前回記事『大峯奥駈道その2』からの続きです。
この日は前日テントを張った証誠無漏岳を出発し、涅槃岳、地蔵岳、天狗山と快晴の中北上。大日岳の岩登りを挟み、前半部においての主峰である釈迦ヶ岳に登頂する。その後は直下の岩場を越えるも満載した水が重かったり翌日の雨に憂鬱になったりで露骨にペースダウン。弥山小屋まで辿り着けず、楊枝ヶ宿少し先の迷平(舟ノ垰)で幕営。
他の日程を見たい方は以下の記事よりリンクを辿って下さい。コース全体の軌跡もこちらに掲載しています。
【2019年11月】熊野古道中辺路&大峯奥駈道縦走についての記録 - 山とか酒とか
目次
証誠無漏岳→涅槃岳→地蔵岳→天狗山
[4:19]証誠無漏岳出発
朝、というか午前2時頃なのでまだ真夜中。起きると外が昼間のように……というと嘘っぱちですが、やけに明るい。なんだろうと思い外に出てみると正体は月明かりでした。どうやらこの日は満月のようで。
雲一つ無い。くっきりとうさぎが餅をついてるのが見えました……どこが?
[4:46-4:54]涅槃岳
第24靡涅槃岳。おなじみの暗中行進、最初のピークであるここもフラットな地面でテント適地ですが、涅槃って意味からしてここで張るのはちょっと畏れ多いかな。
鮮やかな朝焼け。那智から始まって五日目、本日は一番の好天が期待できそうです。
道も日の出を待たずに明るくなってきました。足元もよく見えるようになったので、早々に頭を縛り付けているヘッドライトを仕舞う。
徐々に昇ってくる朝日。ご来光を見たのは今回の登山で初めてでしょうか……なんか、たこ焼きみたいな壺状してる。という考えが真っ先に浮かんでくる程度には連日のアルファ米に飽き飽きしている。
地蔵岳の少し手前から、これまで歩いてきた山々を振り返る。複雑に重なりすぎて一見して何が何だか分かりませんが、左奥の変な形した一際大きなピークが笠捨山、若干右に地蔵岳、東屋岳。左側、その更に右の双耳峰のようになっていて、右に伸びた稜線が玉置山。笠捨山の左には行仙岳、倶利伽羅岳、転法輪岳と手前に続き、玉置山の左手前の控えめなピークが証誠無漏岳、その左に涅槃岳がやや大きくあります。右側には伯母子岳、護摩壇山の稜線も見えます。
思わず笠を捨ててしまいそうになる好展望。一人ニヤつきが止まらない。
[6:28]地蔵岳
第26靡地蔵岳。全く同じ名前ですが、笠捨山付近のものとは全然違う場所。こちらは緩やかでイメージもだいぶ違う。
朝日に照らされて辺りが真っ赤に染まり始めた。
地蔵岳より少し進んだ所。天狗の稽古場という広々とした笹原がありました。ここでテントを張っても気持ちよさそう……と、テント場を無意識に見繕ってしまう癖が今回の登山でついてしまった。
嫁越峠に向けて下り坂です。少し奥に釈迦ヶ岳から伸びる孔雀岳方面の稜線も見える。
嫁越峠。大峰山が女人禁制だった頃、十津川村から北山村へ嫁ぐ花嫁の為に特別に通行が許された場所だったのが由来との事……こういう由緒がちょくちょく書かれてるのが面白い。
嫁越峠からは再び奥守岳、天狗山方面へ登り返し。
左側が先程居た地蔵岳。中央には証誠無漏岳から伸びる中八人山の山塊です。
緩くて歩きやすい登り坂ですが、展望が良すぎて遅々とした足取りに。
第27靡奥守岳。本当に空が鮮やか。釈迦ヶ岳もよく見えます。
歩いてきた地蔵岳方面の道程。
釈迦ヶ岳を目指して歩いていく。前日は霞む程に遠くに見えましたが、流石に大きくなってきましたね。
奥守岳を越えてますます緩やかに。今までの鬱蒼とした雰囲気の尾根道とは違い、この付近は長閑。険しい奥駈道の中にもこういう所があるんですね。
今しがた歩いてきた奥守岳までの稜線。左側に地蔵岳。
東の空。初日に野宿した新鹿の辺りでしょうか。太陽の真下、陽光に反射する太平洋が見えます。
天狗山→太古ノ辻→大日岳分岐
[7:25-7:36]天狗山
奥守岳から少し歩くと天狗山。よく天狗岳と書き間違える。
まず目に入ってくるのはますます大きくなった釈迦ヶ岳の山体。遂にここまで近付きましたね。
釈迦ヶ岳、そして右奥には大台ケ原が見える。
釈迦ヶ岳を望遠で。孔雀岳までの稜線がよく見えます。ちなみに手前の突き出たようなピークはこれから行く大日岳……ん? 行くのか?
朝日が反射し煌めく海面。海は近いのに山だらけ。
展望もそこそこに天狗山を出発。天気についてはこの日一日は持つ事は知っていたものの、翌日は寒冷前線がこの付近まで降りてきてしまい一日中雲の中との事。
もしかすると今日の内から悪くなるのではと、無意識に早足になってしまう。幸い歩きやすい尾根道。今後もそれが続くものだと思いきや……。
ガッツリとアップダウンありますね。さっきまでのような寝転がりたくなるような笹原地帯とは違い平地が殆ど無い。けどもう慣れた。むしろ、これぞ奥駈道という謎の安心感すら覚える。
少し登った先のピーク。石楠花岳との事。その名の通りシャクナゲで茂っています。
石楠花岳の次のピークは蘇莫岳。またもそこそこの登り。こういうのが無いと修行にならないよね。
蘇莫岳を登る途中。石楠花岳、天狗山を振り返る。
第32靡蘇莫岳の山頂付近。仙人舞台岩との標識が近くにありました。
ピークを越える均衡の取れた大日岳の三角形が視界に入る。ここを下ると間もなく太古ノ辻です。
[8:24]太古ノ辻
現在の南北奥駈道の中間地点とされる太古ノ辻に到着しました……ここでようやく半分……ん? まだ半分しか歩いてないの?
後半もお手柔らかにお願いします。
目前に聳える大日岳。いきなり険しそうに見えるんですが、このピークは巻けます。
大日岳との分岐。巻けます。とはいったもののそのまま通過してしまうのも申し訳ない。分岐の看板にて、行場故に入る際は自己責任でとの文言が……ザックを置いて身軽になって向かいました。
大日岳分岐→大日岳→深仙小屋→釈迦ヶ岳
大日岳に向かう途中。釈迦ヶ岳がよく見える。
問題の岩場。見た目ほどの斜度はありませんが、取っ掛かりが少ないので鎖やロープを頼らざるを得ないですね。
鎖やロープに頼れば簡単に登れると思います。ただし未整備で老朽化しているとの事ですので自己責任でどうぞ。
[8:42-9:07]大日岳
岩を登った先には大きな大日如来像が座しており、そこが第35靡大日ヶ岳です。
切り立った岩の上なので当たり前の展望の良さです。深仙ノ宿も見える。
そこそこにして下山。この手の難所は上りより下りの方が怖いんですよね。鎖にしがみつきながらへっぴり腰で降りました……ちなみに巻道もあるので、往復と岩場を経由する必要は無かったり。
分岐で留守番していたザックを回収し先に進みます。
[9:30-9:35]深仙ノ宿
程なくして第38靡深仙ノ宿に到着しました。この小屋も中々のロケーションにありますが、目につく立派な建物は修験者用の祈祷施設である行者堂で、一般登山者が宿泊に使えるのは手前の粗末なトタンの小屋ですので注意。
展望も素晴らしい。変な山頂の上とかではなく、こういう所でゆったりとテントを張りたいものです。行程が長いとノープランになりがちなのはいけない。
釈迦ヶ岳に向かう所で振り返る。深仙ノ宿。そして後ろには先程登った大日岳が続く。露出している岩を見ると、あんなのに登ったのかと溜息が漏れる。
深仙ノ宿から釈迦ヶ岳の山頂までは急であるものの、そこまで長くはない上り。西側には古田ノ森方面のなだらかな尾根道が伸びていて、そこを辿るコースだと登山口から2時間で釈迦ヶ岳に登れるらしい……こんなにメチャメチャ山深い場所に2時間ぽっちで来れるとは驚きですね。
釈迦ヶ岳もすぐ目前です。「よくぞここまで辿り着いたな」なんか幻聴が聞こえてくる。
古田ノ森方面からのコースの合流点です。ここから釈迦ヶ岳までは数分程度の距離ですが……古田ノ森方面に進んだ所に奥駈道でも数少ない水場があるので、一度下って汲みに行く事に。
この付近でちらほら人と会う。どうやら最短コースから日帰りで登る人が多いようです。人で賑わう山は小雲取越以来かな。 あそこは全く日本語通じなかったけど。
ここが水場であるかくし水。もっと近い所にあるのかなと思いましたが、かなり下る羽目になりました。通年枯れない豊富な水場との事でしたが、晴れ続きの為かチョロチョロで満タンにするまで20分かかりました。
とは言えここから先は弥山、大普賢岳を通り越して小笹ノ宿まで確実に汲めそうな水場はない。命を繋ぐ貴重な水。有り難く汲ませて頂く……まあ、無くなったら無くなったで弥山から狼平の沢まで下りて汲めばいいだけの話なんですが。
さて、ザックに汲んだ水を突っ込んで釈迦ヶ岳に向けて出発しますが……くそ重い。自分で歩いてくれないかな。
釈迦ヶ岳からの展望
[10:56-11:34]釈迦ヶ岳
第40靡釈迦ヶ岳です。人がいる。お釈迦様もいる。
殆ど人と遭遇しない尾根歩きを続けてましたから、こうして急に賑やかな所に来るとなんか変な感じがします。うっかり日常に戻ってきてしまったみたいな感じ。
釈迦ヶ岳から北側、弥山、八経ヶ岳方面の展望。ここに来てようやく、今回の登山においての最高峰が見えました。
長かった……いや、これからもまだまだ長そうなんですけど。
弥山、八経ヶ岳を単体で。弥山のすぐ右奥に見切れているのは大峯山寺のある山上ヶ岳だったりします。
山塊の左側には奈良盆地や紀ノ川流域を挟み、生駒山地、金剛山地、和泉山脈などが左右に伸びています。ちなみに右側にうっすらと見える凸凹の激しい山塊は北摂山系。全く縁のない山域ばかりですが、縁がないからこそ新鮮味があって面白いのです。
さらに望遠で。金剛山は1000越えてるので大きいですね。その左奥には大阪、大阪湾を挟み神戸の市街地。更に奥には六甲山地。
あべのハルカスは金剛山と完全に重なってしまうので見えませんが、ちらほら高層建築物のようなものは見えます。
こちらは東側、大台ケ原方面。これから下る尾根道でもありますが、すっごい切れ落ちてます。崖みたい。
一方で南側。今まで辿ってきた尾根道、道程が一望できますね。
大森山までの山々の殆どを辿れます。左側には特徴的な形の笠捨山とその奥には大塔山。右に地蔵岳、東屋岳。中央より右の山塊は中八人山。その奥の左右に伸びた山の中央辺りに玉置山(うっすらと山頂の電波塔が見えます)、右に大森山です。中八人山より右の稜線は果無山脈。
随分歩いたなぁと思わせられる稜線。というか、最早それしか感想が出てこない。
ベテランそうな方から支援物資を頂きました! パンの他にも塩タブレット、かりんとう、アミノ酸パウダーなど何やら色々と貰っちゃいました。この辺りでそろそろ食料事情が怪しくなりつつあったので、本当に助かりました。
しかし立派な釈迦像ですねぇ。なんか御利益あるかな。
人がいる。だから撮って貰う。そこに細かい理由なんていらないよね。
釈迦ヶ岳→孔雀岳
先程東方面を見た時にも覚悟しましたが、急激な下りです……そんな所の通過を一気に5kg以上増えたおもおもザックを担いででは牛歩もいいとこ。
孔雀岳、そしで左になだらかな仏生ヶ岳。実は釈迦ヶ岳より仏生ヶ岳の方が高かったりします。
馬の背。片側がスパッと切れ落ちててちょいこわなヤセ尾根でしたが、足場はしっかりしているので慎重に通過すれば全く問題ないです。
釈迦ヶ岳から暫くは岩尾根となっていて、思った以上にアップダウンのきつい道。
岩を越えたり巻いたりの難路です。休み休み進む。
岩場を少し登った所に第41靡空鉢ヶ岳。
空鉢岳からの展望。左に釈迦ヶ岳、右の仏生ヶ岳の左奥には八経ヶ岳、明星ヶ岳。
釈迦ヶ岳の山頂を望遠で。あの巨大お釈迦様は遠くからでもよく見えます。
岩場のアップダウン。付近には碑伝が幾つか収められていました。
[12:21-12:40]両峯分け
両部分けとも書かれるキレット部。江戸期以降の修験道のスタイルの変遷により今日では太古ノ辻が南北の境界ですが、両峯分けというその名前の通り、元来はここが南北奥駈道の境界でした。
難所を越えると再び歩きやすい笹原となります。空が広い。青い。いいね。
釈迦ヶ岳から随分と歩いてきた。
左に孔雀岳。すぐ右奥に大台ケ原。中央には以前見えた下北山村の池原ダムが見える。
池原ダムをズームで……そして北側、孔雀岳と仏生ヶ岳の間になんか凄い形の山が見えました。後日向かう大普賢岳と、そこから東に伸びる日本岳、和佐又山です。
大きく切れ落ちている孔雀覗付近。この時点で弥山小屋はちょっと無理だなーと思い始めており、途中の楊枝ヶ宿か迷平でのテント泊とする事に。
[13:37-13:46]孔雀岳
第42靡孔雀ヶ岳。登山道は山頂を通らないのですが、弥山まで行かないとなると時間には余裕があるので山頂まで行ってきました。道は荒れていましたが短いので迷う事はないでしょう。登った所で展望はいまいちでしたが。
孔雀岳→楊枝ヶ宿→迷平
再び分岐に戻りトラバース路を行く。向かう先には仏生ヶ岳、そして左に見えるのは楊枝ノ森から西に伸びる七面山。
トラバース路の途中には鳥の水という水場がありますが、この時期カラッカラに乾いてました。枯れてから久しい感じ。夏以降は当てにしない方が良さそうです。
再び木々の多い尾根道に入りましたが、標高が高いので行程の前半部とは少し雰囲気が違いますね。
仏生ヶ岳から下る際、目の前に大きな弥山の山体が。左に明星ヶ岳、中央に八経ヶ岳、右に弥山と並んでいます。
[15:13-15:34]楊枝ヶ宿
第44靡楊枝の宿。ログハウス調の立派な小屋です……が、時間が半端なのでもう少し先のテント適地に向かいます。翌日雨なんだから素直に小屋泊すればぁ?
明日は雨だよー、と言わんばかりの暗雲が既に立ち込めている。
雲が濃くなってきたので暗くなるのも早いです。そして寒い。大普賢岳はよく見えるものの、大台ケ原の方にも雲がかかり始めている。やはり明日は雨だ。匂いで分かる。
[16:21]迷平(舟ノ垰)到着
第46靡船の多和。地図上には迷平でキャンプ適地とあります。何が迷いで何が適地なのかって思ったんですけど……なるほど。二重稜線になってるんですね。
二重稜線とは尾根が二本並行している箇所の事。つまりその間の窪地に張れば風が防げるという訳です。だから適地ということか。
とまあこんな感じに鬱蒼とした木々の中にテントを張った訳ですが……風が当たらない分、前日張った証誠無漏岳の山頂よりはマシですね。夏場だったらうんざりしそうですが、この時期であれば侵入者も少なく、せいぜいハサミムシとかザトウムシくらいで平和なものでした。
さて、後半でこそ雲行きが怪しくなったものの行動終了まで平和のまま終わった一日。夜寝る頃になってもその気配はありませんでしたが、朝起きてみると……。
いやー、参りました。
次回記事『大峯奥駈道その4』に続く