前回記事『2日目 塩飽本島経由で四国上陸』からの続きです。旅行全体から見ればこの日は3日目に当たります。
登山初日、土佐岩原駅を出発後は尾根に取り付き三方山、弘瀬山と経由して国道439号が横断する京柱峠まで歩きました。歩行距離自体は短いですが三方山の付近を除き全体的に藪が濃くて歩きにくく、予定ではもう少し早い到着のつもりでしたが結果的に一日掛かりに。道中は木の枝を掴んでの急登、伐採地に群生するトゲ植物、後半現れた有刺鉄線など障害物ばかりで快適に進める道ではなかったですが、後半はほぼ県境尾根で道自体は判別しやすく意外とストレス無く歩けました。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。
【2021年3月】剣山系縦走登山についての情報と記録 - 山とか酒とか
登山の以外の旅行の日程は以下に掲載していますので、山の記事を読み飽きた際はこちらもどうぞ。
目次
【列車移動】阿波池田駅→土佐岩原駅
未明、前日宿泊した超古典的駅前旅館のふくや旅館を後にします。ここには山から下りてきた5日後も再び宿泊するので、着替えとか充電器とか洗濯グッズみたいな山の中で絶対に使わないような余計な荷物を預かって貰う……1グラムでも荷物を減らしたい所だったので本当に助かりました。
午前5時台、街灯も疎らなアーケード商店街は月明かりも入らず濃い闇に包まれている……そのまま阿波池田駅方面へ移動すると一転、こちらは早朝から各方面に発車する列車がある為か既に眩しい程に照明が灯されていました。
駅のホームへ移動すると早くも幾つかの列車が屯している。列車の運行上の拠点となる駅という事もあって早い時間帯から列車が設定されていますが、乗る人は少ないのか駅舎やホームに自分以外の客の姿は見つけられませんでした。
土讃線下り、高知方面に向かう一番列車に乗り込みます。2両繋いでますが車内に乗客の姿はなく無人。普段だったら貸し切りだーって喜ぶ所ですけど、これから暫く人間と会えない地に赴くので……。
列車の中で本日のコースの予習です。そこそこの難所と聞いていたので、今回は地形図+実際この区間を歩いた方のGPS軌跡を載せたものを持参……これ、山中では意外と道筋がシンプルで迷う事が無かったのでほぼ使用しませんでしたが、登山口に至るまでの集落内の複雑に入り組んだ小道を辿る際には重宝しました。
途中の阿波川口で特急列車との交換待ちで暫く停車。駅が位置する山城町川口地区は古来からたぬきに纏わる民話(所謂化け狸伝説、日本各地に残る妖怪伝承の一種)が語り継がれているらしく、それを元に町おこしがされているのか、駅舎やホームにはたぬきの姿があり乗客を出迎えてくれる……けど、薄暗い中見るとちょっと怖い。
土佐岩原駅→岩原神社
土讃線の列車は更に吉野川を上り詰め、県境を越えて高知県に入った一つ目の駅が土佐岩原……今回の登山のスタート地点。これから長い登山が始まるのか思うと少しばかりの緊張。
日帰り程度では思いませんけど、長い登山だと果たして生きて帰ってこれるのかみたいな不安も少なからず抱いたりします。故にこういう鉄道みたいな、ある意味現代文明の象徴のような存在とは今生の別れのような気がしたりしなかったり……走り去っていく姿がいつもより名残惜しく感じるのもそうした感傷めいた心情の所為でしょうか。
特急の停まらない小駅と言えど、大都市圏から高知という県庁所在地を結ぶ幹線上の駅なので、なんとなく余裕のある造りに見える。ローカル線でよく見かける、ホーム一本の吹けば飛びそうな駅とはだいぶ雰囲気が違う。
駅前に移動しました。かつて駅舎には農協が入っていたらしく、右側の部分が大きく改造されています……白い板によってほぼ全体が覆われていますが、駅舎自体は割と古いもののような気が。
隙間の目立つ時刻表。つい最近減便されてしまったようで、幹線の駅でありながら本数は僅か1日5往復……朝逃すと午後3時近くまで無い。特急はほぼ毎時1本くらい走っているんですけどね。
駅前で見かけた看板。1日5往復の駅ながらこんな気合の入った案内があります。付近にある霧石渓谷という景勝地を巡る周遊コースらしく、ここ数年の間に新しく整備された様子……ですが、あまり歩かれている様子が無い(ぐぐっても紹介例が殆ど出てこない)。自治体のサイトにも載ってないのは流石に周知不足のような。
駅前を流れる吉野川を眺めながら出発の支度を進めます。吉野川のこの辺りはラフティングやカヤック等が盛んな所らしく、付近にはアウトドアメーカーであるモンベルが経営するスポーツセンターなんかも設けられていて、シーズン時は観光客が結構来るようです。橋の奥に見える河川敷の開けた所が発着場でしょうか。
トレッキングポールは去年の年末の御正体山から西丹沢にかけての縦走で逝ってしまったものを修理に出して戦線復帰。写真のように先っぽだけ新品同様です……が、すぐ傷だらけになってしまうと思われるので綺麗な姿はおそらくこれで見納め。
[6:28]土佐岩原駅出発
一通り準備を終えたら出発します。水場は二日目の終わりくらいまで確実に汲める所がないので、予備も含めて二泊できるくらいに水を積み込んでいる。故に重量感も相当なもの。背負って数秒で放り投げたくなる重さですが、生命線なので何が何でも手放さないように。
踏切を渡り、駅の東側を進んでいきます。先程の橋がある川岸の辺りもそうでしたが、桜がいい感じに見頃……しかし天気は少し不安な感じ。天気予報では晴れなのですが、重々しい雲が立ち込めていて辺りは薄暗い。朝靄とかだといいなと期待しながら進む。
登山口となる岩原神社までは岩原の集落内を進んでいくのですが、その道筋はかなり複雑多岐。集落そのものが山肌にへばり付くような形である為、道は高度を稼ぐ為に蛇行しながらその家々の間を縫うような形で通されている。地図に載ってないような分岐も数多あるので予習無しだと多分迷います。
殆ど平地のない斜面、所狭しと家々が立ち並んでいる。
吉野川支流である赤根川沿いの集落。昭和初期頃の古地図には記載がないのでそれより後年、土讃線が開通した頃に成立した家並みでしょうか……当時はまだ林業や炭焼を始めとした山仕事が多かった時代でしたから、山間部の人口も増えていたのでしょうね。
ちなみに元来の岩原の集落は更に上、山の中腹にあります。
この川を遡った所に先程案内板にあった霧石渓谷があります。大岩がすっぱり切れ落ちていて結構いい感じですけどね。
集落内はこんな感じで案内がありますが、矢印の先が地図に載ってないような小字で結構訳がわからない感じ……下には岩原長男会。長男会というのは今日日聞かない単語でで気になりましたが、こうした地方では長男が地元に残って家長を継ぎ家や墓を守るというものでしたから、考えてみればごく自然な名称のような気がする。
意外と頼りになったのが看板横の小さな赤い三角形。数年前にこの一帯で行われたトレッキングコース整備の際に設けられたらしいです。コース毎に色分けされており、赤色の標識に従って進めば駅前の案内看板にあった赤いコースを辿る事ができるようです。目的地である岩原神社方面に向かう道でもあるらしいので、ひとまずそれに目当てに歩く事に。
先程の看板から階段を登った所。墓地となっていて見晴らしが良いです。スタート地点の駅ホームが赤い橋の左に見えますが……まだ大して進んでないですね。
赤三角に従って進んでいく。グーグルマップに載ってないような小道も経由していくので結構ショートカットになります。
対岸には整然とした段々畑……茶畑のようにも見えます。頭上すぐの所に漂う雲が重苦しい。
トレッキングコースを岩原神社方面に進んでいく。登山道というよりは昔の生活道のような道で、沿道にはかつて家屋が建っていたと思われる石垣なんかも残る。
トラバース路を歩いていると次第に幾つかの家並みが見えてきました。ここが元来の岩原の集落で、先程の看板でいう本村の辺りでしょう。
樹林帯のトラバースを抜けました。晴れていれば村を一望できるんじゃないかって雰囲気の所。
岩原の集落の入口にある古びた、それでいてそこそこ立派なお堂。立派なお堂の割には地図に載っていないので名前が分からず。地蔵堂とか書かれていたような気がする。
建物こそ古いですがよく手入れされている印象。雑草も刈られ生垣もあります。
周囲には桜が咲いていて良い感じのお花見スポットでした。
岩原の集落へ進む。相変わらず雲が濃い。
途中見かけた小学校の跡地に建つ鉛筆モニュメント。昔は学校が作られる程に子供の数も多かったんでしょうね。
岩原の集落も他の四国の山岳集落と同様に成り立ちは落人集落。平安時代、藤原純友の配下の一族がここに落ち延びてきて住み着いたのがルーツとの事です。
藤原純友と言えば平将門と同時期に朝廷に対して反乱を起こした人物で、将門の方と一緒に纏めて承平天慶の乱という一大騒動になりました。将門が国府や郡役所を次々襲撃して関東平野一円に支配を広めていた一方、純友の方は伊予国の日振島を拠点として瀬戸内海で海賊の首領として暴れ回っていた訳ですが、最終的には四国の宇和島の辺りで捕縛され獄死したという話……しかし、配下はその後も逃走し一部は四国山地に住み着いたという。
そうした背景を念頭に置いてみると、この地は吉野川の本流からは手前の山によって遮られて一見した所で全く目に付かない(駅からも見えない)、追手から逃げ遂せる為に作った隠れ里のようにも見えます。
斜面に雛壇状に建つ家並み。建物こそは建て替えられてそうですが、土台となる石垣は並々ならぬ歴史がありそうな感じ。
こうした落人集落の生業は元来は農業が主体で、特に焼畑農業が盛んだったとされています。四国山地は平地は乏しく田んぼは少ないですが、降水量は多く山がちで湧水が豊富であった為に農地には向いていたのでしょう……現在ではそうして農業で生計を立てている家も少なくなり休耕地が目立っていますが、1,000年にも渡る歴史を少なからず垣間見る事ができるというのはロマンですね。
本村から引き返し岩原八幡神社へ。ここから岩原神社方面に向かう道が伸びています。
狛犬が見てる。小さいながらも風格ありますね。
八幡神社の裏手に見かけた庚申塚。
途中で舗装路から分かれ、自然石の石段続く岩原神社の参道に入ります。
なんだか霧がかっていて異世界にでも繋がっていそうな雰囲気……実際これから暫く人間社会から離れる訳なので、異世界と言えば異世界なんですが。実際、翌々日の三嶺まで人間とは誰一人出会いませんでしたし。
古来山は神々が住まう聖域とも見られていた。この先の岩原神社は平安期に伊勢神宮から勧請されたのが発祥との事なので純粋に山岳信仰から始まったものでは無いですが、敢えて山の上に建立したという事はそうした意味合いも少なからず込められていたのでしょう。
つまり、この何の変哲もない鳥居も浮世と聖域を隔てるゲートのようなものとして見てもあながち間違いではないという事で。
岩原神社→伐採地
[7:43-7:56]岩原神社
登山口となる岩原神社に到着……磐原神社との表記もあります。社殿はそこまで古いものではなさそうですが、朝靄も相まってなんだか浮世離れした雰囲気。先程と同じ事書きますが、創建は平安の承平天慶年間、伊勢より勧請され建立された神社との事。つまり集落が成立した頃とほぼ同時期という事になりますね。
この神社には岩原神楽という江戸期に始まった風習が伝統行事として残されており、現在でも毎年秋頃になると神楽舞が行われているらしいです。急速な過疎化で維持も難しそうですけど、こうした伝統行事は一度途切れると復活は中々難しいものがありますから、少しでも長く続いて欲しいなーと思ったり。
神社の裏手に階段が伸びており、登った先には小さな社があります。尾根筋はその背後から続いている様子なので進んでみる。
振り返り岩原神社の甍。
社の脇から入山します。登山口……というよりはただの取り付きって感じ。まあ年に何人も歩いてないようなコースですし。
歩き始めは起伏は少なく歩きやすいです。偶に尾根筋より濃い作業道が横切っていたりしますが、無視して尾根を外さないように進んでいく。
何かの滑車が放置されていました。この辺りはまだ麓に近いので、林業などの山仕事で人が入ったりしていたんでしょう。
いつの間にか雲の上に出ていました。鮮やかな青空……天気が良いに越した事は無いんですが、暑くなりませんように。
暫く進んだ先の急登……60度くらいでしょうか。この5日間で一番の斜度でした。地面も均されされてないのでモコモコで滑りやすく、三歩進んで二歩下がるをリアルにやってる感じ。
木の枝を掴みながら力任せに登っていくと新し目の赤テープが……意外と人入ってるんでしょうか。
木の枝の間から反対側の山を見据える。吉野川が流れている辺りはまだ雲が滞留している。
難所を越えると傾斜は緩くなり快適に歩ける道に……途中何やら石垣を発見したので立ち寄ってみる。
お地蔵さんでしょうか。昭和十一年の表記があります……左にも小さいのがありますね。七十四歳というのはちょっとよく分からないですけど、もしかするとお墓だったりするのかな。
広尾根となった所を進みます。登りだと特に問題なく進めますけど、下りだと支尾根に入り込みそうで迷うかも。
時々赤テープが見られる道。小さな起伏を乗り越えると何やら開けた場所に出る。
開けた場所は林道でした。フラットで歩きやすそう……ですが地図に載っていないので、これをそのまま進んで良いのかどうかは判断に迷う所。
林道を無視して尾根を進みます。人が歩いた形跡なのか縁が崩れている所がある。
再び林道に合流。何度か林道を跨いでいきます。
少し開けた所があったのでそこからの展望。この地点での標高は700m程度とまだ大して登っていないので遠くの山は見えませんが、山肌に張り付く集落が近くに見える。
少し望遠で撮ったもの。関東とかではこんな風に山の中腹に集落を設ける所は少ない(残っていない)ので、ちょっと新鮮味のある風景。
再び林道を越える。2枚目の写真の所は特に傾斜が急で、飛び出た木の根っこを掴んで無理矢理攀じ登りました。土まみれになった。
更に先に進むと再び開けた所へ。
伐採地→山姥の池→三方山
切り株立ち並ぶ伐採地に出会しました。侵入防止用の為なのか分かりませんがネットが張られています。
木々が無く視界は開けているので展望は良いです。スタート地点の土佐岩原駅の付近も見えたので望遠で……出発の時に横手に見えた赤い橋が渓谷美の中の良いアクセントになっている。
景色は良いんですけど、道は少し……というか相当に荒れています。伐採箇所を歩こうとすると藪がきついので樹林帯に入り込んだら、こっちはこっちで傾斜が急で歩きにくい。
伐採地は正面に見えるピークの手前まで続きます。そこまで距離はないはずですが、藪漕ぎに手こずり中々近付けない……去年くらいの記録を見るともう少し藪は薄くて歩きやすい道だったみたいですが、年々繁茂していて尾根筋すらよく分からない感じになってました。
斜面の少し藪が薄い所を歩いていたら尾根筋から逸れてしまいそうだったので諦めて直登。ノイバラ等のトゲトゲ植物が蔓延っていているので安全地帯を見極めながら慎重に。
サボテンのような鋭利なトゲを持つタラの木も凶悪。足元がぐちゃぐちゃで安定しないのでバランスを崩しやすいのですが、咄嗟に掴んだりもできないのが辛い。
トゲだらけの難所を越えてちょっとした広がりに出ました。展望を眺めて一呼吸吐く。
土佐岩原駅方面を単体で。赤い橋の左側に駅があり、その手前のぽつぽつ家があるのが先程通った岩原の本村です。谷間にへばり付くようにして家々や段々畑が広がる風景はどこか箱庭っぽくも映る。
伐採地からの脱出までもう少し。上の方は若干藪が薄いのか割と楽に歩けました。トゲは相変わらず多いですけど。
伐採地最上部からの展望。この地点でようやく1,000m行くかという所。吉野川を挟んだ向かいの黒滝山、野鹿池山が大きく見える。
左に見える山頂に電波塔が幾つか立っているのが見えるピークは梶ヶ森と呼ばれる四国百名山にも選定されている山。展望も良く嶺北地方(高知県北部の吉野川上流域)では人気の山らしいです。
伐採地を過ぎると藪は無くなり一転して楽な道程となります。まだ県境ではないですが、ぽつぽつ境界杭のようなものも打ち込まれていて進むべき道も分かりやすい。
人気を全く感じさせない静かな樹林帯を進んでいく。植生は広葉樹の自然林と針葉樹の植林が交互に続く。
この辺り、どう見ても人為的に作られたと思われる木々の切れ目がある。
足元にころころ転がっている白い石が気になってましたが石英でしょうか。やや透明掛かっていて、後に行く剣山で無数に落ちていた石灰石とはまた違う気がするので。
トラバース路では?と思われる箇所があったので意気揚々と進むも、すぐに灌木に阻まれ尾根上への復帰を余儀なくされる。
そこそこ快適な尾根歩き。起伏も緩めでいい感じ。
整備された登山道じゃないので時々灌木に突っ込む事もありますが、日陰は藪も灌木も無いので快適に歩けます。
薄暗い樹林帯の中、僅かな陽光を得て苔むした倒木。間伐で切り倒された木々でしょうか。
段差に埋め込まれた丸太……これは明らかに階段でしょう。昔はそれなりに人が行き交う登山道だったのでしょうね。
スタートから5時間、登り続きでバテてきたので燃料補給。登山に炭酸は必携。
[12:11-12:16]山姥の池
岩原神社から登り始め、初めて人工の標識らしきものが見えた所が山姥の池。本当に池があったかは定かではありませんが、そこそこ大きな窪地になっています。
祖谷渓の伝承で、当時この付近を根城にしていた山姥を三方山北部の熊谷峠の地蔵尊がこの池に封じ込めたとの事。阿波川口の狸伝説もそうでしたけど、この付近は妖怪関係の民話が多いですね。
山姥の池を横目に三方山方面へ。
三方山方面へ進み始めると赤テープが設けられています。そう言えば伐採地の手前くらいを最後に全然見掛けなくなってた。
赤テープには山頂へ15分の文字が。三方山は北側のかずら橋方面から登るのがメインルートらしいので、そこからこちら側に足を伸ばす人も多少居るという事でしょうか。
道も心なしか踏み均されていて歩きやすいです。
しかし長い登りに既に堪え気味。山頂は目と鼻の先なのに遅々として足取りが進まない。
三方山→弘瀬山
三方山、山頂のすぐ手前に西側方面に開けた展望地がありました。右側に進んですぐの所が山頂ですが。展望に関してはこちらの方が良い。
三方山西側の展望。時刻は既に正午を過ぎて景色は霞みがちですが、開放感があっていい感じ……右の木の枝に括り付けられたフラッグみたいなのはなんだろう。
望遠で繋げてみたもの。まず左側手前に見えるのが先程も見えた黒滝山~野鹿池山の山塊。その奥には白髪山~奥工石山という稜線があり、二つは四国百名山に選定されているらしいです。今回の山行にあたっては行き先は石鎚山か剣山かで結構迷っていて、もし石槌山系を縦走するならこの辺りから登ろうかな……とか考えていました。
白髪山~奥工石山の奥の方には石鎚山系の山々が続いています。稜線の最鞍部の丁度奥に見えるのが恐らく主稜上の笹ヶ峰。最高峰の石槌山は白髪山の山体に隠れて見えません。奥工石山の右側にはギザギザ際立つ東赤石山の姿も……こちらは日本二百名山に選定されている山。ちょっと眺めているだけで行きたい所が次々増えていく。
説明だけでは中々分かりにくいと思ったので山名入りを作ってみました。四国の山に関しては殆どビギナーなので間違ってるかもですが。
[12:49-13:18]三方山
三方山の山頂看板の方に移動します。土佐岩原駅からの標準コースタイムは6時間。たかだか標高差1,000mちょっとの登りでそこまで掛からないだろう……って油断してたら実際はそれ以上に時間が掛かってしまい黙るしかない。
山頂からの眺め。こっちの方の展望は木々が若干茂り気味。
これまで纏まった休憩を取っていなかったので、ここで30分の大休止。一番の難所は無事越えられたという事で思いっきり気を抜く。
休憩の後、弘瀬山を目指して出発します。暫くは起伏の少ないフラットな尾根道。
多少歩かれている道なのか赤テープもそこそこ目に付きます。
木々の切れ目から見えた梶ヶ森。山頂に電波塔群がある山はどこも三ツ峠山に見える。
赤テープに次ぐ赤テープ。そんなに人通るんでしょうか。
枝葉で視界が悪い所もありますが道筋自体は分かりやすい。
やけにはっきりした道筋。県境ですし植林の境界という事でしょうか……その脇から水が流れる音が聞こえ、近づいてみると小さな沢がありました。すぐ上の方の谷筋から湧水があるようです。
水は大量に担いできたので寄りませんでしたが、切羽詰った時であれば助かるでしょうね。
弘瀬山への登り。この斜面、地味に急でズルズル滑って中々進めなかった……掴まる場所もろくにないですし。昔は九十九折の道だったんだろうなー、って感じの名残みたいなのがあります。
木々の合間から翌日登る綱附森が見えました。左に見える三角形は同じく翌日登る天狗塚。
急登を越えると再び起伏の緩い尾根道に。
ゆる傾斜の尾根。
小さな起伏を登りきった所が弘瀬山の山頂です……難所は越えたものとばかり思っていたものの、三方山以降も地味に歩きにくい道が続き時間が掛かってしまった。
弘瀬山→京柱山→京柱峠
[14:54-15:00]弘瀬山
本日二つ目のピークである弘瀬山に到着。無造作に置かれている山頂標識の他、三角点もありました。
京柱峠方面へ尾根伝いに歩いていく。まだまだ幾つも登り返しが待ち構えてそうな雰囲気に戦々恐々とさせられましたが、意外にもここから京柱峠までは殆ど標準コースタイムくらいで歩けました。
奥に見えたのは翌日登る綱附森と土佐矢筈山。どちらもなだらかで山というよりは丘のような見た目。
京柱峠方面への尾根歩き。午前中の伐採地程ではありませんが、日が差す所ではススキの藪が濃い所も。
小ピークを幾つも乗り越えながら進んでいく。奥には剣山系西の主峰である三嶺が見えてきました。
この付近、一つ一つのアップダウンは小さく傾斜も緩いので意外と歩きやすい。
木々の切れ目から見えた三嶺から天狗塚、牛ノ背と手前に続く山塊。緩やかに左右に広がる牛ノ背の存在感が強く、天狗塚や三嶺はだいぶ距離があるのか小さく見える。
牛ノ背方面の山塊を単体で。手前の方の谷から尾根伝いに上り詰めていくコースもあり、そちらから登る事も検討していました。見た感じでは所々で笹原が広がっていたりして雰囲気良さそうな感じ。
右の写真の均衡の取れた形の独立峰のようにも見える山は、牛ノ背の左奥の三嶺の更に間を置いて左側に見えたもの。当時から気になっていたのですが、帰ってから調べてみた所、剣山から見ノ越を挟んで北側に位置する塔丸と丸笹山である事が判明。丸笹山は左奥に見えるなだらかなピークで、こちらは3日後に登る山でもあったり。
角度が変わり三嶺方面は見えなくなりましたが、今度は小檜曽山、土佐矢筈山方面がよく見えるように。こちらは本当になだらか稜線。
土佐矢筈山方面を単体で。左の木の枝が掛かっているのが土佐矢筈山で、中央のピークは小桧曽山。その手前の鞍部、電波塔が立っている辺りが本日のゴールである京柱峠なんですけど、尾根が蛇行しているからか中々近付かない。
展望は良いのですが藪は濃くなる一方。特にススキは急斜面だと滑るので勘弁。
更に藪を漕いで先に進みましたが、これはちょっと……という雰囲気。茨のトゲトゲが有刺鉄線のように行く手を塞いでいて突っ込んだら流血沙汰になりそう。選択肢がなければ強行突破するしかないですが。
幸いすぐ側を林道が通っているので、この一番濃そうな区間のみエスケープできそう。というかこの付近を通る人は概ねそうして回避しているようでした。自分も先駆者に倣い林道に下降。
林道に下れそうな所を探しながら進む。藪はまあ良いんですけどトゲだらけなのは流石に嫌です。
中央下、尾根上に広場のようになっている所が林道です。その後は再び適当な所から取り付いて左手前のピークに登り返し、そのまた左の1,327mピークも乗り越える。長いわ。
なんやかんやして広場に下降しました。暫く林道に沿って進みます。
少し進んだ所に取り付きのような場所を見つけたので、そこから尾根上に復帰します。そこそこの傾斜ですが、ススキの束を掴みながら登っていく。
トゲトゲを回避できたのは良かったですが、背の高いススキの中を獣道みたいなのが錯綜していてよく分からない感じ。適当に進みます。
ススキ地帯を越えると一転して歩きやすくなり、先程林道に下る前に左に見えた1,327mピークに到着。尾根はここから90度南に折れるので予習無しだと分かりづらい。GPSを頼りに進んでいく。
1,327mピークから南に下った所は広尾根の植林エリア。方向がずれやすいので適宜修正しつつ先へ。この付近から朽ちた有刺鉄線が目に付き始める。
植林地帯を越えた所には本日最後の難所である超灌木ゾーン。かなり密度の高い灌木で、ザックは引っかかるわで通過に数分掛かった……強引に抜けましたけど多分迂回路あると思います。
灌木を越えた所からの展望。距離はまだまだありそうですけど、以降は変な登り返しも無さそうで下り一辺倒で京柱峠まで辿り着けそうな感じ。
途中、広大なススキ野原を横目に。元々は牧場の放牧地だったようです。付近で見かける有刺鉄線も牧場が営業していた頃に放牧地を取り囲むように設置されたもののようですが、錆びの具合や所々千切れてたりするのを見る限りでは相当昔に廃業している様子。
牧場跡から小桧曽山、土佐矢筈山、そして京柱峠方面。土佐矢筈山より小桧曽山の方が低いんですけど、見上げるような形だからかより大きく見える。
牛ノ背、天狗塚、綱附森、土佐矢筈山、小桧曽山と翌日歩く山々の大部分が見える。一方、三嶺は牛ノ背の山体に隠れて見えなくなってしまいました。下の方にかつて牧舎らしき建造物も見えますね。
放牧場の縁を尾根伝いに歩いていたのですが、道が結構怪しい感じ。
放牧地を囲うように設置されている有刺鉄線……殆ど尾根伝いにあるので接近したり潜ったりする事もしばしば。刺さったら破傷風になりそうで怖い。
有刺鉄線に沿って進んでいきます。
道の雰囲気がゴールの近さを予感させる。
[17:07]京柱山
京柱峠手前にあるのが京柱山の小ピーク。三角点は置かれていますが展望は皆無です。
本日最後の下り。峠に建つ電波塔が近付いてきました。
[17:15]京柱峠到着
本日のゴールである京柱峠に到着。翌日は雨なので、時間に余裕があればこの日の内に土佐矢筈山方面に登り返すつもりでしたが……今日は色々しんどかったのでこの辺で打ち止め。
小桧曽山、土佐矢筈山方面の登山口。下ってきた三方山方面はろくに人が入らないのか案内はありませんが、こちら側には素朴ながらも立派な看板が。この様子なら道も少しはマシかなと安堵。
京柱峠の雰囲気。展望ポイントとして知られているらしく、西側、東側共に開けています。
こちらは東側の展望。手前には牛ノ背や天狗塚等の剣山系の山々。左奥に見える存在感のある稜線は祖谷山系と呼ばれる山塊らしいです。
少し望遠で撮ったもの。三嶺は手前の山に遮られてしまっていますが、その奥に続く白髪山は見える。
こちらは西側。右側の土台の辺りにかつて京柱茶屋という茶屋があり猪肉を具材にしたしし肉うどんが名物でしたが、店主の高齢化を理由に数年前に廃業。現在では建物も残っていません……是非食べてみたかったのですが残念。
西側の展望。頭上に広がる鱗雲で翌日の雨がほぼ確定。やっぱりかーと項垂れる。
ツーリングとかで結構人が来る峠らしいのですが、この時点はまだ冬季通行止め。道理で車が通らない訳で。
京柱峠の水場跡。京柱茶屋で管理されていたのか、廃業して3年が経過した現在では完全に枯れてしまっていました。
茶屋の土台横のテーブルの脇のスペースにテントを設営。そうこうしている間に太陽は地平線へと引き寄せられていく。
夕食風景。テーブルがあるのでそこで食べようかなと思ってましたが、日没後急速に空気が冷えてきたのでテント内にエスケープ。
次回記事『剣山系縦走その2』に続く。