天守山地から御坂山地その6(大沢山→カヤノキビラノ頭→達沢山→蜂城山→勝沼ぶどう郷駅)
前回記事『天守山地から御坂山地その5』からの続きです。
六日間に及んだ天守山地から御坂山地までの縦走ですが、最終日はそのどちらでもない山域からの下山となりました。スタートの大沢山を出発すると前日から引き続き尾根伝いにボッコノ頭、摺針峠、大洞山と進み、笹子峠方面の分岐点であるカヤノキビラノ頭へ。その後は大菩薩連嶺へと続く主脈を外れて西側に伸びる稜線を進み、京戸山、ナットウ箱山、そして本日の主峰である達沢山へ登り返す。達沢山以降はいよいよ下山、大積寺山、神領山、蜂城山と辿るマイナーコースをスムーズに下っていき無事に麓へ。その後は甲斐国一宮である浅間神社に立ち寄ったり、勝沼にあるぶどうの丘の日帰り温泉で汗を流したりと観光モードでの締め括りとなりました。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。
【2021年11月】天守山地から御坂山地、情報と記録 - 山とか酒とか
目次
- 大沢山→ボッコノ頭
- ボッコノ頭→摺針峠→大洞山→カヤノキビラノ頭
- カヤノキビラノ頭→京戸山→ナットウ箱山→達沢山
- 達沢山→大積寺山
- 大積寺山→神領山→蜂城山
- 蜂城山→蜂城山登山口→浅間神社
- 浅間神社→ぶどうの丘→勝沼ぶどう郷駅
- お土産の話
大沢山→ボッコノ頭
最終日は殆ど難路扱いのコースを辿る行程。いつにも増して気合を入れようとするも、未明の時点でパラパラと雨音。しかし身支度が済む頃には止んでおり、近くの枝の隙間からは最早顔馴染みである富士山の姿も確認できました。
[6:29]大沢山出発
難路上なので日の出に合わせての出発としたい所ですが、準備を終えた段階では若干の薄暗さが残る。しかし難路である以上時間には余裕を持ちたいので、予定を少し早めての出発となりました。
大沢山からの下りです。尾根に沿った踏み跡は薄いながらも続いており、なるべく離れないように歩いていく。
少し進んだ所に開けた場所がありました。正面に見えているのがこれから登り返すボッコノ頭のピークで、尾根はその地点から右側、北方向に折れて続いています。
道はかなり怪しいですが、尾根から離れないように歩いていけば問題ありません。迷い込むような支尾根もこの区間は少ない。
再び展望地。左がボッコノ頭で、そこから右側の尾根伝いに大洞山、カヤノキビラノ頭と続いています。遠くに見える台形状の山はカヤノキビラノ頭の西に位置する1,487m無名峰。無名ですがこの一帯での最高峰となります。
木の枝が多いので見通しは悪いですが、麓の方には雲海が広がっている様子が垣間見えます。
地味なものの歩きやすい尾根道が続く。
進んでいく内に日差しが差し込み始めました。この日の天気予報は午前中曇り午後雨との事で全く期待していなかったのですが、この様子からすると予報よりは良くなってくれそうです。
木の枝の隙間から大岳山のような形の山が見える。釈迦ヶ岳から北方向に伸びる尾根上に位置する大栃山というピークらしいです。
防火帯でしょうか。急に開けた道になりました。
森林伐採用と思われるモノレールが敷設されています。みかんの栽培地とかで偶に見掛けますが、こういう簡易モノレールに一度くらいは乗ってみたいです。絶対に楽しそう。
ボッコノ頭の手前では伐採が進み展望地と化していました。正面に見えるのが前日歩いた御坂黒岳、旧御坂峠、御坂山、御坂峠と続く尾根で、その奥には富士山が見えています。
富士山を単体で。手前の稜線に遮られてしまっているので頭だけという形になってしまいますが、これで6日間全ての日で富士山が確認できたという事になります。満足かと言われれば満足。
富士山の望遠。手前に見える鉄塔は前日も通過した御坂山手前の鉄塔。雲が多いのは確かですが、曇り予報の割には晴れていて青空も覗く。
薄雲越しの太陽。陽光は完全には遮られる事は無く、辺りはそこそこの明るさでした。
ボッコノ頭→摺針峠→大洞山→カヤノキビラノ頭
[7:10-7:21]ボッコノ頭
本日1つ目のピークであるボッコノ頭に到着。ここも破線コース上の地味尾根には場違いとも言える立派な指導標が設置されていました。
ボッコノ頭から90度転進して北側へ。下り始めの所は広尾根気味で少し道が怪しかったものの、尾根が収束するに従って明瞭に。奥にはこれから登り返す大洞山方面の山々が見えます。
手前が摺針峠手前の1,355mピーク、奥に大洞山、カヤノキビラノ頭、1,487m峰と順々に続いています。
自然林の中を分け入って行くような尾根道ですが、偶に木々の切れ目のような所も……その奥には何やら気になる稜線が。
望遠してみると白根三山でした。左の方には塩見岳も見えています。このコースを歩く上で展望は全く期待してなかったので、これは嬉しい。
しかし基本的には展望のない地味な尾根道です。
再び木々の切れ目から南アルプス方面の山が。先程の白根三山とは角度が違いますが。
望遠してみると赤石岳と荒川三山でした。なんだかんだで他の日と同様に展望が楽しめている。
摺針峠までの下り坂。前日歩いた女坂峠のようなエグい斜度では無く、緩く登ったり下ったりを繰り返しながら徐々に標高を下げていく。
[8:00]摺針峠
大洞山の手前の鞍部である摺針峠に到着。立派な指導標に加えてベンチも設置されていました。この場所も現在では峠としての利用はありませんが、戦前より以前の地形図を確認してみると笹子から藤野木に至る峠道が記載されています。
名前は中山道の摺針峠(滋賀県彦根市)から採られたものと思われますが……思い出す事が一つ。この後の年末年始の登山で訪れた相模湖近辺で、京都に関する地名が殊の外多い事に気付いたのですが、その由来は弘法大師がこの付近を行脚した際、京都を彷彿させるような場所に京都の地名を付けて回ったという伝説が残されているのです。弘法大師ともあろう人がやれここは嵯峨の嵐山だ、やれここは大原三千院っぽい、なんて世俗に塗れた事をやってのけたとはちょっと想像し難いですが。
話を摺針峠の方に戻しますが、中山道の摺針峠は京都ではないものの、こちらも弘法大師伝説に基づいて付けられた地名です。となればもしかすると、この山梨県東部……というよりは甲州街道沿線のエリアでは弘法大師に肖った地名を付けたり、それに纏わる伝説を結びつけたりする風潮があったり……無かったりするのでしょうが、ちょっと関連付けて考えてしまいました。
摺針峠から大洞山へ登り返します。以降も特に問題なさそうな道ですが……。
摺針山直後の登りが少し急峻で、道も錯綜気味でした。最初は注意深く踏み跡を観察して……と律儀にやっていたのですが、めんどくさくなり強引に直登。西側に方向を変えた後は起伏も緩くなり、特に問題のない道となります。
[8:21]大洞山
登り返して暫く平坦な尾根道を歩くと大洞山のピークに行き着きます。ここも例によって立派な看板があるものの、例によって展望は殆ど無い。
次なる目的地であるカヤノキビラノ頭のピークが大洞山の山頂の地点で既に目と鼻の先という距離に見えています。ゆるゆる歩いて到達。
カヤノキビラノ頭→京戸山→ナットウ箱山→達沢山
[8:35-8:52]カヤノキビラノ頭
大洞山から僅かに進んだ先にあるカヤノキビラノ頭に到着しました。ここは笹子峠方面に続く尾根の分岐となるジャンクションピークで、そちらは大菩薩連嶺や奥秩父山塊に接続する主脈でもあります……しかし今回の行程では以降、甲府盆地に下っていく達沢山方面の尾根に進路を変えます。天子ヶ岳から始まり70km近く続いた主脈歩きもこの地点をもって外れる事になりました。
ちなみに山名はカタカナが続いて奇妙な感じを受けますが、漢字を当てれば榧の木平の頭、意味としては榧の木が茂る開けた(広い平地、もしくは展望の良い)山頂というそのままの意味でしょうか。
カヤノキビラノ頭の山頂の雰囲気。こちらも他の山頂と同じく鬱蒼としており、ベンチも設けられています。ジャンクションピークという事もあってか、周辺のコースを掲載した案内板のようなものも設けられている。
南側、御坂山地方面を樹間から。なんだか急速に雲が増えてどんよりしてきました。雨は降らないでくれと祈るのみ。
達沢山方面へ向かいます。奥の方に見えるのは本日最初の方で何度か見えた1,487mピーク。達沢山はそれよりも標高がずっと低いので見えません。
地図上に危険マークが書かれていた場所。ちょっと崩壊気味で、木を掴んでバランスを取りながら進む。
以降は京戸山まで緩い上り下りの繰り返しとなります。笹子峠方面から入ってくる人が多いのか、道もそれまでと比較すると歩かれている様子。
多少のアップダウンを除けば殆ど平坦に近い尾根道。
正面に見えるのがこれまで何度か見えている1,487ピーク。大沢山やカヤノキビラノ頭よりも高く、八丁山から南大菩薩の大谷ヶ丸の区間の中で最も高いピークですが、見たまま地味な山。山頂看板どころか名前すらない。
1,487ピーク付近から麓を眺める。遠くの山は雲に埋もれていて見えません。
1,487ピークから再び方向を変え北西方面に転進……しかし尚も傾斜の緩い尾根道は続きます。
暫く歩くと京戸山林道方面に続く下山道との分岐がありました。以降は達沢山まで実線、一般コース扱いとなります。
[9:47]京戸山
分岐からひと登りした所が京戸山のピークで、木に小さな山頂看板が垂れ下がっていました。殆ど道の途中のような山頂。
実線コースだからか特別歩きやすい……という訳でもなく普通の尾根道です。これまでも十分歩きやすかったのでこれといった変化は無い。
[10:05]ナットウ箱山
何やら気になる名前のナットウ箱山に到着。一通り調べてみましたが由来は分からずじまいでした……ただ一つ分かったのは、このピークそのものは元々京戸山と呼ばれていたものの、合併して笛吹市となる前の旧一宮町では古くから『ナットウ箱山』と呼ばれており、その旧一宮町の主導で看板が立てられ元の京戸山は現在の位置に追いやられたという……同じ山でも地域に呼び名が違うというのは割とよくある事なんですが、そうした妥協を良しとせず看板を立てたり元々あった山名を移動させるというケースは珍しく、並々ならぬ理由があったのではないかと思われます。
といった経緯はなんとなく伝わっているのですが、肝心の由来は前述した通り分かっておらず地元の人間でも知らないという。この珍妙な響きの名前が由来が途絶えてしまっているというのも不思議ですが。
由来を考える上でまず彷彿させられるのはやはり納豆でしょうが、納豆であればそこを敢えてナットウとわざわざカタカナにしたのは奇妙です。納豆という意味に当てはまらない別の単語……現代人に受け継がれなかった古語を由来としたという可能性も大いにあるでしょう。
ナットウ箱山に登った事でようやく達沢山のピークが見えてきました。間が大きく落ち込んでいるように見えますが、上り下りは大した事ないです。
鞍部までの下り坂。ナットウ箱山という奇妙な山名に惹かれてくる人は多いのか、それなりに踏まれている道でした。
最鞍部には麓の立沢集落への下山道の分岐があります。単に達沢山に登るだけなら、そちらからのアクセスが短くて便利。
明るい雰囲気の登り坂。カヤノキビラノ頭の辺りでは分厚い雲が漂っていましたが、いつの間にか晴れ晴れとした青空。午後から雨という予報は何処に?
木々の合間からの展望。御坂黒岳方面ですが、雲が滞留していて何が何だか分からない。晴れには違いないですが、物凄く天気が良いという訳では無さそうです。
道中に大きな登り返しは無く、ゆるゆると登っていく。程なくして達沢山の山頂が見えてきました。
達沢山→大積寺山
[10:28-10:57]達沢山
鞍部から少し登り返した所で達沢山に到着。以降は下り一辺倒の道程、標高1,000mを越えるピークで山名が付いているものとしては最後となります。
この日は日曜日、天気も思った程より悪くはない、達沢山自体も山梨百名山の一つに指定されていたりとネームバリューがある山なので誰かしら居るかなと思っていたものの、まるで人気はありませんでした。
地味な山頂ですが一箇所、甲府盆地が見下ろせる方面に木々の切れ目がありました。展望といえばその程度ですが、何も見えないよりはずっと良い。
その切れ目からの展望。奥に聳えている奥秩父山塊は稜線上を雲が覆ってしまっていて見えませんが、麓の様子はかなり細かく見えている……見た限りでは結構な標高差ですが、何時間掛かるかな。
御坂黒岳の方面でしょうか。反対側は気が茂っていて殆ど何も見えませんでした。
小休止を済ませた後はいよいよ下山……達沢山から大積寺山、蜂城山と辿るこの下山路が本日の核心部だったりします。
八丁山から京戸山分岐までの区間と同様に難路扱いの破線コースですが、こちらの方は道としては整備されておらずバリエーションルートに近い。特に今回は下りでの利用なので、うっかり支尾根に入り込まないように注意しつつ進む。
道の様子です。達沢山直下は急峻な上に落ち葉が堆積していて歩きにくいですが、目印となる赤テープが続いています。少なからず歩かれている様子です。
赤テープは暫く続いていましたが、旭山、ももの里温泉方面の分岐以降は一旦消失します。
地味を通り越してワイルドなコースです。堆く積もった落ち葉を蹴散らしながら歩いていく。
自然林と植林の境目のような所。所々で赤テープも見掛けますが、辿れるようなレベルでは設置されていないので補助的なものとして。
基本的には尾根上を辿りますが、支尾根が幾つも分岐しているので時折現在地を確認しながら進んでいく。
1,066m地点付近は二重稜線になっていてちょっと戸惑いますが、適当に歩いているとすぐに収束します。
整備された尾根道をただ辿るのではなく、尾根筋を読みながら探るように進んでいくというのも偶にはいいものです。特にこの区間は読みやすく、道もフラットで歩きやすいのでストレスも溜まらない。
稜線上は倒木が多いので適当に巻きながら進みます。
尾根上を強行突破しても進めなくはなさそうですが、所々でトラバースする踏み跡がついているので利用させて貰いました。
伐採地に出くわしました。すぐ下に林道が通っていて逃げ込めそうですが、現状特に問題無く歩けているので先に進みます。麓はまだまだ遠く。
再び木々の中に潜り込んでいくと先程の伐採地で使用されたものでしょうか、林業用のロープウェイを見掛けました。
基本的には下り坂ですが、大積寺山や神領山、蜂城山のピーク手前という所では登り返しがあります。この頃になると標高も1,000mを下回り、紅葉も見頃と言える辺りに。
大積寺山→神領山→蜂城山
[12:13-12:26]大積寺山
大積寺山と思われるピークに到着。山頂看板や三角点は見当たりませんでしたが、GPSで確認して山頂と確認。木々が密に茂った静かな場所でした。
大積寺山のピーク地点から北東方面に90度以上の方向転換となります。特に案内はなく道もありませんが、なんとなく木々の切れ目のような場所が続いているような気がしたのでそのまま下っていくと神領山との鞍部へ……そこで猟師の方とすれ違い二言三言。人との遭遇はこれが本日初であり、以降は麓まで人の姿は見掛けませんでした。
お次は神領山の登り返しです。暫くは緩い傾斜の登り坂ですが。
山頂近くになると平坦になり、道上に倒木が目立ち始めました。
尾根上の倒木と紅葉の小窓。いい感じに色付いているのですが、曇ってしまった所為でいまいち映えません。
遠くまで見通せそうな所があると期待して覗き込んでしまうのですが、この頃になると雲が厚くなってきて何も見えない。午後に雲が増えるというのは概ね天気予報通りでした……雨は降りませんでしたが。
谷を挟んだ向こう側に見える稜線。茶臼山と大沢山(今回スタートした山とは別)の並びかと思われます。
神領山の山頂前後は倒木が多く、通過に難儀する事もしばしば。
[13:01]神領山
神領山に到着しました。それまでいいペースで下っていたのですが、ここに来て倒木だらけで歩きにくくなりタイムロス気味。山頂からの展望は殆どありませんが、小さな山頂看板が木に取り付けられていました。
神領山以降は一般コース扱いなんですが、この直後は倒木が特に酷く腹這いになって進むような所も……そこから先も道が怪しい。
なんだかよく分からない植林帯に入り込んでしまいました。広尾根の上に見通しが利かないですが、少し進むと一本の尾根に収束します。
尾根上を進んでいくと蜂城山との間の鞍部が見えてきました。
鞍部で見掛けた割と新し目の看板。この辺りは蜂城山、神領山、大久保山という周回コースでそれなりに歩かれているらしいです。
鞍部以降は道筋も一転して明瞭になります。そして今回の登山において最後の登りとなりますが、この登りが急峻な上に意外と長くてつらい。
開けた所からの展望。神領山から大久保山方面に続く尾根かと思われます。その間の谷合には後に巡る浅間神社の遷座前の元宮である山宮神社があります。
急登が一段落すると何やら巨樹の多い一角が視界に入り、暫く進むと蜂城山の山頂に立つ蜂城天神社の赤屋根が見えてきました。
道端で自生していたホオズキ。
蜂城天神社の社殿の裏側から境内に入り込み、振り返ると『この先、登山道未整備のため危険』との張り紙が。今頃言われましても。
蜂城山→蜂城山登山口→浅間神社
[13:43-14:03]蜂城山
今回の登山においての最後のピークである蜂城山に到着。山頂と思しき場所には神社の社殿が建っており、山頂看板は少し甲府盆地寄りに進んだ先の木に掲げられていました。
蜂城天神社の拝殿。かつて中世の時代、武田信玄が甲斐国を平定する前の頃、蜂城山には名前の通り蜂城という名の山城が築かれていました。現在の蜂城天神社の社殿が建っている辺りは本丸だったとされています。
山頂からは甲府盆地が見渡せますが、達沢山から眺めた頃よりもずっと雲が多いです。その左奥にうっすら見える稜線は……奥秩父山塊だとしたら低すぎるので、手前の山並みでしょうか。
ちなみに写真中央右の辺りに見える古墳のような山は、塩山の市街地近くにある塩ノ山です。
何やら味わい深い顔付きの狛犬に挨拶しつつ神社を後にする。いよいよ麓に向けて下り始めます。
九十九折の坂道を降っていきます。神社の参道という位置付けの道のようで、道中には灯籠が幾つか。
鳥居を潜る。神社の規模にしては立派な石鳥居です。
次高度が下がってきたのか、次第に麓の町並みが近付いてきました。
麓までの道。終盤は樹林帯で傾斜も緩くなる。
登山口近くに獣害防止用の柵があるので自分で開いて脱出します。閉め忘れ厳禁。
樹林帯を抜けると一気に視界が開けました。甲府盆地の山の際に到達したようで辺りは果樹園。名産の甲州ぶどうの木々が立ち並んでいます。
[14:17-14:24]蜂城山登山口
蜂城山の山頂から15分くらいで登山口に到着しました。人里に下ったので、これにて今回の登山は終了……なんですが、日没まで暫く時間があるので少し散策を。
ぶどう畑の中を歩いていき、中央道の高架を潜って北上します。
京戸川を跨ぐ橋の上から先程登った蜂城山を見上げます。その右奥にはその前に越えてきた神領山と続いている。
昔ながらの道かなと思われる所を歩いていく。
浅間神社→ぶどうの丘→勝沼ぶどう郷駅
[15:09-15:32]浅間神社
登山口から40分で甲斐国一宮である浅間神社に到着しました。以前、全国の一宮を率先して回っていた時期があったのですが、ここは少し不便な立地だったので行きそびれていました……しかし今回、下山地から徒歩圏内との事だったので念願の初訪問と相成りました。
浅間神社の境内の様子。一日目に巡った富士宮の浅間大社と比べるとコンパクトに纏まった印象ですが、一国の一宮としての体裁は整っている感じです。
社殿は南側に伸びる参道に対して直角に向けられているのが特徴。こうした配置は伊勢神宮や石上神宮、太宰府天満宮を始めとした、神々の祟りを鎮める事を目的として造られた神社に多く見られます。
浅間神社も浅間大社と同様に富士山を信仰する神社です。創建当時は先程登った蜂城山の麓に位置していました(現在の山宮神社)が、平安初期にこの地に遷座されたとの事。遷座の前年に富士山の大規模な噴火(貞観大噴火)が発生している事から、恐らくはそれを神の祟りであるとして鎮める為に建立されたと思われます。
貞観大噴火と言えば、今回の登山で見下ろしてきた本栖湖や精進湖、青木ケ原樹海、西湖といった辺りに溶岩が流れ込み、元々は剗の海と呼ばれた一つの大きな湖であったものを今のような地形に変えてしまう程の大きな噴火だった訳です。当時としては未曾有の大災害だった訳で、それ故に後々甲斐国で最も社格の高い一宮として選ばれる程に大規模に祀ったのでしょう。
拝殿前に設置された子持石。祭神は浅間大神、木花之佐久夜毘売という事で子宝や安産のご利益があるらしい。
神社に来ると奉納された酒樽をチェックする事から始まりますが、ここでの奉納酒は日本酒ではなくワインです。
甲州ワインは全国規模で有名ですが、ワイナリーはその中でもこの甲府盆地東部、所謂峡東地域に集中しており、日本におけるワイン造りのメッカとも言えるエリア。そうした地域色があるとは言え、拝殿の横に一升瓶入りワインが並ぶのは非常に珍しい光景。
境内の雰囲気。雲がどんよりしているので、もう少し天気の良い頃に行きたかった……とは言え、いつか行ってみたいなという念願が叶ったのでひとまず満足でした。
神社を抜けて北上します。次の目的地は勝沼にあるぶどうの丘で、そこに併設された温泉で汗を流すつもり……しかし自治体を跨いでいる事から直通するバスが無いので歩いていく。
絶対美味しいんだろうなっていうトマトを見掛ける。付近は果樹園や畑作地が多い反面、田んぼは殆ど見られません。
歩いていきます。この辺りから観光農園が目立ち始める。
途中で見掛けた立派な土蔵。門構えから一見すると酒造のようですが、酒造は酒造でも矢作洋酒というワイナリー。建物は元々は農家として使用されていたもののようです。
今回わざわざ勝沼……というか甲府盆地方面に降りたのは帰り道でワインを調達する為で、可能であれば製造元であるワイナリーで試飲を楽しんだり、色々と話を聞いたりしながら選ぼう、みたいな目論見がありました。
しかし日曜日に閉まっているのは日本酒の酒蔵もワイナリーも同じのようで、目星を付けていた所は悉く定休日で閉まっているという。予定通り土曜日に下山していればこんな羽目にはならなかったと思われるので、安易に一日伸ばしたツケがこの時になって回ってきたという事でもある。
途中、笛吹川の支流である日川を渡る。この上流には大菩薩嶺方面の登山でよく利用する甲斐大和駅、源流の方には大菩薩嶺の登山口となる上日川峠やダム湖の大菩薩湖があります。
日川を渡った先で旧甲州街道とクロスします。以降は街道に沿って東進。
道沿いに見掛けたロリアンワインのワイナリー。こちらは駐車場も広く観光客向けでしょうか。ノーマークだったので通り過ぎてしまいましたが、日曜日でも開いていたのでこちらで調達すればよかったかも。
勝沼の方に近付くにつれて道沿いにはぶどう狩りの観光農園が増えつつあります……しかしぶどうのシーズンも終わり際という事で、どこも等しく人気は無い。
直売をやっている農園は幾つか見掛けました。お土産にシャインマスカットでも……と、ちょっと冷やかし半分で覗いてみると予想通り中々のお値段。しかし小粒のものはかなり安い。
小粒でも味も変わらないと思われますが、大粒で見た目も食味もインパクトがあるのがシャインマスカットのシャインマスカット足りうる価値だと個人的に思っているので購入を躊躇ってしまう。
ワイナリーが軒並み休みという事で、この近辺では随一のワインの品揃えという酒屋を帰路のコースに組み込んだのですが、こちらも臨時休業。ワインを買って帰るというミッションに黄信号が灯る。
これから向かうぶどうの丘にもショップがあるので、何かしらあるだろうと目指して進んでいく……思った以上に遠く、歩いている間に日が沈み薄暗くなってきた。
ぶどうの丘という名前の通り丘に位置しているので、途中で坂道を延々と登っていく。途中、小休止がてら振り返ると甲府盆地の街明かりが視界に広がりました。
[17:30-19:49]ぶどうの丘
勝沼を代表する観光施設であるぶどうの丘に到着しました。併設された天空の湯はもう何度と訪れている温泉ですが、丘の上に立地しているので露天風呂から甲府盆地の展望……日没後であれば夜景が楽しめるので気に入ってます。泉質は循環なのでちょっと塩素臭いですが。
ワインで有名な勝沼という事で、施設内にある食堂ではワインが楽しめます。時期柄、各ワイナリーからヌーヴォー(新酒)が出始めていたのでその中から選びました。(銘柄は失念)
担々麺にワインという組み合わせは一見するとアレですが、元々この地域ではワインを晩酌酒としてカジュアルに飲んでいたという話。郷に入っては郷に従えという事で、こちらもカジュアルに頂く。
お風呂上がりなので牛乳を購入。フルーツ牛乳を選んだら瓶ではなくペットボトルで少し消沈。明治のフルーツ牛乳と言えば銭湯や温泉でよく見掛けていましたが、何年か前に瓶のものは終売となってしまったらしいです。
ぶどうの丘での用事を粗方済ませた後は電車に乗って帰るだけ、勝沼ぶどう郷駅に向かいます。直線距離としては大した事はないのですが、間に谷を挟んでいるので回り込むように迂回する必要があり、思ったより遠くに感じる。
その途中に勝沼駅(現勝沼ぶどう郷駅)の旧ホームを通る。元々はスイッチバックが可能な駅で、その時代に使用されていたホームが保存され公園として整備されている。
[20:20]勝沼ぶどう郷駅到着
下山してから長かった気がしますが、無事に勝沼ぶどう郷駅に辿り着いた事で6日間にも及ぶ長い登山も終わりとなりました……観光地の駅ですが、20時も過ぎる頃となると人の姿も皆無に等しい。
駅前からの夜景。右側に温泉に浸かったぶどうの丘が見え、左側に甲府の市街地の街明かり。
無人の改札を抜けてホームへ移動します。
滑り込んできた電車に乗り込んで帰宅です。お疲れ様でした。
お土産の話
お土産はぶどうの丘のショップで購入した3本のワイン……全て一升瓶入りです。今回わざわざ勝沼に降りたのはワインを調達する為でしたが、都内では殆ど流通していない一升瓶に入ったワインが山梨県で当たり前のように売られているとの情報を得て、酒好きとして興味を惹かれたのが発端でした。
勝沼を包括する山梨県峡東エリアでは戦前頃から地元のぶどう農家が晩酌として日本酒ではなくワインを楽しんでいたという文化があり、一升瓶に入った大容量のワインというのはその時代の名残だったりします。ただ品質に関してはその時代よりも俄然向上しており、実際この3つもテーブルワインとしては及第点以上の味わいでした。
また買いに行きたいなとは思っているのですが、山梨県外では殆ど売っていないというハードルの高さが問題で、県内にわざわざ買いに行かなくてはならない。しかし調べてみた所、甲府市内の酒屋でも扱っているらしいので、山登りで松本の方に行った帰り道にでも途中下車して調達するのもありかなと思ったり。
送料は掛かりますがネットで購入する事は容易だったりします。こちらは今回購入した一本である大泉葡萄酒の地ざけ……無論、中身は日本酒ではなくワインです。味の方は熟成させたものをブレンドして作られているという事もあって、ビンテージワイン程ではありませんが深みのある印象を受けました。一升で2,200円という事は通常のワインボトルの量として換算すると880円、チリワインレベルの安さですね。