立山連峰縦走 帰路と総括(富山市内、岩瀬観光など)
前回記事『立山連峰縦走その6』からの続きです。
最終日、午前中は富山市内を鱒寿司を購入するついでにうろうろと散歩。その後は北前船の寄港地として知られる岩瀬を少し散策したりして時間を潰す。帰りは在来線で数年前に大火に遭った糸魚川等に寄りつつ適当に帰宅しました……テーマ不在の雑多な旅行記です。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。
【2020年8月】立山連峰縦走についての情報と記録 - 山とか酒とか
目次
富山市内にて
一週間ぶりの下界での目覚め。ビジホの窓から覗く富山の町並みはビルこそ立ち並ぶものの、程よく落ち着いた雰囲気の街……大自然の中から下りてきた直後、間髪入れずに都会の雑踏に身を投じるのもハードランディングが過ぎるというもの。その点、こうした静かな地方都市はいい緩衝材になってくれるので、一日身を置いたりすると心に余裕が生まれて色々と捗るのです。
宿泊したのはホテルリラックスイン富山、ユニットバスがセパレートなので富山の宿ではお気に入りです……無料朝食は無いものの大浴場付きのホテルアルファーワン富山駅前も甲乙つけがたい。富山の安ビジホならこの2つがおすすめですね。
そして朝から一人フードファイト。長期登山の後は満腹中枢が壊れていて食欲が無尽蔵になる事が判明したので、今回も無料朝食が付いているビジホを選択……普通のバイキングかと思いきや、鱒寿司おにぎり(普通のものとフレークの混ぜ御飯の2種)やホタルイカの佃煮など……メニューに地域色が出ているのは良いですね。
後は帰るだけですが、午前中は自由に動けるくらいの時間的余裕があったので、前々から気になっていた富山の鱒寿司の食べ比べを敢行するべく市内の幾つかのお店を回る事に。
そんな時に便利なのが街中を頻繁に走っている路面電車、富山地方鉄道軌道線。市内全域を網羅している訳じゃないですけど、どこに行くのか視覚的に分かりやすい。バスしか無くてよく分からん金沢よりずっと便利。
乗る前に一日乗車券を買い求めました。一乗車200円なので4回乗れば元が取れます……範囲は少し狭いですが路面電車だけではなくバスも乗れるのでそこそこ使い勝手は良い感じ。富山ライトレールもこの年の4月に地鉄に吸収合併されたので、郊外の岩瀬浜までこの切符が使えるようになりました。これは大きい。
路面電車で諏訪河原の電停へ。歩いても行ける距離ですが、タイムリミットは正午とこの日は時間が限られている。故に時短の為に活用しまくる。
諏訪河原や丸ノ内の電停付近は鱒寿司製造業者が密集しているエリアです。左のせきの屋、右の高田屋は共に老舗の鱒寿司店……この七軒町の付近だけでも4軒あり、正直どこで買ったら良いのか迷う。
悩んだ末に脇道に入った所にある川上鱒寿し店にて購入。人気店らしく先客が何人かいらっしゃいました……実食は後ほど。
しかし、どうしてこの狭いエリアに鱒寿司店が連なってるのか……気になったので、付近の大正時代の地形図を現在のものと見比べてみる。
どうやら七軒町の付近は大正期の流路変更前の神通川に面していたようです。その関係で付近では鱒の水揚げが行われていたって訳ではないでしょうけど、この神通川を下りきった河口の岩瀬は北前船の寄港地で、そこから富山市街までは舟運によって物資が運ばれていたので、川岸のこの場所は塩や米など製造に必要なものが手に入りやすい立地だったのでしょう。
ちなみに現在では神通川から取れる鱒を使用している鱒寿司店は殆と無く、北海道産のサクラマスやチリなどの海外産のトラウトサーモンが主流となっています。
すぐ側を流れる松川。流路変更前は神通川が流れていました。すぐ横に富山城があるので、城のお堀と言われても違和感ない……というか実際に神通川を外堀として利用していたらしいですが。
県庁前の電停から路面電車に乗って少し移動。半世紀前に作られたようなレトロな車両が多い富山地鉄ですが、環状運転する系統は新型の低床車が走ってます。
富山城の天守を車窓から臨める環状運転の富山都心線は2009年開業の新しい区間。単線で本数はそこまで多くないですが割と乗車率高いです……乗り通さず大手モールの電停にて下車。
2つ目に購入する鱒寿司は、そこから西に進んだ所にある鱒の寿しまつ川へ。あまり酢で締められていない、生系統の鱒寿司で定評があるお店。こちらもテイスティングは後ほど。
電停の方へ戻り、富山の中心市街地である総曲輪のアーケードへ入る。
10時とまだ少し早い時間帯だからか、富山の中心にも関わらず人通りは少なく寂しい雰囲気。
気温の低い山の上にずっと居たので、久々の地上の酷暑に既にバテ気味……ソフトクリームが視界に入り気付いたら手にしていた。
七越のメロンソフト、250円と安いので期待してなかったのですが、メロンの果肉が結構沢山入ってて美味しかった。ほか七越焼という大判焼きみたいなのが売りらしいのですが、こうも暑いとね……。
殆どノープランなので適当に歩いてたら神社の境内に入ってしまった。何かに呼び寄せられたようです。
富山の山王さんとして親しまれている日枝神社。
大きな拝殿。中心市街地の中では特に大きな神社ですが、この暑い中お参りしてる人はそう多くはないです。ここの春季例大祭として街を上げて開催される山王まつりは富山県内でも最大の祭りとの事。
上本町の電停に移動し再び路面電車に乗り込みます。まだ時間があるのでもう少し旅を楽しみましょうか。
富山港線と岩瀬
富山駅へ移動。乗っていた路面電車は駅の高架下に突っ込んでいきました。在来線のコンコースからそのままホームに出てこられるような構造なんですね……近未来的で、路面電車というよりはLRTという雰囲気か。
暇潰しに富山港線に乗って岩瀬辺りでも散歩しようと思ったので一旦ここで下車。最近になって市内の路線と直通運転するようになったらしいですが、富山港線の本数が相対的に少ないのでこちらで乗り換えになるパターンが多い。
飛んで終点の岩瀬浜駅です。2006年のJR富山港線廃止直前に来て以来なので14年ぶりかな……当時はまだ中学生とかでしたね。
ホームの反対側にフィーダーバスの乗降場が設けられており、極力乗り換えに手間取らないような構造になっています……そんな中、昔の面影を探して辺りをうろうろ。
こちらが2006年1月頃の岩瀬浜駅の写真。ホームとかの雰囲気はあまり変わってませんが、駅舎の方は駅前広場の整備の為に敢え無く取り壊されました。
2006年当時の駅舎とホームの様子。路面電車に変わってしまったくらいなので駅間距離も短く地方私鉄っぽい雰囲気なんですが、そこに長距離の乗車を想定したクロスシートの急行型電車が突っ込んでくる変な路線でした。
かつての岩瀬浜の駅舎内に設置されていた記念パネル……記念オレンジカードの文言に時代を感じる。(オレンジカードは2013年に廃止)もっと昔だと磁気式のイオカードとかもありましたね。
今この手の記念品商法する際は記念乗車券とか入場券がセオリーなんでしょうか?
ただ電車に乗るだけじゃつまらないので辺りを散策。海の近い港町らしく運河が街中を流れています。
少し東岩瀬駅寄りに進むと古い町並みが残っている区画があります。ここがかつて北前船の寄港地であった岩瀬の街で、江戸から明治にかけては米どころだった富山平野の米を積み出したりして大いに栄えました。今でもその時代の廻船問屋の町家や料亭などが幾つか残っていますが、建物自体は明治6年の大火で殆ど燃えてしまい、現在のものはその後の再建との事。
右の写真には満寿泉の銘柄知られる桝田酒造店。満寿泉といえば自分を含めた首都圏の地酒オタク共にもそこそこ知られている銘柄で、純米系統のものの他、ワイン酵母を使ったものや低アル酒、貴醸酒など意欲的なものも多く手掛けている。
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散歩はできるけど観光する時間はない……ので、建物の外観を眺めながら歩いた程度でした。昭和レトロなオート三輪が中々いいね。時代には合わないけど。
岩瀬の町並み。面白そうな店も多くてじっくり回りたいんですが、30分しか時間がないので殆ど通り過ぎました。
大正時代の岩瀬の地図の比較。富岩運河が開削されたり岸壁が綺麗に整備されたりしているが、大部分は変わらない印象。富山港線の前身となった富岩鉄道は記載されているものの、岩瀬浜駅は岩瀬港という名でもう少し先に進んだ所に位置していたり、後に行く東岩瀬駅は越中岩瀬と駅名が異なっていたりと、現在とは異なる点も幾つかある。
こちらがその東岩瀬駅。富岩鉄道の越中岩瀬駅として開業した当時の建物が今でも保存されています。
駅と電車。ホームの高さが現在走っている低床車とは違うので、旧駅舎からそのまま乗り込む事は不可。
ホームの壁には鉄道むすめのキャラクター、岩瀬ゆうこのイラスト。富山ライトレールのアテンダントって設定らしいですが、その勤め先が富山地方鉄道に吸収された後もクビにはならず雇用は継続されるらしい。良かったね。
保存されている駅舎とその内部の様子 。小奇麗になっているものの常駐している人は居らずもぬけの殻だった。普段は近隣住人の寄り合い所みたいな感じで使われてるみたいです。
こちらはJR時代の東岩瀬駅舎。無人化されて久しく、既に待合室としての機能のみでした。荒れ気味だったのが綺麗になった以外別段大きな変化は無く、当時の面影は濃く残っています……人の気配を感じられないのも今と同じかな。
旅情はだいぶ薄れましたが、ラッシュ時を除いて1~2時間に1本しか来なかったのが、今では15分おきにやってくる。利便性は飛躍的に向上したこの線区。
富山に戻ってきました。いい感じに時間を潰せたのでそろそろ帰りましょう。
糸魚川散策、そして帰宅
18切符を持参で来たので富山からは在来線で帰宅します。よって新幹線乗り場は素通り。
その新幹線乗り場の入口のパネルによると、今年はコロナで全国的に有名な祭り、おわら風の盆も中止とのこと……来年はできるのかな。まあオリンピックやるなら地方の祭りの一つや二つくらい問題にならなそうですけど。
高架化して以降あまり来た事がないので、まだ少し違和感ある富山駅の在来線ホーム。特急は殆ど来なくなり長いホームはだいぶ持て余し気味。
富山駅からはあいの風とやま鉄道に乗って東進。途中、泊駅からえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインに乗り換え……書いてて胃もたれ起こしそうな名前。もっとシンプルで行こうぜ。
泊駅では同一のホームで2つの方面の列車が止まる関係上、ちょっと変わった案内図がありました。
少し時間があったので外に出てみました。駅舎はJR時代のものが継続して使用されていて雰囲気は大きくは変わらない。
駅舎内にちょっとおしゃれっぽい甘味処が入ってました。店名はナチュラルスイーツぽんぽん。無意識の内に500円のかき氷とフィナンシェを何個か買ってた……食欲が爆発してる下山直後は食べ物なんでも美味そうに見えるから困る。
買い物とかしてたらトキ鉄(略称)の車両が止まってました。1番線と3番線は上下本線で折り返しができないので、どちらも副本線である2番線に止めざるを得ないらしい。
先程買ったかき氷を窓枠にスタンバイ。自家製の白桃シロップらしく果実味が豊富に遭った。
高速道路で視界が遮られがちな親不知子不知を眺めつつ糸魚川に到着。直江津まで行ってしまうと遠回りになるので、ここから大糸線経由で帰宅します。
乗り換えの時間が結構あったので駅前を散策。翡翠の町という事で、駅前の商店街には勾玉のモニュメント……活きのいいおたまじゃくしにも見える。
少し進むとすぐ日本海にぶち当たります。途中、西の方入ると新潟の街でありがちな雁木造りの町並みに入りますが……?
雁木は途中で不自然に途切れ、急に開けた雰囲気に……糸魚川の中心街は2016年の暮れに大火によって甚大な被害を受け、多くの建物は消失してしまったのです。
右の加賀の井酒造もかつては新潟で最古の酒造として知られたが全焼。現在は同敷地内にて再建し酒造りも再開している……味わいとしては最近流行りの濃醇旨口の傾向ではなく、新潟らしい食中酒向けのお酒を作っている。
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6年前(2014年)、まだ大火に遭う以前に行った時の糸魚川市街地の写真。左の北陸銀行は前の写真にも写っている。右は在りし日の加賀の井酒造の建物。
西側にやってきました。市街地にもう一軒ある酒蔵、謙信の銘柄で有名な池田屋酒造は被害に遭わずに済んだようです……こちらの濃醇旨口系の酒を作る所として、首都圏の酒飲み連中にはそこそこ知られている蔵元。五百万石使用の純米吟醸生酒は吟醸系の銘柄では定番です。
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こちらは出火元となった通りの現在と4年前の比較。現在では空き地が目立ちますが以前は密集した飲食店街となっていました。出火した中華料理店の上海軒の看板も見えるが、その敷地の周辺は現在更地になっています。
糸魚川駅に戻ってきました。新幹線側の出口である南口には、かつて構内で使用されていた3連アーチで有名なレンガ造り機関庫……の入口の部分だけ保存されていますが。なんか本当に断片的な保存過ぎてハリボテ感が凄い。まあ、こういうモニュメントと思えばアリなのかな。
ここから駅舎に入った所にはジオステーション・ジオパルという名の博物館があり、大糸線で走っていたキハ52とかトワイライトエクスプレスの客車とかが保存されていて割と見応えある感じです。けど今回は市街地を散歩したりしてたら見る時間が全く無くなってしまった……機会があったらまた寄りたいですね。
大糸線で走っていた当時のキハ52の写真。白馬三山に登って蓮華温泉に下り、平岩駅から帰る際のもの。古い車両ですが、ここで走っていた車両の一両が千葉のいすみ鉄道に譲渡され今でも現役で走っています。
レンガ機関庫の方も昔、壊される前のものを写真に収めた記憶がありますが、一体いつ撮ったのか……写真フォルダからうまくサルベージできなかったので断念。見つけたらそのうち掲載します。
大糸線の列車が入線していたので乗り込みます。18きっぷのシーズンというとこの手のローカル線は結構混みますが、コロナで旅行する人がそもそも少ないからか割と空いてました。
後は特に寄り道せずに帰るのみ。南小谷、信濃大町と乗り換えつつ南下。
一週間ぶりの松本駅。特に何をするという事もなく乗り換える。
下諏訪で7分くらい止まってたので気分転換がてら少しうろうろしてました。駅舎内の名産品を並べるケースには、何年か前に廃業したものの近年復活して製造も再開した御湖鶴の銘柄が……飲んだことないので一度は飲んでみたいんですけど、扱ってる店少ないんですよね。
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と、後はそのまま中央線の鈍行に揺られながら帰宅しました。
鱒寿司の食べ比べ
時は飛び3日後……このくらいが食べ頃との事なので、富山で買い込んだ鱒寿司を開封し食べ比べしました。本当なら3つ買う予定で、最後の1つは富山駅近くに店を構える青山総本舗で買う予定だったんですけど、岩瀬を観光したりしてたら時間が無くなって結局買えず2つで終了。
2つとも開封してみました。左が鱒の寿しまつ川で右が川上鱒寿し店のもの。見た目からも、まつ川はしっとりしていて、川上はよく締まっている印象ですね。
まずは川上の鱒寿司……スタンダードなお味。スタンダードですが、そこら辺で売ってる源のますのすしと比べると風味は全然違う。こちらの方が酢は控えめで旨味が強いです。
まつ川のものは肉厚でしっとりしています。握り寿司のサーモンとかに近いかな……けど確かに鱒寿司の風味。こういうのも断然アリだなと2つを交互に食べつつ……3人で食べていたので色々と吟味するまでもなく完食。
今回は2種類の食べ比べに留まりましたが、富山には40の鱒寿司製造業者があるとの話。暫くは富山に行く度に鱒寿司買う事になりそうだなと思ったり。もう少し色々食べ進めたら紹介記事っぽいの書きたいですが、いつになるかな。
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比較するにしても、最もスタンダードな『源のますのすし』を食べた事がないと始まらないので、一度は食べておきましょう。こちらは大量生産されており、デパートの物産など富山以外でも買えます。
今回の登山の総括
昨年の大峯奥駈道の縦走以来の長期登山となりました。奥駈道の時は膝がぶっ壊れたり食料が尽きたりと結構危なっかしい所がありましたが、今回は初日の笠新道の登りでバテた以外は比較的余裕を持って歩けました……これが欅平まで歩いてたらまた違っていたんでしょう。今シーズンはあまり人が入ってないので荒れているという話を聞いていたので。あれこれあって室堂から下りたのは結果的に見れば好判断だったのかな。
ともあれ、歩いてみた印象としてはやはり『空いてた』というのが一番。登山においては極端に人が居ないというのも寂しいですが、空いている=快適なので、そう考えるとやはり快適な登山だったと言えるでしょうか……それが新型コロナの流行という伝染病が起因としたものと考えると心中はだいぶ複雑ですが。というかこんな状態が続いたら山小屋もやっていけないでしょうし、山小屋がやっていけなかったら登山道も整備されなくなる。まあ今後も山歩きを続けたい以上、なるべく早く日常に戻って欲しいものですね。
さて、後半部なんかは写真も嵩み色々と間延びしてしまいましたが、最後の最後までご覧頂きありがとうございました。今シーズンに関してはまだ多少は登れそうな感じなので、コロナの隙を窺いつつどこかに出掛けたいなと思います。