山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

山とか酒とか

氷ノ山方面登山その3(大平頭避難小屋→赤倉山→氷ノ山越→氷ノ山→三ノ丸→舂米→若桜駅)

登山三日目、出発から数えると六日目となるこの日は、今回の旅のメインテーマである氷ノ山への登頂を果たした日でした。

前日宿泊した大平頭避難小屋を未明に出発した後は稜線沿いに進んでいき、途中の赤倉頭にて日の出の見物。その後は赤倉山に登頂し、以降は氷ノ山への纏まった登り返し。途中の甑岩のトラバースにて少々難儀したものの無事に氷ノ山の山頂に到着。360度の展望を堪能した後は尾根伝いに三ノ丸、そして舂米集落にあるわかさ氷ノ山スキーのゲレンデに下山。

そこからバスに乗る予定であったものの、丁度良い便が存在せず徒歩で下っていき、その道すがら日帰り入浴施設であるゆはら温泉ふれあいの湯に入浴。その後はそのまま若桜駅まで歩き通し、駅周辺の重伝建の指定も受けている若桜の街並みの見物や、造り酒屋である辨天娘酒造にてお酒の調達と、最後の最後で観光気分に。

若桜からは若桜鉄道に乗り込み一旦県都鳥取に移動、山陰本線に乗り継いで兵庫県入りしこの日は豊岡まで移動しました。

氷ノ山方面登山その2」の続きの記事となります。

inuyamashi.hateblo.jp

他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。

【2022年4月】氷ノ山方面登山についての情報と記録 - 山とか酒とか

登山の以外の旅行の日程は以下に掲載していますので、山の記事を読み飽きた際はこちらもどうぞ。

【2022年4月】北近畿登山旅行 - 山とか酒とか?

目次

今回歩いたルートです。

大平頭避難小屋→赤倉山

[4:51]大平頭避難小屋出発

5時前に身支度を済ませて出発します。この日は下山後の移動も控えており、なるべく早い時間帯に氷ノ山に登頂しておきたいという事で、未明からの出発となりました……季節柄氷点下にはなりませんが、朝方はそれなりに雪が締まっていると見て開始からアイゼンを装着。

暗闇の中を突き進んでいきます。コースは概ね稜線上に取り付けられていますが、巻いていたり残雪に埋もれていたりするので見失いがち。一度ロストして藪を漕いでしまった。

暗闇を泳いでいる内に空がほんのり明るくなりました。重々しい雲の中であった前日の午前中とは違い、この日は朝から雲一つ無い空模様。予報も終日好天との事で安心して進む。

[5:16-5:21]布滝頭

避難小屋から始まる登り坂を一頻り登りきった所が布滝頭のピークです。この頃になると雪面ではヘッドライトが不要な程度には明るくなり、これから向かう赤倉頭、赤倉山、氷ノ山と続いていく稜線が見渡せるように。

これまで歩いてきた大平頭、鉢伏山と続く稜線。一定以上の標高からほぼ雪道となりました。

徐々に赤味が強まりつつある東の空。左側の木が掛かっている山が鉢伏山で、その手前のハチ高原には幾つかの建物の灯りが見える。

歩いてきた方面とこれから進む先の道の様子。コース以外は藪や灌木が茂っているので外れると難儀する。

赤倉頭への登り返し。実際のコースはピークを経由せず西側にトラバースするように取り付けられていますが、雪に埋もれていて危険なので尾根筋を進んでいきます。

[5:32-5:50]赤倉頭

赤倉山の一つ前のピークである赤倉頭に到着。ここに登りきった所で丁度、日の出が始まりつつありました……こうしてゆっくりと眺めるのは今回の登山では初。

日の出と周囲の展望。ここも例によって崖っぷちが雪庇になっているので、あまり近付けない。

赤倉頭から氷ノ山を臨む。暗中歩行している間に随分と近付いた。

太陽がじわじわ登る様子。もう何度も見ている光景ですが不思議と飽きない。

日の出と空の色のグラデーション。

若干露出を上げて撮ってみたもの。つい少し前まで闇の中にあった周囲の山々に陽光が降り注ぐ。

日の出と氷ノ山。このピーク上で暫し足を止めて景色を眺めていました。

少し進んだ所から赤倉頭を振り返った所。雪が積もっているので容易に登頂できましたが、夏場は藪に覆われていると思われる。

そのまま稜線上を進んでいきます……途中、藪の深い所があったので強引に掻き分けていく。

コースに復帰しました。転落注意と看板に記されているように、この前後は急な登り下りが多い。

コースの合流ポイントから朝日を振り返る。遠くに見える稜線も徐々に輪郭がはっきりとし始める。

以降暫くは夏道が出ていたのでそのまま進んでいきますが、赤倉山手前から赤倉山をトラバースする辺りでロスト。そのまま稜線伝いに赤倉山を乗り越えていきます。

最初は急登だったものの、途中からなだらかな登り坂になる。左手に見える氷ノ山は一層近付いてきた。

赤倉山の手前から氷ノ山方面に続く稜線が見えてきました。この付近からでも氷ノ山越方面に下れそうですが、折角山頂の手前まで来たのでそのままピークを踏む事に。

赤倉山→氷ノ山越→甑岩→氷ノ山

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[6:16-6:36]赤倉山

氷ノ山から氷ノ山越を挟んで北側に位置する赤倉山に到着。氷ノ山を間近に見据える好ロケーションですが、正規のコースはこのピークを経由せずトラバースするように取り付けられています。つまり、こちらも積雪期限定に登れる山とも言える。

すっかり日が高くなった太陽と氷ノ山のシルエット。低い所は雲海となっていて、そこから島のように小さな山々が頭を出しています。

赤倉山からの氷ノ山ビュー。尾根続きの奥に聳えるという配置が中々絵になる。

氷ノ山方面の展望を若干広い範囲で繋いでみたもの。

氷ノ山の右側に伸びる尾根上、三ノ丸のピークの更に右奥に見える目を引く形の山。兵庫県岡山県の県境に位置する後山船木山で、その左に見えるであろう三室山は手前の稜線に隠れています。

雪面越しの氷ノ山。早くも雪が腐ってきて足取りが重くなってきた。休み休み進む。

実際の赤倉山の山頂は先程の展望地から少し西側に進んだ所にあります。それっぽい所に移動すると三角点を見つけました。

【図幅名】村岡【測量時期】明治31年測図/昭和7年修正【発行時期】昭和10年2月発行【記号】鳥取8号(共9面)【測量機関】 大日本帝国陸地測量部【備考】License. c Stanford University

現在の赤倉山は縦走路も経由していない、夏場は藪に覆われた地味なピークですが、戦前の古い版の地形図において氷ノ山の名を冠していたのはこちらのピークでした。画像は昭和初期の版の5万分の1地形図を加工したもので、左下の氷ノ山と記載されたピークが現在の赤倉山、そして現在の氷ノ山は須賀ノ山という名で表記されています。

結果的には赤倉山から須賀ノ山に氷ノ山という名前が移されてしまった形となりますが、氷ノ山という呼び名は古くから因幡側と但馬側で指す山が違っており、因幡では赤倉山、但馬では須賀ノ山を指していました。つまり途中から鳥取県側から兵庫県側の呼び名に変更されたという訳になります。

その後、戦後に入って鳥取県側から苦情入った事で昭和51年の版で須賀ノ山という元々の名称に訂正。しかしその頃には須賀ノ山を氷ノ山と呼ぶ事が既に定着していたという事もあって、その後間もなくして氷ノ山(須賀ノ山)という現在のような形で記載されるようになりました。

赤倉山から氷ノ山を目指して下っていきます。山頂直下のみ急でしたが、以降はなだらかで歩きやすい。

最鞍部である氷ノ山越が近付いてきた頃。奥に聳える氷ノ山赤倉山の山頂から眺めた際は目線の高さも近かったのですが、標高が下がってきたので再び見上げるような形になった。

北側の谷を挟んだ向こう側には若桜智頭の町境を隔てる東山方面の稜線が見える。

[6:43]氷ノ山越

鞍部の氷ノ山越に到着しました。氷ノ山赤倉山の間の一段低くなった所で、この日の出発地である大平頭避難小屋と同形の小屋が設置されています。

この場所は但馬国因幡国を繋ぐ峠道として古くから往来があり、特に江戸時代には伊勢参詣(ここでの伊勢とは京都府大江町の元伊勢神宮を指し、参詣道もそちらに向かって伸びている)で賑わったとされています。

小屋の様子。大平頭避難小屋と同様に居心地は良さそうですが、こちらは鞍部であるが故に電波が入らなかった。

以降は氷ノ山まで殆ど登り一辺倒となります。まだ少し距離を感じますが、氷ノ山越からのコースタイムは1時間半程度と大した事は無い。

兎和野高原から取り付いて以降、雪で埋もれたコース上に人が歩いた痕跡が一切ありませんでしたが、氷ノ山越から先の区間は明確なトレースがありました。一気に緊張も解ける。

氷ノ山越避難小屋と、陽光に照らされた赤倉山を振り返る。

途中にある幾つかの小さな起伏を登り下りしつつ着実に距離を詰めていく。

山頂近いこの付近は流石に積雪量も多めです。完全に冬山の様相。

徐々に遠ざかっていく氷ノ山越避難小屋赤倉山。背後に見える山は扇ノ山です。あちらも雪が多そう。

無心になって登っていたら次第に山頂が近付いてきた。

これまで歩いてきた方面を振り返る。正面に見えるのが赤倉山氷ノ山越へと続く稜線で、前日登った鉢伏山も少し距離を挟んで右の方に見えています。赤倉山背後の扇ノ山も存在感があり、屏風のように稜線が続いている。

氷ノ山の山頂を正面に見据えながらの登り坂。雪庇が発達しているので気持ち西側を進んでいく。

[7:37-7:48]ヤキョウガ山

氷ノ山の一つ手前のピークであるヤキョウガ山に到着。ここから先は短いながらも急登となりそうなので一旦休憩する……山頂手前にある甑岩もなんだか気がかり。

ヤキョウガ山から氷ノ山。やや広々とした山頂で、一息入れるには最適。

これまで歩いてきた赤倉山、鉢伏山方面を振り返った所。標高が上がるにつれて視界も広がってきた。

氷ノ山の最後の登り坂。奥には山頂に立つ氷ノ山避難小屋が見え、その手前には後程トラバースする甑岩が見える。

[7:56]仙谷分岐

ヤキョウガ山を出発して早々、仙谷コースの分岐路に到着……立派な案内板が立っているものの埋もれている。こちらのコースは去年頃から通行止めのようで、テープが張られていました。

[8:05]甑岩

分岐から少し進んだ所に、先程ヤキョウガ山からも見えた甑岩があります。乗り越えていくのも可能らしいですが、大荷物を担いでいるのでなるべく避けたい所。

岩を巻くようにトレースが続いているので、とりあえず辿ってみる事に。

トレースに沿ってトラバースしていく。斜度は思ったより急ではないのでコケても止まれそうな感じ……とは言えコケたくはないのでキックする足に力も籠もる。

トラバース地帯の先は特に問題なく登れますが傾斜が少し急峻。道が完全に埋もれているので適当に直登しているのですが、夏道は九十九折状に取り付けられているようです。

氷ノ山からの展望

[8:28-9:48]氷ノ山

今回の登山旅行のメインである氷ノ山にようやく到着しました……二百名山という事で山頂一帯は整備が行き届いており、避難小屋もこれまでのものと比べると二回りくらい大きい。

山頂広場の様子……意外にも雪が殆ど無い。土曜日なのでそれなりに人の姿があるのではと予想していたのですが、到着時点ではまだ早いのか貸切状態でした……しかしその後、9時を回った頃に1組2組とちらほら人の姿が。

別アングルからの氷ノ山山頂。この山もかつては山岳信仰修験道)の盛んな山で、広々とした山頂広場には元々の名である須賀ノ山に因んで須賀の宮権現(須賀神)という社が置かれていました。

現在でも社が建っていた事を示すかのような小さな祠が避難小屋の脇に建っていますが残念ながら写真は取り損ねてしまい無し。

重厚な木枠に玉砂利と、やけに丁重に扱われている一等三角点。氷ノ山(ひょうのせん)ではなく氷ノ山(ひょうのやま)という名称で国土地理院に登録されてます。この呼び方は主に但馬側(兵庫県)で使用されていたもので、昭和頃まではそう呼ばれる事が多かったという。

逆に通常呼ばれる方の氷ノ山(ひょうのせん)という名称。山をセンという特徴的な呼び方は鳥取県島根県岡山県の一帯に偏在しており、有名所では大山(だいせん)、弥山(みせん)、蒜山(ひるぜん)、扇ノ山(おうぎのせん)等があります。

大平頭避難小屋より幾らかグレードが高そうな氷ノ山避難小屋の室内の様子……二階も存在し、奥の梯子で登り下りします。ベンチの幅も広く、寝返りを打って落ちる心配が要らないのは良いですね。

一通り山頂をうろうろした所で次は、山頂から見える山々の精査へ赴く。

こちらは扇ノ山を中心とした北側180度の展望。扇ノ山以外にはこれまで歩いてきた鉢伏山方面の稜線、鳥取市伯耆大山(非常に薄い)、東山後山三室山、そしてこれから向かう三ノ丸が見えています。

僅かに望遠したもの。標高が1,000を越えるような山には概ね雪が残っています。

山名入りを作ってみました。伯耆大山はこの写真では薄く見づらいので記入していません。

避難小屋の裏側に移動し、若干アングルを変えての同方面。鉢伏山の奥には前々日に越えた但馬中央山脈妙見峠も見える。

少し範囲を広げてみたもの。中央に見える稜線を延々歩いてきました。

鉢伏山方面の稜線を望遠で。起伏は少なく、なだらかな尾根が続いている。

鉢伏山の山頂とその望遠をそれぞれ単体で。標高は氷ノ山の方が200m以上高く、見下ろすような形となります。その右奥には辿ってきた瀞川山もあるはずなんですが、なだらかな山容でピークの判別は厳しい。

三ノ丸から扇ノ山までの範囲を望遠してみました。三ノ丸の山頂近くにある避難小屋と展望台、東山沖ノ山の間に那岐山、麓の若桜の街や八東川沿いの様子が見えています。伯耆大山はまだまだ薄く、手前の三国山が立ち塞がるように見えている。

山名入りです。三国山背後の大山は非常に薄いですが、よく見ると白い山肌が確認できます。

同方面を望遠した所。これくらい望遠してようやく大山の全容が窺えるようになりました。県庁所在地である鳥取の市街地と、隣接した所に広がる鳥取砂丘も見える。

伯耆大山方面の望遠……ここまで望遠すると流石によく見える。大山の右側に矢筈ヶ山、左側に烏ヶ山と周囲の支峰も幾つか見えています。

伯耆大山八東川沿いに広がる田園地帯、麓のスキー場を一枚に収めたもの。

大山方面の次に気になったのがこの存在感ある東山。何百名山に選ばれていても不思議ではない堂々とした山容ですが、登山道が整備されていないマイナーな山岳。すぐ左側には三百名山那岐山が見えています。

少し方面を変え、鳥取の市街地方面の望遠写真。日本海の海岸線のようなものも微かにですが確認できます。

更に望遠したもの。中央やや右に見える鳥取市街地の左側には汽水湖である湖山池も見える。

鳥取の市街地を単体で。県庁所在地の都市としては規模の小さい部類ですが、こうして見ると市街地はそれなりに広い。後程、下山後の列車移動の際に通ります。

こちらは反対側の展望。右側に建つウッディな建物はトイレですが、積雪期は凍結防止の為に閉鎖されている。

奥に見える山々を望遠したもの……なんですが、逆光で写りがいまいち。低く細かい山が多いので個々の判別は難しい。

山名入りです。中央には遠く姫路方面、雪彦山付近の稜線が確認できます……左に見えるなだらかな形のピークは千町ヶ峰段ヶ峰

南東側に見える山々。同じく逆光で一見すると何が何だかという感じですが。

南東側の山名入り。須留ヶ峰、粟鹿山、西床尾山と、旅行二日目に登った大江山から見えた山々が多く確認できます……その大江山も左端に。

大江山付近の望遠と山名入り。大江山連峰のピーク上からは氷ノ山もよく見えていたので、逆に氷ノ山から大江山が見えるのも至極当然とも言える。

最後に東側、鉢伏山但馬中央山脈の山々の望遠。

同方面の山名入り写真です。但馬中央山脈は今回妙見峠を越えたのみでピークは一切踏んでいないのが心残り。

写真を撮ったりなんだりしている間に登ってきた人が居たので、一枚撮って貰いました。今回は登山中殆ど人と居合わせなかったのですが、メインの氷ノ山で撮って貰えたのは僥倖。

氷ノ山→三ノ丸

名残惜しいですが氷ノ山を後にします。中々良い山でした。

少し進んだ所、山頂直下の雪原から再び振り返る。

鳥取県側の若桜を目指して下りますが、コースは正面に見えている三ノ丸のピークを経由します……背後には東山後山、三室山といった雪を被った山々が聳えている。素晴らしき眺め。

三ノ丸を目指しつつの尾根歩き。幾つかのアップダウンを繰り返しますが起伏そのものは小さく緩い。雪の量もそこそこ多く、ずぼずぼ歩き。

氷ノ山の山頂を振り返った所。

更に進んだ所から氷ノ山……この付近で日帰りの方に追い抜かれる。これまで全然人と会っていなかったのですが途端に遭遇率が高まりました。流石は二百名山

ここから先も雪が緩んでいますが、以降は先行して頂いた方の踏み跡を利用する事で楽に進めました。ちょっと恐縮。

徐々に遠ざかっていく氷ノ山……氷ノ山というくらいなので是非とも雪の残る時期に行きたいと思っていたのですが、念願叶って満足。

存在感のある扇ノ山とこれから向かう三ノ丸。当初の予定では、三ノ丸からスキー場に下山した後、林道を伝って扇ノ山を目指すつもりだったのですが、行程の遅れが大きくなってきて取りやめに。

普段だったら1日くらい伸ばす所ですが、翌日が18きっぷの使用期限最終日で、この日の内に下山しないと帰れなくなってしまう。

これまで全く人気のない道を歩いていたので、ただ人が歩いている風景というものが少し新鮮に思えた。特に白い雪上では映える。

右奥のピークが三ノ丸で、展望台が設けられた山頂が見えます。

殆ど平坦に近い登り下りが続いていましたが、三ノ丸手前はそこそこ急な登り……とは言え距離は短く、すぐに登りきってしまう。

氷ノ山を振り返った所。平坦なので時間の割には距離が歩けてしまい、早くも遠くに見える。

偶に笹に囲まれた夏道が出ています。

再びこんもりとした雪景色……ですが三ノ丸の山頂も目前という所。

最後の短い登り返しを終えて三ノ丸に登頂。今回の登山においては最後のピークとなります。

三ノ丸→わかさ氷ノ山スキー

[10:44-11:12]三ノ丸

三ノ丸に到着。氷ノ山同様、こちらの山頂も雪は残っていませんでした。

三ノ丸からの展望。山頂一帯は背の高い笹に覆われていますが、木組みの展望台が設けられているので見通しは利く。

三ノ丸の山頂からの360度展望……すぐ近くには最早お馴染みとなった三角屋根の避難小屋があります。正午に近付き太陽も高くなった事で、南東方面の山々も良く見えるようになってきた。

東山から扇ノ山辺りまでの展望の望遠。見える山のラインナップは氷ノ山からのものと大して変わりはないですが、若干麓に近付いたような印象を受ける。

結局登らずじまいとなってしまった扇ノ山を一瞥。手前に伸びる稜線の中腹を通されている白い筋が林道で、これを辿って扇ノ山まで向かう予定でした。しかしこの様子だと雪に埋もれていてまともに歩けず、どちらにせよ辿り着けなかった気がします。

稜線上を歩く事も考えましたが、既に藪が出始めている時期なので微妙。

三国山と麓の八東川沿いの様子。氷ノ山の時点では見えていた伯耆大山は霞んでしまったかで全く確認できませんでした。

なだらかな尾根越しの東山三ノ丸避難小屋

先程登った氷ノ山を振り返る。大部分を雪に覆われた平坦な尾根の奥、山頂に建つ三角形の避難小屋が見えています。

氷ノ山の山頂部を望遠で。人の姿は見当たらない。

山スキー目的で登ってきた方々と居合わせたので氷ノ山バックに撮って頂きました。

三ノ丸からはいよいよ下山となります。長い縦走の終わり……とは言うものの、縦走そのものは前日の朝に十石山に登って以降なので距離も大した事はなく、まだ少し歩き足りない感じがする。

三ノ丸以降の尾根筋もなだらかでコース上は殆ど雪で覆われている。しかし先行して若桜方面に下っていった山スキーの方が居たのでルートを探す手間が省け、終始気楽に歩けました。

地面に僅かに頭を出した指導標が積雪の深さを窺わせる。

少し進んだ所から三ノ丸の山頂を見上げた所。スキーのトレースが伸びている。

東山後山、三室山を始めとした西の山々を眺めながらの雪道歩き。

扇ノ山、氷ノ山、三ノ丸と見える方面。どこでも歩ける自由さというのが雪が残る山の魅力。

今回の旅におけるメイン山岳、氷ノ山を単体で。標高差は大した事無いものの、既に相当な距離を感じさせられる。

暫くなだらかな下り坂が続く……正面左に見える雪に覆われた稜線が三ノ丸から西方向に伸びている主稜ですが、若桜方面に続く下山道はそちらには向かわず、正面右の稜線を更に右に曲がって支尾根に入り込みます。

殆ど起伏のない平坦な雪原。知らなかったらそのまま尾根伝いに左に進んでしまいそう。

樹間から麓を見下ろせるポイント……左奥に見えているのは扇ノ山です。写真中央左下には頭だけ出している指導標も見える。

傾斜が徐々に急になってきましたが、特に気にせず歩ける程度。

写真左側、ちょっと痩せ尾根っぽい所の上部を通過します。滑った時の事を考えると怖いので一歩一歩蹴り込みながら慎重に歩く。

痩せ尾根とその終端部。スキーのトレースは器用にも狭い尾根上を通過しています。凄い技術力。

片面が雪に覆われた稜線を歩いていく。右手には谷一本挟んだ先の氷ノ山が見えています。

痩せ尾根ゾーンを越えた先は特に問題ない斜面が続きます……この辺りは若干トレースが交錯していたので、歩きやすい斜面を探しながら下っていく。

標高が下がるにつれて雪の量も減りつつあり、部分的に夏道が出ている所もしばしば。アイゼンもこの辺で外しました。

[11:58]わかさ氷ノ山スキー場リフト降り場

わかさ氷ノ山スキーのリフトトップに到着しました。以降は下山までスキー場のコース上なので一安心。

スキー場のゲレンデと正面に扇ノ山。右の見切れているピークが午前中に通過したヤキョウガ山で、その左に見えるのが赤倉山です。尾根はそこから分岐し、左側の陣鉢山、右奥に青ヶ岳、仏ノ尾扇ノ山まで延々と続いている。歩く予定であった林道もその尾根近くに通されています。

ゲレンデの上部からの眺め。例年であれば3月中にシーズン終了となるらしいですが、この年は積雪量が多かった為に4月頭……つい数日前まで営業していたらしく、ゲレンデには尚多く雪が残っていました。

ゲレンデ上の雪質は超絶ゆるゆるで膝上のつぼ足歩行。まともに歩くと疲れそうなので、自重を利用しながら落ちるように進んでいく……所々で地面が出ている箇所はあるもののの、最下部まで問題なく通しで滑れる程度の積雪量でした。山スキーの人が多いのも頷ける。

ある程度下った所から見上げる。スキーだとものの数秒で滑り降りる所ですが、腐った雪と格闘しながらのツボ足では数分掛かる。

スキー場のコースを下っていきます。雪が多くて涼しげに見えるものの、実際は実際は照り返しで灼熱。風も殆ど無い。

全体的に傾斜が急で効率的に下れるので、気付けば麓も随分と近付いてきた。

ゴールとなるわかさ氷ノ山スキーのインフォメーションセンターの建物が見えてきた……殆ど最後の最後まで雪が残っていました。

スキー場と周辺の山々の様子。リフトは動いてないものの雪の量は十分豊富で、板を担いで自力で登っている人の姿も見掛けた。

インフォメーションセンターに到着。既に営業期間を終えているので人気は全くありませんでした。

わかさ氷ノ山スキー場→舂米→茗荷谷ダム→ゆはら温泉ふれあいの湯

[12:45-13:22]わかさ氷ノ山スキー

舗装路との合流点に到着。スキー場の入口がそのまま登山口のようで、登山用の案内板が設けられていました……以降は延々舗装路歩きとなるのでアイゼンやスパッツはこの地点でザックの中に収納。

スキー場の入口付近の様子。戦前から存在するスノーリゾートという事で、一帯はリゾート地にしては若干古色蒼然とした感じを受けます。右奥の白い山が先程登った氷ノ山で、山頂に建つ避難小屋も確認できる。

道路沿いに下っていくと程無くして国道482号線に合流しました。以降はそのまま道なりに進んでいく。

道の北側には棚田が広がっていました。『舂米棚田』として日本の棚田百選の指定を受けているらしいです。

棚田の全景。所々で雪に埋もれていて全容の把握は難しいですが、山間の緩やかな傾斜地を利用して作られている様子が分かる。

伊勢道の道標なるものが道端に置かれていました。午前中に通過した氷ノ山越の所でも触れましたが、因幡側の舂米集落から氷ノ山越を経て但馬側に抜ける道は古くからの街道で、江戸時代には専ら伊勢参詣に利用された事から伊勢道の名で呼ばれた。

少し先に進むと舂米(つくよね)の集落に入りました。氷ノ山の山麓を源流とする舂米川の最上流に位置する集落で、この流域の集落としては規模は大きめ。

舂米とは『舂』の字の下に臼という字が入っている通り、古くは臼で搗(つ)いて精米した米の呼び名でした。主に京の官人の食料として宣告各地から納められており、大和政権の時代では舂米部という専門の組織も存在していたとされています。

しかし、この地名としての舂米は当て字という説もあり、『ツクヨネ』や『ツキヨネ』が山麓の傾斜地を示す古い一般名詞であったとも考えられています。実際に同名の舂米という地名は他に山梨県富士川近くの山麓部にあり、こちらも鳥取の舂米と同様に棚田が存在する。また、関東に数箇所ある月夜野という地名もほぼ同音であり、こちらも全て山麓部に位置しているので条件は一致しています……なんとなくこちらの説の方が信憑性が高い気がしますね

[13:41]舂米神社

舂米の集落の中心部、街道に面した所に舂米神社という神社が建っています。集落の氏神とされるこの神社は明治8年に現在の名前に改称されるまでは蔵王権現と呼ばれており、元々は氷ノ山、かつての須賀ノ山の山頂に須賀神(須賀の宮権現)として鎮座していました。

麓に下ろされた時期は南北朝時代(明治という説も存在しますが、江戸以前より神社が存在する事との辻褄が合わないので誤りでしょう)、兵乱の影響で衰退していた所で麓に移される事になったという。

舂米神社の由緒書には当時の舂米村を始めとした山麓の14集落の間で争奪戦があり、山頂での話し合いで『翌朝早く登った村に下遷す』という取り決めになった後、翌朝を待たずに下山途中で引き返して一番乗りになり、舂米村に移される事が決まった……という伝説が記載されています。ズルでは?

国道上からかつての街道と思われる道を見下ろす。舂米の集落は東西に長く、江戸時代に伊勢参りの参詣客で賑わっていた頃は宿場の機能も持っていたとされています。

舂米橋のバス停。地方の路線バスにしては本数が豊富。しかし丁度間隔が開く時間帯のようで次のバスは1時間後……次なる目的地である温泉は1時間歩いた先なので、バスを待たずに歩く事にしました。

舂米橋のバス停を越えると舂米の集落の終端となり、棚田の辺りから暫く続いていた家並みは途切れる。

途中、トンネル経由の新道と沢沿いの旧道の分岐があります。トンネルの方が涼しそうですが、歩道が狭くて危険な香りがしたので昔ながらの旧道の方を選択……道の整備状況はこれまでと比べると2ランクくらい下がる。

途中で茗荷谷の集落を掠めていく。舂米と比べると規模は小さく、無住と思しき家屋も多い。奥の棚田も放棄されています。

茗荷谷の集落の様子。一見すると空家が多いようですが、少なからず定住者は居るらしく、出歩いてる人の姿が幾らかありました。

茗荷谷の集落の入口である茗荷谷橋。バス停がすぐ側に設けられていますが、時間的にまだまだ歩けそう。

茗荷谷の集落を抜けた先には茗荷谷ダムがあります。左上の橋脚は舂米から先の分岐でトンネル方面の伸びていた新道で、集落の入口となるこの付近で旧道と接続しています。

茗荷谷を眺めながら旧道経由出歩く。雪解けの季節だからか全体的に濁っていてゴミも多い。

茗荷谷ダムの様子。光加減によってはエメラルドグリーンと言えなくもないですが。

[14:20]茗荷谷ダム

茗荷谷ダムの放流設備を眺める。天端は立入禁止となっていました。

ダムの少し先の九十九折のカーブの様子。ダムの高さの分、一気に高度を下げていく。

ダムの先には規模は小さいながらも田地が見えてきました。初夏の田植えに向けてか、何やら作業している人の姿も。

途中で新道の高架橋を潜る。新道はこの高度を下げる為に少し先でΩ形のループ線が設けられている。

新道とは渕見の集落の終端で合流します……付近にある渕見神社の入口には舂米でも見掛けた伊勢道の道標が残っている。

舂米川沿いに広がる渕見の集落。ここまで下ってくると周囲の山も低くなり、山間の村という雰囲気ではなくなる。

渕見の集落の様子。川沿いの長閑な集落という風情ですが、歩いていると突然ダムの放流警報が鳴り始めて静寂は打ち破られる……警報なので当然ですが中々の轟音。

サイレンの音に急かされるような形で渕見の集落を抜けると再び家並みは途切れる。こうして集落に入っては抜けてを何度も繰り返しつつ駅を目指します。

ゆはら温泉ふれあいの湯→若桜蔵通り→若桜駅

[15:02-16:20]若桜ゆはら温泉ふれあいの湯

渕見から一つ先の湯原の集落にある日帰り入浴施設、若桜ゆはら温泉ふれあいの湯に寄り道。今回は登山後の温泉もテーマの一つで、当初の予定通り扇ノ山まで向かっていた場合は湯村温泉や岩井温泉に立ち寄る予定でした。

地名が湯原というくらいなので古くから温泉が湧いていたと考えられますが、大々的な温泉地という訳ではなく、温泉施設は国道沿いに公衆浴場が1軒あるのみとなっています。

並べられたコタツが印象的な休憩室の様子。湯舟は内湯のみで地元民向けの共同浴場といった雰囲気でしたが、設備そのものは新しく全体的に清潔感がありました。冬はスキー客で混雑するとか。

のんびり温泉に浸かっていたらバスの時間も過ぎてしまったので、そのまま若桜駅に歩き始めます。既に時刻は16時を過ぎており、周囲の風景も陰影が深まってきた。

少し歩いた所から振り返った所。もう随分と麓の方に降りてきたようで、氷ノ山や扇ノ山といった山々も手前の里山に遮られて見えなくなってしまいました。

舂米川の川岸、香田集落の桜。2003年に改称されるまでは不香田(ふこうだ)という名の集落でしたが、不幸を連想させられ縁起が悪いと住民から変更を求められて現在の名となったという。

香田から更に下流へ向かっていく。平地は次第に広くなり耕地も増えていく。

姫路と鳥取を結ぶ国道29号線に合流しました。専ら因幡街道と呼ばれる道で、鳥取県側では若桜街道とも呼ばれる……その街道の名でもある若桜の街は合流点から下流に少し進んだ先にあります。

国道は若桜の市街地の東側を迂回しているので、途中で市街地方面に続いている旧道へと入る。その分岐近くで若桜という古めかしいコンクリート橋が八東川を跨いでいますが、こちらは昭和初期の建築との事。幅が狭い為、歩行者用の橋が別に掛けられている。

橋を渡った先の若桜の役場。THE町役場って感じの無骨な建物。

若桜の街並みの様子。街道沿いの宿場町でもあり物資の集散地でもあった事から、土蔵を持つ商家の建物が街並みには幾つか残っています。つい昨年の2021年、重要伝統的建造物群保存地区の指定も受けている。

若桜は播磨と因幡を結ぶ因幡街道若桜街道、もしくは播州街道)の宿場町として栄えた街で、中世から江戸初期にかけては南側の鶴尾山の山上に築かれた鬼ヶ城若桜城)の城下町でもありました。

鬼ヶ城鎌倉時代初期、梶原景時の変において勲功を立てた事で因幡国八東郡を与えられた矢部氏による築城とされています。因幡国播磨国という二国の要節点上に立地しており、美作国但馬国にも程近いという事もあって戦国時代に入ると近隣の尼子氏毛利氏の勢力争いの場となりましたが、後に織田信長の命を受けた羽柴秀吉の中国攻めの際の因幡侵攻における拠点とされました。

鳥取城攻めの後は秀吉配下の木下重堅が城主となり、城郭はこの頃に総石垣で天守を持つ近世城郭の形に拡張。関ヶ原の戦い以降は山崎家盛を藩主とした若桜の居城として使用されていましたが、十数年で隣接する鳥取に吸収される形で廃藩。後の一国一城令鬼ヶ城も廃城となりました。その後、江戸中期頃に鳥取藩の支藩として鳥取西館新田藩がこの若桜の地に作られましたが、藩庁としての機能を持つ陣屋は置かれる事は無く、明治の廃藩に至るまで独立した支配体制は特に存在しなかったという。

メインストリートの一本北側の細い道は商家裏手の土蔵が連なっており、その様から蔵通りとも呼ばれています。反対側は寺が立ち並んでいるので寺通りとも呼ばれているとか。

土蔵が連なる蔵通りの様子。メインストリートの方も含め、どの建物も明治の大火後の再建。統一感のある風景に見えるのはその為でしょう。

切り妻型の土蔵が立ち並ぶ様子。既に日没近くで陰がちになってしまったのが惜しい。

蔵通りの風景。氷ノ山麓の豪雪地帯という事もあり、雪に強いとされる石州瓦を載せた建物が多い。

蔵通りの見物を終えた後は一旦メインストリートに復帰して西側へ。こちらの通りはカリヤ通りと呼ばれる。カリヤとは漢字で仮屋と書き、写真のような雁木(アーケード)の事を指している。現在は途切れ途切れとなっていますが、以前は絶え間なく続いており、道が雪に埋もれていても庇の下を通行する事ができたという。

更に西側に進んでいくと、若桜の市街地には唯一残る造り酒屋である辨天娘酒造があります。辨天娘は首都圏を始めとした大都市圏には多少入っている銘柄で、自分も以前1度か2度は飲んでいるはずのお酒。登山中消費してしまったお酒の補充も兼ねて立ち寄りました。

辨天娘の酒蔵に入った所……並んでいるお酒のラインナップとしては、鳥取では割と見かける濃醇辛口傾向のものが多い。

頼めば試飲もさせてくれそうな雰囲気だったものの、列車の時間が迫っていたので特に話もせずお酒を一本買ったのみでした。日本酒の他にも酒粕や奈良漬が並べられており、特に奈良漬は名物みたいな感じで扱われていたのでこの時買っておけばと少し後悔。

駅前通りから若桜鉄道の終点、若桜駅を目指します。この時点で列車の発車5分前くらいだったので割と慌ててました。

【移動】若桜から鳥取、豊岡へ

[17:23]若桜駅到着

国鉄時代の古びた駅舎が残る若桜駅に到着……これにて八鹿駅から延々歩いてきた氷ノ山越えの登山は終了となります。なんだか麓を歩いている時間の方が長く、あまり山登りをした感が無かったとも言えますが。

駅は土曜日という事もあってか旅行者の姿も多く、特にカメラ片手に機敏な動きを見せる鉄道マニアっぽい方の姿が目立っていました。

1両編成の車内はそれなりに混雑しています。鉄道マニア以外にも純粋な旅行者っぽい人の姿も多いですが……自分と同じ重伝建マニアも居るかな。

若桜駅の土産物屋兼食堂で買い集めた食料と土産物他諸々、加えて辨天娘酒造で購入した日本酒とサービスで頂いた酒粕をザックに収納する為にテーブルに並べる。お酒のスペックは純米生原酒の荒走りで使用米は玉栄。にごり酒という程ではないですが、薄濁りと言える程度には澱が入っています。

早速味見してみましたが、まだガス感が強く吹き出しそうになったので、スクリューキャップを少しずつ捻り慎重に開栓。最初の一口目は発泡感と辛味が全面に出てきて、ほぼ想像通りの濃醇辛口……しかし二口目、三口目と進むに連れて次第に甘味が立ってきて良い塩梅に。濃淡に関しては、濃醇であるものの決して重たくはない、かといって軽くもない。飲み始めと慣れてきた頃の印象が異なる面白いお酒でした。

若桜鉄道の列車はワンマンでしたが、途中の八東駅で長時間停車して検札が行われました。駅で切符を購入する時間がなく無券だったのでそのまま購入。

この日は豊岡駅までの移動なので、車内でそこまで買えるかなと訊ねてみたものの無理。JRと接続する郡家駅で買ってくれとの事でした……そこで郡家までの代金を支払ったら精算証明書のようなものが手渡される。

JR因美線と共用している郡家駅に到着。若桜駅からの列車はそのまま因美線に直通して鳥取まで向かうのですが、郡家駅までの切符しか持っていないので一旦下車。

窓口営業時間は終わっており無人駅状態でしたが、券売機が辛うじて動いていたのでそこで豊岡駅までの切符を購入しました。加えて駅舎内の売店で食料調達を少々。

郡家駅若桜鉄道が分岐している他、鳥取京阪神方面を結ぶ特急の停車駅という事で因美線内の駅としては規模が大きい部類。今回乗車した若桜鳥取行の列車も全員が全員乗り通さず、半分くらいはこの駅で反対側の列車に乗り換えていく。

県庁所在地の鳥取に到着。降り立つのは何度目かですが、シンプルな構造の高架駅です。架線が無い事と列車の編成が短い事を除けば首都圏の駅と雰囲気そのものは似ている。

湯上がりの水分補給がてら降りてビールでも買いたかったのですが、郡家駅から豊岡駅まで通しの切符(ギリギリ途中下車できない距離)を買ってしまったので改札を抜ける事ができない事実に気付く……よって大人しく乗り換えるのみ。

鳥取からは山陰本線兵庫県を目指します。乗り換えた先の浜坂行きの普通列車は帰宅時間帯の割には空いており、1両に10人も乗っていなかった。

途中の岩美駅にて列車の交換待ち。当初の予定通り扇ノ山から下ってきたら岩井温泉か湯村温泉かどちらかに入るつもりで、岩井温泉に入った場合はこちらの駅に辿り着く予定でした。しかし岩井温泉内にある日帰り入浴施設が町外者お断りとの事だったので、こちらのルートは割と早い内から選択肢に外れていた。

浜坂駅豊岡行きに乗り換えとなります。湯村温泉に入った場合はバスを利用してこちらの駅に出ていました……浜坂と言えば兵庫県北でも屈指の観光地ですが、夜間だからか駅員の姿もなく、閑散とした構内には気動車のアイドリング音のみが響いている。

乗り換え時間が30分以上開いていたので駅前を意味もなく徘徊。午後8時を回るかという時間帯で駅前の店は全て閉じており全く人気がない。もう少し早ければ駅前すぐの所にある鮮魚店で刺身でも調達したかったのですが。

温泉地らしく駅前には源泉かけ流しの足湯が設けられています。営業時間は18時までとの事でしたが、営業時間外のこの時間帯でもお湯が流れ続けていました。

夜闇に飲み込まれつつある浜坂駅。乗り換えた先の列車の乗客も数人程度と寂しい旅路に。

終点の豊岡駅まで乗車時間が1時間半くらいあるので、その時間を利用して夕食タイムとします。

まずは若桜の土産物屋兼食堂で購入した美味しそうな木綿豆腐。鳥取県内産の大豆使用との事で、仄かに豆乳のような甘い香りが立っている。まずは何も付けずに食べてみると食感が特徴的、焼きプリンのようにフワフワしてる……これは当たりでしょう。塩を一応持ってきてますが、豆の味が濃いので必要無さそうでした。

専ら日本酒党なので、そのアテの代表格でもある豆腐は旅行中見掛けたら買ってしまう事が多く、いつでも食べられるようにと塩も常に持参している。たかが豆腐と言うなかれ、豆の違い、水の違い、製法の違い、地域色の違い、そして作る人の違い……それらが違えば当然味も違う、意外に奥が深い食材だったりするのです。

続いて日本酒です。登山で粗方消費してしまったので、二日目の大江山登山後に購入した丹後王国も残り一合足らずという所だったのでこちらを消化。

本日の夕食のメインは若桜で購入した焼き鯖寿司……掛け紙には若桜のさば街道とありますが、福井の若狭の方の鯖街道と掛けたのでしょうか。若狭は数日前に通ったばかりですが鯖寿司を頂く事は叶わなかったので、遠く離れた同音の地であるこの若桜で頂けたのは何やら因縁めいたものを感じる。

若桜の街は一見すると青魚とは無縁そうな内陸に位置していますが、市街地を経由する因幡街道若桜街道)はかつて酒津を始めとした旧因幡国沿岸部の港町で水揚げされた海産物を瀬戸内海側、播磨方面へと運ぶ際に使用されていました。特に因幡産の鯖は因幡の塩鯖として珍重されていたという話です。

その中継地である若桜にも少なからず鯖に纏わる話が残っており、町の郷土料理として『サバ天うどん』という、塩鯖を天ぷらにしてうどんに載せた料理が存在するという……意外にも鯖と縁が深い町だったようです。

焼き鯖寿司は甘辛のタレを絡めて頂く。鯖の本体はノルウェー産っぽいですが、米は氷ノ山の山麓の棚田で栽培されたものを使用。つまり、歩いてきた中で見掛けた棚田のどこかで取れたものという事でしょうか。

ふと窓の外を見るとホームからカニの手が生えていたので、早くも酔いが回ってきたか……と思いきや現実のようで、駅名を見てみるとカニで有名な香住。浜坂と並ぶ県北の観光地として知られた町ですが、この駅もつい最近無人駅となってしまったらしい。

竹野駅で再び列車交換。暗闇の中、列車のヘッドライトで照らされたレールが輝く。

終点の豊岡駅に到着しました。既に夜10時を目前にした遅い時間帯ですが、途中の城崎温泉から乗り込んできた人が意外と多く、終盤は混雑していました。

豊岡駅のホームと橋上駅舎。地方都市には違いないですが、ここまで来ると山陰というよりは近畿や京阪神圏という雰囲気。

無性に甘いものが欲しくなったので駅前のコンビニでアイスを購入。

豊岡駅の全く人気のない駅前のアーケード商店街。豊岡は交通の要衝で何度も宿泊地としている街でもあるのですが、夜はいつもこんな感じで街全体が眠りに就いているような印象があります。

その寝静まった商店街の中に一軒、行きつけという程でもないですが、今まで4~5回は入っている定食屋兼飲み屋があったので、この遅い時間帯でも開いているかどうかグーグルで調べてみると閉業の文字が……どうやらこのコロナ禍で閉じてしまったらしいです。世知辛さを感じながら闇に向かって歩みを進める。

次回記事『7日目 帰路、篠山観光』に続く

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