笹の合間からの富士山。言わずと知れた日本一のシンボルですが、つい5ヶ月前に登ったばかりなので普段よりも何割増しか格好良く見える。

終始明神ヶ岳が見えているのですが、水満載の大荷物に堪えて足取りも重くなってきたのか中々近付いてくれない。

明神ヶ岳を見据えながらの尾根歩き。

こちらは先程越えてきた明星ヶ岳。距離感的に両ピークの中間といった所でしょうか。

明神ヶ岳富士山。展望が良い所も多く、人気がある事も窺える縦走路です。

[15:06]宮城野分岐

強羅近くの宮城野まで続くコースの分岐に到着しました。鞍部となった場所で、以降は明神ヶ岳の山頂まで標高差250mの纏まった登り返しとなります。

登り返しの途中で振り返る。駒ヶ岳が見えました。

登り詰めていくと明星ヶ岳も次第に見下ろすような形となりつつありました。

横目から神山駒ヶ岳といった中央火口丘の山々。太陽も随分と低くなってきた頃。

行く先の明神ヶ岳を見上げる。もう暫くは急登が続きそうです。

開けた所からの展望。山頂が近付いてきたのか、視界が開けた場所も増えてきました。

展望の良い中での登り返し。付近には小さな石像が置かれていました……その左側には朽ちた木彫りの仏像が。

背の高い笹に覆われた道。

木々の合間からスタート地点の小田原の市街地が見えました。小田原といえばそれなりに規模の大きな都市というイメージがありますが、こうして見ると海と山の間の狭い場所に広がっている事が分かります。

急登も一段落という所からの展望。明星ヶ岳ともだいぶ離れてきました。

これまでは木々に遮られて見えなかった、神山から右奥の展望も見えてきました。中央に見える小高いピークが仙石原近くの台ヶ岳。その背後には翌日歩く丸岳から箱根峠方面へと続く箱根外輪山の稜線が見えています。更に奥の雲が掛かった稜線は愛鷹山でしょうか。

コース途中のちょっとした岩場。変化に富んだ面白いコースです。

二宮金次郎芝刈り路分岐→明神ヶ岳

[15:48]二宮金次郎芝刈りコース分岐

山頂方面に歩いていくと二宮金次郎芝刈りコースの分岐に差し掛かる。こちらのコースはその名の通り、二宮金次郎こと若かりし頃の二宮尊徳が芝刈りに訪れていた山道のようで、麓の集落の名前から矢佐芝コースとも呼ばれているようです。

そこから僅かに進んだ所に再び分岐があり、こちらは名刹で知られる大雄山最乗寺に至る道。どちらも割と歩かれているコースのようでした。

分岐を越えると明神ヶ岳の山頂まで視界を遮るものの無い、開放感のある道となります。山頂も気付かぬ間にだいぶ近付いてきました。

枝の間からは麓の様子が見えました。こちらは同じ小田原でも酒匂川沿いの町並み。奥にはそのまま湾曲した湘南の海岸線が続き、少し先の所には江ノ島も見えています。

沈みつつある夕日と富士山。その手前には翌日朝一で登る金時山が見えています。

ザレた崩落地の脇を歩いていく。鹿の食害によるものらしく、登山道ギリギリの所まで崩れ落ちている。

崩落地なので展望は良く、逆光ながら神山駒ヶ岳がすぐ近くという所に見える。

先程よりも広い範囲で見渡せるようになった小田原市街の様子。

市街地の望遠。先程と同様に海岸線の先には江ノ島が見えています。湘南でも大磯の辺りは意外と山がちですね。

小田原中心市街地を更に望遠してみたもの。ここまで望遠すると午前中に巡った小田原城天守小田原駅も見えますね。酒匂川よりも更に左側の国府津の方には新幹線や東海道線御殿場線等の線路の様子がよく見えています。

先程の大雄山最乗寺方面へのコースに向かう分岐がこちらにもありました。

麓の展望と歩いてきた尾根道。標高は1000を越える程度と低山の範疇ですが、展望は中々のものでした。

広々とした明神ヶ岳の山頂が見えてきました。

[16:08]明神ヶ岳到着

明神ヶ岳の山頂に到着。山頂もこれまで歩いてきた道と同様に視界が開けており、正面には谷を一本挟んだ所の中央火口丘の山々が見える。

夕日と展望。北西方面、翌日向かう金時山富士山、愛鷹山といった山々がよく見渡せました。

若干露出を上げて山頂一帯の様子を撮ってみたもの。広々としていて居心地が良くベンチまで置かれていたりと至れりつくせりですが……時期柄日中の霜解けで全体的に地面が泥濘んでおり、足の踏み場が無かったりします。

山頂広場越しの展望。左に箱根、正面に愛鷹山、やや右に富士山金時山という配置。

簡単にですが山名入り。天城山の方面がよく見えていました。

広場の縁の方まで移動しての展望。そうこうしていると日もどんどん傾いてきた。

富士山金時山金時山は先月登った鼻曲山のような、コブのような鈍角の山容が印象的でした。

太陽が地平線に近付き、いよいよ日没という所。一時を境に、空の色が大きく変わり始める。

一層赤味が強まった太陽と、夕日に照らされてピンク色に染まる富士山

夕日と展望。まだ17時前ですが徐々に暗くなってきました。冬の一日は短い。

夕日の単体とその望遠。手前に見えるのが翌日歩く箱根外輪山の稜線で、右奥に見えるのはいつの間にか雲が取れていた愛鷹山

刻一刻と地平線に近付いていく太陽。

日没の様子。

日が沈んでしまった直後の周辺の様子。先程まで逆光であまり見えていませんでしたが、右側には南アルプス深南部の稜線が僅かに見えている。

太陽が居なくなった後は暗くなるスピードも速い。西の空を除いて世界が闇に飲まれ始めている。

まだ僅かに明るさの残る方面を臨む。麓の方は少しずつ街明かりが灯り始めている。

富士山鼻曲山

一気に冷え込んできたので、最後に富士山とその周辺を撮って日没見物は終了としました。

夕食はおでんに燗酒と冬らしいメニュー。鍋にそのまま瓶とパックを投入して加熱。

器に載ったおでん。よくある出来合いのものですが、程よい疲れと結構な寒さのおかげか、美味しさは麓で食べる時よりも5割増しといった所。

それと合わせる為に今回担いでいった日本酒は東京地酒である多満自慢の二種。年末に福生の蔵元である石川酒造に正月用の酒を買いに行く機会があり、その残りとなります。

左のお酒は冷酒用に持ってきた『あらばしり生酒』。新酒らしい荒々しさと洗練さを兼ね備えた、バランスの良いお酒でした。右は『純米無濾過』という銘柄で、こちらは別記事でも紹介していますが廉価ながら面白みのあるお酒。寒くなった頃にはまた調達しに行きたいですね。

次回記事『箱根外輪山その2』に続く

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