山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

箱根外輪山その3(三国山→山伏峠→箱根峠→山中城跡→三島大社→柿田川公園→沼津駅)

箱根外輪山というテーマの登山の最終日は前日行動終了とした三国山から歩き始めとなります。これまでに引き続き外輪山の残りの区間を進み、途中展望地として整備された芦ノ湖レストハウスにて展望を堪能。その後、箱根峠に到達した事で長かった外輪山歩きを終えますが、時間に余裕があったのでそのまま旧東海道沿いに麓の三島大社を目指し、最終的には柿田川公園を経て沼津駅まで歩き通しました。

箱根外輪山その2』の続きの記事となります。

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今回の登山(全日程)のGPSログです。

三国山→山伏峠→海ノ平

[5:52]三国山出発

日が短いので本日も未明の内の出発となります……しかし前日までの疲れが溜まっていたのか早起きができず、午前6時前と日の出の近付いた時分となってしまいました。

暗闇の中を突き進んでいく。概ね歩きやすい道程でしたが、一つだけ崩落箇所を迂回するポイントがあり、大きく谷側に下ってから登り返す必要がありじゃす。この迂回路が整備されるまで暫くの間、この外輪山沿いのコースは通行止めだったとか。

出発してから程無くして東側の空が赤味を帯び始めました。暫く樹林帯からは抜け出せそうにないので、この日も日の出は臨めなさそうです。

樹間から芦ノ湖。白くなった空を鏡面のように照らしている。

こちらは前日まで何度も目にしていた箱根中央火口丘。左側が最高峰の神山で右側が駒ヶ岳です。

少し進んだ所から再び中央火口丘の方面。右側には樹間越しに芦ノ湖の湖面が見える。

歩いていると次第に空が明るくなってきました。

樹林帯が途切れた所からの展望。伊豆半島や、最終的に目指す沼津の市街地が見えました……まだまだ途方もなく遠くに見える。

こちらはこれまで歩いてきた箱根外輪山、三国山丸岳、金時山の方面。写真中央に見える小高いピークが金時山です。

[7:05]山伏峠

山伏峠の看板が置かれた場所に到着。峠というよりはちょっとした鞍部という所ですが、明治時代の版の地形図にも記載がある事から、それなりに由緒ある場所のようです。

山伏峠から1035mピークを北側にトラバースしていく区間では霜なのか雪なのか、道上が白くなっていました。

歩き始めて約1時間という所で登山道にも陽光が当たり始めました。

[7:13-7:28]芦ノ湖スカイラインレストハウス

トラバース区間を終えた所で開けた場所に出ました。この箇所で有料道路の芦ノ湖スカイラインと接続しており、レストハウスが設けられています。

レストハウス近くから東側の展望。この日も文句無しの快晴……ですが、日の出見物には出発が少し遅かったようです。

レストハウスの背後、先程迂回してきた1035mピークを登り詰めた所に展望台があるようなので立ち寄りました。こちらもドライブついでに気軽に立ち寄れるような雰囲気。

展望台からの眺め。パノラマ絶景と謳っている通り、箱根方面から伊豆半島、愛鷹山に富士山と広い範囲の展望が楽しめます。

朝日が登る方面の箱根の山々から富士山までの広い範囲の展望。

ほぼ快晴で様々な山が見えるので山名入りを作りました。

駿河湾を中心にパノラマの範囲をやや狭めてみたもの。

富士山愛鷹山方面の望遠。間には南アルプスの稜線が見えていますが、やや霞み気味で前日程には鮮明には見えません。

こちらも山名入りの写真。愛鷹山の各ピークや南アルプス南部、安倍奥の方面の稜線が確認できる。

富士山を単体で。前日から沢山見ていますが、角度がズレた為か宝永山の見え方が若干変わりました。

こちらは南アルプスの望遠。上河内岳から聖岳赤石岳、荒川三山という並びで南アルプス南部の主峰が見えています。手前の所には笊ヶ岳も見えていますが、この角度からだと小笊が重なってしまって双耳峰には見えないようです。

山名入りです。聖岳の左手前には七面山と付近のガレ場が見えています。

愛鷹山からその山麓部、湾曲する駿河湾方面の望遠。この日も日本平辺りまでは肉眼で確認できました。

駿河湾を更に望遠したもの。沼津の市街地に近接した沼津アルプスが端から端まで見える。

沼津の市街地を最大まで望遠してみたもの。

こちらは駿河湾を挟んだ反対側。清水の市街地や三保半島、日本平辺りまでは見通せる。

朝日と芦ノ湖箱根中央火口丘。こちらは逆光になるのでシルエットのようになってしまう。

左は天城山の左側に見えた気になる山……調べてみたら伊豆シャボテン公園近くの大室山のようです。右は朝日と芦ノ湖

伊豆大島三原山とその望遠。距離的に近い為か、離島の山にしては存在感がある。

展望台を下った所から芦ノ湖方面の眺め。日が高くなり全体的に明るくなってきた。

中央火口丘外輪山の間に見えた丹沢と、前日も見えた駒ヶ岳山上のロープウェイ駅の望遠。

レストハウス付近から駿河湾方面の展望。まだ朝早いので車通りも殆どない。

レストハウスから外輪山歩きを続行します。暫くは平坦で歩きやすい道程が続く。

海ノ平の手前辺りから見通しのきかない樹林帯に再び入ります。

鬱蒼とした中の道。しかし道そのものは整備が行き届いていて歩きやすい。

海ノ平の山頂が近付いてきた頃には再び開けた道となりました。

海ノ平→箱根峠

[8:33-8:46]海ノ平

海ノ平のピークに到着。通過地点のような山頂ですが、周囲に視界を遮るものは少なく展望は良いです。

海ノ平付近の様子。なだらかな丘の上といったような雰囲気。

何らかの建物の脇を進んでいく。

海ノ平から歩いてきた道を振り返る。角度によって愛鷹山が見えたり富士山が見えたりといった具合。

富士山方面の望遠。左側には南アルプスの稜線が薄く見える。

南アルプスの望遠。後背には白く染まった聖岳赤石岳、荒川三山と並び、その手前には笊ヶ岳を始めとした白根南嶺の稜線が続いている。

海ノ平からの下りの様子。周囲はゴルフ場が広がっており少々独特な風景に。

少し進んだ所から同方面。この地点から箱根外輪山歩きにおける今回のゴールとなる箱根峠は距離にして400m程度と非常に近い所にありますが、並行して通されている芦ノ湖スカイラインが自動車専用道路で歩行禁止なのでかなり大回りして歩く事になります。

この道標から一旦、谷側に向けて大きく下っていく事になります。

下り坂の様子。道は遊歩道然としていて歩きやすいですが、海ノ平から150m下り道の駅まで50mの登りとアップダウンが激しい。芦ノ湖スカイラインが歩ければ10分で箱根峠まで辿り着けるのですが。

トラバース気味に取り付けられた道を歩いていく。日が差し込まず薄暗い道が続く。

涸れ沢のような所が最低地点で、そこから道の駅まで一転して登りとなります。

補修された登山道に沿って歩いていく。先程の山伏峠の手前もそうですが、災害によるものかコース上には迂回ポイントが幾つかある。

坂を登りきった所。道の駅はここから僅かに下った所にあります。

樹林帯の中の下りを進んでいくと道の駅の建物が見えてきました。更に近付くと中央火口丘駒ヶ岳神山のピークが正面に。

[9:24-9:42]道の駅箱根峠

道の駅箱根峠に到着。実際の箱根峠はここから少し県境方面に進んだ所にあります。道の駅としては小ぶりですがドライブにおいての休憩ポイントらしく、往来する車が頻繁に立ち寄っていました。

道の駅らしく、内部の販売施設では農産物や土産物なども扱っていました。唆られましたが、ここから三島大社、行ければ沼津までの怒涛の下り坂を控えているので、荷物を増やしてしまう事に少し躊躇。

これから歩く三島までの旧東海道三島夢街道という名で紹介されており、道の駅の建物内にはその案内が掲示されていました。

建物の背後は展望台となっており、芦ノ湖の湖面越しに箱根中央火口丘二子山が見渡せる。

箱根の外輪山歩きというテーマを終え、以降は旧東海道の街道歩きとなります。道の駅を出発して暫くの間はそういった雰囲気では無く、車の往来の激しい国道1号線を歩く事になる。

道の駅から箱根峠方面に進んだ所でバイパス道路である箱根新道との分岐があり、その付近で道路を横断するポイントがあります。交通量は多いですが、峠道であるが故にスピードを出している車はそこまで多くはなく、特に問題なく渡れました。

横断地点の所には箱根宿方面へ続く旧東海道の分岐があります。旧街道はこの地点で合流した……という形になるようです。

この箱根越えの区間旧東海道の中でも箱根旧街道と呼ばれ、小田原から箱根までは東坂、箱根から三島までが西坂といった具合に区分されており、今回はその内の西坂を歩いていきます。

暫く路肩を歩いていくと高架橋を潜る箇所があり、その先が箱根峠小田原から三島にかけての箱根越えにおける道路上のサミットとなります。

箱根峠→山中城

 

[9:55]箱根峠

箱根峠に到着。この付近から旧東海道の細い道が分岐する形で伸びていますが、その先の接待茶屋までの区間が崩落しているとの事で通行止め。もう暫く道路沿いに歩きます。

この付近から道路沿いに歩道が整備されているので車を気にせず歩けます。

[10:26]接待茶屋

接待茶屋跡から車道を離れて未舗装の道へと入り込んでいきます。旧街道とは言え流石は天下の東海道、道幅は広い。

接待茶屋跡の近くにあるのが、豊臣秀吉小田原城に進軍する際に兜を置いたとされる兜石。歴史ある道という事で道沿いには名所旧跡が多く、案内も非常に充実している。

少し下り始めた辺り、石原坂と呼ばれる区間から石畳が現れ始めました。江戸時代に街道として整備された当時のものらしいですが、中には後年になって復元整備されたものも多い。この辺りは当時のものでしょうか。

石畳の道を進んでいく。道としては歩きやすいですが、重い荷物を担いで山を越えてきた後なので足や関節に響く。

行き倒れた人を供養する為に作られたとされる念仏石。険しい峠道ではこういった供養塔や地蔵等が多く見られる。

国道と接続する箇所に案内板が設けられていました。割と新し目なのに褪せていていまいち読みづらい。

看板の付近から国道1号線を見下ろす。奥に見えるのは天城山の方の稜線のようです。

周囲の様子。足元には何らかの陶器の破片が散らばってました。

大枯木坂の下りを進む。こちらの方でもやや土に埋もれつつも石畳が残存しています。

農家の家の前に道が通じており、そこから指導標に従って90度折れます。バス停に農場前とある通り、近隣には規模の大きな畑が広がっている。

[11:02]農場前

農場前にて国道1号線を横断します。この付近は交通量が多い上に皆飛ばしているので渡るのが少し恐怖でした。

渡った先から続くのは小枯木坂。付近の看板には石畳の復元事業についての解説が掲載されていました。

小枯木坂の石畳の様子。先程の看板にも書かれていた通り、途中に橋のような部分が残る。

坂を下り終えた所にあるのは雲助徳利の石碑。雲助というのはかつて街道として使用されていた時代に駕籠や荷物の運搬といった生業に就いていた人々の事で、この石碑もその雲助の一人の墓とされている。生前お酒が好きであったという事から墓石に徳利が象られているのがユニーク。

雲助徳利から少し先に進むと、国道1号線から分岐してきた旧道と合流します。かつての旧街道のルートは石畳柄の路面でガイドされており、暫くはそれに従って歩いていく事になる。

山中城跡周辺の観光

[11:20-12:02]山中城

旧道との合流地点の付近にある山中城の東側の入口に到着。こちらは割と最近旅行で立ち寄った事があるのですが、せっかく通りがかったので今回も立ち寄ってみました。

山中城は戦国時代、小田原を拠点としていた北条(後北条)氏が西部方面の防衛の為に整備された城です。特に豊臣秀吉による小田原城攻めの際にはそれに備える為に増築が重ねられ、現在のような非常に広大な規模の城郭となりました。

しかし全国各地の大名を従えた、北条軍のおよそ10倍もの人数とも言われた豊臣軍の大軍勢を相手にしては為す術もなく、僅か半日で落城してしまったという話です。

入口から進んだ所には城の守護を願って建てられた駒形諏訪神社があり、その背後には本丸が見えます。

兵糧庫が置かれたというスペース。小田原城と同様、長期間の籠城も想定されていたのでしょう。

出陣の際、矢を射って戦勝を祈願したとされる矢立の杉。その付近には椿が咲いていました。

こちらが本丸。兵糧庫と隣接する、山中城においての中核を為す曲輪です。現在は植え込みがあったり藤棚が植えられていたりと公園のような雰囲気。

本丸から少し登った所、城内の最も高い場所にはかつて天守が設けられており、こちらはその跡地。

本丸北の丸を結ぶ架橋。当時も橋が架けられており、敵に攻め込まれた場合は防衛の為に落とせるように敢えて簡易的なものにしていたという。

本丸の方に戻ります。二の丸と通じる橋の近くには案内板が建っていました。

本丸二の丸の間の本丸西堀北条氏の城郭においては畝堀障子堀と呼ばれるワッフル状の空堀が特徴的で、山中城においても顕著に見られる。

二の丸から本丸を振り返った所。

二の丸から元西櫓方面。畝堀を越えるように橋が架けられている。

二の丸から元西櫓へと進んでいく。

元西櫓から西の丸方面を臨む。

西の丸の登り口。少し離れた所にある岱崎出丸を除くと、付近にある曲輪としては最も規模が大きい。

広々とした西の丸。周囲には畝堀や障子堀が張り巡らされ、山中城の曲輪の中でもとりわけ、西側からの進攻に備えた拠点であったとされている。

奥にある見張台から西の丸の全体を見下ろす。奥には先程歩いた元西櫓二の丸が見えている。

見張台からの富士山方面の展望。直下は深い堀で囲われていて、容易には攻め込めない構造となっている。

その堀は2019年の台風被害によって被害を受けたようで、復旧作業が訪問時点でも行われていました。かなり甚大な被害だったようであったようで、入口の駒形諏訪神社の屋根が拉げてしまう程だったという。

畝堀や障子堀が続く風景。この辺りは修復されたばかりなのか、綺麗に整っています。

西の丸を囲うように続いている畝堀。このような構造だと攻める際に畝の上を一列で歩かざるを得ないので、防衛する上では有利であったという。

畝堀沿いに進んでいき、西端にある西櫓まで移動しました。先程の元西櫓に対し、こちらは豊臣軍の侵攻に備えて増築した際、新たに設けた櫓との事。

西櫓から眼下に広がる障子堀や西の丸を臨む。この辺からの景色は如何にも障子といった感じ。

西側の展望。西からの侵攻に備えて築かれた城という事もあり、こちら側の視界は開けている。

同方面の望遠。正面には愛鷹山が聳え、富士山駿河湾、その周辺の家並みが細かく見えています。

畝堀や障子堀の周囲を歩きつつ西の丸の方へと戻ります。

西の丸から田尻の池生活用水や馬の飲み水として使用されたという。

こちらの箱井戸は専ら飲用の水源として使用されたようです。井戸というくらいなので、どこからか澄んだ湧水が出ているのでしょう。

箱井戸から旧街道に面した所にある宗閑寺方面へと向かいます。

宗閑寺の境内。豊臣軍による小田原城攻めの後、この城で落命した北条方の武将、間宮康俊を弔うために建立された。現在では敵方であった豊臣方の兵士も含めて弔われている。

境内の解説パネルと墓石。墓石はどれも古いですが供え物は新しく、定期的に人が訪れているようです。

最も手前にある、五輪塔が三基並んだ石碑は間宮康俊の墓とされる。

境内には様々な形状の石碑や墓石が立ち並ぶ。

旧街道の入口にあたる場所から宗閑寺の本堂を眺めた所。

宗閑寺から旧道に復帰し、そこから道なりに暫く下っていきます。

再び旧街道由来の細い道に。石畳風の道が観光客用の駐車場まで続いています。

途中にあった芝切地蔵。この地に投宿していた旅人が腹痛で亡くなり、その遺言で建てられたというもの。以後は腹痛避けの地蔵として賑わったとされており、賽銭やこの地蔵尊の縁日で販売した小麦まんじゅうによって村は潤ったという。

[12:10-12:48]山中城跡案内所

芝切地蔵から下った所で再び道路と合流します。付近には駐車場がある他、観光案内所も設けられています。

こちらはその観光案内所。山中城跡案内所と呼ばれる施設で、内部では食事もできるようです。気付けば正午を回っていた……という訳で、今回はこちらで昼食を頂いていく事に。

建物内にはこのようなポスターが。後北条氏と言えば豊臣秀吉による小田原城攻めで滅ぼされてしまったイメージが強いですが、氏政の弟である北条氏規の家系は高野山への蟄居を経て大名として復活、河内狭山藩の藩主として明治維新まで存続しているので、ストーリーとしては面白いのではないかと思います。

注文した天ぷらそば。山菜とお麩がデフォルトで入っているのは地域色なのか、少し変わってますね。大盛りを頼んだら中々の量でしたが、登山3日目という事で軽々と食しました。

山中城跡→笹原新田→三ツ谷新田→市の山新

山中城周辺の観光を終え、以降は再び街道歩きに。復元されたものかどうかの判別はつきませんが、この付近も石畳の道が続いています。

延々と続く石畳の道。こちらでも復元活動についての解説板がありました。

周囲の景色が開けてきた頃、途中に道路を横断する箇所が2箇所ほど。旧街道はまっすぐ続いているのですが、横断歩道が妙に離れた所にあって大きく迂回させられる事もしばしば。

街道越しに見える富士山。この頃になると標高も500mを下回っていて、随分と麓に近付いてきた感じがする。

国道を跨ぐ陸橋上は階段状となっていました。

観光用吊橋である三島スカイウォークのすぐ側を歩いていく。有名な展望スポットですが、入場料が1000円以上らしいのでそのままスルーして下っていく。

箱根旧街道の案内板に従って進んでいく。道路脇の歩道も石畳風の道となっている。

笹原新田の手前辺りから再び石畳の道となりました。こちらも復元されたのか元々のものなのか。

道の脇の道祖神馬頭観音像。街道として使われていた当時からこの道を見守ってきたのでしょう。

旧街道の周囲は畑に囲まれている。展望は良く、遠く天城山まで見通せる。

この付近は農作業のトラックの往来によるものか石畳の損傷が激しいです。復元されたりしている場所もあれば、中にはこのように現在進行系で失われつつある場所もあるようで……。

若干道を外れた所にある笹原一里塚。木々の中にひっそりと佇んでいる。

[13:21-13:24]笹原新田

山中以来の集落となる笹原新田の集落に入りました。先程の山中新田を含む箱根路西坂の集落は五ヶ新田(中新田、笹原新田、三ツ谷新田、市の山新田、塚原新田)と呼ばれ、江戸時代の街道整備の一環で設けられたという。

下ってきた旧街道を振り返る。石畳風の路面が続いていますが、トラックの往来が多く土で汚れている。

笹原新田の集落内の道は普通の舗装路となりますが、旧街道らしい微妙な道幅の道です。

集落を抜けた所で急坂となり、下長坂(こわめし坂)という名前が付けられている。こわめし(強飯)を食べて力をつけないと登れない急坂だったからとか。

こわめし坂を下っていく。生活道路として使用されているようで、車の往来も少なくない。

坂を下りきった所で再び国道と合流。合流地点には案内板が設けられていました。

[13:37]三ツ谷新田

こわめし坂を下り切った所が三ツ谷新田の集落です。三島の市街地にもだいぶ近付いてきたようで、既に麓のような雰囲気に。

三ツ谷新田の集落内を進んでいく。この付近から車道と一体化している所も増え、旧街道の名残はあまり見られなくなる。

とは言え古い道らしく沿道には神社仏閣が多い。

狭い尾根上のような所を通された道を進んでいく。

三ツ谷新田、西端辺りからの展望。富士山愛鷹山も依然としてよく見える。

旧街道歩き……という風情はあまりない無いですが、景色の良い道。

少し角度が変わった所から再び富士山愛鷹山の展望。

交通量の多い道の脇を歩いていく。人口も多いようで、三島まで向かう路線バスも頻繁に往来がある。

途中、旧街道由来の細い道が分岐する箇所があったのでそちらへ入り込んでいく。

題目坂へと通じる細い道。付近には石碑が多い。

やや鬱蒼とした雰囲気の題目坂を下っていく。

坂を降り切った所で再び道路と合流。少し先には市の山新の集落が見えています。

市の山新田→塚原新田→初音ヶ原→三島大社

[14:02]市の山新

市の山新の集落内に入りました。こちらもこれまでの集落と同様、江戸時代に五ヶ新田として整備されました。

集落内にある六地蔵。十地蔵くらいありそうですが。

市の山新の集落を抜けた辺りから再び旧街道、臼ころげ坂の分岐があります。

舗装路から臼ころげ坂方面に入り込んだ所。

臼ころげ坂の様子。旧街道にしては幅の広い道でした。

臼ころげ坂を下り切って再び舗装路と合流した所が、五ヶ新田の最後の集落である塚原新田です。

舗装路から分岐する臼ころげ坂方面の旧街道を振り返る

[14:30]塚原新田

塚原新田の集落内の様子。この付近まで来ると三島の郊外といった様相で、旧街道沿いの風情は殆ど無い。

路傍の石碑の存在が古い道である事を物語っている。

塚原新田の集落内を進んでいく。麓とはまだ若干標高差があるようで、中心市街地は少し下の所に見える。

三島の市街地もだいぶ近付いてきた……という所で、暫く振りに国道1号線と合流しました。

[14:43]箱根路の碑

国道との合流地点、坂を下り切った所には箱根路と題された大きな石碑が置かれていました。

石碑が置かれていた地点から暫くの間は国道の歩道を歩いていく。

暫く進んだ所から国道を覆うように初音ヶ原の松並木が続いています。街道として使用されていた当時から残るもののようで、現在でも大事に保存されている。

初音ヶ原から富士山愛鷹山方面の展望。

[14:51]錦田一里塚

初音ヶ原の松並木の中にある錦田一里塚と、その周辺の雰囲気。前後は遊歩道のように整備されている。

初音ヶ原の松並木の様子。真冬という事で菰巻きが施されている。

松並木に沿って歩いていく。日没が近付きつつあり、辺りも次第に薄暗くなってきました。

途中、大通りから細い道へと分岐する形で三島大社方面へと続く旧街道沿いに進んでいく。

街道上の案内板。箱根峠から始まった箱根旧街道西坂も終わりが近付いてきた。

愛宕と呼ばれる緩い傾斜の坂道を下っていく。

途中から再び旧街道らしい幅の狭い道に入ります。

東海道本線を跨ぐ踏切の前後の様子。ここにも案内板が立っています。

踏切内から線路を眺める。三島の市街地も既に目と鼻の先という距離ですが、三島駅までは2km弱とまだ少し距離がある。

踏切と、そこから先に続く今井坂

今井坂付近。箱根峠から何度と通った坂シリーズはこれで最後となります。

細い道から再び幅の広い道路に合流。この道沿いに三島大社を目指していきます。

途中の新町橋の案内パネル。既に日没近い時間帯ですが、富士山は良く見えている。

新町橋付近からの富士山と、その周辺の街並み。

三島大社の門前とも言える場所に辿り着いた所。辺りには観光客らしき人の姿も増えてきました。

三島大社柿田川公園

[15:28-15:43]三島大社

箱根路西坂のゴールと定義付けられる事の多い三島大社に到着。こちらも何度か訪れていますが、だいぶ久々。

三島大社伊豆国一宮とされた神社で、三島という地名の由来ともなっています。既に中世には広く人々の信仰を受けており、平氏との戦いに敗れて伊豆の地に流された源頼朝平氏打倒をこの神社で祈願したという伝説も残ります。

境内の様子。年始という事で、名物の甘味である福太郎を売る出店が設けられていました。

拝殿手前の舞殿。こちらは江戸末期の建築。

舞殿とその背後に拝殿。観光地でいつも混雑しているイメージがある神社ですが、既に遅い時間帯なので全体的に空いていました。

授与所のテントと拝殿。拝殿は舞殿や裏手の本殿と同様に江戸末期の建築で、重要文化財に指定されています。

広々とした境内の様子。正月三が日はこの境内も人で埋め尽くされた事でしょう。

一通り見物を終えて旧街道に戻ります。

三島大社の入口から鳥居越しに門前に広がる町並みを見据える。左右を横切っているのがこれまで歩いてきた旧東海道で、この鳥居の地点から分岐する形で正面に伸びているのが、修善寺天城峠、下田方面へと向かう下田街道

鳥居付近の様子。観光地的な雰囲気が広がる。

当初の予定では三島大社に立ち寄った後はそのまま三島駅から帰る予定でしたが、まだ辛うじて明るいのでもう少し旧東海道沿いを歩いてみる事に。更に西の方に進むとビルやマンションが立ち並ぶ三島中心市街地が近付いてきました。

三島の本町付近の様子。名前的にこの辺りが元々の三島の中心だったのでしょう。こちらもかつては旧東海道における宿場町でしたが、あまりそういった雰囲気は感じられません。

楽寿園を水源とする源兵衛川室町時代に整備された水路との事です。古い街という事で街道沿いには神社も多く見られる。

[15:57]三島広小路駅

伊豆箱根鉄道三島広小路駅に到着しました。三島の中心に程近い立地という事で周囲は賑やか。

三島広小路駅から街道沿いに更に西へと歩いていく。

道沿いの建物が低くなってきた頃に見えてきたのが千貫樋。戦国時代の1555年、武田氏と今川氏と北条氏が和平を結んだ甲相駿三国同盟に際し、北条氏康引出物として今川氏領に疎水を通したのがその発祥とされる。

三島の市街地を外れた所ですが、味噌蔵があったり灯籠があったりと所々で古い雰囲気が残る。

ここで柿田川公園に向かう為に旧街道を一旦外れて南側へ。サントムーン柿田川というショッピングモールを核にロードサイド店舗が立ち並ぶ一角まで移動しました。

柿田川公園→沼津駅

[16:26-17:19]柿田川公園

柿田川公園に到着。閑静な緑地に見えますが、先程のサントムーンの向かいにあり一帯は賑やかです。ここにも以前一度だけ訪れた事があったのですが、暫く来ていなかったので今回沼津まで歩くついでに立ち寄る事に。

公園内、北西にある第一展望台からの眺め。この公園を水源とする柿田川富士山の湧水の豊富さを象徴するような河川で、下流部では中伊豆の方から流れてきた狩野川に合流している。

第一展望台から見下ろした所。大量の湧水がそのまま川の源頭となっており、地図上では川が突然現れているようにも見える。

川底を観察してみると湧水で砂が踊っているのが確認できます。

柿田川についての解説パネル。富士山の山裾の地中を流れてきた伏流水が、この柿田川公園を始めとした付近の湧水群の辺りで地表から湧き出すという構造となっています。

柿田川公園内の雰囲気。有名な公園ですが、日没間近という事で人気は少ない。

第一展望台よりやや南東にある第二展望台への階段。荷物を担いでなので登り下りが結構しんどい。

第二展望台からは有名な青い井戸が見えます。かつて紡績工場がこの地に建てられていた頃に使用されていたもので、その底には先程の川底と同様に砂が動いている様子が見える。

すっかり日も傾いてきて薄暗い中ですが、とりあえず青色には見えました。日が差し込む時間帯ではもう少し綺麗に見えるらしいです。

日没間際の柿田川公園内を散策。井戸は先程の第二展望台からのもの以外にも幾つかある。

湧水がそこかしこにあり、水面が波立っている柿田川の風景。流石に暗くなってきたので散策はこの辺で終える事に。

柿田川公園に隣接した所にある旧高野邸。昭和初期に建てられた製紙会社の社長の邸宅で、現在は泉の館という名の食事施設となっている。

柿田川公園周辺では湧水を汲める箇所が幾つかあり、お土産に持って帰ろうと思ったのですが、遅い時間だからか止められている所が幾つか……写真の水汲み場はその中でも最も有名のようですが、既に水の流れはありませんでした。

旧高野邸の敷地内の水汲み場。こちらは終日流れているようなので、ここで水汲みをしました。

合計6リットルの重量感あるお土産。帰宅後はコーヒーやお茶にして楽しめた。

サントムーンの前まで戻り、そこから西進して旧東海道に復帰しました。この頃になると辺りは完全に暗闇の中。

沼津方面へと歩く。この付近は道路が拡幅されてしまっていて、旧街道の名残はあまり多くはない。

沼津日枝神社近くにある玉砥石。古代、勾玉を作る為に使用されたという砥石が残されている。狩野川の対岸の貫山山麓にはそれと関連してか玉造神社という名の神社があるようです。

狩野川の川縁から綺羅びやかな街明かりの沼津中心市街を臨む。

旧東海道沼津中心市街地の程近く、狩野川が蛇行した箇所で旧街道然とした細い道へと変わり、川廓通りという名が付けられている。廓という名から分かるように、かつては隣接した所に沼津城という城が存在し、この道沿いの箇所は城と狩野川の間の僅かな平坦地でした。

駅前通りに合流しました……沼津も何度と訪れているのですが、何だか来る度に寂れているような。

駅前の大通りの様子。両側にアーケードが整備されている。

大通りから一本西側の仲見世商店街から駅を目指します。若干シャッター街化していますが、帰宅時間帯という事で人通りはそこそこ多い。

仲見世商店街の様子。沼津もラブライブサンシャインの聖地となってから8年、既に定着した感がありますね。

左の店先で飲めるたこ焼き屋が非常に気になりましたが、乗車予定の電車の時刻が迫っているので残念ながら素通り。そのまま商店街を抜けて駅へと向かいました。

[19:14]沼津駅到着

今回の登山?のゴールとなる沼津駅に到着。三島以降の歩きは余計だった感がありますが、再訪したかった柿田川公園にも立ち寄れた上にお土産で湧水も汲めたりと、そこそこ満喫できました。

沼津駅のホームの様子。シンプルな高架駅の多い静岡県ターミナル駅としては珍しい旧態依然とした地上駅です。10年以上前から高架化の話があるものの中々進んでいない様子ですが、5年後の2028年にようやく工事が着手されるとか……完成はそのさらに13年後の2041年の予定と、なんだか気の遠い話。

乗り込んだ東海道線の列車。この線区では珍しいクロスシートの車両で、そこまで混んでなくて快適。熱海までの僅かな乗車というのが勿体無い程でした。

こちらは山中城跡案内所にてお土産に購入した寒ざらし団子。冬の寒い時期に米を干して粉にしたものを使用した事からその名がついたとされる。甘辛のタレを付けて食べる素朴な味わいのお菓子でした。