山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

旧碓氷峠から浅間隠山その1(横川駅→坂本宿→旧碓氷峠→留夫山→鼻曲山)

2022年12月に上信国境の浅間隠山方面の登山に出掛けてきました。

初日であるこの日は、鉄道においての碓氷峠越えの基地であった事で有名な横川駅から中山道に沿って坂本宿碓氷峠上にある熊野皇大神社と辿る。見晴台からの展望を堪能した後は浅間隠山方面に尾根筋を進み、途中のピークである鼻曲山にて行動終了となりました。

今回の登山(全日程)のGPSログです。

経緯

テント担いでの登山は9月に月山や鳥海山を登って以来となります。

予定では秋頃に少しタフな登山をやるつもりだったのですが、東北方面の登山から帰ってきて数週間後に虫垂炎を発症(半年ぶり4回目)。救急車で病院に担ぎ込まれ当日の内に緊急手術となりました。

今まで薬で散らしていて再発の不安がいつも頭を擡げていたのですが、今回は切除となって再発という憂いは無くなり一安心。しかし腹腔鏡とはいえお腹に穴を開けた訳で術後は暫く違和感が残り、テントを再び担げるようになるまで少し時間がかかってしまいました。

そして年の瀬迫った12月、術後2ヶ月が経過して一応は完全回復と言えそうなのですが、病み上がりには違いないので少し控えめの行程。前々から行ってみたかった浅間隠山を2泊3日でのんびり時間を掛けて歩くというルートとなったのでした。

横川駅→坂本宿

今回の相棒です。1週間以上の荷物も軽々と収まるザックですが、今回は2泊3日、延びても3泊という行程と比較的短いのでキャパにはだいぶ余裕があります。

八高線に乗って北上します。1年で特に日が短い時期という事で、朝7時前でもこの薄暗さ……天気に関しては初日となるこの日は完全に曇り予報で山沿いは小雪が散るの事。実際に予報は的中したようで、重厚な雲の層が頭上に蟠っている。

遠くに見える上越国境の山々。稜線と雲との狭間には晴れ間が広がっていますが、山々は既に雪化粧を身に纏っている。

高崎駅から信越本線に乗り換えます。普段、こちらの方面の山に登る時は上越線に乗り継いで北上してしまうので、横川方面に向かうのは久々。

信越本線の終点の横川駅に到着。かつてはこの駅から更に先、碓氷峠を越えて軽井沢まで線路が続いていましたが、廃止から20年以上が経過し既に昔語りとなっている。

横川駅の構内。かつては構内に機関区が置かれ、碓氷峠越えに使用されていた補機が屯していたという話。全盛期を一度は目にしたかった。

碓氷峠越えの区間は昭和中期まではアプト式が用いられ、その当時敷かれていたラックレールの一部やジオラマがホームに展示されていました。

[7:40]横川駅出発

横川駅の駅舎と駅前風景。駅から出てすぐという所には有名駅弁、峠の釜飯の店舗があります。元々はこの駅での機関車の付け替えの停車時間を利用して売られていたものですが、現在は近隣の高速道路のSAや駅弁大会等の催事での販売がメインとなっているようです。

駅前の側溝の蓋にはかつてのラックレールが使用されていました。

横川駅からそのまま歩き始めると鉄道テーマパークである碓氷峠鉄道文化むらがありますが、まだ朝早く営業時間外でした。一度は立ち寄ってみたいなと思っているのですが中々機会が無く。

かつて碓氷峠越えの補機として使用された電気機関車。観光用に今でも使用されているようで、現役の車両同然に整備されている。

機関車とトロッコ客車。廃線(旧信越本線下り線)を利用した観光鉄道が少し先、これから向かう坂本宿近くの入浴施設の峠の湯まで伸びている。

更に進んでいくと園内に保存されている車両群が見えてきます。機関車だったり客車だったり気動車だったりとバリエーションは豊か。

整然と並ぶ保存車両の数々。なんだか棚に並べられた鉄道模型みたいですね。

線路沿いの道を離れ、路地を通って中山道方面に向かいます。途中、古びた建物に掲げられたホーロー看板が。

中山道に入りました。以降は碓氷峠にある熊野皇大神社まで概ねこの道に沿って歩いて行きます。

旧街道を歩き始めた所で国道18号線と合流。一帯は幅の広い車道となっている。

空を見上げれば相変わらずの曇天。雨が降らなければ良いかと思っていたのですが、日が差し込まないという事で気温が上がらず、おまけに風がそこそこ吹いていて肌寒い。

国道から脇道のように分岐している隘路が中山道です。途中に薬師堂がある事から薬師坂という名が付いている。

薬師坂の入口。それっぽい石碑も立っているので見落とす事はないでしょう。

薬師坂の途中にある薬師堂と、少し先に進んだ所にある薬師の清水。多くの旅人がここで喉を潤したのでしょう。

再び幅の広い国道に合流した所。碓氷峠を越えた先の長野県側は晴れているようで、鮮やかな青空が垣間見えている。

付近にあった目を引く岩山。山急山という名のピークで登山道もあるという。

坂本宿に向けて歩いていく。

途中、上信越自動車道の高架橋が横切る箇所があります。

坂本宿→旧中山道登山口

中山道の宿場町である坂本宿の中心地に到着しました。江戸から数えて17番目の宿場で、碓氷峠の峠越えという難所を目前とした立地という事もあり、中山道の宿場の中では規模は大きい方だったという。

立派な坂本宿の標柱。

坂本宿の雰囲気。道路の拡幅が行われていて宿場町時代の名残はあまり感じられないものの、全体的に小綺麗に整備されている。

数は少ないですが、所々で宿場町であった時代の建物も幾つか残っています。

こちらは旅籠の建物であるかぎや(武井家住宅)の軒下。坂本宿に残る建物としては最古のものとされている。

宿場の範囲をほぼ歩き通して振り返った所。約1.5kmもの間、道に沿って絶え間なく建物が続く非常に細長い町です。

宿場のエリアを越えると山が迫ってきて、いよいよ碓氷峠越えという雰囲気となる。

国道は大きく迂回して行きますが、山道である旧街道が並行して整備されており、その分岐には旧安政遠足コースという看板が立っています。

安政遠足とは江戸時代この地を治めていた安中藩藩士の鍛錬の為に、安中城の城門から熊野権現(旧碓氷峠上にある現在の熊野皇大神社)まで走らせた行事の事で、日本におけるマラソンの発祥ともされている。

途中で鹿よけの電気柵を潜る箇所があり、大荷物ということもあって少し難儀。そこから少し登り詰めたところで再び先程の国道に合流します。

中山道登山口→覗→栗が原→山中茶屋跡

[8:46-9:03]旧中山道入口

国道から旧街道(山道)が分岐するポイントに到着。こちらが実質的な登山口となっているようで、案内板や東屋が設けられています。

東屋の中には碓氷峠越えの区間の案内図が掲示されていました。感じからして、そこそこ人気のあるハイキングコースのようです。

旧街道方面に進んでいきます。元々は街道であったという事で、その辺の登山道と比べると段違いに歩きやすい。

道中には幾つか案内の看板が立っています。こちらの看板には堂峰番所とあり、かつては警備や見張りの為の施設が置かれていたとの事で、付近にはその当時の石垣が残るという。

道筋そのものは太くて安心感があるのですが、見通しが利く箇所は少なく全体的に地味な景色が続く。

道沿いには石碑や石仏が多く、上越国境の三国峠越えと似たような雰囲気。それだけ過酷な道だったという事でしょう。

石積みを迂回して進んでいく箇所。刎石坂と呼ばれる場所で、碓氷峠越えにおいては一番の難所とされたらしいです。

[9:33-9:40]覗

と呼ばれる展望地に到着。碓氷峠までの区間では数少ない、展望が楽しめるスポットです。

からの展望。名前の通り木々の切れ目から覗くような展望ですが、先程歩いた坂本宿を俯瞰する事ができる。

坂本宿の望遠。一筋の太い道路に沿って家並みが続いている様子がよく見える。そしてそれを高速道路が大きく横断しているという形。

坂本宿の奥の方を望遠してみると、先程横目にした鉄道文化むらの保存車両群が見えました……尚更鉄道模型ジオラマっぽいですね。

から先に進んでいく。以降は纏まった登りは少なくなり、緩い起伏の尾根に沿って進んでいく。

風穴がありました。暑い夏には有り難そうですが。

見通しの効かない樹林帯の中へ。少し進むと尾根道とトラバースの分岐が……尾根道がクラシックな道のようなので、そちらを選んで進む事に。

尾根筋なので樹間からは少しだけ展望も臨める。

すぐに合流し、再び鬱蒼とした道の中へ。道は刎石山をトラバースする形で通されており、付近には刎石茶屋と呼ばれた施設のの跡地があり、ここでも土台となる石垣が残っています。

[9:53-9:58]関所跡

かつて関所が置かれていたという場所に到着。ちょっとした休憩ポイントのようで、東屋のような建物も近くに設けられていました。

木々の切れ目のような道を歩いていく。

途中、人為的に作られた虎口があります。豊臣秀吉による小田原合戦の折、北条氏の重臣である大道寺政繁が治めていた松井田城を攻める際の拠点として整備された場所のようで、碓氷峠という名で呼ばれる事もあるようです。

尾根に沿って進んでいきますが、尾根上を歩く区間は少なく、若干トラバースするように道が通されている。

途中の石仏。坂道が続くこの付近も難所であったようで、看板にはそうした旨が記されている。

尾根上を切り通された箇所。峠越えの難所とは言え、全体的に起伏は少なく歩きやすい道でした。

登ったり降ったりを繰り返しつつ進んでいくと人の気配が……どうやら工事が行われているようで、作業用の車も道上を往来していました。

座頭転がしと呼ばれた急坂。名前の通り斜度は急峻ですが区間そのものは短い。

[10:40]栗が原

めがね橋方面に続く分岐点である栗が原に到着。一帯は先程の工事の為の資材置き場となっていました。

栗が原付近では樹間から榛名山が見えました。榛名富士もその名の通り、富士山のように均衡の取れた形に見える。

栗が原の地点で距離的には山道区間のほぼ中間。登山口から碓氷峠までの標高差は650m程度と大した事はないものの、距離が7km弱と結構あるのでコースタイムは3時間50分とそこそこ長い。

久々に展望が開けた場所に出ました。相変わらず一面の雲が頭上を覆っている。

山が見える方面の望遠。雲は多いものの高曇りとなっているようで、遠くの山々もそれなりに見通せました。

山中茶屋跡→陣馬が原→思婦石

[11:06]山中茶屋跡

再び樹林帯の中へ入った所には山中茶屋跡と呼ばれる茶屋の跡地がありました。かつては集落を形成していたようで、周囲には多くの石垣が残されています。明治時代には学校も置かれていたという。

山中茶屋跡を過ぎれば碓氷峠までの街道歩きも終盤。めし喰い坂という名の緩い坂を登っていく。空腹ではとても登れず、旅人は皆山中茶屋で腹拵えをした事がその名の由来との事です。

突如としてバスの廃車体が視界に入りました。一帯は別荘分譲地として開発されていたようで、奥には大きな廃墟があります。この付近から陣馬が原までの区間が車も通れそうな広い道幅なのはその為でしょうか。

道中で気になったのが一つ家跡なる看板。『ここには老婆がいて旅人を苦しめたと言われている』……山姥伝説か何かでしょうか。内容が不気味すぎて思わず立ち止まってしまった。

[11:25]陣馬が原

陣馬が原の分岐に到着。ここから一旦谷を下り再び登り返す山道と、大回りであるものの平坦な林道の二経路があります……山道の方がコースタイムは短いみたいなのでそちらへ。

トラバース気味に谷筋へと下っていきます。

人馬施行所跡。休憩所のような施設が置かれていたらしいです。

人馬施行所跡の近くを流れる小川。この初冬という季節にも関わらず水量は豊富でした……澄んでいますし、ここで水を補給しても良かったかも。

谷筋から再び登り返し、平坦となった所で長坂道なる看板が立っていた。

熊野皇大神社碓氷峠見晴台

[12:02]思婦石

鼻曲山方面へ続く登山道の分岐点である思婦石に到着。思婦石とは江戸時代、安政4年に建立された歌碑で『ありし代に かへりみしてふ 碓氷山 今も恋しき 吾妻路のそら』と刻まれている。

思婦石から少し進んだ先は集落があり、峠町という名で群馬県と長野県の県境に跨る形で町並みが続いています。舗装路は軽井沢方面から続いていて、バスの便もあるようでした。

他の峠でもよく見かけますが力餅が名物のようで、いくつかの店に看板が掲げられていました……せっかくの名物ですから、行動食用にでも買えば良かった。

[12:06-12:50]熊野皇大神社

峠上に鎮座する熊野皇大神社に到着。それなりに知られた神社のようで、観光客の姿も多いです。今回はこちらで参拝ついでに手水場にて水を頂く事に。

こちらの神社は完全に県境に跨るように建っているようで、敷石にはその事を示すプレートが埋め込まれている。

参道とその上部から門前町である峠町の集落を見下ろす。

熊野皇大神社の境内に入りました。おみくじやお守りも何種類も売られており、山の中にある神社の割には賑やかな雰囲気です。

熊野皇大神社はかつては熊野宮や熊野権現と呼ばれ、中山道の往来が盛んであった江戸時代は特に賑わっていたとされています。また紀伊熊野三山、出羽(現在の南陽市宮内)の熊野神社と共に日本三大熊野に含まれていたという。

また、こうして境内を見ると一つの神社のように見えますが、実は群馬県側と長野県側とで完全に別の神社として分かれており(群馬県側が熊野神社、長野県側が熊野皇大神社)、宮司も別々。社務所や賽銭箱といったものはそれぞれ2つずつ設けられています……妙にお守りの種類が多いのもその為でしょうか。

境内には展望台のような場所があり、ベンチも置かれている。

境内からの展望。峠町という名の通り、麓からの標高差が200mという峠の上に続いている。

寒いなーと思って近くの温度計を見てみると丁度ぴったり0℃でした。風が無いのでそこまででもないですが、グローブ無しだと手が悴む程度には冷えています。

こちらは長野県側の社務所で授与所も兼ねています。

群馬県側の授与所は階段を登りきった所にある随神門の中にあります。長野県側の方も元々はそちらにあったかのようなスペースがありましたが、手狭となったのでこちらに移ったようにも見えました。

御朱印は非常に多くの種類があり、その中のワールドカップ限定御朱印というものを選択……したのですが手違いで見開きの豪勢なタイプのものになってしまった。とは言えこれはこれで。

長野県側の社務所の内部を通り抜けた先、奥宮へと続く道の入口にあるシナノキの御神木。

背後の一ノ宇山方面に少し登った所にある熊野皇大神社奥宮。看板には徒歩10分と書かれていましたが、そこまで掛かりませんでした。

奥宮から帰る途中、御神木の周辺を見下ろす。

御神木の近くにある八咫烏神社。当時は2022年ワールドカップの開催中。グループリーグにおいて強豪ドイツを下し大いに盛り上がっている最中で、サッカー日本代表のシンボルともされている八咫烏の像にはユニフォームが着せられていました。

ちなみにこの日の夜はグループリーグ突破が掛かっているスペイン戦、サッカーファンと思しきユニフォームを身に纏った参拝客の姿も多く見られました。

熊野といえば八咫烏で古くから神の使いとされていました。神社の中にはデフォルメされた人形が整然と並んでいます。

参拝を終え、最大の目的である水の補給へと向かいます。神社の方に手水場の場所を教えて頂き向かってみると、水みくじ処を兼ねている様子でした。比較的最近になって建て直されたようで色々な意味で映えそうです。

水汲みするのも憚られるような所ですが、上部に竹筒が通されていてそこから汲めました……以降翌日の午後、浅間隠山を越えた先まで水場は無いので気持ち多めに汲んでいく。

水の補給を終えたら鼻曲山方面に再出発……ですが、付近に展望台があるとの事なので立ち寄る事に。

[12:56-13:18]碓氷峠見晴台

碓氷峠見晴台に到着。非常に広々としていて展望台というよりは公園に近いです。

見晴台の雰囲気。この時点で小雪がちらつき始めていました。気候の良い季節であれば賑わっていそうですが、こうも寒々しくては……。

見晴台からの展望。左側に関東平野、中央には御荷鉾山系やギザギザ際立つ妙義山が見える。

山々を望遠してみたもの。幾重にも折り重なっているので山座同定は難しいですが、やはり高曇りのようで雲の量の割には遠くの山まで見えます……右奥に見える一際高い山は奥秩父山塊でしょうか。

その奥秩父山塊を望遠してみたもの。部分的過ぎて判断に困る所ですが、甲武信ヶ岳の付近と思われる辺りで、左側に大きく落ち込んでいる所が木賊破風山の間の鞍部です。

こちらは関東平野方面。左側の少し込み入った辺りが高崎前橋の市街地です。

少し場所を変えての展望。こちらは全体的に木々が茂っていて開けていませんが、すぐ近くという所に浅間山が見えます。その左、先程の奥秩父山塊の延長線上には御座山が。

今回の登山の3日間、幾度も目にする浅間山を望遠で……既に12月だというのに意外にも雪は少ない。

展望をそこそこ堪能した後は鼻曲山方面の分岐となる思婦石に戻ります。

途中、利根川の支流である碓氷川の水源が一段下がった所にありました。水源という通り水が湧いているらしいのですが、水場として使える感じでは無さそうなので今回は立ち寄りませんでした。

思婦石→留夫山

[13:25]思婦石

思婦石に戻ってきました。ここから再び山道に復帰、指導標に従い鼻曲山方面に向かいます。

最初のピークである一ノ字山への若干急な登り。GPSの軌跡を見ると先程立ち寄った熊野皇大神社の奥宮のすぐ側を掠めていく形でコースが続いているので、わざわざ思婦石まで戻る必要は無かったかなと思ったり。

一ノ宇山以降、急な登りも一段落して殆ど平坦に近い道となります。

落ち葉で踏み跡は殆ど埋もれていますが道筋は読みやすい。道標も豊富です。

鼻曲山方面を示す道標。暫くの間は緩やかなアップダウンを繰り返しつつ進んでいく。

途中の1,419mピーク付近。左側の写真は次に登る留夫山への登り返しです。右の写真はその登り返しの途中から見下ろす1,419mピーク。

最鞍部から留夫山までは標高差250mとそこそこの登りです……途中、少し開けた所から雲の合間の西日が見えました。

留夫山の山頂手前から歩いてきた道を振り返る。

留夫山→鼻曲山

[15:10-13:22]留夫山

留夫山の山頂に到着。そこそこ目立つピークですが、一帯は木々に覆われていて展望はありません。

向かう先には鼻曲山の登り返し。左の写真、右奥の所には翌日登る浅間隠山が見えています。距離としては10km弱とまだ少しばかり離れている。

鞍部から鼻曲山方面の登り返し。留夫山との標高差は僅か65mと大して差はありませんが、途中で100m程下るので割と纏まった登りとなります。

登り返しの途中から留夫山を振り返る。この頃になると午前中ずっと頭上を覆っていた雲もどこかに行ってしまったようで、気付けば青空が広がっていました。

途中、木々の合間から見えた白い稜線。方角的には谷川連峰っぽいですが詳細は不明です。

雰囲気の良い笹道となりました。既に一日も終盤と言える遅い時間帯ですが、天候も回復して時折日が差し込む事も。

割と距離の近い所に榛名山が見えました。すぐ背後には赤城山の稜線も見える。

すっかり天気も回復してモチベーションも上がりつつありますが、もう間もなく日没という頃。師走の日は短い。

鼻曲峠手前の金山、その更に手前のピークに到着。目指すべき鼻曲山はすぐ側まで迫っています。

樹間から見えた上州武尊山。こちらはまだ雪は積もっておらず、榛名山赤城山と同様に黒々としています。

こちらは関東平野高崎前橋の市街地の付近。中央部の一際高く見えるビルが県内一の高層建築物とされる群馬県庁でしょうか。

西の空を見るとまもなく日没といった所。

暫くの間登り返しが続く。視界に入る秋の実りは既に疎らで、冬枯れの季節に差し掛かりつつある。

金山への登り返し。日没も間際という事で、辺り一帯の色合いが赤々としたものに変わってきた。

標高1,602mの金山のピークから榛名山方面。奥には先程と同様に赤城山が見えています。

金山から臨む鼻曲山。名前が示す通り独特の形状をしたピークです。

鼻曲峠の手前、少し開けた場所から榛名山赤城山方面の展望。すぐ手前の所には剣の峰角落山といった起伏の激しいピークが見える。

[16:18]鼻曲峠

十六曲峠剣の峰方面への分岐である鼻曲峠に到着。ここまで来れば山頂の鼻曲山まで20分と僅か。

引き続き鼻曲山方面に足を進めますが、残念ながら途中で日没となってしまいました……山頂からのんびり夕日を眺めたかったのですが10数分ほど遅かったようです。

日が沈み辺りが暗くなり始める中、鼻曲山まであと一回の登り返しという所まで来ました。

徐々に青味が増していく空を見上げる……雲はいつの間にか殆ど無くなっていました。

[16:35]鼻曲山(大天狗)到着

鼻曲山の山頂看板が立つ大天狗のピークに到着。まだ午後4時半という時間ですが、既に薄暗いので本日はこの辺で行動終了としました。

大天狗の山頂の雰囲気。全体的に木々が茂っていますが、山頂らしくそこそこ開放感があります。

南側に少し進むと木々が切れて視界が広がる展望台のような所がありました。先程越えてきた留夫山も薄暗いながら見えてきます。

樹間から夕焼け。少し先の鼻曲山のもう一つの山頂(小天狗)では西方面の展望が広がっているのですが、この時点では知らず。

いつものお酒ですが、寒い時期の登山なので今夜は燗酒がメイン。一合瓶に詰めた中身は東京地酒、屋守で知られる豊島屋酒造の銘柄、東村山普通酒。いい感じに燗映えしてくれるので、冬の間は専ら常備酒としています。

夕食はいつものアルファ米定食の他、近所の燻製所で購入したガーリックステーキがメインディッシュ。少々お高いのですが、味がよく染みていて美味しい。

夕食を終えた後、外の様子を見に行った際の夜景。外の気温はマイナス5℃で風もそこそこ。

夜景の望遠。あまり長く外に出てしまうとせっかく燗酒で温まった身体が冷えてしまうので、数枚写真を撮る程度で留めて早々に床に就きました。

次回記事『旧碓氷峠から浅間隠山その2』に続く

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