山とか酒とか

登山やお酒を始めとした趣味全般を雑多に、また個人的に有用だと思った情報を紹介しています。

山とか酒とか

高輪ゲートウェイ駅と東海道品川宿

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3月中旬、高輪にある母方の実家の墓参りついでに、出来たばかりの高輪ゲートウェイ駅の見物へ。+そこから少し足を伸ばして東海道品川宿を歩いてみました。

特に当たり障りのない内容の散策ですが。前回の陣馬山登山カメラを浸水させてしまい敢えなく入院。暫くはどこにも行けそうになく暇なので、ちょっと書いてみました。

カメラの入院が長引くorコロナの状況が落ち着かなかったら、今後こんな感じのお茶を濁す的な投稿が増えるかもしれません。読んで面白いかどうかはともかく、ストックは結構あるので……。

目次

高輪ゲートウェイ駅見物

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山手線に乗って件のゲートウェイ駅へ。山手線もいつの間にかこのタイプの車両に統一されちゃいましたね。見る度に抹茶パウダーの掛かった和菓子を彷彿させられる。

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JRがゴリ押しした賜物という曰く付きのこの駅名……けどそのうち見慣れちゃうんだろうな。

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何やらホームの先端で撮影会が行われていました。足を運んでみると……なるほど。操車場の跡地に作られたというだけあって、見晴らしがいいんですね。

ちなみに右の写真の脚立持ち込んでる人は直後に駅員に叱られて撤収していました。

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かつてあった広大な操車場も廃止され、今や幾つかの留置線が残るのみ。夜行列車であるサンライズ出雲がお昼寝しているのが見える。

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常磐線とか東海道線みたいな中距離電車はそのまま通過していきます。震災以来、ようやく常磐線全通したというので、あの辺りにも久々に出掛けてみたいですね。無論、コロナが落ち着いた後で。

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コンコースは広々としている。新築の建物みたいな香りがしました。

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駅の東側は留置線群を挟んでいるので出入口は設けられておらずガラス張りになっています。

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こちらは駅開業と同時に稼働開始した最新型の自動改札機。タッチ部、液晶表示が斜めになっていて、表示部の視認性が高い。デザインもなんとなくスタイリッシュ。

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駅から外に出てみる。この日は三連休の前日。今でこそ都心方面の外出は控えがちですが、訪問当時はコロナの自粛ムードが特に緩んできていた頃で、多くの人が記念に訪れてきていた。

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これまた物議を醸した明朝体の駅名表示。なんか海外の怪しい日本語表記を見た時のような……ダサいかと問われればダサいと答えると思う。

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デッキから北側を望む。駅前には6棟のタワーマンションが建築中との事で、写真のように見晴らしが良いのも暫くの間でしょう。

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まだまだ周囲は開発の途中で、正面に続く階段は封鎖されていました。故に国道に出るには南北に大きく迂回する必要がある。

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山手線では何十年ぶりの新駅という事もあり、開業に合わせて華々しくイベントを行うつもりだったらしいのですが、コロナの一件でそれも軒並み中止or延期に。経済的損失は計り知れない……そして収束の目処も経っていない。どうなるんだ日本?いや世界か?

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駅を後にする。何年後かにはこの景色も一変してそうですね。

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品川駅との間にあるインド料理店デヴィコーナーにて遅めの昼食。平日であればランチ900円とコスパは良くナンのおかわりも自由。味も良いので墓参りの際によく訪れる。

品川宿(品川駅→北品川→目黒川)

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「今昔マップ on the web」より作成、以降も同様

まず始めに大正期のこの付近の地図です。品川駅西側をスタートし南下、道なりに線路を越え東に。そのまま本宿方面へと南下してきます。

後々渡る目黒川は現在はそのまま一直線に海に向かっていますが、古地図を見ると北品川方面に湾曲しているのが見て分かる。京急も道路上を行く併用軌道となっていたりと現在との相違点は多いです。

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品川駅高輪口。開発著しいゲートウェイ駅周辺対象的に、こちら側の駅舎はレトロですね。戦後間もない頃の建築で、都電が駅前を走っていた頃と比べても大きくは姿を変えてはいません。すぐ横のウィングもいい感じに年季が入ってきました。

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南下するとホイル焼きハンバーグで有名なつばめグリルの本店。更に進むと京急線の橋梁と踏切があり、その付近から東海道の旧道が分岐している。

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旧街道に入る時点でこんなマップがありました。地図の端の鈴ヶ森刑場まで5km……行けるかな?

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北品川駅の横を掠めながら旧街道に入ります。古い建物こそありませんが、なんとなく雰囲気のある街並み。個人商店が多いからでしょうか。

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現在でも東海道の宿場町同士の交流があるようで、こうした他所の宿場町から寄贈された松が道中に幾つかありました。こちらは遠江の袋井宿から寄贈されたもの。

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北品川の街並み。この辺りは駅から近く人通りも多い。

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品川宿と記された標柱を見つけた。何かの工事中だったのか、バリケードに囲われていてイマイチ見えませんでした。

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下駄屋さんなんてものもあった。中山道妻籠でも見かけましたが、街道ならではのお店ですね。

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古い建物こそ少ないものの、どことなくレトロな感じが漂う町並み。

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北品川の街並み。

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目黒川を渡る目前という所で本陣跡があります……が、建物はなく公園となっていました。側の松の寄贈元は近江国の土山宿。

品川宿(目黒川→南品川→鮫洲八幡神社

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地図北端の目黒川から、地図南端の鳥居(鮫洲八幡神社)までの区間です。現在でこそ埋め立てられてしまい名残はありませんが、明治大正辺りまでは宿場の横がすぐ海岸線でした。

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北品川と南品川の境である目黒川を渡る。江戸期は暴れ川で、よく氾濫や洪水が起こったらしい。蛇行していた川筋が現在のようにストレートな形になったのもその為の治水工事の一環。

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渡った地点で、上流に朱色の橋が架かっているのが見える。その先に足を運んでみると荏原神社なる神社があった……この荏原神社、元は貴船神社という名で、その後品川神社という名前を変えて現在の名へと変遷している。目黒川の北側にあるのにどうして南品川神社?と思い古地図を見てみると、かつて目黒川はこの付近で蛇行しており、河川改修以前はこの神社も目黒川の南側に位置していたようです。現在でも航空写真等を見てみると家々の並び方がそれっぽい事に気付かされます。

ここは南の天王さまと通称される。対する北の天王には東京十社の一つである品川神社という大きな神社がある。是非とも立ち寄りたかったのですが、今回は同行者が居たので自由に動けずパス。また、少し離れた所に品川貴船神社というこの神社の本宮とされる所もある。再訪した際はじっくり歩いてみたいエリアではあります。

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主祭神は高龗神だが、漁業の神である恵比寿様の像が大きくある辺り港町らしい。

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東海道に復帰する。南品川側もそこまで雰囲気は変わりません。個人商店が多く、合間に小規模なアパートがある。

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脇道を少し入った所には小さな神社がある。やはり古い街らしく、小さな神社やお寺が多いです。

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ノスタルジーな駄菓子屋さんを発見。お婆さんが一人で切り盛りしていた。色褪せたタバコ屋の窓口といい、まさに昭和の風景。

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街道沿いにも古い建物はちらほらある。こちらの木枠がレトロな建物はオシャレな感じのカフェとなっていた。軒下に南部鉄器の鉄瓶が吊るされてるのが気になる。

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南品川の街並み。

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左側はなんと小学校の建物。景観を考慮してこんなデザインになったんだろう。右の古びた畳屋も目を引く。

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青物横丁駅そばの幅の広い道路を渡ると、これまたレトロな病院が。病院というよりは醫院という雰囲気かな。明治期の建築らしいです。

そのすぐ先にはやけに盛況な魚屋さん。鮮魚の入ったトロ箱をずらりと店先に並べていた。近所であれば何かしら買ったんだけど、ここから帰るのに1時間以上掛かるからなぁ。

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東京では貴重となった銅板建築の建物もあった。

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神社仏閣は殆どスルーしてきましたが、一つ入ってみる。こちらは海雲寺の千躰荒神堂。

f:id:SISIS:20200326182923j:plainマンションの立ち並ぶ中、ぽつんと稲荷神社が。アパートのド真ん前にあるという凄い立地。

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更に南進すると、昔ながらの角打ちができる酒屋さんも見つける。

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こちらは鮫洲八幡神社鮫洲駅のすぐ側にあり、背後に高架ホームの上屋が見えます。境内をショートカットすると駅に近いので、往来がやたらと多い。

品川宿(鮫洲八幡神社→立会川→鈴ヶ森刑場→大森海岸駅

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鮫洲以南。この大正期の地図では立会川を渡った先も建物が続いてますが、明治まで遡ったものでは、立会川の南側暫くした所で途切れていた。

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この辺りまで来ても古い建物がちらほら。右側は格式高そうなお蕎麦屋さん……調べてみると食べログTOP5000らしい。

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街道を外れて海の方へ行ってみると勝島運河という運河があった。立会川の河口部を利用して作られたもので、今でも船留に利用されている。船は釣り船や屋形船など観光向けのものが多い。

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そのまま運河から立会川を遡り東海道に復帰。こちらは立会川を跨ぐ橋である浜川橋

かつては泪橋と呼ばれた。この南側には鈴ヶ森刑場があり、罪人の親族がこの橋で涙しながら刑に処される身内を見送ったというのがその由来。

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その今生の別れの場となる橋を渡った先には天祖諏訪神社。もとは立会川の両岸にあった天祖神社諏訪神社を近年になって合祀したもの。

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江戸時代であれば町外れの区間に……となれば、日本橋から続いてきた家並みがこの辺りでようやく途切れたという事になりますね。

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鈴ヶ森刑場までやってきました。現在は鈴ヶ森刑場遺跡として保存されているものの、周囲の再開発で。

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敷地内に火炙り、磔に処される際の台が残っていました……写真にはありませんが、側に首洗の井戸なんてものもありました。江戸期には10万から20万の罪人がこの地で処刑されたらしいです。

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刑場の跡地は現在では大経寺の境内で、建物内部には刑場に関わる絵画や写真があるらしいですが今回は未訪問。ほか、鯉塚なんてものもありました。

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刑場跡を越えるとすぐ第一京浜と合流し、一気に道幅が広くなる。側にはしながわ水族館の案内板がありました。鈴ヶ森刑場が品川宿近くにある事は知ってましたが、まさか子供の時に何度も訪れた水族館の側にあったとは。

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大森海岸駅から京急で帰ります……が、待っている間に何本も列車が通過していき中々来ない。乗ったら乗ったでそこそこの混雑。京急普通列車って冷遇されてますよね。