北近畿登山旅行2日目 大江山連峰縦走(辛皮駅→普甲峠→鬼の岩屋→鍋塚→千丈ヶ嶽→赤石ヶ岳→加悦)
この日は大江山連峰の縦走登山がメインの一日となります。
先ずは前日到着した宮福線の辛皮駅から尾根上の普甲峠へ。そこから尾根伝いに大笠山、鍋塚、鳩ヶ峰、そして連峰の最高峰である千丈ヶ嶽と順番にピークを辿っていきました。
連峰西端の赤石ヶ岳の往復を終えた後は麓まで舗装路歩き、途中の与謝の集落内に立地する二軒の酒蔵に立ち寄ったり、重伝建にも指定されている加悦(ちりめん街道)の街並みを見物したりと、後半は打って変わって観光モード。
その後はバスや列車を乗り継いで西舞鶴まで移動しました。
「1日目 往路、丹後への移動と日本酒調達」の続きの記事となります。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。
目次
山域の案内
大江山連峰とは
大江山は京都府北部、日本三景の一つである天橋立に程近い立地の山岳で、幾つかの鬼退治伝説が残る事で知られています。特に有名なのは平安時代、京の都にて悪事を働いていた酒呑童子が、勅令を受けた源頼光によって退治されるという伝説で、その酒呑童子の住処とされていたのがこの大江山とされています。(伊吹山地という異説も存在する)
現在では各方面からの登山道が整備、特に赤岩山から赤石ヶ岳まで続く主稜線は両端のピークの名前から取られた赤々トレイルという名称で整備されており、また麓からも近い事から手軽にハイキングが楽しめる山として親しまれています。
公共交通を利用した登山口までのアクセス
公共交通機関の乏しい地域なので利用可能なものは限られますが、付近を通過する幾つかの鉄道、路線バスが存在します。
赤岩岳・普甲峠・大笠山
まず京都丹後鉄道の宮福線が連峰の下部をトンネルで通過している関係上、その前後の鉄道駅からそのまま歩き始めて稜線上に登る事も容易です。普甲峠や茶屋ヶ成に登る場合は辛皮駅から寺屋敷集落経由で北上、赤々トレイルの東の終端である赤岩山に登る場合は喜多駅からダイラ道経由で南下という形になります。
千丈ヶ嶽・鍋塚
鍋塚や鳩ヶ峰、そして最高峰である千丈ヶ嶽に登る場合は宮福線沿線から路線バスを利用したアクセスが鍋塚休憩所、鬼嶽稲荷神社を始めとした登山口の近くまで移動できるので便利です。その場合、大江駅もしくは大江山口内宮駅から福知山市営バス(大江バス)大江山の家線を利用し、終点大江山の家バス停にて下車。注意点として、この路線は平日のみの運行となります。
【時刻表】大江バス 大江山の家線(大江駅・大江山口内宮駅~大江山の家)
赤石ヶ岳
連峰西端の赤石ヶ岳に登る場合は加悦双峰公園上の分岐から福知山市側、もしくは与謝野町側のそれぞれから登り始める事が可能ですが、麓を走る路線バスのバス停から登山口までは若干の距離があります(登り1~2時間程度)。福知山市側から登り始める場合は山陰本線福知山駅、もしくは宮豊線与謝野駅から丹後海陸交通バスで一本松バス停、与謝野町側からの場合は与謝バス停で下車。どちらも同じ路線の利用となります。
【時刻表】丹後海陸交通 与謝線・福知山線(与謝野駅~与謝~一本松~福知山駅)
実際の登山記録
今回歩いたルートです。
辛皮駅→普甲峠
[18:02]辛皮駅出発
今回の登山の出発地となる辛皮駅です。大江山連峰の稜線上に至る経路は幾つも存在するので悩みましたが、今回は薄暗い時間帯の中での出発という事もあり、辛皮駅から普甲峠(大江山スキー場跡地)を終始舗装路上を歩いて目指すルートを選択。
本音を言えば更に一駅先の喜多駅から赤々トレイルの東側の終端となる赤岩山から縦走路の完歩を目指したかったのですが、下山後に酒蔵訪問したり、重伝建地区である加悦の街並みを散策したりと観光方面での予定もあったので、時間の兼ね合いからカットとなりました。
辛皮の地区内を通り普甲峠方面に向けて進んでいきます。民家が散在している為か、あまり集落という雰囲気ではない。過疎化の進行も著しいのか廃屋や休耕地が目立つ。
途中、いい感じに色褪せた案内板が立っていました。ホタルとカジカの里らしいです。
宮福線のガードを潜り山際に向かっていきます。棚田が続く長閑な風景が広がりますが、すぐ近くに高速道路のトンネルがあるので静寂とは程遠い。
このまま愚直に舗装路を辿っても普甲峠に到達できるのですが、途中でショートカットになりそうな登山道が伸びていたので利用します。元普光道と言う名の古くからの参詣道らしく、平安時代創建の大寺とされた普甲寺の跡地を中心に幾つかのルートが伸びています。
元普光道の様子。案内看板やテープは豊富ですが、あまり歩かれていない雰囲気。道も倒木だらけで荒れ気味でした。雪解けから大して経っていないからかもしれませんが。
山道をそのまま進んでいくと山の中腹に広がる寺屋敷の集落に入ります。かつては普甲寺の門前集落として賑わったのでしょうが、現在は明かりが灯っている家は殆ど無く、空き家が大半といった所。
[19:00]普甲寺跡
寺屋敷の集落の上の方には弁天堂があり、そこから枝道を進んだ先に普甲寺の跡地に建つ普賢堂があります。普甲寺は廃寺となってから久しく文献も殆ど残っていないので、一体どのくらいの規模であったかは定かではありませんが、最盛期には紀伊国の高野山に並び北の高野山と称されるまでの大寺院だったという。
[19:19]普甲峠到着
空の色が濃紺と化しつつある頃に普甲峠に到着。隣接して大江山スキー場の敷地がありますが、温暖化に因る積雪不足が原因で2017年頃に閉鎖。現在ではソーラーパネル置き場となっています。
この日は普甲峠にて行動終了としました。夕食は京都駅で購入した『春膳』なる駅弁……内容は中々凝っている。品数も豊富で彩り豊か。一つ一つに味が染みており、お酒とも抜群の相性でした。
普甲峠→大笠山→鬼の岩屋
[4:48]普甲峠出発
打って変わって翌日。4月を迎えたにも関わらず、テントには霜が張る程の冷え込みでした。恒例のドリップコーヒーを呷り、暖機運転の後の出発とします。
暗闇の中、今回の登山においての最初のピークである大笠山を目指して進んでいきます。歩き始めはキャンプ場の敷地内、その後はスキー場の跡地、道が交錯していて何が何だかという感じ……適当に歩いていると案内標識や赤テープが幾つか視界に入り始めたので、それに従って進んでいく。
徐々にグラデーションっぽくなってきた空には雲一つ無い。この日の天気は期待できそうです。
かつてのスキー場の最上部。リフト降り場の下にはかつてのゲレンデが続いていて、最下部にはソーラーパネルで埋め尽くされている出発地の普甲峠が見える。
案内看板に赤テープと縦走路上の案内は豊富。
稜線上には幾つかの通信施設があり、コースはそれらを巻いていくように取り付けられています。
緩い傾斜の上り坂を進んでいくと次第に道上に雪が現れ始める始める。まだ標高600mくらいなんですが……流石は日本海側の山。
樹林帯を無心になって進んでいると、気付けば既に日が昇っていました。御来光には間に合わず。
雪と霜が交差する道。麓は完全に春が訪れていますが山上は未だ冬の景色が残る。
更に進んでいくと大笠山の山頂に建つ航空管制塔が見えてきました。
[6:16-6:29]大笠山
航空管制塔の施設から北側を迂回するように進んでいくと、地図上にはハングライダー広場と記載された広場がありました。山頂に施設が建っていて入り込めないので、実質的にはこの場所が大笠山の山頂とされているようです。
ハングライダー広場とされているだけあって広範囲に視界が開けており、特に加悦谷や宮津湾、丹後半島方面の展望が臨める。
ハングライダー用のジャンプ台に乗り、少し広い範囲の展望。霜が張っているので滑り落ちそうで少し怖い。
加悦谷、丹後半島、宮津湾方面の望遠。この地点からは加悦谷は左右に細長く見えていますが、今後進むにつれて見える形が変化していく。
宮津湾を望遠で。正面の丹後半島の先端部には舟屋で有名な伊根の町が見え、右下にはこの近辺の中心都市である宮津の市街地が見える……天橋立は手前の山に遮られて見えないものの、その北岸、山の中腹に建つ成相寺は辛うじて確認できます。
加悦谷から山一つ先に見える広がりは丹後半島の付け根に位置する峰山盆地。ショッピングセンターやホテル等の大きな建物が立ち並び、周囲よりも一際賑やかに見える。
パノラマ写真から左側に見えた、少し雪を被った稜線。恐らくは但馬中央山脈、神鍋高原近くの三川山。
ハングライダー広場の様子。芝生に覆われていて居心地は良さそうですが、ベンチにうっすら霜が張る程度には冷え込んでいる。
まだまだ先は長いので出発。程無くして次なるピークとなる鍋塚が見えてきました。
鬼の岩屋→大芝原→鍋塚
[6:40-6:52]鬼の岩屋
大笠山から少し下った所にある鬼の岩屋に到着。戦前期の地形図には鬼穴と記載された場所で、酒呑童子を始めとした、この山を根城にしていた鬼の住処が存在したという伝承が残る。
鬼の岩屋近辺も休憩スペースとして整備されていました。展望も開けていますが、先程のハングライダー広場からのものとは方角が若干異なる。
分岐を少し進んだ所に展望デッキがあり、そこから加悦谷方面を見下ろす事ができます。
左右に伸びる加悦谷。ハングライダー広場から見た際とあまり変化はありませんが、こちらの方が若干視界が広く、扇ノ山や氷ノ山といった鳥取県に近い山々も見えるように。
本日の下山地である加悦の家並みです。中央の密集した辺りが重伝建地区のちりめん街道で、右側の学校の下の辺りに見える古い建物が旧加悦町役場。帰りはその付近のバス停からバスに乗り込みました。
気になるのは西側に見える中国山地の山々。標高1,000mを越える程度の山ばかりですが、日本海に近いという事もあって雪で白くなった雪化粧を纏った山も少なくない。
まだ雪深そうな氷ノ山から扇ノ山方面の山々を望遠で。手前に見える稜線は妙見山から続く但馬中央山脈。後の氷ノ山登山に際して、その妙見山の右側の鞍部である妙見峠を乗り越えていく事になる。
鬼の岩屋の展望デッキ付近の様子。肝心の岩屋の場所ですが……付近は確かに岩稜帯となっているものの、どこかは分からずじまいでした。
鍋塚を目指して進みますが、大笠山~鍋塚の区間は雪が溶けてから殆ど人が歩いていないのでしょうか、細かい倒木で道が荒れていました。
緩い傾斜の坂を下っていくと鞍部の大芝原に建つ避難小屋が見えてきました。
[7:20]大芝原避難小屋
大芝原に到着。北部の池ヶ成キャンプ場方面のコースとの分岐点で、20分程度で登山口となるキャンプ場の駐車場まで下れるようです。
避難小屋の中の様子。内部はゴミが散乱、地面は草ぼうぼうでベンチも捲れ上がっていたりと荒れ放題でした。雨風を凌ぐ程度であれば問題ないでしょうが。
大芝原から鍋塚まではコースタイム40分の纏まった登り返しとなります。雪も大笠山への登り以来殆ど見掛けていませんでしたが、標高が上がるにつれて再び増えてきた。
道の上にも徐々に雪が増え始める……傾斜こそ急ですが雪質はグズグズだったので、アイゼンは付けずキックしながら登る。
道は雪で埋もれていますが、逆に道の上にしか雪が残っていないので道筋そのものは一目瞭然です。
山頂が近付いてきた頃。それまでと比べると少し高度感が出てきた。
鍋塚の山頂手前からの展望。左側に加悦谷、峰山盆地。中央には先程越えてきた大笠山と、その山頂に建つ航空管制塔が見えます。
鍋塚→鳩ヶ峰→千丈ヶ嶽(大江山)
[7:51-8:17]鍋塚
鍋塚の山頂に到着しました。大江山連峰の中での大江山とは一般的に鍋塚、鳩ヶ峰、千丈ヶ嶽という3つのピークの総称とされており、ここはその内の一つ。
山頂からは大江山連峰においての最高峰である千丈ヶ嶽が間近に見えます。コースタイム的にも鍋塚から2時間弱と、そう遠くはない距離にある。
千丈ヶ嶽方面のパノラマ。右に氷ノ山と加悦谷、左には雲海の中の福知山盆地という配置。奥の方には無数の山々が見えますが、始めて来た山域であるが故に判別は厳しい。
よく分からなかったので山名入り写真を作ってみました。六甲山地が見えていた事が判明。
千丈ヶ嶽から加悦谷に加えて丹後半島方面という広い範囲の展望。加悦谷の見え方も次第に奥の方に伸びるような形に変化しつつある。
西側、氷ノ山後山那岐山国定公園の辺りでしょうか、雪を被った山々が見える方面の望遠です。中央に氷ノ山、扇ノ山。少し左の方にに三室山、後山といった感じで細かく見えています。
こちらもよく分からなかったので山名入りを作成。山域の中でも一際高い氷ノ山の存在感はやはり印象的。
加悦谷の街並みを細かく俯瞰してみました。後に酒蔵巡りする与謝の集落からちりめん街道の加悦、そして三河内、四辻と家並みが連綿と続いている。
丹後半島の先端部、及び宮津湾方面の望遠。相変わらず天橋立は死角となって見えませんが、リゾート施設であるマリントピアのホテル群が湾に面した所に見える。
鍋塚の山頂越しに南側、福知山盆地方面。大江山を構成する主峰というだけあり、整備が行き届いた山頂でした。
雲海に蓋をされたような福知山盆地を望遠で……盆地と言えば朝霧ですね。特にこの寒暖差の大きい時期では尚の事発生しやすいのでしょう。
左側の広く雲海が滞留している辺りは綾部の市街地。福知山の市街地は右側の雲が少しほぐれている辺りで、こちらは少しずつ建物が見え始めている。綾部の雲海の左奥に薄く見える稜線は京都の愛宕山でしょうか。
歩いてきた大笠山、そして赤々トレイルの東の起点となる赤岩山方面に続く稜線。こちらの方面の展望は条件が良ければ遠く白山も見えるらしいですが、この日は全く見えませんでした……しかし右の方に気になる形の山が。
一際目を引く、まるで尾瀬の燧ヶ岳を彷彿とされる双耳の独立峰。京都府と福井県の境に位置する青葉山という名の山で、その見た目から若狭富士とも称されるらしいです。
千丈ヶ嶽方面に向けて出発します。尾根道の縦走らしく一旦下っての登り返しとなりますが、起伏は全体的にゆるゆる。
標高1,000mにも満たない低山とは思えない、雄大な稜線歩き。
鍋塚までのコースは殆ど人が通った形跡がありませんでしたが、こちら側はよく踏まれているようで道筋も明瞭。
少し先に進むと大江山の家(グリーンロッジ)方面の下山道の分岐路がありました……が、こちらの下山道はあまり歩かれていない様子。殆どの登山者は稜線上の鍋塚休憩所まで車で乗り付けるのでしょう。
休憩所の建物が見えてきました。手前には鳩ヶ峰、そして左奥に千丈ヶ嶽という並び。
[8:48]鍋塚休憩所
緩い坂を下りきった先、鞍部となる場所にあるのが鍋塚休憩所です。広尾根となった場所には駐車場が整備されており、大江山登山においての主要な登山口の一つとされています。敷地内には東屋やトイレの設備もあり、丁度トイレ清掃の方が軽トラで乗り付けて来ていました。
休憩所の少し先の斜面から鍋塚のピークを振り返る。この前後で、毎日この付近の山を登っているという地元の方とすれ違う。
この先の積雪の状況なんかを訊ねてみましたが、大して残ってないとの事でひとまず安堵。
先程の鍋塚休憩所が最鞍部となり、以降暫くは鳩ヶ峰、千丈ヶ嶽と各ピークに向けての登り返しが続きます。とは言え鳩ヶ峰まで100m、千丈ヶ嶽まで200m弱くらいの標高差なので大したものではないですが。
再び道上に残雪が現れましたが、鍋塚手前のものと比べると積雪量は至って少ない。傾斜も緩いので特に気にせず登っていく。
登りの途中から鍋塚を振り返った所。
山頂手前で視界が広がった辺りから鍋塚、加悦谷方面の展望。鍋塚の左側に見えるのは本日最初に登った大笠山です。
[9:17-9:28]鳩ヶ峰
ピークを登りきった所が鳩ヶ峰の山頂です。鍋塚と同様、整備が行き届いた山頂広場でした。
鳩ヶ峰からの展望。多方面に開けている山頂ですが、特に加悦谷方面の展望が良好でほぼ全域を見通す事ができました。
こちらは反対側、東側の展望で遠くの方の山も見えています。逆光の上にかなり細かいので判別は難しいですが……。
遠くの山々を望遠したもの。右の千丈ヶ嶽の山肌に見切れている薄い稜線は六甲山地、手前の山の右背後に見える稜線は鍋塚からも見えた京都の愛宕山かと思われます。
こちらの方面の山座同定も幾つか。いざ調べてみると比良山地の武奈ヶ岳や蓬莱山まで薄いながらも見えていた。比叡山の存在も当時は気付きませんでした。
ザック越しの展望。氷ノ山や扇ノ山を眺めながらの小休止。
鳩ヶ峰を後にして最高峰である千丈ヶ嶽を目指します。鍋塚から眺めていた頃と比べると、一気に距離を詰めたように感じる。
鳩ヶ峰からの下りの途中から眺める東の山々。日が高くなり、逆光の白飛びは次第に解消されつつある。
平坦に均された最鞍部。ここから先は千丈ヶ嶽の山頂まで登り続きとなります。
途中で現れた整然とした階段。距離自体は短いです。
階段を登り終えて後は緩い登り坂。そのまま進むとやがて山頂が見えてきた。
千丈ヶ嶽(大江山)→加悦双峰公園分岐
[10:05-10:41]千丈ヶ嶽(大江山)
大江山連峰の最高峰である千丈ヶ嶽に到着。大江山と言えばこのピークそのもの指す事もあるらしく、看板には大江山山頂と併記されている。
これまでの鍋塚、鳩ヶ峰といったピークも開けていましたが、こちらの山頂は段違いの広さです。テニスくらいは余裕でできそう。
山頂広場と西側の展望を合わせた360度パノラマ。
だだっ広い山頂なので開放感はそこまでありませんが、展望に関しては大江山連峰の最高峰らしく標高相応に優れています。こちらは本日何度か見ている氷ノ山や扇ノ山といった山が見える方面。
同方面の望遠です。一際目立つ氷ノ山と扇ノ山は判別しやすいですが、他の山々は細かくて難しい。中央寄り、左手前のなだらかなピークはこれから向かう赤石ヶ岳。
同方面の山名入り。鍋塚からも確認した方面ですが、南側の展望が開けた事もあり千町ヶ峰より左側の山々が見えるように。
氷ノ山は後日登るので単体でも幾つか撮影。鉢伏山(南東のケルン含む)から赤倉山、氷ノ山、三ノ丸と実際に歩いた尾根が鮮明に確認できました。
扇ノ山と宮津湾です。天橋立はやはり見えませんが、伊根付近の細かく入り組んだ海岸線が美しい。
ベンチ越しに氷ノ山と扇ノ山。
東側から南側にかけて見える山々。こちらは少し霞んでしまっていますが、少し遠くの山も見えています。
同方面の望遠です。これまでも見えていた六甲山地や愛宕山の稜線も薄いながら確認できます。
展望を堪能した所で下山、加悦双峰公園方面へ尾根伝いに進みます。千丈ヶ嶽にのみ登る場合、その途中で分岐している鬼嶽稲荷神社からのコースが最短のようで踏み跡も濃い。
広尾根の樹林帯となった箇所のみ雪に埋もれて道筋不明瞭でしたが、区間は短く適当に進んでいたら本来のコースに合流。
帽子の落とし物が赤テープ代わりの目印。途中、九十九折となった箇所は積雪もありますが、通行には支障無い程度でした。
程無くして林道に合流しました。ここから先は暫く林道の上を歩いていく事になります。
指導標に従って進んでいると駐車スペースなのか広々とした場所に到着。更に道なりに進んでいく。
下ってきたコースを振り返った所。こちらも主要な登山口のようで案内は充実しています。
林道沿いに西方向へ。まだ木々には冬枯れの枝が目立つ季節。
途中から山道に復帰、樹林帯の中を尾根伝いに進んでいきます。
小高いピークを登りきった所で一転して視界が開けました。正面にはこれから登る赤石ヶ岳が見えている。
赤石ヶ岳往復
ピーク上には加悦双峰公園方面に下るコースとの分岐がありますが、赤石ヶ岳との鞍部からも同様に下れるとの事なのでそのまま先に進みます。
分岐の様子。加悦双峰公園を起点を起点として千丈ヶ嶽、赤石ヶ岳を周回する人も多いらしいです。
分岐点から鞍部方面への下り坂。赤石ヶ岳への鞍部からの登り返しは200m弱、コースタイムにして40分といった所。右側には後に下山する方面、加悦双峰公園の施設群が見えます。
[11:28-11:32]加悦双峰公園上分岐
鞍部の分岐に到着しました。これから登る赤石ヶ岳は行き止まりで、この場所からの往復という形に。よって荷物様には御留守番頂く事に。
少し登り進めた所から先程、ピーク上に分岐があった地点を振り返る。左側には最終的な下山地となる加悦谷も見えていますが、大笠山や鳩ヶ峰から見た時よりも距離があるので相応に遠くに見える。
福知山市側、赤石ヶ岳の中腹をトラバースしながら国道176号線(旧宮津街道)の与謝峠に下る登山道が続いています。与謝峠は赤石ヶ岳を挟んだ先にある峠ですが、山頂から直接その方面に下る道は無く、この分岐まで戻って巻いていくという形になる。
赤石ヶ岳の登り返し。軽荷となったので軽快な足取り……と行きたい所ですが既に後半戦、疲労もそこそこ溜まっているので一歩一歩が重々しい。
千丈ヶ嶽や鍋塚の登り返しよりも急峻です。
振り返り千丈ヶ嶽。とにかくだだっ広い、牛の背のような山頂がやはり特徴的。
殆ど緩い上り下りに終始していたこの日の登山ですが、この区間のみ露岩の急登がありました。
標高も上がり視界が広くなってきた頃。麓に見えるのは大江山連峰の南側の登山口となる雲原の集落。
急登を終えると山頂まで殆ど平坦な尾根道となります。
時期的に高山植物は見られないと思ってましたが、キンポウゲが僅かに咲いていました。右は山でよく見かけるヒオドシチョウ。
[12:02-12:33]赤石ヶ岳
大江山連峰、赤々トレイルの西端、そして本日最後に登るピークである赤石ヶ岳に到着。こちらはこれまでのピークと違って平地は少なく若干岩がち。突き出た岩に座って休憩。
山頂看板の付近からは南側方面の展望が開けており、正面の三岳山を取り巻くように広がる山村の風景を臨めます。
三岳山から右奥に見える播但国境付近の山々。左側に見える一際高いピークは粟鹿山でそこから左側、千ヶ峰方面に細かいピークが続いている。
氷ノ山方面もよく見えましたが、扇ノ山は木の枝に掛かってしまって見えませんでした。
山頂から与謝峠方面に踏み跡が続いているので進んでみると加悦谷方面に展望が開けた箇所が。看板にはパラグライダーテイクオフ場とありました。
これまで左右に長く伸びている加悦谷を横目に歩いていましたが……この地点からでは南北に伸びる加悦谷をほぼ真南から眺める形になるので小さく、そして奥に続くように見える。
谷の西側の山裾にへばりつくようにして広がる加悦の集落。後程、この家並みを写真の下の方から延々と歩いていく事になります。
こちら側からは扇ノ山が見えましたが、代わりに氷ノ山から左側が隠れていました。
加悦双峰公園分岐→与謝
[12:51-13:00]加悦双峰公園上分岐
赤石ヶ岳の往復後は鞍部の分岐点に戻り荷物を回収。下り始めて殆ど数分という所、加悦双峰公園の施設が近付いてきました。
[13:08]加悦双峰公園
加悦双峰公園に到着……オートキャンプ場等が備えられた公園施設のようです。4月頭からシーズン開けとの事でしたが、平日という事もあって人の姿は全くありませんでした。
山道はここまでなので一応は下山となりますが、その後も麓まで延々と舗装路歩きが続きます。
麓の与謝の集落まで九十九折の林道を5km弱という道程を進む。
麓に見える加悦谷。標高差は大した事無さそうですが、まだまだ遥か遠くに見える。
延々と舗装路を歩いていくのも飽きるので途中、九十九折をショートカットできそうな山道に入り込んでみる事に。
ショートカット道の様子。全体的によく整備されていますが、所々で倒木があったりと荒れ気味でした。現在の林道の旧道でしょうか。
ひたすら続く鬱蒼とした樹林帯の中、一瞬だけ開けた場所に出た所。
先程の舗装路に合流しますが、後半は倒木だらけで荒れ放題だったので素直に道なりに歩いた方が早かった気がする。急がば回れという奴ですね。
ようやく人家が見えてきました。野田川支流に広がる山河の集落ですが、こちらの集落も例によって空家が多く、沿道には廃墟が目立つ。
殆ど人気が感じられない静かな集落でした。しかし完全な廃村という訳ではなく、現在でも定住を続けているような家も幾つか。
集落内に咲く水仙の花。可憐。
山河集落の下の方にある菊部神社(写真は末社の猿田彦神社)と、その境内の桜の木。
こじんまりとした菊部神社の社殿。木陰で涼しいので境内にて少し休憩させて頂く。
ソメイヨシノと思われる境内の桜の花の接写。東京では既に見頃を終えて暫く経ちますが、日本海側となると開花は遅いのか未だ三分咲きといった具合。
山間の村のような景色も次第に開けてきて長閑な田舎町といった風情に。
与謝野駅の近くまで通じているコミュニティバスの路線もありましたが指定曜日運行……そしてこの日は運休。地道に歩いていこう。
麓が近くなり次第に家屋が増えてきた。
田植えを待つ水田。平地が多く、周囲の山々から注ぎ込む水が豊富な加悦谷では古くから稲作が盛ん。
加悦谷と福知山を結ぶ国道176号線(旧宮津街道)に合流した付近が与謝の集落。交差点の脇には背の高い桜の木が立っていました。
品種はオオシマザクラでしょうか、こちらは丁度満開といった所。
与謝→ちりめん街道バス停(加悦)
交差点を越えた先にバスが停車していました。与謝のバス停を発着するバスの転回場のようで、実際のバス停は少し北側に置かれています。
[14:30]与謝バス停
与謝のバス停、向かい側には大江山鬼嶽稲荷神社の遥拝所があります……少し待てばバスが通り掛かるようなタイミングでしたが、徒歩圏内に訪問予定の酒蔵があるのでそのまま歩いていく。
一段低い所を走る国道越しに大江山、千丈ヶ嶽を見据える。現在歩いているのは旧街道で、家並みはこちらに続いている。
千丈ヶ嶽と桜の花。山裾には傾斜を利用して作られた棚田が広がる。
与謝の集落内、小字としては二ツ岩と呼ばれる場所を進んでいきます。与謝(ヨザ)は自治体名の与謝野という名の由来となった地名で、かつては与謝郡という郡名にも使用されていたように、大元は加悦谷全体を指し示していた広域地名でした。
かつての広域地名が何故ピンポイントにこの集落の地名(大字)として残されているのかは定かではありませんが、昔はこの付近が加悦谷の行政的、経済的中心だったという説も存在します。
言われてみれば、この辺りは加悦谷を一つの扇状地として見た場合の扇頂に当たる場所なので、古くから集散地とされていたとしても別段不思議ではないですね。
現在、加悦谷には2つの酒蔵が存在しますが、その2つのどちらともこの与謝の狭い集落内に立地しています……今回はその両方の酒蔵を巡ってみる事にしました。
まずは1軒目、蔵の外壁に『清酒芝の井』の文字が掲げられた谷口酒造へ。
酒蔵設備が隣接しているので酒蔵には違いないのですが、母屋が一見すると普通の民家のような佇まいで、暫しどこから入ったら良いのかと入口でうろうろ彷徨う……試しに声を掛けてみると反応があり、そのまま入って下さいと返事を頂く。
内部は酒蔵然としており、テーブルには幾つかの酒瓶が並べられている。こちらの酒蔵も常温酒主体のようですが、ラインナップとしては純米以上のスペックのお酒が多く見受けられました。中には大江山の鬼を象ったお土産品っぽい奴もあったり。
レギュラーの銘柄は、古代この丹後国に独立した文明が存在したという学説に因んだ『丹後王国』。そして最近になって新たに作られた銘柄として、江戸中期の画家である伊藤若冲の名から取られた『若冲』があります。
対応して下さった社長兼杜氏の方が話し好きで、お酒の事の他にもこの近辺の事、自分が先程登ってきた大江山の事など色々と話してくれました。試飲に関しては対応は行っていないとの事でしたが、駄目元で訊ねてみると自分自身用の飲みかけの酒を探しに行ってくれたりと(流石に悪いので遠慮しましたが)、何かと良くして頂きました。
新規銘柄である若冲の方と迷いましたが、今回は丹後王国の純米吟醸酒を購入。同スペックの酒は米違いで2種類、五百万石か京都加悦谷の地元銘柄米である『祝』のものがありましたが……ここではやはり後者を選択。
谷口酒造を出て大江山を横目にしながら先に進む事数分、2軒目の酒蔵である与謝娘酒造に到着しました。こちらも壁に『与謝娘』という銘柄のホーロー看板が掲げられている。
入口の扉が開いていたので一声掛けて中へ入ると、まず目を引いたのは様々なお酒が並ぶ冷蔵ケース。こちらの酒蔵では生酒系の冷蔵酒のラインナップが殊の外豊富で、姿勢としては新進気鋭な感じ。
瓶を一つ一つ見てみると、酵母違い等で細かくスペックを変えたものが色々と。流石にこれだけ種類が多いと何を買えばいいのか見当も付きませんが……実際に飲み比べてみない限りは。
しかし、こちらの酒蔵では試飲も可能。細かいスペック違いのお酒を購入前に飲み比べる事ができます。
しかも試飲は手酌、蔵の方が次々と試飲用の瓶を持ってきてくれるので、気兼ねなくセルフで注いで下さいという方式でした……試飲可能という酒蔵は数あれど、言って注いで貰うタイプの所が大半なのでこれは珍しい。ちなみに試飲中は蔵の人は事務室の方に行ってしまうのですが、スペックの解説は訊ねれば丁寧に行ってくれるのでサービス不足という事は全くありません。
という訳で色々と飲み比べできる訳ですが、まだ暫く歩くつもりなので量をセーブしつつ試飲。とは言え一つ一つが僅かな量でもいかんせん種類が多いので、総量はかなりのもの。一通り試した頃には若干の酔いを自覚。酔いを自覚する程の量を飲んだのは去年の四国中国登山旅行、阿波池田の三芳菊酒造での試飲以来でした。
魅力的なお酒は幾つもありましたが、特に気になったのは500ml瓶の酵母違いシリーズ。シリーズ全体としては甘旨口のお酒が多かったのですが、特に吟醸感と重量感のバランスが優れていると個人的に感じられた1801号酵母を使用のものを選びました。500mlなので4合瓶と比べると量も少なく、これから3~4日の登山に担いでいく事を考えると途中での酒枯渇の恐れが……しかし、こちらのシリーズは蔵元でしか販売してないとの事で、悩みに悩んだ挙げ句に選択。
というかレギュラーの与謝娘(カエルのラベルの物)の銘柄の方も全国的には卸しておらず、京都の市内に数件の取扱店があるのみとの事。是非とも首都圏の方でも取扱店を増やして欲しいなーと思う限りです。
目的であった2軒の酒蔵訪問は終了、ほろ酔い気分で歩いていきます。交通量が多いので千鳥足にならないように注意しながら進む。
途中にはSL広場西という名のバス停がありました。加悦谷と言えば、かつてこの付近を走っていた加悦鉄道の貨物駅、大江山鉱山駅の跡地に作られた加悦SL広場という、鉄道好き(特に旧型車両)の人間であれば一度は耳にした事があると思われる鉄道車両の保存施設が存在したのですが、施設の老朽化や人員不足で2020年に閉園。古いもの全般が好きな自分としては一度は行ってみたかった場所の一つでした。
かつてその場所に保存されていた車両は全国の保存施設に譲渡された他、この与謝野町内の加悦鉄道資料館(かつて町内を走っていた加悦鉄道をメインに取り扱う資料館で、当時の加悦駅の駅舎が使用されている)に数両が移されたとの事。折角の機会なのでそちらの方に立ち寄ろうと思ったのですが、残念ながら施設のリニューアルで休館中。
道沿いに立っている立派な桜の木。午前中に山の上から俯瞰した時もそうでしたが、家並みが街道に沿って絶え間なく続いている。
街道沿いにはバス停も幾つか。しかし酒蔵を巡っている間にバスが行ってしまい、次のバスは暫く後。
途中で分岐がありました。左側に分かれているのが旧街道(宮津街道)で、ちりめん街道の名で知られる加悦の古い街並みはこちらの方面。
分岐には縮緬之道と書かれた道標が立っていました。
旧宮津街道の街道筋の様子。先程の分岐からバイパスとなる道路が整備された事で、こちら側は交通量は少ない。街並みも比較的古いままで残されています。
歩いていると次第に立派な建物が増えてきました。加悦は製織産業で発展した町で、街並みには絹織物を扱っていた当時の商家の建築物が多く残されており、付近は重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
この加悦谷においての製織産業ですが、室町時代には既に行われていたとされており、元々は農閑期の副業として生産されていました。その後、江戸期入ると藩が養蚕を振興する等して産業基盤が確立し、江戸中期には京都の西陣織から縮緬織りの技術が伝わった事で発展(その後間もなくして西陣の町が西陣焼けとも呼ばれる大火に遭い、被災した職人が流入した事も一因とされている)、明治以降には丹後地方一帯で生産される縮緬が『丹後ちりめん』というブランドで全国的に広まった事で飛躍的に需要が高まり、この加悦の町はその中でも極めて規模の大きい生産地、及び物流の拠点として隆盛を極めました。
呉服が着られる事が少なくなった現代においては伝統産業として細々と維持されているのみですが、現在でも街を歩いているとガシャンガシャンという機織機の音が聞こえてきます。
加悦の街並みに面した所にある加悦天満神社。この地域の中核を成している神社のようで、毎年4月に加悦谷一帯で行われる加悦谷祭はこの神社を中心に執り行われる。
天満神社の北側、鍵の手に曲がった先の一本西側の通りへ。この一帯は特に古い家屋が多く残されています。
加悦の街並み。白漆喰の建物も多いですが、土壁の建物もあったりとバリエーションは豊か。
ちりめん街道という名前が示す通り、地区内にはかつて縮緬を取り扱っていた商家が多く立ち並んでいますが、こちらの旧尾藤家住宅は特に豪奢な作り。加悦を代表する丹後ちりめん商家の建物で、内部は一般公開されています。
この大きな建物は元々は川嶋酒造という酒蔵の建物でした。酒造としては随分前に廃業していますが、建物は現在でも維持されておりイベントホールやレンタルスペース等に活用されているらしいです。
加悦の古い家並みは加悦奥川を跨ぐ橋の辺りまで続いています。
橋を越えた先の国道に面した所には旧加悦町役場という、かつての役場の建物が残されています……昭和初期頃の建築で、重伝建地区の入口に建つ立派な洋風建築物は一際目を引く。
つい最近まで令和の大修理と呼ばれる修復工事が行われていたらしいですが、訪問時点では既に終わっていて、内部には観光案内所が入っていました。
[16:44]ちりめん街道バス停到着
本来であれば与謝野駅までそのまま歩き通したかったのですが、2軒の酒蔵で予定外に長居してしまった事で時間切れ。旧加悦町役場のすぐ側のちりめん街道バス停にてバスを待ちます。
数分の遅れで到着したバスに乗り込みます。行き先は丹後国一宮である籠神社近くの天橋立ケーブル下行き……しかし今回は天橋立も籠神社も傘松公園も成相寺も伊根の舟屋群もスルー、足早に丹後を離れます。
ちなみに、この近辺の路線バスは行政の補助で200円上限運賃制が取られており割安で移動できます。その所為かバスの車内も地方の路線バスにしては賑わっている気がする。
西舞鶴までバス&列車移動
暫しバスに揺られて京都丹後鉄道の与謝野駅へ。以前訪れた時は野田川という平成の合併以前の自治体名を冠した名前で、それより前の国鉄時代は丹後山田という付近の集落名から付けられた駅名でした。
駅舎の内部には丹後山田駅資料室という、昔の鉄道資料が展示されている一室があります。乗車予定の列車が来るまで少し時間があったので覗きに行きました。
昔の与謝野駅(丹後山田駅時代)の駅構内を再現したジオラマが展示されていました。昭和50年頃との事で、当時は先程回った加悦に向かう加悦鉄道が分岐していた他、大江山ニッケル鉱山で採掘された鉱石を加工する工場へ続く支線も存在した、この沿線(旧国鉄宮津線)においては数少ないジャンクション駅でした。
現在の与謝野駅の構内の様子。現在は分岐駅ではない単なる中間駅で、列車交換が可能であるという以外は至極シンプルな構造です。この静かな構内も、最盛期は貨車の入れ替えで一日中賑わっていたのでしょう。
先程のNゲージのジオラマの駅舎のすぐ上にある二又の線路が伸びている辺りですが、ここはかつて荷物列車の積み下ろしを行う為の貨物ホームで、現在もその名残と思われる上屋が残っています。パラスト運搬用の貨車が停車しているのを見るに、その内の一本は現役で使用されている様子。
国鉄時代においての一般駅(旅客と貨物の両方を取り扱う駅)では駅舎と隣接した所にこのような荷物列車用のホームを備える構造が規格化されていました。鉄道小荷物制度が廃止されて36年経つ現在では既に姿を消してしまっている所も多いですが、しぶとく残っている駅もちらほら……個人的にはトマソン的魅力を感じて好きなので、古い駅で降りるとつい存在をチェックしに行ってしまう。
構内踏切の警報機が鳴り響く中、1両の列車が入線。ひと目見てJR九州っぽいデザインの車両だなーと思ったら同じデザイナー(水戸岡鋭治)でした。
さて、入ってきた行き先は宮津方面に向かう西舞鶴行きです。しかし当初の予定ではこの翌日から氷ノ山登山を開始するつもりだったので、この駅から逆方向の豊岡に向かい、その日の内に登山の出発地となる八鹿まで移動するつもりでした。
しかし天気予報を確認してみると、全体の行程の4日目の午後から5日目の午前中にかけて何やら天気が崩れそうな感じ。その崩れそうな頃に自分が居る場所というと……もし当初の予定通りに翌日から氷ノ山登山をスタートしていた場合、今回の登山、というか旅行そのもののメインである氷ノ山の頂きをまさに踏んでいる辺りでした。つまりメイン中のメインとしていた山の上でいざ景色を堪能しようとしている時、ガスで視界ゼロ、雨にも降られるという惨憺たる状況に見舞われる事となります(後日判明しますが、実際にこの予報は当たる)。
そればかりは最悪なので何としてでも避けたいと急遽予定を前後。翌日に観光のみの中日を設けて氷ノ山登山の行程を1日ずらし、その急遽予定を立てた観光の為に元々の予定とは逆方向に向かう事になったのでした。
という紆余曲折があって乗車した列車の車内の様子。ボックス座席にはテーブル、飾り棚と車内は観光列車然としています。木の吊り革は地味にレアかも。
テーブル付きボックス座席の方も唆られてましたが、この一枚板も捨てがたい……数秒悩んでこちらを定位置に。等間隔で生えている謎の突起のようなものが気になる。
お酒を並べると一杯飲み屋のカウンター席に変身。お酒以外の買い物の機会がなく、手持ちのつまみがお菓子くらいしかなかったのが少し残念でしたが。
沿線の中心駅である宮津駅に到着。前日、福知山駅から辛皮駅まで利用した宮福線の接続駅でホームもそれなりに多く、乗客の姿もそれなりに多い。
宮津の駅前には何度か立ち寄った事があるお気に入りの定食屋があるので夕食の為の途中下車も考えたものの、せっかくなら先程調達したお酒と一緒に食べたいなと思い見送り。
暮れなずむ宮津湾沿いの車窓を眺めながら、前日買った『丹』に加えて『丹後王国』と『与謝娘』を飲み比べ。
試飲できなかったので今回初めて飲む事になった丹後王国の純米吟醸の方は、全体的な方向性としては若干甘口寄りの濃醇酒。しかし祝という地場産の酒米の特徴に因るものかは判別できませんが、甘味以外にも五味が絡み合うような複雑な味わいが存在し、それでいて吟醸酒らしい透明感も存在する……メリハリがあって面白いとも思う。
一方で与謝娘の1801酵母の方ですが、やはり土地が近い為か丹後王国と同様に濃醇甘口。比較すると甘味酸味が際立っていて吟醸香の主張も強い。より濃厚な丹後王国を飲んでしまった後では軽快に思えるものの、実際は試飲で様々なスペックを飲み比べた際に一番濃厚に感じられたという事もあってボディ感が強い。
双方とも濃醇甘口という傾向が似ているようでいて決してそうではない、甲乙つけがたい佳酒達でした。
流れる景色を肴にお酒を楽しんでいたら、気付けば終点の西舞鶴に到着していました。本日の移動はこの駅までとなります。
一面ガラス張りで、そこら辺のコンビニよりは明るい西舞鶴駅。しかし地方都市の夜が早いのは全国共通のようで、駅前には人の姿が殆ど見当たらない。
夕食の調達に赴くべく駅前から伸びる商店街へ。舞鶴は西舞鶴、東舞鶴とほぼ同規模の独立した市街が2つ存在する町として知られており、この西舞鶴は江戸期における田辺藩の居城である田辺城の城下町が街並みの原型。対する東舞鶴は明治以降に海軍基地が置かれ軍都として発展した都市と、特色や成り立ちはそれぞれ大きく異なる。
サンモールマナイという全蓋式アーケード商店街を進む。この時間帯では開いている店は飲み屋ぐらいですが、一軒だけ近藤商店という鮮魚店が開いていたので、そこでお刺身を調達。
その後に近くの弁当屋で焼肉弁当を買い足し、ようやくメニューが夕食の体を成す。お刺身は閉店間際という事で真鯛、カレイ、ホタルイカ、トラフグと色々入ったものを破格で買わせて頂きました。
味の方はやはり絶品、流石は京都府最大の漁港がある港町というだけある。
次回記事『3日目 若狭から西近江路の観光』に続く