西中国山地登山旅行2日目 酒どころ西条
西中国山地登山旅行の2日目、午後から今回の旅の本題となる登山が始まりますが、午前中は全国屈指の酒造町とされる西条での酒蔵巡りがメインでした。早朝、少しだけ旧西国街道の街道歩きを楽しんだ後、東広島市の旧来からの中心とされる西条の市街地へ移動。まずは駅北部の御建神社や安芸国分寺跡といった寺社や史跡を巡った後、その名の通り酒蔵が立ち並ぶ酒蔵通りへ。訪問当時、丁度蔵開きが行われていた福美人酒造と賀茂鶴酒造を巡り、限定酒の試飲を楽しんだり登山酒の四合瓶を見繕ったりと酒どころでのひとときを満喫。その後は登山に向けた移動となり、電車で廿日市、そこからバスを乗り継いで佐伯、吉和と広島県西部の山間へと向かっていきました。
前回記事『西中国山地登山旅行1日目』からの続きです。
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目次
- 西条その1 旧西国街道散歩、飢坂から西条酒蔵通り
- 西条その2 西条の寺社、御建神社と安芸国分寺跡
- 西条その3 蔵開き、福美人酒造編
- 西条その4 蔵開き、賀茂鶴酒造編
- 【移動】廿日市から佐伯(津田)、吉和へ
西条その1 旧西国街道散歩、飢坂から西条酒蔵通り
冒頭に書いた通り、この日の午前中は日本三大酒どころの一つと称される西条での酒蔵巡りがメインとなります。しかし意気揚々と日が昇ったばかりの早朝に行動を始めてしまったものの、流石にこの時間は営業時間外だろうと旧西国街道の街道沿いを暫く散策して暇を潰す事に。
まず前日夜下車した寺家駅とその隣駅である八本松駅の間の辺りにある飢坂へ。江戸時代に飢饉の年にこの坂で多くの人が飢えて亡くなったとか、その更に以前に付近一帯を領有していた長者がこの地に田植えでこの地に辿り着く頃には飢えて倒れそうになったからとか、名の由来は幾つかあるようです。
飢坂から西条側に歩いた所にある池。明治時代の地形図にも記載のある古くからの溜池のようです。住宅地のすぐ側とは思えない程に風光明媚な所ですが、転落防止の為か道の両側が背の高い柵に覆われている。
柵の間から覗き見た池の様子。
飢坂から四日市宿、現在の西条の市街地方面に向けて旧西国街道沿いに歩いていく。旧街道らしく途中には一里塚の跡地も。
途中で国道486号線に合流して、暫く道沿いに歩いてきます。
再び街道らしい道幅の道沿いへ。途中の真光寺の向かいには2014年まで賀茂輝酒造という酒造が存在しましたが、敷地は現在マンションとなっている。全国屈指の酒どころと持て囃される西条ですが、すべての酒蔵が上手く行っているという訳では無いようです。
途中の横道の先には、いつも登山に担いでいっているアルファ米で有名なサタケの工場がありました。一見すると日本酒とは無縁そうな工場ですが、ここでの精米技術は西条の酒造り(特に吟醸酒造り)において高く貢献しているとか。
旧西国街道沿いの町並み。西条の中心市街地が近付いてきましたが、街道として利用されていた時代は四日市宿という名の宿場が置かれていました。その名残か、旅籠のような雰囲気の建物も幾つか見られる。
暫く旧街道沿いに歩いていると山陽鶴酒造という酒蔵がありました。西条の酒蔵は大半が駅東側の西条本町に集まっていますが、この酒蔵のみ少し外れた場所に位置しています。
こちらのお酒は首都圏では出回っていないので立ち寄ってみたかったのですが、この日は他の蔵開きに関連してか正午以降の開店となっており、残念ながら立ち寄れず。
山陽鶴酒造の建物の脇を進んだ所に仕込み水を汲める黒松の井戸なる水場がありましたが、残念ながら蛇口を捻っても出ませんでした。何年か前に提供をやめてしまったようです。
山陽鶴酒造の外壁には訪問した2023年4月に行われる蔵開きの案内ポスターが貼られていました。西条には現在7軒の酒蔵がありますが、所在する東広島市には安芸津や黒瀬といった郊外部に更に3軒あり、合計10軒の酒蔵があるとの事。
蔵開きはその10軒の酒蔵が持ち回りで行うようで、今回訪問した4月1日は福美人酒造と賀茂鶴酒造でした。
駅が近くなり、やや飲み屋街的な雰囲気となりつつある。置かれたお酒も西条酒が中心なんでしょうか。
西条駅の駅前に出ました。酒どころ西条の中心駅らしく、白壁やレンガをモチーフにしたかのようなデザインの駅舎となっています。旧西国街道は駅前を東西に横断する形で伸びており、そのまま道なりに酒蔵通りと呼ばれる酒蔵密集エリアへと向かう。
酒蔵通りに入った所にある西条本町歴史広場では本日行われる2軒の蔵開きに合わせて臨時の案内所が開設されていました……が、まだ少し早い時間帯。各酒蔵の営業開始まで暫く余裕があるので、周辺を散策して暇を潰す事にしました。
こちらの広場も元々は酒蔵の敷地で、更に以前の江戸時代には荷物の中継地である継場が置かれていたという。
その歴史広場の向かい側にあるのが冥加の水。白牡丹酒造の敷地内にある水汲み場で、同酒造の仕込み水として使用されているという。こちらは先程の黒松の井戸と違って潤沢に流れていました。
とりあえず本日行動用の水を汲んでおきます。如何にも酒造りに適しているかのような口当たりの良いお水でした。
まだどこも開いていない酒蔵通りで暇を潰すのも……と思い、一旦駅の方へと戻ります。途中、白牡丹酒造の敷地の横を歩いていきますが、大規模な漆喰の白壁が圧巻でした。
西条駅の駅入口には酒造りの工程をモチーフにしたモニュメントがありました。駅舎は橋上駅舎で二階部が自由通路となっているので、そのまま通り抜けて駅の北側へと向かう事にします。
西条その2 西条の寺社、御建神社と安芸国分寺跡
西条駅の北口へと移動しました。こちらは裏口にあたり、現在の駅舎に改築される以前は入口は設けられていませんでした。駅前からは御建神社の参道が伸びており、そのまま引き込まれるように進んでいく。
御建神社の参道。西条が四日市宿と呼ばれていた時代からこの一帯の鎮守や氏神として信仰を受けていた神社とされていますが、現在地に整備されたのは明治期と神社としては比較的新しく、それ以前は別の場所にあったという。
御建神社の参道から拝殿を見上げた所。時期柄、いい感じに桜が咲いていました。
御建神社の拝殿とその周囲の様子。境内は狭いながらも整然とした雰囲気。
境内に立つ立派な桜の木。神社が整備された明治期に植えられたものでしょうか。
桜の花々。丁度満開くらいかなという所でした。
奉納酒は当然の如く西条のお酒が大半を占めています。右下の桜吹雪は西条ではなく市内の黒瀬地区(旧黒瀬町)にある金光酒造の銘柄。同酒造の賀茂金秀の銘柄は全国的に有名ですね。
拝殿に向かって左側に建つのが松尾神社。昭和初期頃、酒造りの神様で有名な京都の松尾大社から分祀されたもの。やはりここでも酒。
拝殿に向かって右側の所には神楽殿のような開けた建物があり、内部には旧海軍の駆逐艦深雪の奉納絵馬が掲げられていました。
御建神社から東側に向けて歩いていく。途中で墓地の脇を通っていく形に。
こちらは安芸国分寺の七重塔が建っていたとされる場所。地面にはその当時のものとされる礎石が残る。
七重塔跡の解説板。寺院の塔と言えば一般的に三重塔や五重塔のイメージがありますが、国分寺を造営する際には七重塔が建築される事が多かったとされています。故に全国各地の国分寺やその中心となる東大寺には七重塔が建てられていましたが、国分寺そのものが割合早期に廃れてしまった事もあってか現存するものは無いという。
七重塔跡に面した通りの突き当たりにある神社が石清水八幡宮。これから向かう安芸国分寺の敷地に隣接したような所にあります。
石清水八幡宮の境内から安芸国分寺を見下ろす。正面に見えるこんもりと茂った森が現在の国分寺が建っている辺りで、安芸国分寺とされていた当時は周囲に講堂や僧坊といった各施設が立ち並んでいた。
安芸国分寺として整備されていた辺りまで移動してきました。一帯は安芸国分寺歴史公園として整備されており、各施設があったされる場所には解説板が立つ。
講堂の解説板。土台となる礎石が残っていました。
広々とした安芸国分寺歴史公園の園内の様子。
公園内の東屋には安芸国分寺であった時代の再現模型が展示されていました。
公園の脇から現在の国分寺の境内へと入っていきます。いつの時代のものか古びた石塔が建っていました。
国分寺の境内。安芸国分寺の後継寺院で宗派は真言宗。中世期には当時の領主であった大内氏や毛利氏によって伽藍が再整備されたものの、江戸時代に大火に遭い仁王門を除いて消失してしまったという。現在の伽藍はその後に整備されたもので、写真右側の護摩堂は江戸後期、左側の本堂は2004年の建立との事です。
一段下がった所から本堂を臨む。
入口に建つ仁王門。こちらは室町時代の建立との事で、江戸期の大火の際には唯一無事だったとされている。
そろそろ営業時間という頃まで時間を潰せたので酒蔵通りへと戻ります。山陽本線の線路を潜る所には西条駅構内の留置線が伸びており、電車が停まっていました。
西条その3 蔵開き、福美人酒造編
線路を潜った先の駅南側、酒蔵通りの方面に向かっていくと先程も目の当たりにした白壁の酒蔵が視界に入りました。
この日蔵開きが行われている福美人酒造のレンガ煙突。まずはこちらの酒蔵に立ち寄る。
途中に亀齢酒造の精米所がありました。酒蔵そのものは酒蔵通りに面した所にあるので、少し離れた所に立地してる事になります。
今でこそ灘や伏見と並べられる全国屈指の酒どころとして知られる西条ですが、江戸時代はこの付近での酒造りの中心は瀬戸内海沿岸部の安芸津で、西条の日本酒は質は良いとされていながらも、現在のようにその名が全国に知れ渡る程の規模ではありませんでした。
しかし明治から昭和初期にかけて技術改革が行われた事によって酒質が飛躍的に向上し、各種品評会で好成績を収めた事から酒蔵の数も増加。現在のように狭い範囲に7軒もの酒蔵が林立するという全国でも類稀な規模の酒造りの町へと発展したのでした。
白壁に囲まれた細い路地を歩いていく。
今回立ち寄る1軒目、福美人酒造に到着。蔵開きとは言え開場直後なので、混雑具合はそこそこといった所。
後に向かった賀茂鶴酒造と比べると規模は小さいですが、敷地内には幾つかの出店が並んでおりお祭りのような雰囲気でした。
限定酒コーナーと題されたテントに向かうと、テーブルの上に蔵元限定販売の四合瓶が並んでいました。幾つかの種類は有料試飲も楽しめるようです。
試飲の種類は幾つかありましたが、先程の四合瓶の中にもあった『純米しぼりたて』を選択。重厚ながらも鋭いキレを持つメリハリのあるお酒でした。
しかし四合瓶を買うべきかどうかは悩む所。登山に担いでいくのはせいぜい2本で、前日購入した明石鯛が既に1本あるので、今回の西条での日本酒調達は四合瓶1本の調達の予定でした……次の賀茂鶴酒造に行った後考えよう、という事で一旦見送りに。
酒造施設の一部も開放されており、内部には陶器の一斗樽を始めとした展示がありました。
蔵開き限定の粕汁の振る舞い。先着何名という事でしたが、まだ開場直後という事で余裕を持って頂けました。吟醸粕でも入っているのか、華やかな香りが印象的でした。
西条その4 蔵開き、賀茂鶴酒造編
福美人酒造を後にして、この日蔵開きをしているもう1軒の酒蔵、賀茂鶴酒造へと向かいます。途中、文人によるお酒に纏わるエッセイが掲示されていたり。
賀茂鶴酒造の煙突が見えてきました。西条の酒蔵の中でも最大規模という事で敷地も広い。郊外にも工場もあり、東京には支社もあるとか。
賀茂鶴酒造の入口です。こちらは既に結構な賑わいでした。西条駅に近い順で賀茂鶴酒造→福美人酒造と巡る人が多いようですね。
会場内の様子。酒蔵の蔵開きというよりは日本酒イベントの会場というような雰囲気。テレビ局による取材も行われていました。
試飲販売ブースの様子。両脇には賀茂鶴の酒樽が並ぶ。
試飲酒のラインナップには多くの種類が。大吟醸のような単純にスペックの高いプレミアムなお酒から、生酛造りを主軸として新規に立ち上げたブランドのお酒、試験的に製造した未発売のスパークリング日本酒と様々です……大吟醸は個人的にそこまで唆られないので、ひとまずスパークリング日本酒の『発泡性瓶内二次発酵純米酒 光寿』と『純米吟醸 青冴え』の二本立てとしました。
光寿の方はガス感に負けないような存在感のある甘味が特徴的。そのまま商品にしても良いのではというバランス感でした。
限定の青冴えの方は果実感のある甘味酸味がインパクトある吟醸酒。酒質としては結構派手なタイプですが、酸味が引き締めているので嫌味を感じさせないものでした。
敷地内をうろうろと徘徊。先程の試飲会場の裏手では軽食の販売も行われていました。顔出しパネルなんかもあったり。
敷地外からも見えた煙突を見上げる。
一部ですが施設の内部も開放されていました。
こちらは仕込みに使用する木桶の展示。
階段が設けられているので、登った所から内部を覗き込んでみる。下部に穴があり、出来上がったら栓を抜いて移すという形。よくあるホーロータンクと構造は同じです。
試飲会場に戻ってきました。福美人酒造のものを含めて既に3杯頂いていますが、前述した生酛造りの新規ブランド、酒中在心シリーズというものが妙に気になったのでそちらの2種を追加で試飲。『特別純米酒 藍』と『純米吟醸 橙』の二種があり、それぞれ精米歩合と使用米(前者は雄町、後者は八反35号)が異なります。どちらも酸味と甘味とのバランスが秀逸なお酒でした。
試飲会場内の雰囲気。先に訪れた福美人酒造のものを含め、何の四合瓶を選ぶか悩みに悩みましたが、如何にもな吟醸系のお酒は暫く選んでいないかも……事で先程飲んだ青冴えを選択。特徴的な酸味の酒中在心シリーズにも惹かれましたが、限定というワードには弱く……。
乗車予定の電車の時刻が迫ってきたので賀茂鶴酒造を後にします。この時点で昼前という時間帯でしたが、人通りはまだそこまででもない様子。
こちらは酒蔵通りにある亀齢酒造。ここの亀齢は西条のお酒の中では個人的に最も飲む機会が多い銘柄で、特に辛口純米八拾シリーズは低精白酒というジャンルの一つの完成形なのではと思っていたり。
既にお酒を調達してしまったので今回は内部には入らず外からの写真だけ。次は是非とも蔵開きの時にでも。
先程も訪れた冥加の水にて登山用の汲みに西条本町歴史広場の案内所に戻ってきました。
スマホを使用したスタンプラリー的なものをやってみた所、案内所にて記念品を頂きました。西条の酒蔵毎のデザインが施された缶バッチで、何が出てくるかは完全にランダムなのですが、最も飲む機会の多い亀齢を引きました。
西条の町を後にします。7軒の酒蔵の中で今回立ち寄れたのは2軒。コツコツと訪れてコンプリートを狙ってみたい所ですが、かつての酒造の中心地であった安芸津の方も気になっているので、次回はそちらに行ってしまうかも。
【移動】廿日市から佐伯(津田)、吉和へ
西条駅から山陽本線で西に向かいます。西条と言えば少し先に瀬野八と呼ばれる鉄道交通上の難所があり、その為に用いられる連結用の補機が見えていました。
少し先に進んで瀬野駅の構内。近く廃止されるという新交通システム、スカイレールを臨む。
県都広島を越えて廿日市駅で下車しました。この駅の所在する廿日市市といえば市内に宮島がある事で知られていますが、今回そちらの方面には向かわず。
廿日市駅の駅舎です。割と新し目の橋上駅舎で、それ以前はよくあるタイプのコンクリート地平駅舎でした。
駅前すぐの所に広島電鉄の電停が設けられています。広島の中心市街を走る路面電車ですが、この辺りは郊外部という事もあってか専用軌道となっている。
廿日市駅から旧西国街道に向かって伸びる駅前通り。活気のある駅前商店街という感じ。
こちらは旧西国街道。街道として使用されていた頃は廿日市宿という宿場が置かれており、現在でも旅籠のような建物が僅かに残る。
遠くに見える山陽本線の線路を長い編成の貨物列車が通過していきました。その奥には幾重にも重なる山々が見えており、これからそちらの方に向かってバスを乗り継いでいく事になる。
バスの乗車場所である広島電鉄の廿日市市役所前駅に到着。電停がバスロータリーに面していて、雨に濡れずに乗り換える事ができる。最近訪れた所だと、富山ライトレールの岩瀬浜駅も似た構造でした。
乗車予定のバスの時刻まで暫く余裕があったので、その間に行き交う電車を見物。低床の新型車両が多い。
写真は別のバスですが、こちらのバス停でさいき文化センター行きのバスに乗車。瀬戸内海沿岸を離れ、以降は山間へと分け入るように進んでいきます
さいき文化センターのバス停にて吉和さくらバスという自治体運行バスに乗り継ぎます。
この辺りも先程の市役所前と同様に廿日市市に属していますが、中心市街地から15kmの山間部と若干の距離があります。平成の大合併以前は佐伯町という独立した自治体でした。
バスの乗り継ぎ時間で旧佐伯町の中心地区を少しだけ散策。それとなく商店街の雰囲気が残っていました。
旧町名の佐伯は元々の郡名(広域地名)で、集落単位の地名は津田。昭和の大合併以前は津田町という名の自治体でした。
吉和さくらバスに乗り継いで更に山間へと進んでいく。途中、小瀬川温泉の辺りでは川沿いに植えられた桜が満開でした。
吉和の集落の北端とも言える駄荷バス停にて下車します。バスは太田川の上流域である吉和地域の各集落を巡回するような形のルートで運行されているようで、バス停に到着したら切り替えして往路と同じ道を引き返していきました。
この辺りも現在は廿日市市に属しており、平成の大合併以前は吉和村という自治体でした。
駄荷バス停からこれから向かう山間を臨む。廿日市から2時間近くバスに揺られて流石に鄙びてきましたが、まだまだ人里といった雰囲気。
以降はこの日を含めて2泊3日という日程で北広島町の上荒神原バス停まで自分の足で歩いていく事になります。まずは登山口までの1時間舗装路歩き、ウォーミングアップがてらに進んでいく事に。
次回記事『恐羅漢山方面登山その1』に続く